2007年05月31日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その25
伊勢神宮を観光した後は三重県南東町に向かいました。
南東町には国見山三重鉱山があり、石灰石・砕石を算出しています。
以前は算出した石灰石を専用鉄道で、港まで送り船に積み替えて輸送していました。
トワイライトゾーンマニュアルにも2回紹介されている場所なので様子を見に行ってみたのです。

海沿いの国道を走っていると船への積み出し施設と線路を発見しました。
海に向かって突き出ている積み出し施設にも線路が続いています。

積み出し施設の先端です。
ここから船に積み込むのですが、土曜日のためか稼働していませんでした。

線路を辿って行った途中の景色です。
石灰石の輸送は完全にベルトコンベアに移行しており、この辺りのベルトコンベアは山をトンネルで抜けているので、線路とは別のルートとなっています。
海に近い方は民家があるので、騒音対策のためではないかと推測しています。

民家もなくなった辺りから、別のルートだったベルトコンベアが線路の上に移ってきました。
海の方を見ての写真です。(仮設住宅氏撮影)
南東町には国見山三重鉱山があり、石灰石・砕石を算出しています。
以前は算出した石灰石を専用鉄道で、港まで送り船に積み替えて輸送していました。
トワイライトゾーンマニュアルにも2回紹介されている場所なので様子を見に行ってみたのです。

海沿いの国道を走っていると船への積み出し施設と線路を発見しました。
海に向かって突き出ている積み出し施設にも線路が続いています。

積み出し施設の先端です。
ここから船に積み込むのですが、土曜日のためか稼働していませんでした。

線路を辿って行った途中の景色です。
石灰石の輸送は完全にベルトコンベアに移行しており、この辺りのベルトコンベアは山をトンネルで抜けているので、線路とは別のルートとなっています。
海に近い方は民家があるので、騒音対策のためではないかと推測しています。

民家もなくなった辺りから、別のルートだったベルトコンベアが線路の上に移ってきました。
海の方を見ての写真です。(仮設住宅氏撮影)
2007年05月30日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その24
やっと旅行2日目の話になります。
伊勢市駅至近の宿に泊まったら、窓の外には伊勢市駅に到着する近鉄の列車が間近に見えていました。
なかなか良いロケーションです。
2日目は午前中を伊勢神宮を中心とした観光に当てています。

観光には早い時間から伊勢の外宮に出掛けた折、伊勢市駅の前を通りました。
全国からのお伊勢参りに対応するだけの設備を持った駅です。
もっとも内宮に近い近鉄宇治山田駅の方が活気がありました。
写真はJRの駅舎ですが、JR参宮線の反対側には近鉄山田線の駅もあります。

伊勢市駅を発車する鳥羽行きの快速みえ1号です。
みえは、JR東海が名古屋駅~鳥羽駅間を関西本線・伊勢鉄道伊勢線・紀勢本線・参宮線経由で運行する快速列車です。
以前はキハ65を使用していましたが、新型のキハ75形になりました。
単線のためなのかよく遅れる列車のようです。
伊勢市駅至近の宿に泊まったら、窓の外には伊勢市駅に到着する近鉄の列車が間近に見えていました。
なかなか良いロケーションです。
2日目は午前中を伊勢神宮を中心とした観光に当てています。

観光には早い時間から伊勢の外宮に出掛けた折、伊勢市駅の前を通りました。
全国からのお伊勢参りに対応するだけの設備を持った駅です。
もっとも内宮に近い近鉄宇治山田駅の方が活気がありました。
写真はJRの駅舎ですが、JR参宮線の反対側には近鉄山田線の駅もあります。

伊勢市駅を発車する鳥羽行きの快速みえ1号です。
みえは、JR東海が名古屋駅~鳥羽駅間を関西本線・伊勢鉄道伊勢線・紀勢本線・参宮線経由で運行する快速列車です。
以前はキハ65を使用していましたが、新型のキハ75形になりました。
単線のためなのかよく遅れる列車のようです。
2007年05月29日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その23
JR貨物塩浜駅から専用線が分岐しています。
昭和四日市石油専用線と石原産業専用線の2本があります。

