2007年10月31日
ちょいと長野まで その10
長野総合車両センターのトラバーサーをちょっと観察してみました。

ここのトラバーサーの電源供給方法は、3本の架線(?)から集電していました。

トラバーサー横からの写真。
この中に前日のブログのアント君が乗っていました。

トラバーサーはレールの上を横にスライドするわけですが、この長野はそれなりに雪が降るようで、スノウプロウが装備されていました。

ここのトラバーサーの電源供給方法は、3本の架線(?)から集電していました。

トラバーサー横からの写真。
この中に前日のブログのアント君が乗っていました。

トラバーサーはレールの上を横にスライドするわけですが、この長野はそれなりに雪が降るようで、スノウプロウが装備されていました。
2007年10月30日
いすみ鉄道を見に行ってみる その1
今月の頭にメインで使用しているカメラとレンズをオーバーホールに出しましたが、オーバーホールだけでは済まずに修理となって仕舞いました。
3週間経ってやっと手元に戻ってきたので、試運転を兼ねていすみ鉄道を見に行ってみました。(ついでに小湊鐵道も)

本日の締めくくりとして小湊鉄道の上総久保駅で下り列車を撮影しました。
日が落ちて明かりが灯り始めたところに、キハ200形の2連がやって来たところを撮影です。

シャッタースピードが上がらないので流し撮り。
この車両は、塗装が大分傷んでました。
戻ってきたカメラとレンズはかなり調子よく使えました。
しばらくは買い換えなくて済みそうです。
今日の細かい内容は長野の話が終わった後に予定してます。
3週間経ってやっと手元に戻ってきたので、試運転を兼ねていすみ鉄道を見に行ってみました。(ついでに小湊鐵道も)

本日の締めくくりとして小湊鉄道の上総久保駅で下り列車を撮影しました。
日が落ちて明かりが灯り始めたところに、キハ200形の2連がやって来たところを撮影です。

シャッタースピードが上がらないので流し撮り。
この車両は、塗装が大分傷んでました。
戻ってきたカメラとレンズはかなり調子よく使えました。
しばらくは買い換えなくて済みそうです。
今日の細かい内容は長野の話が終わった後に予定してます。
2007年10月29日
ちょいと長野まで その9
ちりも積もれば山となるという言葉通りで、このブログの写真も枚数が多くなって容量の100MBまで何回か達していたのでした。
古い写真をカットして何とかしのいでいたら、容量アップのお知らせが出てたのでこれで一安心です。
でも一気に500MBに増量なんて凄いですね。
では本題の長野の話です。
桐原駅から長野総合車両センターに向かって歩きました。
隣の信濃吉田駅の方が近いらしいのですが、駅間も短かったのでそのまま勘を頼りに歩いていきます。
無事に目的地の近くに抜け出て、線路を跨ぐ陸橋からは車両センターに所属するキハ110系、189系、115系などの姿が見えました。
残念ながらフェンスがあるので写真を撮るのは難しいです。

車両センターに入りしばらく行くと保存されているD51があり、デッキは子供達で賑わっていました。
このD51 486は長野工場製で製造され、修繕も一貫して長野工場で行われた、この地に関係の深い機関車だそうです。

こういう催し物でのお約束である模型運転会も行われていました。
場所は工場内の体育館です。

工場内の車両の移動のための車両移動機であるアント君がトラバーサーの中に置かれていました。
この車両センターは大規模なため、トラバーサーも2箇所に設置されています。
古い写真をカットして何とかしのいでいたら、容量アップのお知らせが出てたのでこれで一安心です。
でも一気に500MBに増量なんて凄いですね。
では本題の長野の話です。
桐原駅から長野総合車両センターに向かって歩きました。
隣の信濃吉田駅の方が近いらしいのですが、駅間も短かったのでそのまま勘を頼りに歩いていきます。
無事に目的地の近くに抜け出て、線路を跨ぐ陸橋からは車両センターに所属するキハ110系、189系、115系などの姿が見えました。
残念ながらフェンスがあるので写真を撮るのは難しいです。

車両センターに入りしばらく行くと保存されているD51があり、デッキは子供達で賑わっていました。
このD51 486は長野工場製で製造され、修繕も一貫して長野工場で行われた、この地に関係の深い機関車だそうです。

こういう催し物でのお約束である模型運転会も行われていました。
場所は工場内の体育館です。

工場内の車両の移動のための車両移動機であるアント君がトラバーサーの中に置かれていました。
この車両センターは大規模なため、トラバーサーも2箇所に設置されています。
2007年10月28日
ちょいと長野まで その8
朝陽駅から再び電車に乗車して長野駅方面に向かいます。
先ほど長野へ向かった、マルーンの2000系の戻りを撮影するためでした。

2駅先の桐原駅の形が何となく気に入ったのでここで下車します。
この駅は、跨線橋の屋根も駅舎の屋根も赤で塗装されており、他の駅と印象が違います。
ホームには数名のファンがいました。

ホームから見た駅舎です。
急な角度の屋根を持ったこの駅も、朝陽駅と同じ日に開設された駅ですが、全く構造は違っておりこちらは洋風の造りとなっていました。

マルーンの2000系が桐原駅に到着します。
特急で長野駅まで行った後、再び普通列車の運用になり須坂行きで戻ってきました。
この列車の直前に長野に向かって1000系の特急が走り去り、入れ替わりで2000系の方は須坂の車庫で昼寝に入ります。
基本的な運用だと、2000系は朝夕の時間帯、1000系は昼間帯となっているようです。
先ほど長野へ向かった、マルーンの2000系の戻りを撮影するためでした。

2駅先の桐原駅の形が何となく気に入ったのでここで下車します。
この駅は、跨線橋の屋根も駅舎の屋根も赤で塗装されており、他の駅と印象が違います。
ホームには数名のファンがいました。

