2007年11月30日
福島臨海鉄道再訪 その7

東邦亜鉛小名浜精錬所から宮下駅に亜鉛焼鉱を積載したタンク車がやって来ました。
福島臨海鉄道の本線牽引用の機関車の前部手すりには、回転灯が取り付けられているのですが、この時はピカピカと点滅させてやって来ています。
この回転灯は本線を走行している時には点滅させていないので、専用線に入る時だけ使用のようです。
専用線には遮断機も警報機もない踏切があるので、安全対策のためではないかと勝手に思っています。

牽引されてきたタンク車は、宮下駅の右端の線で機関車から切り離され、機関車は左端の線を戻ってきます。

先ほどの機関車が、再び方向を変えて転線しながらタンク車に向かいます。
左に見えている腕木信号機が宮下駅の出発信号機です。(泉側)
2007年11月29日
福島臨海鉄道再訪 その6
東邦亜鉛小名浜精錬所の構内には、スイッチャーの他にも貨車が見えていましたので、今日はそちらの写真です。

タキ4000形式のタキ34056です。
濃硫酸専用のこの車両は、1956年の日立製です。
この工場からの濃硫酸の貨物輸送は現在はやっていないようなので、休車か廃車状態の車両だと思われます。

JR後に製造されたトキ25000(新)形式のトキ25000-2です。
1999年に12両が製造された亜鉛精鉱専用車で、全車東邦亜鉛の私有車となっています。
国鉄時代のトキ25000形式とはほぼ別形式のようで、車号の付け方も形式の後にハイフンを付けて区別しています。

タキ15600形式のタキ15602です。
こちらは亜鉛焼鉱専用車で1969年に富士重工で製造されています。
茶色くなっているのは、積み込み時に粉末が舞い上がるからのようです。
そのためなのかは分かりませんが、積み込み時には積み込み施設前後のシャッターを閉め切っていました。
トキ25000と一緒に安中駅までの貨物輸送に活躍中です。

タキ4000形式のタキ34056です。
濃硫酸専用のこの車両は、1956年の日立製です。
この工場からの濃硫酸の貨物輸送は現在はやっていないようなので、休車か廃車状態の車両だと思われます。

JR後に製造されたトキ25000(新)形式のトキ25000-2です。
1999年に12両が製造された亜鉛精鉱専用車で、全車東邦亜鉛の私有車となっています。
国鉄時代のトキ25000形式とはほぼ別形式のようで、車号の付け方も形式の後にハイフンを付けて区別しています。

タキ15600形式のタキ15602です。
こちらは亜鉛焼鉱専用車で1969年に富士重工で製造されています。
茶色くなっているのは、積み込み時に粉末が舞い上がるからのようです。
そのためなのかは分かりませんが、積み込み時には積み込み施設前後のシャッターを閉め切っていました。
トキ25000と一緒に安中駅までの貨物輸送に活躍中です。
2007年11月28日
福島臨海鉄道再訪 その5
東邦亜鉛小名浜工場の脇に行くとコンクリートの壁があるため機関車全体が見えません。
身長より高いので、大体方向を決めてシャッターを何回か切ってみました。

写真を見た結果、工場内に見えた機関車は日車のスイッチャーだと確認できました。
これもオートフォーカス様々です。
この写真を撮影している時には、スイッチャーのバックの建物に先ほどのDD553が建物の向こう側からタンク車を押し込んでいました。
先で作業をしているDD553を撮影するべく近づいていったのですが、先に行くほどコンクリートの壁が高くなり、山勘での撮影も出来なくなりました。
一旦脚立を取りに車に戻ります。

車に戻る際にスイッチャーを反対向きに撮影です。
このスイッチャーは、東邦亜鉛の関連である東邦キャリアの私有機(車籍は福島臨海鉄道)のDB253で、1969年に日本車輌で製造された25t機です。
この機関車の前歴は、編集長敬白8月28日付けのブログで紹介された、魚津の日本カーバイド工業の4両のディーゼル機の内の1両でした。(車籍は富山地方鉄道)
1993年に廃車となり、その後こちらに来て使用されています。

車から脚立を持ち出し工場を覗いてみると、入れ換え作業を終了して休んでいるDD553が見えました。
残念ながら活躍している姿は撮影できませんでしたが、休んでいるところを撮影しておきます。
身長より高いので、大体方向を決めてシャッターを何回か切ってみました。

写真を見た結果、工場内に見えた機関車は日車のスイッチャーだと確認できました。
これもオートフォーカス様々です。
この写真を撮影している時には、スイッチャーのバックの建物に先ほどのDD553が建物の向こう側からタンク車を押し込んでいました。
先で作業をしているDD553を撮影するべく近づいていったのですが、先に行くほどコンクリートの壁が高くなり、山勘での撮影も出来なくなりました。
一旦脚立を取りに車に戻ります。

車に戻る際にスイッチャーを反対向きに撮影です。
このスイッチャーは、東邦亜鉛の関連である東邦キャリアの私有機(車籍は福島臨海鉄道)のDB253で、1969年に日本車輌で製造された25t機です。
この機関車の前歴は、編集長敬白8月28日付けのブログで紹介された、魚津の日本カーバイド工業の4両のディーゼル機の内の1両でした。(車籍は富山地方鉄道)
1993年に廃車となり、その後こちらに来て使用されています。