塩浜駅からの専用線は2本が平行しています。
左側が昭和四日市石油専用線、右側が石原産業専用線です。
石原産業専用線の工場入り口まで行きましたが、中の様子は残念ながら見えませんでした。
諦めて戻る途中でスイッチャーを発見、昭和四日市石油四日市製油所敷地内に見えました。
車を停められなかったので、仮設住宅氏だけ降ろして写真を撮ってきてもらいました。

タンク車とともに薄緑色のスイッチャーがいました。(仮設住宅氏撮影)
このスイッチャーの前にも黄色に緑のラインのスイッチャーがかろうじて見えています。
こっちの車両の写真は撮れませんでしたが、カラーリングからして2台背合連結で使用しているスイッチャーだと思われます。

石原産業専用線の途中の様子です。(仮設住宅氏撮影)
右に写っている道路の更に右側に川を挟んで、昭和四日市石油の専用線があるのです。
この写真が初日の最後となり、宿がある伊勢市まで向かいました。
昭和四日市石油専用線と石原産業専用線の2本があります。

塩浜駅からの専用線は2本が平行しています。
左側が昭和四日市石油専用線、右側が石原産業専用線です。
石原産業専用線の工場入り口まで行きましたが、中の様子は残念ながら見えませんでした。
諦めて戻る途中でスイッチャーを発見、昭和四日市石油四日市製油所敷地内に見えました。
車を停められなかったので、仮設住宅氏だけ降ろして写真を撮ってきてもらいました。

タンク車とともに薄緑色のスイッチャーがいました。(仮設住宅氏撮影)
このスイッチャーの前にも黄色に緑のラインのスイッチャーがかろうじて見えています。
こっちの車両の写真は撮れませんでしたが、カラーリングからして2台背合連結で使用しているスイッチャーだと思われます。

石原産業専用線の途中の様子です。(仮設住宅氏撮影)
右に写っている道路の更に右側に川を挟んで、昭和四日市石油の専用線があるのです。
この写真が初日の最後となり、宿がある伊勢市まで向かいました。
2007年05月28日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その22
JR貨物の塩浜駅に隣接して近鉄名古屋線の塩浜駅があります。

近鉄の駅に隣接して、車両工場の塩浜検修車庫も存在しています。
駅の連絡通路から覗くと、1983年に廃車となった元デ31形デ32の入替車が顔を出していました。
写真の通り、研修車庫のすぐ隣が駅となっています。

駅の四日市側に架かる陸橋からの様子です。
昨年の9月に導入された電気検測車の「はかるくん」も見えていました。

近鉄名古屋線には多くの特急が走っています。
塩浜駅を撮影している間にも何本か走って来ましたので、21000系のアーバンライナーplusが撮影できました。
この日の塩浜は貨物列車がメインだったので、近鉄の走行写真はこの写真だけです。

近鉄の駅に隣接して、車両工場の塩浜検修車庫も存在しています。
駅の連絡通路から覗くと、1983年に廃車となった元デ31形デ32の入替車が顔を出していました。
写真の通り、研修車庫のすぐ隣が駅となっています。

駅の四日市側に架かる陸橋からの様子です。
昨年の9月に導入された電気検測車の「はかるくん」も見えていました。

近鉄名古屋線には多くの特急が走っています。
塩浜駅を撮影している間にも何本か走って来ましたので、21000系のアーバンライナーplusが撮影できました。
この日の塩浜は貨物列車がメインだったので、近鉄の走行写真はこの写真だけです。
2007年05月27日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その21
15時頃にJR貨物の塩浜貨物駅にやってきました。
実は別行動の先輩と「13時頃松坂で昼飯でも食べましょう」と言ってあったのですが、全然約束を守りません。
酷い後輩ですね。この場を借りてご免なさい。

JR塩浜駅の構内には、タンク車を中心とした貨車がずらりと並んでいました。
写真はJRと近鉄を跨ぐ陸橋の上から撮影しています。

写真は、タキ5450形のタキ105456です。
タキ5450形式は、25t積の液化塩素専用車です。
地元の京葉臨海鉄道浜五井駅にも旭硝子所有の常備車がいたので、以前はたまに見掛けていたのですが、最近は見掛けなくなっており、また、線路も錆びていた感じがしたので、輸送を止めてしまったのかもしれません。

こちらの車両は、タキ14700形のタキ14738です。
タキ14700形は30t積液化酸化エチレン専用車として1969年から製造されています。
写真に写っているタキ14738は、現時点での最終製造車であり、2000年に日本車輌で製造されています。