ホームから見た駅舎です。
急な角度の屋根を持ったこの駅も、朝陽駅と同じ日に開設された駅ですが、全く構造は違っておりこちらは洋風の造りとなっていました。

マルーンの2000系が桐原駅に到着します。
特急で長野駅まで行った後、再び普通列車の運用になり須坂行きで戻ってきました。
この列車の直前に長野に向かって1000系の特急が走り去り、入れ替わりで2000系の方は須坂の車庫で昼寝に入ります。
基本的な運用だと、2000系は朝夕の時間帯、1000系は昼間帯となっているようです。
2007年10月27日
ちょいと長野まで その7
今度は駅を挟んで反対側に歩いて、単線区間の朝陽~附属中学前間で撮影です。

長野と言えば思い出される物の上位に、果物のリンゴがあります。
沿線にもかなり多くのリンゴ畑を見つけることができ、朝陽~附属中学前間にも赤いリンゴが育っていました。
やって来た3500系をリンゴを入れて撮影してみました。

線路の反対側は稲の刈り入れをやっている最中でした。
天気の悪さだけはどうしようもなく、どうにもすっきりしません。

ちょっとだけ明るくなったところへマルーンの2000系特急がやって来ました。
この列車の撮影後に晴れ間が広がってきました…。

長野と言えば思い出される物の上位に、果物のリンゴがあります。
沿線にもかなり多くのリンゴ畑を見つけることができ、朝陽~附属中学前間にも赤いリンゴが育っていました。
やって来た3500系をリンゴを入れて撮影してみました。

線路の反対側は稲の刈り入れをやっている最中でした。
天気の悪さだけはどうしようもなく、どうにもすっきりしません。

ちょっとだけ明るくなったところへマルーンの2000系特急がやって来ました。
この列車の撮影後に晴れ間が広がってきました…。
2007年10月26日
ちょいと長野まで その6
複線区間での撮影のため、朝陽駅から住宅の間を抜けて長野側に向かいます。
周囲は新しい家の建設が進められており、長野市内に通うのに丁度良い距離なのかもしれません。

写真は長野方から朝陽駅を見たところです。
ホーム手前に上下線双方向に渡り線が見えています。
この先にある村山橋が悪天候で運転できなくなったりすると、この駅で折り返し運転となるそうです。
過去には、長野駅からこの駅までの区間列車や特急列車の待避が行われていました。

長野電鉄の8500系がやって来ました。
東急からやって来た8500系が、当時とあまり変わらない姿で活躍しています。
もっとも長い編成から3両編成と短くなっており、ある意味大きく変わったところでしょう。

お目当ての2000系リンゴ塗色の特急がやってきました。
天気予報は晴れだったのに、思いっきり曇って残念。
周囲は新しい家の建設が進められており、長野市内に通うのに丁度良い距離なのかもしれません。

写真は長野方から朝陽駅を見たところです。
ホーム手前に上下線双方向に渡り線が見えています。
この先にある村山橋が悪天候で運転できなくなったりすると、この駅で折り返し運転となるそうです。
過去には、長野駅からこの駅までの区間列車や特急列車の待避が行われていました。

長野電鉄の8500系がやって来ました。
東急からやって来た8500系が、当時とあまり変わらない姿で活躍しています。
もっとも長い編成から3両編成と短くなっており、ある意味大きく変わったところでしょう。

お目当ての2000系リンゴ塗色の特急がやってきました。
天気予報は晴れだったのに、思いっきり曇って残念。
2007年10月25日
ちょいと長野まで その5
ロケハンを兼ねた電車を朝陽(あさひ)駅で下車しました。
朝陽駅の周辺でしばらく撮影する気になったからです。
ちなみにこの駅までは単線区間でしたが、この先長野までは複線となっています。

朝陽駅の駅舎です。
1926年6月に長野電気鉄道の最初の区間である権堂~須坂間が開業した時に開設されています。
駅舎は木造で古いですが、綺麗に手入れされて使用されています。

駅舎からホーム方向を見たところです。
奥側が長野方面になっており、複線区間となります。

ホーム上の待合室です。
壁には『須坂 湯田中 木島方面』の表示がありました。
木島線(通称)は2002年4月に廃止となったけど、バスが走っているから残しているのかは不明です。
朝陽駅の周辺でしばらく撮影する気になったからです。
ちなみにこの駅までは単線区間でしたが、この先長野までは複線となっています。

朝陽駅の駅舎です。
1926年6月に長野電気鉄道の最初の区間である権堂~須坂間が開業した時に開設されています。
駅舎は木造で古いですが、綺麗に手入れされて使用されています。

駅舎からホーム方向を見たところです。
奥側が長野方面になっており、複線区間となります。

ホーム上の待合室です。
壁には『須坂 湯田中 木島方面』の表示がありました。
木島線(通称)は2002年4月に廃止となったけど、バスが走っているから残しているのかは不明です。
2007年10月24日
ちょいと長野まで その4
延徳駅からは3500系電車の最後尾に陣取り、後方の景色を中心にロケハンをしながらの移動となりました。
何カ所か気になった場所をチェックしていると、村山駅までやって来ていました。

村山駅を過ぎると道路併用橋の村山橋を渡ります。
村山橋の掛け替え工事が進みダイヤも変えられているので、注視していると、村山駅を出た途端に急なカーブとなり、線路が付け替えられていました。

再び急なカーブを過ぎ元の線路に戻ると、すぐに村山橋を渡り始めます。

橋の上は特にまだ工事の影響は感じられません。
直前の仮線の位置からすると、現在の橋の真横に架設の鉄橋を造ってから撤去するのかもしれません。
何カ所か気になった場所をチェックしていると、村山駅までやって来ていました。

村山駅を過ぎると道路併用橋の村山橋を渡ります。
村山橋の掛け替え工事が進みダイヤも変えられているので、注視していると、村山駅を出た途端に急なカーブとなり、線路が付け替えられていました。