車から脚立を持ち出し工場を覗いてみると、入れ換え作業を終了して休んでいるDD553が見えました。
残念ながら活躍している姿は撮影できませんでしたが、休んでいるところを撮影しておきます。
2007年11月27日
福島臨海鉄道再訪 その4
機関車の後を追って宮下駅に向かいます。
宮下駅にはすぐに着いたのですが、専用線の位置を通り過ぎて朝のラッシュに巻き込まれてかなり時間をロスする羽目に…。

宮下駅の構内を泉側から見たところです。
先に見える踏切から、左に曲がりながら構内が広がっています。
写真の腕木信号機は、見通しを確保するためなのかコンクリートの台で嵩上げされています。
3本の線路は、奥が福島臨海鉄道の本線、真ん中が東邦亜鉛への専用線、手前は使用を休止している線(東邦亜鉛の留置線だと思われ、宮下駅には繋がっていません)になっています。

上の写真の反対側です。
本線は右に曲がり、専用線は左に曲がっていきます。
多少線路の高さに差が生じています。

東邦亜鉛の専用線に沿って歩いていくと、間もなく工場が見えてきました。
鉄道門の先には薄緑色の機関車が見えています。
宮下駅にはすぐに着いたのですが、専用線の位置を通り過ぎて朝のラッシュに巻き込まれてかなり時間をロスする羽目に…。

宮下駅の構内を泉側から見たところです。
先に見える踏切から、左に曲がりながら構内が広がっています。
写真の腕木信号機は、見通しを確保するためなのかコンクリートの台で嵩上げされています。
3本の線路は、奥が福島臨海鉄道の本線、真ん中が東邦亜鉛への専用線、手前は使用を休止している線(東邦亜鉛の留置線だと思われ、宮下駅には繋がっていません)になっています。

上の写真の反対側です。
本線は右に曲がり、専用線は左に曲がっていきます。
多少線路の高さに差が生じています。

東邦亜鉛の専用線に沿って歩いていくと、間もなく工場が見えてきました。
鉄道門の先には薄緑色の機関車が見えています。
2007年11月26日
福島臨海鉄道再訪 その3
6時10分頃になり、検修庫へ向かって職員の方が歩いていきました。
6時23分発のためにエンジンを掛けるのだろうとと思って、泉寄りの踏切へ移動します。

踏切から構内を見るとこんな感じです。
画面左側の腕木信号機横の建物が検修庫で、その前に機関車が置いてあります。
寒い中を機関車が動くのをしばらく待っていたのですが、20分経っても動き出しません。
結局この日の一番列車は運休でした。
一番列車は泉駅からの帰りは小名浜駅までは戻らず、宮下駅行きになります。
当然この宮下駅行きも今日は運休になるのですが、宮下駅から分岐する東邦亜鉛専用線での入れ換え作業等を、次の宮下発泉行きの間合いでこなす運用となっており、その分の機関車が無いことになりました。

約1時間後、構内にエンジン音が響きました。
再び踏切に行くと、構内の奥の方でエンジンを吹かすDD553が見え、煙を噴き上げながら発進しました。

踏切手前まで来たDD553です。
写真の辺りは惰行していましたが、踏切を越えると再び大量の煙を噴き上げながら走り去っていきました。
6時23分発のためにエンジンを掛けるのだろうとと思って、泉寄りの踏切へ移動します。

踏切から構内を見るとこんな感じです。
画面左側の腕木信号機横の建物が検修庫で、その前に機関車が置いてあります。
寒い中を機関車が動くのをしばらく待っていたのですが、20分経っても動き出しません。
結局この日の一番列車は運休でした。
一番列車は泉駅からの帰りは小名浜駅までは戻らず、宮下駅行きになります。
当然この宮下駅行きも今日は運休になるのですが、宮下駅から分岐する東邦亜鉛専用線での入れ換え作業等を、次の宮下発泉行きの間合いでこなす運用となっており、その分の機関車が無いことになりました。

約1時間後、構内にエンジン音が響きました。
再び踏切に行くと、構内の奥の方でエンジンを吹かすDD553が見え、煙を噴き上げながら発進しました。

踏切手前まで来たDD553です。
写真の辺りは惰行していましたが、踏切を越えると再び大量の煙を噴き上げながら走り去っていきました。
2007年11月25日
福島臨海鉄道再訪 その2
今回はから11月9日に福島臨海鉄道へ行った時の話です。
この日は夜中に家を出発し、早朝に小名浜駅に到着しました。
本数の少ない臨海鉄道なので、6時23分小名浜駅発の一番列車から撮影するつもりだったのです。

6時頃少し明るくなり始めたので撮影を開始。
DD561がいたのでまずは撮影です。
この機関車は新潟鉄工所で製造されたDD56形で、1978年に入線しています。
機関車の右側に腕木信号機が写っていますが、この鉄道でも腕木信号機が現役で使用されているのです。

後ろにはDD551がいます。
こちらの機関車は富士重工業で1966年に製造された機関車です。
入線した頃は福島臨海鉄道ではなく、前身の小名浜臨港鉄道でした。

向かい側には検修庫がありその前にも機関車が止まっています。 こちらの機関車はDD553で、福島臨海鉄道になってからの1973年に新潟鉄工所で製造された機関車です。
3両の機関車はエンジンが少しずつ違い、新しい機関車ほど出力が上がっています。
もう一両の機関車は検修庫の中にいるので見えませんでした。
この日は夜中に家を出発し、早朝に小名浜駅に到着しました。
本数の少ない臨海鉄道なので、6時23分小名浜駅発の一番列車から撮影するつもりだったのです。