構内にはDD51形ディーゼル機関車が3両おり、そのうちの1両がDD51 1803でした。
JR貨物の愛知機関区に所属しているDD51形の800番台で、JR貨物新更新色を纏っています。
この車両は愛知機関区に来る前は、千葉機関区に所属していたので、千葉時代にも写真を撮っているので、久しぶりの再会でした。
実は別行動の先輩と「13時頃松坂で昼飯でも食べましょう」と言ってあったのですが、全然約束を守りません。
酷い後輩ですね。この場を借りてご免なさい。

JR塩浜駅の構内には、タンク車を中心とした貨車がずらりと並んでいました。
写真はJRと近鉄を跨ぐ陸橋の上から撮影しています。

写真は、タキ5450形のタキ105456です。
タキ5450形式は、25t積の液化塩素専用車です。
地元の京葉臨海鉄道浜五井駅にも旭硝子所有の常備車がいたので、以前はたまに見掛けていたのですが、最近は見掛けなくなっており、また、線路も錆びていた感じがしたので、輸送を止めてしまったのかもしれません。

こちらの車両は、タキ14700形のタキ14738です。
タキ14700形は30t積液化酸化エチレン専用車として1969年から製造されています。
写真に写っているタキ14738は、現時点での最終製造車であり、2000年に日本車輌で製造されています。

構内にはDD51形ディーゼル機関車が3両おり、そのうちの1両がDD51 1803でした。
JR貨物の愛知機関区に所属しているDD51形の800番台で、JR貨物新更新色を纏っています。
この車両は愛知機関区に来る前は、千葉機関区に所属していたので、千葉時代にも写真を撮っているので、久しぶりの再会でした。
2007年05月26日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その20
近鉄日永駅の撮影後、JR貨物の塩浜駅に向かって車を走らせました。
JR南四日市駅の四日市側渡っている陸橋を走っていた時です、助手席から右側(四日市側)を見ていた仮設住宅氏が「スイッチャーいた!」と叫びました。
線路を渡り切ったところで無理矢理Uターンして、車を停めてから徒歩で陸橋の上まで行ってみます。

陸橋上からは、関西本線に平行して線路があり工場の中に引き込まれているのが見え、青いスイッチャーが止まっていました。
この工場は三菱瓦斯化学四日市工場です。
ここから過酸化水素をISO規格のタンクコンテナにより輸送しているのでした。
以前は過酸化水素専用のタンク車がいたのですが、コンテナ輸送に切り替わって全廃されています。

スイッチャーを望遠で狙った写真です。
このスイッチャーは、南四日市から分かれる2本の専用線と駅構内の入換えを請負っている、山九㈱が所有している3両のスイッチャーのうちの1両であり、協三の20t機です。
他の2両は、日車の25t機とニチユの15t機です。
少し離れた南四日市駅構内にも、もう一両のスイッチャーが見えていましたが、距離があるのでよく分かりませんでした。
南四日市駅を覗きに行き掛けたのですが、道路の渋滞が酷く再びUターンして塩浜駅に向かいました。
JR南四日市駅の四日市側渡っている陸橋を走っていた時です、助手席から右側(四日市側)を見ていた仮設住宅氏が「スイッチャーいた!」と叫びました。
線路を渡り切ったところで無理矢理Uターンして、車を停めてから徒歩で陸橋の上まで行ってみます。

陸橋上からは、関西本線に平行して線路があり工場の中に引き込まれているのが見え、青いスイッチャーが止まっていました。
この工場は三菱瓦斯化学四日市工場です。
ここから過酸化水素をISO規格のタンクコンテナにより輸送しているのでした。
以前は過酸化水素専用のタンク車がいたのですが、コンテナ輸送に切り替わって全廃されています。

スイッチャーを望遠で狙った写真です。
このスイッチャーは、南四日市から分かれる2本の専用線と駅構内の入換えを請負っている、山九㈱が所有している3両のスイッチャーのうちの1両であり、協三の20t機です。
他の2両は、日車の25t機とニチユの15t機です。
少し離れた南四日市駅構内にも、もう一両のスイッチャーが見えていましたが、距離があるのでよく分かりませんでした。
南四日市駅を覗きに行き掛けたのですが、道路の渋滞が酷く再びUターンして塩浜駅に向かいました。
2007年05月25日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その19
近鉄八王子線の現役区間と内部線の分岐駅である日永駅までやってきました。
この二つの路線とも、三岐鉄道北勢線と同じ特殊狭軌線、いわゆるナローゲージの鉄道です。
旅客営業している他の特殊狭軌線は、現在では黒部渓谷鉄道しかありません。