再び急なカーブを過ぎ元の線路に戻ると、すぐに村山橋を渡り始めます。

橋の上は特にまだ工事の影響は感じられません。
直前の仮線の位置からすると、現在の橋の真横に架設の鉄橋を造ってから撤去するのかもしれません。
2007年10月23日
ちょいと長野まで その3
延徳駅から桜沢駅側に歩いて撮影ポイントを探しましたが、良さそうな場所は見つからず、2本撮影した後一旦延徳駅に戻りました。
延徳駅から反対側の信州中野駅側には、山をバックに出来る撮影地があります。

踏切が鳴ったので列車を待つとリンゴ色の2000系が特急がやってきました。
すっきりした良いカラーリングで気に入っています。

すぐ反対方向の普通列車が来るので待っていると、マルーンの2000系がやって来ました。
リンゴ色とは隣り駅の桜沢駅で交換だったようです。
桜沢駅だったら並びが撮れたと言うことでちょっと残念。
ちなみに普通列車ですけど、ヘッドマークは「特急しが」を掲出しています。
この列車の撮影後、他の撮影場所に移動しました。
延徳駅から反対側の信州中野駅側には、山をバックに出来る撮影地があります。

踏切が鳴ったので列車を待つとリンゴ色の2000系が特急がやってきました。
すっきりした良いカラーリングで気に入っています。

すぐ反対方向の普通列車が来るので待っていると、マルーンの2000系がやって来ました。
リンゴ色とは隣り駅の桜沢駅で交換だったようです。
桜沢駅だったら並びが撮れたと言うことでちょっと残念。
ちなみに普通列車ですけど、ヘッドマークは「特急しが」を掲出しています。
この列車の撮影後、他の撮影場所に移動しました。
2007年10月22日
ちょいと長野まで その2
今日からのネタは10月6日の長野へ行った時の話です。
10月7日のブログでも書いていますが、目的は長野総合車両センターの公開と長野電鉄の撮影でした。

朝5時過ぎに須坂駅にやって来ました。
この5時半頃に始発電車が動き出します。
駅を跨ぐ陸橋から覗くと、列車を駅のホームに移動したりと車両基地は既に動き出していました。
丁度今回の目的の一つであるリンゴ塗色になった2000系も見えています。
須坂駅の券売所で2日間有効の長電フリー切符と2000系の記念写真集を購入して他の駅に移動します。

移動した先はとりあえず延徳駅。
左側の白い建物が駅舎です。
島式ホームを持つ行き違い可能駅となっています。
以前は行き違いが出来なかったのですが、駅を移転して行き違い施設を設けています。
昔の駅はもっと長野寄りにありましたが、長野オリンピック時の増発のために改良されたのでした。

延徳駅周辺で撮影するつもりで場所を探しに行く時にやってきたのがこの電車です。
延徳駅直前の踏切で撮影しています。
10月7日のブログでも書いていますが、目的は長野総合車両センターの公開と長野電鉄の撮影でした。

朝5時過ぎに須坂駅にやって来ました。
この5時半頃に始発電車が動き出します。
駅を跨ぐ陸橋から覗くと、列車を駅のホームに移動したりと車両基地は既に動き出していました。
丁度今回の目的の一つであるリンゴ塗色になった2000系も見えています。
須坂駅の券売所で2日間有効の長電フリー切符と2000系の記念写真集を購入して他の駅に移動します。

移動した先はとりあえず延徳駅。
左側の白い建物が駅舎です。
島式ホームを持つ行き違い可能駅となっています。
以前は行き違いが出来なかったのですが、駅を移転して行き違い施設を設けています。
昔の駅はもっと長野寄りにありましたが、長野オリンピック時の増発のために改良されたのでした。

延徳駅周辺で撮影するつもりで場所を探しに行く時にやってきたのがこの電車です。
延徳駅直前の踏切で撮影しています。
2007年10月21日
青森・秋田撮影旅行 その38

こっちのトロリー電車はポール集電となっています。
坑内で使用する材木を運んでいるようです。

こちらは縦坑のエレベーターから鉱車を降ろしているところです。
1台ずつ手作業で引っ張り出します。

エレベーターから降ろした鉱車を牽引するために待機しているところです。
こちらの機関車はバッテリー機関車でした。
ここの尾去沢の坑内には、現役時代の作業がうまく再現されている場所が数多くあって楽しいです。
トロッコも他にもあちらこちらに配置されています。
普通の鉱山としての展示も充実しており、今まで行った場所では最大の規模を誇っています。
ここへやって来た甲斐がありました。
ここを一通り見学した後、花輪線の鹿角花輪駅に立ち寄り、キハ110系気動車を撮影したのを最後に家路につきました。
2007年10月20日
青森・秋田撮影旅行 その37
ブログのカテゴリが上限数まで達してしまったので、新たなカテゴリが作れなくなってしまいました。
カテゴリの統合して数を減らさなくちゃ駄目みたいですが、どうしようかな?
本題の方はマインランドの続きです。

入場券を購入して坑道の中へ入っていきます。
坑内の説明は、入坑時に渡されるレシーバーを通して聞こえるようになっています。
入り口右手には鉱車が放置されています。
鉱車用のレールもコンクリートで埋めて平坦にしてありますが、坑内へと続いていました。

坑内をレールが延びていきます。
坑内は一年中同じ温度を保っており、夏でも寒いので、上着が必要です。

鉱山の歴史や作業を知ってもらうための仕掛けの中には、運搬用のトロッコも含まれます。
現役時代のままの展示はなかなか良い物です。
この列車は、上のトロリー線から+と-を給電しています。
集電装置は、真っ直ぐ延びた棒の上に小型のパンタグラフみたいな物が取り付けられた物でした。
カテゴリの統合して数を減らさなくちゃ駄目みたいですが、どうしようかな?
本題の方はマインランドの続きです。

入場券を購入して坑道の中へ入っていきます。
坑内の説明は、入坑時に渡されるレシーバーを通して聞こえるようになっています。
入り口右手には鉱車が放置されています。
鉱車用のレールもコンクリートで埋めて平坦にしてありますが、坑内へと続いていました。