6時頃少し明るくなり始めたので撮影を開始。
DD561がいたのでまずは撮影です。
この機関車は新潟鉄工所で製造されたDD56形で、1978年に入線しています。
機関車の右側に腕木信号機が写っていますが、この鉄道でも腕木信号機が現役で使用されているのです。

後ろにはDD551がいます。
こちらの機関車は富士重工業で1966年に製造された機関車です。
入線した頃は福島臨海鉄道ではなく、前身の小名浜臨港鉄道でした。

向かい側には検修庫がありその前にも機関車が止まっています。 こちらの機関車はDD553で、福島臨海鉄道になってからの1973年に新潟鉄工所で製造された機関車です。
3両の機関車はエンジンが少しずつ違い、新しい機関車ほど出力が上がっています。
もう一両の機関車は検修庫の中にいるので見えませんでした。
2007年11月24日
いすみ鉄道を見に行ってみる その12
上総中野駅の続きです。

いすみ鉄道のホームから終端側を見ています。
先で左側のいすみ鉄道の線路と小湊鐵道の線路が接続されているのが分かります。

いすみ鉄道ホームの全景です。
1面のホームと1本の線路で事が足りています。
ずいぶん昔は反対側にも線路があったのですが、撤去されています。

その7でも触れているJRと色違いタイプの駅名標です。
JR時代ではなく近年新しく交換されたようです。
今回の話でいすみ鉄道編は一旦終了です。

いすみ鉄道のホームから終端側を見ています。
先で左側のいすみ鉄道の線路と小湊鐵道の線路が接続されているのが分かります。

いすみ鉄道ホームの全景です。
1面のホームと1本の線路で事が足りています。
ずいぶん昔は反対側にも線路があったのですが、撤去されています。

その7でも触れているJRと色違いタイプの駅名標です。
JR時代ではなく近年新しく交換されたようです。
今回の話でいすみ鉄道編は一旦終了です。
2007年11月23日
いすみ鉄道を見に行ってみる その11
いすみ鉄道の終点である上総中野駅までやって来ました。
この駅は小湊鐵道といすみ鉄道のお互いの終点駅になっています。

上総中野駅の様子です。
駅舎は小湊鐵道のものになります。
以前は他の小湊鐵道の駅と同じように古い駅舎がありましたが、この駅だけ建て替えられてしまいました。

駅舎に入るととホームの案内があります。
手前のホームが小湊鐵道で、奥がいすみ鉄道のホームです。
いすみ鉄道のホームの自動販売機の裏にも、大きく大原・大多喜方面乗り場と書かれています。

いすみ鉄道のホームから大原側を見たところです。
低い位置に出発信号機が取り付けられていますが、この駅だけではなく、いすみ鉄道の他の駅でも見られます。
右側に分岐している線路は普段は使用されていない線路であり、先で小湊鐵道と線路が繋がっています。
この駅は小湊鐵道といすみ鉄道のお互いの終点駅になっています。

上総中野駅の様子です。
駅舎は小湊鐵道のものになります。
以前は他の小湊鐵道の駅と同じように古い駅舎がありましたが、この駅だけ建て替えられてしまいました。

駅舎に入るととホームの案内があります。
手前のホームが小湊鐵道で、奥がいすみ鉄道のホームです。
いすみ鉄道のホームの自動販売機の裏にも、大きく大原・大多喜方面乗り場と書かれています。

いすみ鉄道のホームから大原側を見たところです。
低い位置に出発信号機が取り付けられていますが、この駅だけではなく、いすみ鉄道の他の駅でも見られます。
右側に分岐している線路は普段は使用されていない線路であり、先で小湊鐵道と線路が繋がっています。
2007年11月22日
いすみ鉄道を見に行ってみる その10
新田野駅の続きです。

新田野駅の大原側は線路が真っすぐに延びています。
春はこの辺りも線路脇に菜の花があった気がしますが、すっかり忘れています。

新田野駅の上総中野側はカーブしています。
カーブを抜けていすみ205がやってきました。

新田野駅に停車中のいすみ205です。
この車両も開業時からずっと活躍していますが、2009年以降も鉄道が存続することになると、置き換えが必要になると思われます。

新田野駅の大原側は線路が真っすぐに延びています。
春はこの辺りも線路脇に菜の花があった気がしますが、すっかり忘れています。

新田野駅の上総中野側はカーブしています。
カーブを抜けていすみ205がやってきました。

新田野駅に停車中のいすみ205です。
この車両も開業時からずっと活躍していますが、2009年以降も鉄道が存続することになると、置き換えが必要になると思われます。
2007年11月21日
いすみ鉄道を見に行ってみる その9

今度は新田野駅へやって来ました。
この駅は山の中ではなく国道465号線に面しているので、走る車は良く見えます。
でも駅に立ち寄る車はほとんど無い状態であり、利用客もかなり少なくなっています。