近鉄日永駅の構内の様子です。
左から内部線内部方面、内部線近鉄四日市方面、右のカーブしたホームが八王子線です。

近鉄260系の近鉄四日市行きが到着しました。
先頭からモ261+サ121+ク161の3両編成になっています。
先頭のモ261とク161は1982年製造ですが、中間のサ121だけは1949年製のモニ220形を電装解除してサ120形へ改造した車両なので全く違う断面をしています。

向こう側の2番3番ホームの様子です。
右の八王子線のカーブがかなりきついのが分かります。
ナローゲージならではの曲がり方です。
八王子線が全線健在だった頃は、さらに右側にホームがあり八王子線の交換もあったそうです。
この二つの路線とも、三岐鉄道北勢線と同じ特殊狭軌線、いわゆるナローゲージの鉄道です。
旅客営業している他の特殊狭軌線は、現在では黒部渓谷鉄道しかありません。

近鉄日永駅の構内の様子です。
左から内部線内部方面、内部線近鉄四日市方面、右のカーブしたホームが八王子線です。

近鉄260系の近鉄四日市行きが到着しました。
先頭からモ261+サ121+ク161の3両編成になっています。
先頭のモ261とク161は1982年製造ですが、中間のサ121だけは1949年製のモニ220形を電装解除してサ120形へ改造した車両なので全く違う断面をしています。

向こう側の2番3番ホームの様子です。
右の八王子線のカーブがかなりきついのが分かります。
ナローゲージならではの曲がり方です。
八王子線が全線健在だった頃は、さらに右側にホームがあり八王子線の交換もあったそうです。
2007年05月24日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その18
三重県には北勢線の他にもナローの路線が存在していますので行ってみました。
その線は近鉄の八王子線と内部線です。

まずは廃止された区間の伊勢八王子駅跡に寄ってみます。
近鉄八王子線の路線名は、かつて終点だった伊勢八王子駅に由来しているのです。
三重軌道が日永~八王子間を開業した後、様々な統合をして近鉄の路線となったのでした。
1974年に並行する天白川の集中豪雨による水害で、堤防上にあった路盤が流されて日永~伊勢八王子間が休止となりました。
近鉄は全線廃止を表明したものの、最終的には1976年に西日野~伊勢八王子間が廃止となっています。
廃止となった駅跡は、バスの転回場として利用されていたようですが、バス路線が延長されたようで現在は使用していないようです。

この場所の一角にバスの待合所らしきモノがあります。
ベンチなどは近鉄でよく使われている物と一緒らしいので、廃物利用なのかもしれません。

待合室の骨組みにもレールが使用されています。
この場所周辺には近鉄の境界標や枕木製の柵も発見できました。
その線は近鉄の八王子線と内部線です。

まずは廃止された区間の伊勢八王子駅跡に寄ってみます。
近鉄八王子線の路線名は、かつて終点だった伊勢八王子駅に由来しているのです。
三重軌道が日永~八王子間を開業した後、様々な統合をして近鉄の路線となったのでした。
1974年に並行する天白川の集中豪雨による水害で、堤防上にあった路盤が流されて日永~伊勢八王子間が休止となりました。
近鉄は全線廃止を表明したものの、最終的には1976年に西日野~伊勢八王子間が廃止となっています。
廃止となった駅跡は、バスの転回場として利用されていたようですが、バス路線が延長されたようで現在は使用していないようです。

この場所の一角にバスの待合所らしきモノがあります。
ベンチなどは近鉄でよく使われている物と一緒らしいので、廃物利用なのかもしれません。

待合室の骨組みにもレールが使用されています。
この場所周辺には近鉄の境界標や枕木製の柵も発見できました。
2007年05月23日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その17
貨物鉄道博物館の後は、大安駅近くの中央児童センターへ行きました。