坑内をレールが延びていきます。
坑内は一年中同じ温度を保っており、夏でも寒いので、上着が必要です。

鉱山の歴史や作業を知ってもらうための仕掛けの中には、運搬用のトロッコも含まれます。
現役時代のままの展示はなかなか良い物です。
この列車は、上のトロリー線から+と-を給電しています。
集電装置は、真っ直ぐ延びた棒の上に小型のパンタグラフみたいな物が取り付けられた物でした。
2007年10月19日
青森・秋田撮影旅行 その36
次に向かったのは鹿角市のマインランド尾去沢です。
当初は金山として栄え、その後、道の採掘がメインになり1978年に閉山となっています。
その跡地を鉱山の歴史を残すための観光施設に作り替えているのです。
このマインランドには、鉱山の採掘で活躍したトロッコが残されているのが分かっていたので、今回立ち寄ってみることにしたのです。

車を駐め坂を上がって入り口に向かうと、最初に目に入ったのは白いスイッチャーでした。
日本輸送機製の10t機です。
案内板が出ていたので下に全文を載せておきます。
10トンディーゼル機関車 形式DB-3IL
日本輸送機(株)製・昭和38年9月製造
この機関車は、昭和38年から昭和53年の閉山まで尾去沢鉱山で生産された、粗鋼、硫化鉄鉱、亜鉛精鉱等の出荷や石灰石、硝灰石、石炭、重油、木材等の原料、資材物品の他 従業員の生活物資の入荷の際、JR鹿角花輪駅の構内で貨車の入換作業をしました。
寄贈・丸佐運送合資会社
この機関車が活躍していた時は、まだ鹿角花輪駅でなく陸中花輪駅ですね。

入換機の先には坑内用のの機関車と鉱車が置かれています。
置かれていると言うよりも、放置されているようにも見えました。
ここはポール集電だったようですね。

ここには2つの編成が置かれていました。
一応レールの上に乗っています。
当初は金山として栄え、その後、道の採掘がメインになり1978年に閉山となっています。
その跡地を鉱山の歴史を残すための観光施設に作り替えているのです。
このマインランドには、鉱山の採掘で活躍したトロッコが残されているのが分かっていたので、今回立ち寄ってみることにしたのです。

車を駐め坂を上がって入り口に向かうと、最初に目に入ったのは白いスイッチャーでした。
日本輸送機製の10t機です。
案内板が出ていたので下に全文を載せておきます。
10トンディーゼル機関車 形式DB-3IL
日本輸送機(株)製・昭和38年9月製造
この機関車は、昭和38年から昭和53年の閉山まで尾去沢鉱山で生産された、粗鋼、硫化鉄鉱、亜鉛精鉱等の出荷や石灰石、硝灰石、石炭、重油、木材等の原料、資材物品の他 従業員の生活物資の入荷の際、JR鹿角花輪駅の構内で貨車の入換作業をしました。
寄贈・丸佐運送合資会社
この機関車が活躍していた時は、まだ鹿角花輪駅でなく陸中花輪駅ですね。

入換機の先には坑内用のの機関車と鉱車が置かれています。
置かれていると言うよりも、放置されているようにも見えました。
ここはポール集電だったようですね。

ここには2つの編成が置かれていました。
一応レールの上に乗っています。
2007年10月18日
青森・秋田撮影旅行 その35

今度は大館側から構内を見てみます。
すっきりした構内です。
右側に続く柱は信号・ポイント転換用のワイヤーが通っています。
各柱に複数の滑車があり、複数のワイヤーが引かれていました。
ここのワイヤーが高い位置に通っているのは、やはり雪の対策のためなのでしょうか?
ちなみに今回の旅行では津軽五所川原駅にも腕木信号機がありましたが、特に高い位置とはなっていませんでした。

大館側から構内に向かっての場所にある腕木信号機です。
2つの場内信号機と1つの通過信号機が設置されています。
(反対側の小坂側にも3つ建っています。)
この腕木信号機と列車を絡めた写真はこの鉄道の定番でしょう。
通過信号機の方は全国でもほとんど残っていないと思います。

腕木信号機を後ろからアップで撮影しています。
じっくり見ると色々工夫された構造だと分かります。
茂内駅ではケーブルの支え方とか、細かいところを沢山撮影することができ、なかなか楽しめました。
列車が来ればもっと良かったんですが、それはまたの機会と言うことで、小坂鉄道の撮影は終了して、次に向かいます。
2007年10月17日
青森・秋田撮影旅行 その34

茂内駅の駅舎内を覗くとタブレット閉塞機が2台並んでいるのが見えました。
手前が大館駅との間、奥が小坂駅との間の閉塞用です。

駅舎の表側の様子です。
階段を上がって駅舎内の待合室に入る構造ですが、旅客営業を辞めているので待合室には入れません。

茂内駅には通過列車があるのか、それともあったのかは分かりませんが、通過列車のタブレットを受け取るためのポールが立っていました。
通過列車の乗務員は、タブレットの輪をこのポールに引っかけて、ホーム反対側で次の区間のタブレットの輪に腕を引っかけるて受け取るのでした。
2007年10月16日
青森・秋田撮影旅行 その33
茂内駅続きです。

茂内駅の駅舎をホーム側から見たところです。
旅客列車は無くなっても貨物列車の補機切り離しがある駅なので、駅舎自体は使用されています。

駅舎の隣の建物はポイント小屋です。
窓から転轍てこがずらりと並んでいるのが見えています。
全盛時にはかなり活気があった駅だったことが想像できました。
てこを引くと、この小屋から出ているワイヤーが引っ張られ、先に繋がっているポイントや腕木信号機が切り替わるのです。

駅名標も旅客営業時のまま残っています。
となりの篭谷駅はまだホームが残っているそうです。
他にも駅舎まで残っている駅が存在しましたが、今回は道路から見るだけで立ち寄りませんでした。