無人駅なのでホーム上の待合室しかありません。

新田野駅の駅名標です。
私には『にったの』が『につたの』に見えます。
2007年11月20日
いすみ鉄道を見に行ってみる その8

写真の建物は大多喜駅近くにある房総中央鉄道間です。
この時立ち寄ろうかと思っていたのですが、地震の補修のため休業中でした。

国吉~上総中川間を行くいすみ207を、上総中川駅の近くの踏切で撮影しています。
2007年11月19日
小湊鉄道2007 その16
土・日・月と小湊鐵道の撮影に出掛けてきましたので、久しぶりに小湊鐵道メインのネタです。
土曜日は天気予報では晴れだったので、いすみ鉄道の撮影のために家を出ました。
上総鶴舞駅のイチョウの様子も見たかったので立ち寄ってみると、全く黄色になっていませんでした。
黄色に色づいたイチョウを絡めて撮影をしたいのですが、今年も駄目そうです。
(昨年は休みの予定が合わず、見事に葉の無いイチョウになってました)
晴れどころか雨もポツリと来る始末で2本の列車を撮影して撤収です。
2日目は見事な快晴となり、上総大久保より奥を中心にして小湊鐵道の撮影、列車の合間でいすみ鉄道も撮ったりで過ごしました。
日曜日だけあり、写真を撮りに来ている人も多くいました。
3日目の本日は、里見駅近くのイチョウをメインに撮影に出ます。
本日も快晴、奈良から撮影に来たIさんとしばらく行動をともにしていました。
前置きの文書が長くなったのでここら辺で本日撮影の写真を公開です。

里見駅から上総中野に向かうと大山祇神社(たぶん)の鳥居があり、その前に2本のイチョウがあります。
まだ黄色になっていないのが残念でした。
キハ206+キハ204の2連が前を通過していきました。

神社より少し上総中野側にあるイチョウは黄色く色づいていました。
もっともこちらはかなり葉が落ちてきており、前日の木枯らし1号で更に落ちてしまいました。
写真の列車は、神社前で撮った列車が養老渓谷駅で折り返してきたものです。

上総中野駅での小湊鐵道といすみ鉄道の並びです。
車両は小湊鐵道のキハ213+キハ205といすみ202でした。
残りの写真はまた後日載せるつもりです。
土曜日は天気予報では晴れだったので、いすみ鉄道の撮影のために家を出ました。
上総鶴舞駅のイチョウの様子も見たかったので立ち寄ってみると、全く黄色になっていませんでした。
黄色に色づいたイチョウを絡めて撮影をしたいのですが、今年も駄目そうです。
(昨年は休みの予定が合わず、見事に葉の無いイチョウになってました)
晴れどころか雨もポツリと来る始末で2本の列車を撮影して撤収です。
2日目は見事な快晴となり、上総大久保より奥を中心にして小湊鐵道の撮影、列車の合間でいすみ鉄道も撮ったりで過ごしました。
日曜日だけあり、写真を撮りに来ている人も多くいました。
3日目の本日は、里見駅近くのイチョウをメインに撮影に出ます。
本日も快晴、奈良から撮影に来たIさんとしばらく行動をともにしていました。
前置きの文書が長くなったのでここら辺で本日撮影の写真を公開です。

里見駅から上総中野に向かうと大山祇神社(たぶん)の鳥居があり、その前に2本のイチョウがあります。
まだ黄色になっていないのが残念でした。
キハ206+キハ204の2連が前を通過していきました。

神社より少し上総中野側にあるイチョウは黄色く色づいていました。
もっともこちらはかなり葉が落ちてきており、前日の木枯らし1号で更に落ちてしまいました。
写真の列車は、神社前で撮った列車が養老渓谷駅で折り返してきたものです。

上総中野駅での小湊鐵道といすみ鉄道の並びです。
車両は小湊鐵道のキハ213+キハ205といすみ202でした。
残りの写真はまた後日載せるつもりです。
2007年11月18日
いすみ鉄道を見に行ってみる その7
久我原駅の続きです。

久我原駅の駅名標はJRタイプの色違いになっています。
いすみ鉄道は、国鉄から直接転換されずにJRの時期が1年弱ありますので、その間に駅名標を整備して転換時に色を塗り替えたのでしょうか?
JRの木原線時代に来ているのですが、そこまでの記憶はありません。

ホームの大原側の端っこには、1960-6の完成年月が貼ってあります。
作られてから47年が経っていることになります。

駅だけの紹介とか書いておきながら、駅近くの夷隅川を渡る列車です。
上総中野側に進むと掛かっています。

久我原駅の駅名標はJRタイプの色違いになっています。
いすみ鉄道は、国鉄から直接転換されずにJRの時期が1年弱ありますので、その間に駅名標を整備して転換時に色を塗り替えたのでしょうか?
JRの木原線時代に来ているのですが、そこまでの記憶はありません。

ホームの大原側の端っこには、1960-6の完成年月が貼ってあります。
作られてから47年が経っていることになります。

駅だけの紹介とか書いておきながら、駅近くの夷隅川を渡る列車です。
上総中野側に進むと掛かっています。
2007年11月17日
いすみ鉄道を見に行ってみる その6
大原側に1駅移動して久我原駅にやってきました。

久我原駅の周囲は山の中にあり、道路から見た駅の様子です。
写真を撮っている道路も主要な道路から外れた細い道です。

駅から見た周囲の様子です。
線路は上総中野方向に向かっています。
車が止まっている場所は自転車置き場になっています。
山の中のこの駅の周囲には、写真の左手に見える民家以外は民家が確認できません。

ホームには待合室があるだけで他には何もありません。

久我原駅の周囲は山の中にあり、道路から見た駅の様子です。
写真を撮っている道路も主要な道路から外れた細い道です。

駅から見た周囲の様子です。
線路は上総中野方向に向かっています。
車が止まっている場所は自転車置き場になっています。
山の中のこの駅の周囲には、写真の左手に見える民家以外は民家が確認できません。