ここの公園にはED22形機関車のED222が保存されています。
この車両は、現在の大糸線の前身である信濃鉄道が、1926年に
輸入した信濃鉄道2号機です。
米国のウエスチングハウス社が電気機器、ボールドウイン社が車体を製作したものです。
国有化後、飯田線での使用を経た後の1956年に三岐鉄道へ移ってきた車両です。
1984年まで使用された後に廃車となり、大安町に引き取られ静態保存されました。
屋根はあるのですが、ライトなどが割られてしまっており、少し荒れ気味です。
後ろに見えている青いガーター橋は、大安~三里間の宇賀川橋梁です。

ED222の立派な製造銘板です。
製造は輸入された前年の1925年になっています。

宇賀川橋梁の反対側に回って、宇賀川橋梁を渡っていく普通電車を撮影したところです。
桜は綺麗だったのですが、空は完全に曇ってどんよりしていました。

ここの公園にはED22形機関車のED222が保存されています。
この車両は、現在の大糸線の前身である信濃鉄道が、1926年に
輸入した信濃鉄道2号機です。
米国のウエスチングハウス社が電気機器、ボールドウイン社が車体を製作したものです。
国有化後、飯田線での使用を経た後の1956年に三岐鉄道へ移ってきた車両です。
1984年まで使用された後に廃車となり、大安町に引き取られ静態保存されました。
屋根はあるのですが、ライトなどが割られてしまっており、少し荒れ気味です。
後ろに見えている青いガーター橋は、大安~三里間の宇賀川橋梁です。

ED222の立派な製造銘板です。
製造は輸入された前年の1925年になっています。

宇賀川橋梁の反対側に回って、宇賀川橋梁を渡っていく普通電車を撮影したところです。
桜は綺麗だったのですが、空は完全に曇ってどんよりしていました。
2007年05月22日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その16
今回は貨物鉄道博物館にいる車両を一部だけ紹介です。

この蒸気機関車は、昭和鉄道高校で保存されていた、東武鉄道B4形39号です。
元々は、東北本線などの前身である日本鉄道が英国のシャープ・スチュアート社で製造した車両で、日本鉄道の国有化後は、5650形5654となっていました。
製造年は1898年なので109年が経過しています。

写真のタンク車は、タム6263です。
15トン積塩酸専用タンク車として製造されたタム5000形の1両で、製造年は1968年で富士重工業で製造されています。
現役時の常備は酒田港駅で、東北東ソー(株)の所有でした。

信越本線の前身である北越鉄道が、新潟鐵工所で製造した8t積有蓋車でした。(後に10t積みに改造)
北越鉄道の国有化後、戦後になって近江鉄道に移籍しています。
この車両も1906年の製造なので、101年経過しています。
見ての通りの状態なので、今後整備がなされると思われます。

東海道本線用宗駅から分岐していた、巴川製紙所静岡工場専用線で活躍したスイッチャーです。
1957年に協三工業で製造されています。
1986年11月1日に用宗駅の貨物取扱が廃止となっているので、その時用途が無くなってしまったと思われます。
貨物鉄道博物館の全車両を紹介したいところですが、ネタが詰まっていますので次に行ってしまいます。

この蒸気機関車は、昭和鉄道高校で保存されていた、東武鉄道B4形39号です。
元々は、東北本線などの前身である日本鉄道が英国のシャープ・スチュアート社で製造した車両で、日本鉄道の国有化後は、5650形5654となっていました。
製造年は1898年なので109年が経過しています。

写真のタンク車は、タム6263です。
15トン積塩酸専用タンク車として製造されたタム5000形の1両で、製造年は1968年で富士重工業で製造されています。
現役時の常備は酒田港駅で、東北東ソー(株)の所有でした。

信越本線の前身である北越鉄道が、新潟鐵工所で製造した8t積有蓋車でした。(後に10t積みに改造)
北越鉄道の国有化後、戦後になって近江鉄道に移籍しています。
この車両も1906年の製造なので、101年経過しています。
見ての通りの状態なので、今後整備がなされると思われます。

東海道本線用宗駅から分岐していた、巴川製紙所静岡工場専用線で活躍したスイッチャーです。
1957年に協三工業で製造されています。
1986年11月1日に用宗駅の貨物取扱が廃止となっているので、その時用途が無くなってしまったと思われます。
貨物鉄道博物館の全車両を紹介したいところですが、ネタが詰まっていますので次に行ってしまいます。
2007年05月21日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その15
丹生川駅を降りると西藤原方面に(左側)白い建物が建っており、そこが貨物鉄道博物館の建物です。