茂内駅の駅舎をホーム側から見たところです。
旅客列車は無くなっても貨物列車の補機切り離しがある駅なので、駅舎自体は使用されています。

駅舎の隣の建物はポイント小屋です。
窓から転轍てこがずらりと並んでいるのが見えています。
全盛時にはかなり活気があった駅だったことが想像できました。
てこを引くと、この小屋から出ているワイヤーが引っ張られ、先に繋がっているポイントや腕木信号機が切り替わるのです。

駅名標も旅客営業時のまま残っています。
となりの篭谷駅はまだホームが残っているそうです。
他にも駅舎まで残っている駅が存在しましたが、今回は道路から見るだけで立ち寄りませんでした。
2007年10月15日
青森・秋田撮影旅行 その32
大鰐駅の撮影後、初日に撮影できなかった小坂鉄道の撮影に再び挑みます。
しかし、時間になっても列車はやって来なかったのでした。
列車の撮影は諦めて茂内駅を見に行きます。
ちなみに列車が来なかったのは、家に戻ってから仮設住宅氏が調べた結果、9月に工場の点検があるため長期運休があるようなので、丁度ぶつかっていたようです。

茂内駅の構内を小坂側にある踏切から見るとこんな感じです。
すっきりした構内に腕木信号機が何本も見えています。
こんなに腕木信号機がある駅は他の鉄道にも残っているのかな?

構内には2両の無蓋車が留置されています。

小坂駅のホームは旅客時代そのままに残っています。
左側の建物が駅舎です。
しかし、時間になっても列車はやって来なかったのでした。
列車の撮影は諦めて茂内駅を見に行きます。
ちなみに列車が来なかったのは、家に戻ってから仮設住宅氏が調べた結果、9月に工場の点検があるため長期運休があるようなので、丁度ぶつかっていたようです。

茂内駅の構内を小坂側にある踏切から見るとこんな感じです。
すっきりした構内に腕木信号機が何本も見えています。
こんなに腕木信号機がある駅は他の鉄道にも残っているのかな?

構内には2両の無蓋車が留置されています。

小坂駅のホームは旅客時代そのままに残っています。
左側の建物が駅舎です。
2007年10月14日
青森・秋田撮影旅行 その31
今度は大鰐線の起点である大鰐駅にやってきました。

大鰐駅はJRと弘南鉄道の駅舎が並んで立っています。(JRは大鰐温泉駅)
写真だと手前がJR、奥が弘南鉄道です。
駅前広場にはピンクのワニが待ち構えていました。

弘南鉄道側の駅舎はコンパクトな四角い駅舎です。
改札を抜けホームに出ると構内はJRと共用です。
弘南鉄道のホームは跨線橋を渡って行くようになっていました。

弘南鉄道の列車が到着、JRホームの向こうの弘南鉄道のホームに到着です。
この列車は、じっくり写真を撮る間もなく折り返して行きました。

大鰐駅はJRと弘南鉄道の駅舎が並んで立っています。(JRは大鰐温泉駅)
写真だと手前がJR、奥が弘南鉄道です。
駅前広場にはピンクのワニが待ち構えていました。

弘南鉄道側の駅舎はコンパクトな四角い駅舎です。
改札を抜けホームに出ると構内はJRと共用です。
弘南鉄道のホームは跨線橋を渡って行くようになっていました。

弘南鉄道の列車が到着、JRホームの向こうの弘南鉄道のホームに到着です。
この列車は、じっくり写真を撮る間もなく折り返して行きました。
2007年10月13日
青森・秋田撮影旅行 その30
撮影旅行3日目の朝は、前日撮れなかった弘南鉄道大鰐線の撮影からスタートすることにして、再び中央弘前駅に向かいます。

撮影場所に選んだのは、中央弘前駅に到着する直前のS字カーブです。
天気はあいにくの曇り空、光量が足らないので感度を上げての撮影となりました。

やってきた7000系電車にはヘッドマークが掲出されていました。
ヘッドマークには『いでゆ』と『大鰐交通』の文字が書かれています。
撮影した時には気にしていなかったのですが、『大鰐交通』はタクシーなどの会社だったような…。
これも広告なんでしょうかね?

到着した列車が駅に停車しているところです。
ホームは4両編成まで対応出来そうな長さですが、4両編成が走っているのかは不明です。

撮影場所に選んだのは、中央弘前駅に到着する直前のS字カーブです。
天気はあいにくの曇り空、光量が足らないので感度を上げての撮影となりました。

やってきた7000系電車にはヘッドマークが掲出されていました。
ヘッドマークには『いでゆ』と『大鰐交通』の文字が書かれています。
撮影した時には気にしていなかったのですが、『大鰐交通』はタクシーなどの会社だったような…。
これも広告なんでしょうかね?

到着した列車が駅に停車しているところです。
ホームは4両編成まで対応出来そうな長さですが、4両編成が走っているのかは不明です。
2007年10月12日
青森・秋田撮影旅行 その29
列車が来ないことにはしょうがないので、義塾高校前駅を覗きに行きます。
駅の時刻を見る限りではしばらく列車が来ないようなので、少し離れたJR石川駅で列車を1本撮影した後、今夜の宿を探しに弘前市内に向かいました。
無事宿を確保、荷物を置いて夕飯を食べに出掛けます。

大鰐線の中央弘前駅にやってきました。
駅舎内で鯛焼きを売っていたので、ほおばりながら駅の見物をします。

終点の中央弘前駅の様子です。
大鰐線は川(土渕川)に沿って走ってきて中央弘前駅に到着します。

写真は大鰐方にある踏切から構内を見たところです。
ホームは1面で、左側が川、右側は公園になっています。
この撮影後は暗くなってきていたので、弘前駅に移動します。
駅の時刻を見る限りではしばらく列車が来ないようなので、少し離れたJR石川駅で列車を1本撮影した後、今夜の宿を探しに弘前市内に向かいました。
無事宿を確保、荷物を置いて夕飯を食べに出掛けます。