ホームには待合室があるだけで他には何もありません。
2007年11月16日
いすみ鉄道を見に行ってみる その5
総元駅の続きです。

上総中野側を見た様子です。
線路の曲がり方から見ると、昔は行き違いの出来た駅だったと思われます。

駅の向かい側の風景です。
この駅の前にも田んぼが広がっていました。

総元駅の駅名標は見ての通りボロボロです。

上総中野側を見た様子です。
線路の曲がり方から見ると、昔は行き違いの出来た駅だったと思われます。

駅の向かい側の風景です。
この駅の前にも田んぼが広がっていました。

総元駅の駅名標は見ての通りボロボロです。
2007年11月15日
いすみ鉄道を見に行ってみる その4
今度は総元駅にやってきました。

この駅は、国鉄時代に木原線が総元まで開通した時の1933年に開業しています。
いすみ鉄道になった後、しばらくしてから公民館を併設した駅舎に建て替えられています。

待合室の内部は、木材を多用した造りになっています。
向こう側がホームになっており、無人駅のため改札もありません。

ホーム側から見た駅舎です。
駅舎自体は新しくなっていますが、ホームは古い物です。

この駅は、国鉄時代に木原線が総元まで開通した時の1933年に開業しています。
いすみ鉄道になった後、しばらくしてから公民館を併設した駅舎に建て替えられています。

待合室の内部は、木材を多用した造りになっています。
向こう側がホームになっており、無人駅のため改札もありません。

ホーム側から見た駅舎です。
駅舎自体は新しくなっていますが、ホームは古い物です。
2007年11月14日
いすみ鉄道を見に行ってみる その3
西畑駅の続きです。

写真は終点の上総中野方面を見たところです。
この駅はカーブの途中にあり上総中野方面は見通しがききません。

反対側を向いて大原方面の景色です。
ホームの向かいは田んぼになっています。

ホーム上の待合室です。
丸いガラス窓がポイントになります。
向こう側の窓は丸いのですが、手前の窓より小振りになっています。
何か意味があってのデザインかもしれません。

写真は終点の上総中野方面を見たところです。
この駅はカーブの途中にあり上総中野方面は見通しがききません。

反対側を向いて大原方面の景色です。
ホームの向かいは田んぼになっています。

ホーム上の待合室です。
丸いガラス窓がポイントになります。
向こう側の窓は丸いのですが、手前の窓より小振りになっています。
何か意味があってのデザインかもしれません。
2007年11月13日
いすみ鉄道を見に行ってみる その2
10月30日にいすみ鉄道を見に行った話の続きです。
とりあえず2年間の存続が決まったいすみ鉄道の様子を見るのが目的でした。
この日は天気予報が外れて終日曇天となってしまい、いすみ鉄道に行く途中で、上総鶴舞駅にも立ち寄って小湊鐵道の写真も撮ったのですが、どんよりした写真になってしまっています。
その後の列車の撮影もしまりのない物ばかりなので、今回は駅だけの紹介にとどめて、列車の写真は晴れた日にやり直すことにします。

大原方から見た西畑駅の様子です。
ホーム一面でホーム上に待合室があるだけの駅です。
国鉄時代に木原線の駅として1937年に開業しています。
近くには西畑小学校の校舎が目立ちますが、他には目立つ物はありません。

ホームの柵にはチューリップをした看板が付いています。
反対側にはド○えもんがいます。
ド○えもんの前にはプランターが並べられているのですが、時期的に枯れ草でした。
春は綺麗に花が咲いていたと思われます。

駅名標は国鉄時代からの木製の物が使用されていました。
とりあえず2年間の存続が決まったいすみ鉄道の様子を見るのが目的でした。
この日は天気予報が外れて終日曇天となってしまい、いすみ鉄道に行く途中で、上総鶴舞駅にも立ち寄って小湊鐵道の写真も撮ったのですが、どんよりした写真になってしまっています。
その後の列車の撮影もしまりのない物ばかりなので、今回は駅だけの紹介にとどめて、列車の写真は晴れた日にやり直すことにします。

大原方から見た西畑駅の様子です。
ホーム一面でホーム上に待合室があるだけの駅です。
国鉄時代に木原線の駅として1937年に開業しています。
近くには西畑小学校の校舎が目立ちますが、他には目立つ物はありません。

ホームの柵にはチューリップをした看板が付いています。
反対側にはド○えもんがいます。
ド○えもんの前にはプランターが並べられているのですが、時期的に枯れ草でした。
春は綺麗に花が咲いていたと思われます。

駅名標は国鉄時代からの木製の物が使用されていました。
2007年11月12日
ちょいと長野まで その21
北須坂~小布施間の撮影後は、延徳駅まで戻って延徳~信州中野間での撮影を行いました。
ここでの撮影は場所の選び方が悪く、変な写真ばっかりになってしまいました。
さらに信濃竹原~夜間瀬間の夜間瀬川に掛かる橋梁でも撮影も行いましたが、2000系が来る直前で日が沈んでしまい、やはり失敗です。

暗くなったので、駅での撮影に切り替え上条駅にやってきました。
勾配の途中にあるこの駅は、駅部分だけ傾斜が緩くなっています。
写真を見て分かるように、駅を出るといきなり線路が見えなくなる程の急勾配です。

上条駅に停車中の3500系です。
ホームは2両編成の電車でいっぱいの長さしかありません。

上条駅は無人駅なので待合室しかありません。
1975年までは有人駅だったそうです。
待合室壁に付いている駅名の看板は、何故か『上條』の表示になっています。
昔はこの字を使っていたのかはまだ調べていませんが、有人駅だった最後の年の切符は『上条』になっていました。