大鰐線の中央弘前駅にやってきました。
駅舎内で鯛焼きを売っていたので、ほおばりながら駅の見物をします。

終点の中央弘前駅の様子です。
大鰐線は川(土渕川)に沿って走ってきて中央弘前駅に到着します。

写真は大鰐方にある踏切から構内を見たところです。
ホームは1面で、左側が川、右側は公園になっています。
この撮影後は暗くなってきていたので、弘前駅に移動します。
2007年10月11日
青森・秋田撮影旅行 その28
黒石駅の撮影後、黒石線の廃線跡を少しだけ見てから大鰐線へ向かいます。
仮設住宅氏が、石川駅付近の橋梁が有名だというので、現地に向かいました。
その橋梁は義塾高校前~石川間にある石川跨線橋で、JR奥羽本線本線をオーバークロスために掛けられた橋梁です。
現地について目に入った物は…。

あら、奥羽本線を跨ぐ部分が無い!
7月から10月にかけて老朽化した橋梁の掛け替え工事が行われていたのでした。
当然列車は来るはずがありません。

石川跨線橋は下路プレートガーター橋と言う形式のようです。
この区間は石川~津軽大沢間でバス代行輸送しており、大鰐~石川間と義塾高校前~中央弘前間は列車が運行されています。

運休区間中の踏切は使用中止の札が掲出されています。
この踏切の義塾高校前駅寄りには立派な車止めが作られており、間違っても石川跨線橋に進入できないようにされていました。
仮設住宅氏が、石川駅付近の橋梁が有名だというので、現地に向かいました。
その橋梁は義塾高校前~石川間にある石川跨線橋で、JR奥羽本線本線をオーバークロスために掛けられた橋梁です。
現地について目に入った物は…。

あら、奥羽本線を跨ぐ部分が無い!
7月から10月にかけて老朽化した橋梁の掛け替え工事が行われていたのでした。
当然列車は来るはずがありません。

石川跨線橋は下路プレートガーター橋と言う形式のようです。
この区間は石川~津軽大沢間でバス代行輸送しており、大鰐~石川間と義塾高校前~中央弘前間は列車が運行されています。

運休区間中の踏切は使用中止の札が掲出されています。
この踏切の義塾高校前駅寄りには立派な車止めが作られており、間違っても石川跨線橋に進入できないようにされていました。
2007年10月10日
青森・秋田撮影旅行 その27
黒石駅の続きです。

黒石駅の入り口です。
こちら側はバスターミナルもあるメインの入り口になり、反対側と隣接したスーパーからも入れる構造になっていました。

バスターミナル側から構内を見たところです。
手前に見えているホームが元黒石専用のホームであり、架線は張られていません。
弘南線のホームには7000系電車が停車中。
弘南線用のホームは電車に合わせて高さが上げられており、立派な屋根も付いています。

反対側に回り込むとこの旅行3両目のキ100がいました。
この車両は弘南鉄道のキ104で苗穂工場で製造された車両です。
雪のシーズンまで待機中なのです。

黒石駅の入り口です。
こちら側はバスターミナルもあるメインの入り口になり、反対側と隣接したスーパーからも入れる構造になっていました。

バスターミナル側から構内を見たところです。
手前に見えているホームが元黒石専用のホームであり、架線は張られていません。
弘南線のホームには7000系電車が停車中。
弘南線用のホームは電車に合わせて高さが上げられており、立派な屋根も付いています。

反対側に回り込むとこの旅行3両目のキ100がいました。
この車両は弘南鉄道のキ104で苗穂工場で製造された車両です。
雪のシーズンまで待機中なのです。
2007年10月09日
青森・秋田撮影旅行 その26

弘南鉄道の撮影で最初に寄ったのは黒石駅です。
写真は黒石駅前の広場を見たところです。
写真に写っているバスのりば付近が、国鉄黒石線の黒石駅があった場所のようです。
当時は弘南鉄道の駅は弘南黒石駅と名乗っていましたが、国鉄黒石線が廃止となり弘南鉄道の黒石線となった後、線路を移設して駅を統合しました。
その後、黒石駅に名称が変更となり、さらに弘南鉄道になった黒石線も廃止となって現在に至ります。

黒石駅にはスーパーが併設されており屋上に駐車場があります。

黒石駅の構内には、黒石線の車両を検査していた検修庫が残っています。
黒石線は非電化路線であり、転換当初は国鉄からのキハ22形を譲り受けて使用、その後、旅客営業を廃止した小坂鉄道からのキハ2100形が移ってきて廃止まで活躍しました。
廃車後の気動車は田舎館付近で保存されているようですが、今回は場所が分からなかったので、立ち寄っていません。
2007年10月08日
青森・秋田撮影旅行 その25
津軽五所川原駅の話の最後です。

津軽五所川原駅の構内にはキハ22形が2両留置されています。
この2両は写真手前からキハ22029とキハ22027で、津軽鉄道へは1989年12月に入線しており、国鉄時代の番号のままで使用しています。
全部で3両が一緒に入線してきたのですが、嘉瀬駅で留置されているキハ22028だけは廃車となっており、この2両は予備車として残されているのです。

事業用貨車のタム501です。
国鉄のタム500形のタム2848を廃車後に購入した車両です。
1894年2月の五能線五所川原~川部間の貨物営業が廃止時に、それまで動力車に使用する燃料のタンク輸送を行っていたのが不可能となったため、代替輸送手段が必要となりました。
当時は五所川原機関区周辺の道路事情が悪かったそうで、直接タンクローリーが入れなかったために、津軽飯詰駅でこのタム501に燃料を積み替えて機関区に運んだのです。
もっとも道路の改良がすぐに完成したため、タムの活躍は短期間で終わっています。

津軽鉄道のラッセル車であるキ101です。
元国鉄のキ120で1933年に鉄道省大宮工場で製造され、1967年に津軽鉄道へやってきています。
普段の除雪はモーターカーを使用していますが、大雪が降るとDD350型機関車に押されて活躍します。
この駅を最後に津軽鉄道の撮影を終了とし、弘南鉄道の撮影のために弘前方面に車を走らせました。