夜が近い上条駅の様子です。
この小さな駅も多くの乗降客があった時が最近ありました。
湯田中駅のスイッチバック解消に伴う工事中は、この駅から終点の湯田中駅まで代行バスを運行していたのでした。
何も知らないで乗ってきた人は、こんな小さな駅に降ろされてびっくりしたと思います。
この駅での撮影後、湯田中駅の撮影に向かいましたが、駅裏側の『楓の湯』で風呂に浸かって撮影せずに撤収しました。
これで長野の話は終了です。
ここでの撮影は場所の選び方が悪く、変な写真ばっかりになってしまいました。
さらに信濃竹原~夜間瀬間の夜間瀬川に掛かる橋梁でも撮影も行いましたが、2000系が来る直前で日が沈んでしまい、やはり失敗です。

暗くなったので、駅での撮影に切り替え上条駅にやってきました。
勾配の途中にあるこの駅は、駅部分だけ傾斜が緩くなっています。
写真を見て分かるように、駅を出るといきなり線路が見えなくなる程の急勾配です。

上条駅に停車中の3500系です。
ホームは2両編成の電車でいっぱいの長さしかありません。

上条駅は無人駅なので待合室しかありません。
1975年までは有人駅だったそうです。
待合室壁に付いている駅名の看板は、何故か『上條』の表示になっています。
昔はこの字を使っていたのかはまだ調べていませんが、有人駅だった最後の年の切符は『上条』になっていました。

夜が近い上条駅の様子です。
この小さな駅も多くの乗降客があった時が最近ありました。
湯田中駅のスイッチバック解消に伴う工事中は、この駅から終点の湯田中駅まで代行バスを運行していたのでした。
何も知らないで乗ってきた人は、こんな小さな駅に降ろされてびっくりしたと思います。
この駅での撮影後、湯田中駅の撮影に向かいましたが、駅裏側の『楓の湯』で風呂に浸かって撮影せずに撤収しました。
これで長野の話は終了です。
2007年11月11日
ちょいと長野まで その20
北須坂駅から小布施駅の方向に歩いてみます。
小布施に向かって線路の右側を進む形で進むと、駅に近い辺りにはまだ新しい住宅地が広がっています。
そのまま進み住宅地が途切れる辺りに来ると、線路の両側にはリンゴ畑になりました。

北須坂と小布施の間には川が流れており、その橋梁部に向かってかなり急な勾配となっています。
とりあえずここで撮影をすることに決めて、特急列車を待ちました。

撮影する時に、小田急時代の長い編成をついイメージしてしまったため、妙に短い1000系特急が結構なスピードを出してやって来ました。
一瞬で通り過ぎた感じを受けるぐらい早く感じました。

線路の両側までリンゴ畑が迫っているので、リンゴ畑と絡めて湯田中行きの1000系特急を撮影します。
線路とリンゴ畑が近すぎて、うまい場所が見つからなかったので、リンゴが目立ちません。
小布施に向かって線路の右側を進む形で進むと、駅に近い辺りにはまだ新しい住宅地が広がっています。
そのまま進み住宅地が途切れる辺りに来ると、線路の両側にはリンゴ畑になりました。

北須坂と小布施の間には川が流れており、その橋梁部に向かってかなり急な勾配となっています。
とりあえずここで撮影をすることに決めて、特急列車を待ちました。

撮影する時に、小田急時代の長い編成をついイメージしてしまったため、妙に短い1000系特急が結構なスピードを出してやって来ました。
一瞬で通り過ぎた感じを受けるぐらい早く感じました。

線路の両側までリンゴ畑が迫っているので、リンゴ畑と絡めて湯田中行きの1000系特急を撮影します。
線路とリンゴ畑が近すぎて、うまい場所が見つからなかったので、リンゴが目立ちません。
2007年11月10日
ちょいと長野まで その19
村山駅から下り電車に乗って北須坂駅で下車しました。
朝の電車からのロケハンで、北須坂~小布施間が気になったのでちょっと歩いてみることにしたのです。

北須坂駅は島式ホーム一本の駅です。
この駅も延徳駅と同じく長野オリンピックの時に交換できるように改良されています。

ホームへの構内踏切から信州中野方面を見たところです。
左側に見えている建物が駅舎ですが、ホームからは距離があります。
交換施設を造った時に駅舎とホームの位置関係が変わったためではないかと思っています。

北須坂駅駅舎です。
線路に対して直角に長い駅舎となっています。
朝の電車からのロケハンで、北須坂~小布施間が気になったのでちょっと歩いてみることにしたのです。

北須坂駅は島式ホーム一本の駅です。
この駅も延徳駅と同じく長野オリンピックの時に交換できるように改良されています。

ホームへの構内踏切から信州中野方面を見たところです。
左側に見えている建物が駅舎ですが、ホームからは距離があります。
交換施設を造った時に駅舎とホームの位置関係が変わったためではないかと思っています。

北須坂駅駅舎です。
線路に対して直角に長い駅舎となっています。
2007年11月09日
福島臨海鉄道再訪 その1
本日は2時半に家を出て、福島臨海鉄道の撮影に行ってきました。
昨年の9月は下見程度だったので、今回は気合いを入れて行ったので出来はともかくしっかり撮影できました。
長野電鉄の話も、いすみ鉄道の話もあるので、今回は変なネタだけ紹介です。

某所に貨車が留置してあるのを昨年確認していたので見に行ってみました。
その場所には線路が3線あり、今日は貨車が6両留置されていました。
留置線を良く見ると奥の方が3線とも水没していました。