津軽五所川原駅の構内にはキハ22形が2両留置されています。
この2両は写真手前からキハ22029とキハ22027で、津軽鉄道へは1989年12月に入線しており、国鉄時代の番号のままで使用しています。
全部で3両が一緒に入線してきたのですが、嘉瀬駅で留置されているキハ22028だけは廃車となっており、この2両は予備車として残されているのです。

事業用貨車のタム501です。
国鉄のタム500形のタム2848を廃車後に購入した車両です。
1894年2月の五能線五所川原~川部間の貨物営業が廃止時に、それまで動力車に使用する燃料のタンク輸送を行っていたのが不可能となったため、代替輸送手段が必要となりました。
当時は五所川原機関区周辺の道路事情が悪かったそうで、直接タンクローリーが入れなかったために、津軽飯詰駅でこのタム501に燃料を積み替えて機関区に運んだのです。
もっとも道路の改良がすぐに完成したため、タムの活躍は短期間で終わっています。

津軽鉄道のラッセル車であるキ101です。
元国鉄のキ120で1933年に鉄道省大宮工場で製造され、1967年に津軽鉄道へやってきています。
普段の除雪はモーターカーを使用していますが、大雪が降るとDD350型機関車に押されて活躍します。
この駅を最後に津軽鉄道の撮影を終了とし、弘南鉄道の撮影のために弘前方面に車を走らせました。
2007年10月07日
ちょいと長野まで その1
昨日は長野まで遊びに行ってきました。
目的は長野総合車両センターの公開と長野電鉄の撮影です。
細かい話は青森・秋田撮影旅行の話が終わったら(まだ2日目の話を引っ張ってるのでいつ終わるのかな?)と言うことにしますが、長野総合車両センターの展示車両の写真を公開。

長野総合車両センターの展示車両です。
廃車後に長野総合車両センターで保管している2両の電気機関車が展示されていました。
どちらも鉄道史に残る機関車です。

信越本線の碓氷峠越えの補機として活躍した機関車です。
様々な車種と連結するために、沢山付いたジャンパ線も特徴の一つです。
長野新幹線の開通による碓氷峠越えの廃止により、走る線路を失い、お役ご免となってしまいました。

こちらはED60 1号機。
新型直流機のパイオニアで、全部で8両が製造されています。
写真の1号機は、新製から廃車までほとんど大糸線で過ごした車両でした。
こちらの機関車は現役時代には見ていませんが、兄弟機のED61改造のED62は飯田線で見ていたので、ちょっと懐かしく思いました。
目的は長野総合車両センターの公開と長野電鉄の撮影です。
細かい話は青森・秋田撮影旅行の話が終わったら(まだ2日目の話を引っ張ってるのでいつ終わるのかな?)と言うことにしますが、長野総合車両センターの展示車両の写真を公開。

長野総合車両センターの展示車両です。
廃車後に長野総合車両センターで保管している2両の電気機関車が展示されていました。
どちらも鉄道史に残る機関車です。

信越本線の碓氷峠越えの補機として活躍した機関車です。
様々な車種と連結するために、沢山付いたジャンパ線も特徴の一つです。
長野新幹線の開通による碓氷峠越えの廃止により、走る線路を失い、お役ご免となってしまいました。

こちらはED60 1号機。
新型直流機のパイオニアで、全部で8両が製造されています。
写真の1号機は、新製から廃車までほとんど大糸線で過ごした車両でした。
こちらの機関車は現役時代には見ていませんが、兄弟機のED61改造のED62は飯田線で見ていたので、ちょっと懐かしく思いました。
2007年10月06日
青森・秋田撮影旅行 その24
今回も津軽五所川原駅の話なのです。

左側は現役で使用中のオハフ331です。
1948年に製造された元国鉄のオハフ33 520(電暖化改造でオハフ33 2520)です。
後方に見える客車はナハフ1203です。
こちらの客車は電車(制御車)を改造した車両で、1928年に製造されたかなりの古豪です。
前歴は(初代)西武鉄道のクハ600形で、津軽鉄道にやってきた3両のうちの1両です。

跨線橋から駅構内が見渡せます。
右側の緑の部分が津軽鉄道側、左側がJRの構内です。

跨線橋の階段を下りるとすぐ横に津軽鉄道側の駅舎があります。
JRは少し先まで歩くことになります。

左側は現役で使用中のオハフ331です。
1948年に製造された元国鉄のオハフ33 520(電暖化改造でオハフ33 2520)です。
後方に見える客車はナハフ1203です。
こちらの客車は電車(制御車)を改造した車両で、1928年に製造されたかなりの古豪です。
前歴は(初代)西武鉄道のクハ600形で、津軽鉄道にやってきた3両のうちの1両です。

跨線橋から駅構内が見渡せます。
右側の緑の部分が津軽鉄道側、左側がJRの構内です。

跨線橋の階段を下りるとすぐ横に津軽鉄道側の駅舎があります。
JRは少し先まで歩くことになります。
2007年10月05日
青森・秋田撮影旅行 その23
津軽五所川原駅の話がまだ続きます。

津軽五所川原駅のホームの様子です。
階段を下りて左側の3番線で列車が発着します。
右側の4番線には貨車があったり、自動販売機があったりで手前側は列車の発着には使えません。
写真右の5本のレールは、津軽鉄道で使用していたレールが年代ごとに展示されていました。

4番線に置かれている木造有蓋車のワム5です。
きれいな状態で保存展示されています。

貨車の先にはオハ463が停まっています。
こちらの車両はストーブ列車でも活躍していましたが、今は引退しています。
ホームに置かれた状態で、団体用の待合室として使用されている形です。
元は国鉄の客車でオハ46 2662であり、1955年の製造ですから生まれて52年経っていることになります。

津軽五所川原駅のホームの様子です。
階段を下りて左側の3番線で列車が発着します。
右側の4番線には貨車があったり、自動販売機があったりで手前側は列車の発着には使えません。
写真右の5本のレールは、津軽鉄道で使用していたレールが年代ごとに展示されていました。

4番線に置かれている木造有蓋車のワム5です。
きれいな状態で保存展示されています。

貨車の先にはオハ463が停まっています。
こちらの車両はストーブ列車でも活躍していましたが、今は引退しています。
ホームに置かれた状態で、団体用の待合室として使用されている形です。
元は国鉄の客車でオハ46 2662であり、1955年の製造ですから生まれて52年経っていることになります。
2007年10月04日
青森・秋田撮影旅行 その22
今回も津軽五所川原駅の続きです。

跨線橋を渡り津軽鉄道のホームへ降りると、ホーム右側にはディーゼル機関車のDD352が停まっていました。
津軽鉄道名物のストーブ列車等を牽引するために活躍している機関車です。
写真を見て分かるように、この駅には隣接して機関区があり、ホームからよく見えます。

DD352の後ろの庫内には、もう1両の機関車であるDD351がいました。
この2両は同じDD350形なのですが、スタイルは少し違っています。
DD351にはキャブ前の煙突が無いため3枚窓になっています。
エンジン出力もDD352の方が大きい物が搭載されているのです。
DD351の方は茨城交通の機関車であったケキ102と同型機だそうで、写真を見比べると確かに同じです。

比較用の茨城交通のケキ102です。
ちなみにDD352の方はエンジン出力こそ違いますが、茨城交通のケキ103が同じスタイルをしていました。

この機関車の特徴であるロッド式の足回りです。
片側の車軸にエンジンからの駆動力が伝わり、ロッドを通して反対側の車軸にも伝える構造です。

跨線橋を渡り津軽鉄道のホームへ降りると、ホーム右側にはディーゼル機関車のDD352が停まっていました。
津軽鉄道名物のストーブ列車等を牽引するために活躍している機関車です。
写真を見て分かるように、この駅には隣接して機関区があり、ホームからよく見えます。

DD352の後ろの庫内には、もう1両の機関車であるDD351がいました。
この2両は同じDD350形なのですが、スタイルは少し違っています。
DD351にはキャブ前の煙突が無いため3枚窓になっています。
エンジン出力もDD352の方が大きい物が搭載されているのです。
DD351の方は茨城交通の機関車であったケキ102と同型機だそうで、写真を見比べると確かに同じです。

比較用の茨城交通のケキ102です。
ちなみにDD352の方はエンジン出力こそ違いますが、茨城交通のケキ103が同じスタイルをしていました。

この機関車の特徴であるロッド式の足回りです。
片側の車軸にエンジンからの駆動力が伝わり、ロッドを通して反対側の車軸にも伝える構造です。
2007年10月03日
青森・秋田撮影旅行 その21
津軽五所川原駅の続きです。

津軽五所川原駅の駅舎は古い風格を持った建物ですが、その斜め前にあるタクシー会社の建物も古い建物です。
この建物は津軽鉄道の本社の建物です。
タクシー会社の津鉄観光は以前は子会社だったのですが、今は違うようです。
古い建物が並んでいるところは中々絵になり、模型にしてみたいと思わせます。

駅構内に入り津軽鉄道のホームに渡ってみます。
この跨線橋はJRと津軽鉄道の共用となっており、手前がJR側、奥の狭くなっている方が津軽鉄道側です。

JRのホームから跨線橋に上がると、正面に津軽鉄道乗り場の看板があります。
これだけ大きいと初めての人でもすぐに分かります。

津軽五所川原駅の駅舎は古い風格を持った建物ですが、その斜め前にあるタクシー会社の建物も古い建物です。
この建物は津軽鉄道の本社の建物です。
タクシー会社の津鉄観光は以前は子会社だったのですが、今は違うようです。
古い建物が並んでいるところは中々絵になり、模型にしてみたいと思わせます。

駅構内に入り津軽鉄道のホームに渡ってみます。
この跨線橋はJRと津軽鉄道の共用となっており、手前がJR側、奥の狭くなっている方が津軽鉄道側です。

JRのホームから跨線橋に上がると、正面に津軽鉄道乗り場の看板があります。
これだけ大きいと初めての人でもすぐに分かります。
2007年10月02日
青森・秋田撮影旅行 その20
津軽飯詰駅を後にして、津軽鉄道の起点駅である津軽五所川原駅にやってきました。
間にある数駅は全て通過です。

津軽五所川原駅の脇から津軽鉄道のホームを見ると、気動車、客車が見えました。
津軽21形が入る以前の光景がこの一角にありました。
旧形の気動車と客車が一緒に見られるのは、たぶん全国でここだけでしょう。
もっとも旧型気動車であるキハ22は予備車なので滅多に動きません。

津軽鉄道のホームの手前にJR五能線があります。
ちょうどやってきた列車は五能線色のキハ40+キハ47の2連でした。

津軽五所川原駅の駅舎です。
JRの駅は移っていませんが、右隣に建っています。
ちなみにJRの駅名には津軽が付かず、ただの五所川原駅なのですが、駅舎が別なだけで構内は一緒になっており、跨線橋も共用です。
間にある数駅は全て通過です。

津軽五所川原駅の脇から津軽鉄道のホームを見ると、気動車、客車が見えました。
津軽21形が入る以前の光景がこの一角にありました。
旧形の気動車と客車が一緒に見られるのは、たぶん全国でここだけでしょう。
もっとも旧型気動車であるキハ22は予備車なので滅多に動きません。

津軽鉄道のホームの手前にJR五能線があります。
ちょうどやってきた列車は五能線色のキハ40+キハ47の2連でした。

津軽五所川原駅の駅舎です。
JRの駅は移っていませんが、右隣に建っています。
ちなみにJRの駅名には津軽が付かず、ただの五所川原駅なのですが、駅舎が別なだけで構内は一緒になっており、跨線橋も共用です。
2007年10月01日
青森・秋田撮影旅行 その19

写真は津軽飯詰駅至近の踏切です。
『ふみきりちゅうい』のシンプルな看板が、ローカルな雰囲気を漂わせています。

スノーシェッドを抜けて列車が到着します。
横から見たスノーシェッドは、カーポートを大きくしたような感じです。