奥方に位置する2両のタンク車は完全に水の上になっています。

奥方から見た留置タンク車の様子です。
何でこんな状態になってしまったのでしょうかね?
ちなみに今日は晴れましたが明日、明後日は雨の予報なので、また水かさが増してしまうでしょう。
昨年の9月は下見程度だったので、今回は気合いを入れて行ったので出来はともかくしっかり撮影できました。
長野電鉄の話も、いすみ鉄道の話もあるので、今回は変なネタだけ紹介です。

某所に貨車が留置してあるのを昨年確認していたので見に行ってみました。
その場所には線路が3線あり、今日は貨車が6両留置されていました。
留置線を良く見ると奥の方が3線とも水没していました。

奥方に位置する2両のタンク車は完全に水の上になっています。

奥方から見た留置タンク車の様子です。
何でこんな状態になってしまったのでしょうかね?
ちなみに今日は晴れましたが明日、明後日は雨の予報なので、また水かさが増してしまうでしょう。
2007年11月08日
ちょいと長野まで その18
今回も村山駅の続きです。

村山駅の駅舎です。
この駅も桐原駅や朝陽駅と一緒の1926年6月28日に長野電気鉄道によって開業した駅なのです。
やはり他の駅と同じように、古い木造の駅舎を使用しています。

駅舎内はポスターやチラシが目立ちますが、基本的にはあまり手を加えていない状態です。

外から中を覗いたところです。
壁と一体に作られた長椅子が木造らしさを出していて良い感じでした。

村山駅の駅舎です。
この駅も桐原駅や朝陽駅と一緒の1926年6月28日に長野電気鉄道によって開業した駅なのです。
やはり他の駅と同じように、古い木造の駅舎を使用しています。

駅舎内はポスターやチラシが目立ちますが、基本的にはあまり手を加えていない状態です。

外から中を覗いたところです。
壁と一体に作られた長椅子が木造らしさを出していて良い感じでした。
2007年11月07日
ちょいと長野まで その17
須坂駅の次は村山駅に移動しました。

この駅は3月のブログにも書いたとおり右側通行の駅なので、写真の電車は奥に向かって発車していきました。
長野電鉄には、右側通行の駅と左側通行の駅が混在しており、構内踏切が列車が到着した後ろ側になるように使い分けています。

長野側から見た村山駅のホームです。
左側後方には貨物ホームが残っているのが見えますが、ホームの上は駐車場として使用されています。

村山駅の長野方に道路併用橋の村山橋があります。
駅から橋の方を見ると、構内を抜けた踏切の先で線路が仮線に向けて曲げられているのが見えました。

この駅は3月のブログにも書いたとおり右側通行の駅なので、写真の電車は奥に向かって発車していきました。
長野電鉄には、右側通行の駅と左側通行の駅が混在しており、構内踏切が列車が到着した後ろ側になるように使い分けています。

長野側から見た村山駅のホームです。
左側後方には貨物ホームが残っているのが見えますが、ホームの上は駐車場として使用されています。

村山駅の長野方に道路併用橋の村山橋があります。
駅から橋の方を見ると、構内を抜けた踏切の先で線路が仮線に向けて曲げられているのが見えました。
2007年11月06日
ちょいと長野まで その16

10系を撮影したホーム上の長野方の端には、転轍機や標識などが展示されています。

再びホームを湯田中側まで歩き、車両基地で昼寝中の2000系を撮影します。

2000系の横には3500系がいます。
片側の前照灯が外されており、須坂工場で修理中のようです。
2007年11月05日
ちょいと長野まで その15
須坂駅の続きです。

隣のホームへ移ると4番線は屋代線用として使用されています。
屋代線は終日3500系のみで運転となっており、長野線側と比べると輸送量は少なくなっています。
こちらの3500系は前日のブログでも触れたように、長野線で運用されている車両と仕様が違っており、ワンマン運転用の運賃箱と運賃表示器が付いています。
正面から見た見分け方は前からみて左側の窓に書いてある編成番号が、『O』(アルファベットのオー)で始まっています。
他の3500系は『N』からの編成番号、3600系は『L』です。
車両の向こうにもホームらしき物が見えますが、現在は旅客扱いには使用していません。
向こうのホームの上が駅舎となっています。

屋代線のホームの屋代寄りから隣の線路を見ると、2003年に廃止となった10系電車が留置されています。
新OSカーと呼ばれたこの車両、長野駅付近の地下化に伴い地下線の運転基準を満たすために古い車両を置き換える目的を持って製造されましたが、結局元東急5000系が2500系として導入されたために増備されず、1編成2両のみの存在となっていました。
この車両が留置されている位置には、以前OSカーの0系が置かれていたのですが、保存目的で留置されていたのに最後は解体されてしまいました。
2001年秋の時点では0系と2500系が並んで留置されていたのを見た記憶があります。
10系が解体にならないことを願います。

隣のホームへ移ると4番線は屋代線用として使用されています。
屋代線は終日3500系のみで運転となっており、長野線側と比べると輸送量は少なくなっています。
こちらの3500系は前日のブログでも触れたように、長野線で運用されている車両と仕様が違っており、ワンマン運転用の運賃箱と運賃表示器が付いています。
正面から見た見分け方は前からみて左側の窓に書いてある編成番号が、『O』(アルファベットのオー)で始まっています。
他の3500系は『N』からの編成番号、3600系は『L』です。
車両の向こうにもホームらしき物が見えますが、現在は旅客扱いには使用していません。
向こうのホームの上が駅舎となっています。

屋代線のホームの屋代寄りから隣の線路を見ると、2003年に廃止となった10系電車が留置されています。
新OSカーと呼ばれたこの車両、長野駅付近の地下化に伴い地下線の運転基準を満たすために古い車両を置き換える目的を持って製造されましたが、結局元東急5000系が2500系として導入されたために増備されず、1編成2両のみの存在となっていました。
この車両が留置されている位置には、以前OSカーの0系が置かれていたのですが、保存目的で留置されていたのに最後は解体されてしまいました。
2001年秋の時点では0系と2500系が並んで留置されていたのを見た記憶があります。
10系が解体にならないことを願います。
2007年11月04日
ちょいと長野まで その14
須坂駅までやって来ました。
この駅は車両基地を併せ持つ長野電鉄の中枢駅です。
見ているだけで楽しい場所であり、構内の様子を撮影するために立ち寄りました。

左が乗車してきた8500系、右が留置線の3500系です。

8500系が発車した後の3500系です。
2連を組んでいる車両が3500系、3連を組んでいる車両が3600系となっており、3500系の中でもワンマン運転時の料金箱と料金表示器が有る車両と無い車両では、編成番号が分けられています。
車両の後方には2000系と検修庫(須坂工場)も見えています。

連絡用の階段からホームを見たところです。
今までいたところが1番線で湯田中方面に行く下り列車が使用しており、2番線は折り返しや車庫から出庫した長野方面に行く列車が使用しています。
ここにある表示にも木島方面の表示が残っていました。
この駅は車両基地を併せ持つ長野電鉄の中枢駅です。
見ているだけで楽しい場所であり、構内の様子を撮影するために立ち寄りました。

左が乗車してきた8500系、右が留置線の3500系です。

8500系が発車した後の3500系です。
2連を組んでいる車両が3500系、3連を組んでいる車両が3600系となっており、3500系の中でもワンマン運転時の料金箱と料金表示器が有る車両と無い車両では、編成番号が分けられています。
車両の後方には2000系と検修庫(須坂工場)も見えています。

連絡用の階段からホームを見たところです。
今までいたところが1番線で湯田中方面に行く下り列車が使用しており、2番線は折り返しや車庫から出庫した長野方面に行く列車が使用しています。
ここにある表示にも木島方面の表示が残っていました。
2007年11月03日
ちょいと長野まで その13
長野総合車両センターの見学を終え、再び桐原駅から長野電鉄に乗車して長野駅に向かいます。

長野電鉄の長野駅はJRの駅に隣接してありますが、長野駅からしばらくの区間は地下化されていますので、駅舎は地上にはなく地下への入口が何カ所かあります。
入口を見ると1000系ゆけむりの看板が大きく掲げられていました。
小布施などに、路線の周辺に観光資源を持っている長野電鉄としては、鉄道での観光に力を入れており、この1000系にも期待が大きいのです。

地下一階に長野電鉄の切符売り場や改札口があります。
久しぶりに自動改札ではない、ずらりと並ぶ改札口を見ました。
ホームは改札口を抜けてから、更に階段で地下2階に降りたところにあります。

改札を抜け階段を下りると正面に1000系が待っていました。
長野駅は頭端式の3線を持つ駅で、真ん中の線を特急ホームに使っているようです。
観光に来ていると思われる人が多く見られ、鉄道好きでなくても列車を撮影している人が見られました。
やはり1000系は魅力がある車両と言うことの表れで、長野電鉄としても導入した甲斐があったと思います。

長野電鉄の長野駅はJRの駅に隣接してありますが、長野駅からしばらくの区間は地下化されていますので、駅舎は地上にはなく地下への入口が何カ所かあります。
入口を見ると1000系ゆけむりの看板が大きく掲げられていました。
小布施などに、路線の周辺に観光資源を持っている長野電鉄としては、鉄道での観光に力を入れており、この1000系にも期待が大きいのです。

地下一階に長野電鉄の切符売り場や改札口があります。
久しぶりに自動改札ではない、ずらりと並ぶ改札口を見ました。
ホームは改札口を抜けてから、更に階段で地下2階に降りたところにあります。

改札を抜け階段を下りると正面に1000系が待っていました。
長野駅は頭端式の3線を持つ駅で、真ん中の線を特急ホームに使っているようです。
観光に来ていると思われる人が多く見られ、鉄道好きでなくても列車を撮影している人が見られました。
やはり1000系は魅力がある車両と言うことの表れで、長野電鉄としても導入した甲斐があったと思います。
2007年11月02日
ちょいと長野まで その12

訓練用のトレインシミュレーターも公開されていました。
ちゃんと全体が振動もする構造になっており、運転席前の映像だけではなく横のドア越しに前を見ても、前面とは別にスクリーンがあり、画像が映し出されていました。

子供向けにスーパーあずさを模したミニ列車が構内を走っていました。
何故か後ろで牽かれる車両は183系を模しています。
他にもE257系を模したミニ列車もありました。

ジョイフルトレインの『彩』も展示されていましたが、構内のためすっきりとは撮影できません。
つり目に見える正面のデザインは、個人的には好きなタイプではないです。
この車両は、一部の車両が食事場所として開放されていました。
2007年11月01日
ちょいと長野まで その11

工場内には多くの115系があり、写真は車両から台車を外した状態で展示されていた台車と車両です。

115系の訓練車と、センター内での車両の移動を担っている移動機も置いてありました。

E233系の増備により、中央線から数を減らしている201系の姿も見えました。
解体を待っている姿だと思われまので、ちょっと寂しい光景です。