博物館の中にある収蔵物は、月1回の開館日(毎月第一日曜日)にしか公開されていませんが、外にある貨車群は見ることが可能です。

博物館の車両群の先頭にはB4形39号蒸気機関車がいます。
その横をED458電気機関車が通過していきました。
真ん中に仮設住宅氏が写り込んでいます。

電気機関車を追って左を向くと丹生川駅の構内です。
丁度反対方向の貨物列車との交換となりました。

博物館の中にある収蔵物は、月1回の開館日(毎月第一日曜日)にしか公開されていませんが、外にある貨車群は見ることが可能です。

博物館の車両群の先頭にはB4形39号蒸気機関車がいます。
その横をED458電気機関車が通過していきました。
真ん中に仮設住宅氏が写り込んでいます。

電気機関車を追って左を向くと丹生川駅の構内です。
丁度反対方向の貨物列車との交換となりました。
2007年05月20日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その14
東藤原駅での撮影後は、丹生川駅まで移動してきました。
この駅に隣接して貨物鉄道博物館があり、多数の貴重な車両が保存展示されています。

まずは電車内から見て気になったタンク車を見ます。
アルミ製のタンク体を持つ銀色のこの車両は、タム8000形のタム8000です。
この車両は、貨物鉄道博物館というより、丹生川駅の側線に展示されている状態です。

タム8000の隣は無蓋車のト15です。
この車両は名古屋鉄道から来ており、アオリ戸にうっすらと名古屋の文字が見えます。
名鉄時代の晩年は、今は廃止となった揖斐・谷汲線で保線用として使用していたようなので、黒野駅に止まっているところを撮影しているかもしれません。

旧陸軍の貨車である91式軽貨車もいました。

手前側には川崎車両昭和六年の銘板が付いていたので、91式と分かりました。
京福電気鉄道から来たようです。
この駅に隣接して貨物鉄道博物館があり、多数の貴重な車両が保存展示されています。

まずは電車内から見て気になったタンク車を見ます。
アルミ製のタンク体を持つ銀色のこの車両は、タム8000形のタム8000です。
この車両は、貨物鉄道博物館というより、丹生川駅の側線に展示されている状態です。

タム8000の隣は無蓋車のト15です。
この車両は名古屋鉄道から来ており、アオリ戸にうっすらと名古屋の文字が見えます。
名鉄時代の晩年は、今は廃止となった揖斐・谷汲線で保線用として使用していたようなので、黒野駅に止まっているところを撮影しているかもしれません。

旧陸軍の貨車である91式軽貨車もいました。

手前側には川崎車両昭和六年の銘板が付いていたので、91式と分かりました。
京福電気鉄道から来たようです。
2007年05月19日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その13
東藤原駅構内の側線群には多数の貨車に混じって、青色に白いラインの入った機関車が止まっていました。

秩父鉄道カラーのこの機関車は、2000年の夏に秩父鉄道から移ってきたデキ202です。
秩父鉄道時代同型車は3両いましたが、貨物運用の減少に伴って2両が三岐鉄道に来ており、秩父鉄道にはデキ201が1両だけ残っています。
三岐鉄道に移った後もカラーリングは変更されていません。

このデキ202の任務は太平洋セメント藤原工場の入換えです。
写真のバックに見える工場が、太平洋セメントの工場なのです。

デキ202の台車は独特な形状をしています。
L形軸梁式台車と言うようで、要するに機械的に軸重補償するためリンク機構などが付いているのでした。
メンテナンスなどトータルで考えると、電気的に軸重補償する方が良かったようで、その後製作された機関車には採用されていません。

秩父鉄道カラーのこの機関車は、2000年の夏に秩父鉄道から移ってきたデキ202です。
秩父鉄道時代同型車は3両いましたが、貨物運用の減少に伴って2両が三岐鉄道に来ており、秩父鉄道にはデキ201が1両だけ残っています。
三岐鉄道に移った後もカラーリングは変更されていません。

このデキ202の任務は太平洋セメント藤原工場の入換えです。
写真のバックに見える工場が、太平洋セメントの工場なのです。

デキ202の台車は独特な形状をしています。
L形軸梁式台車と言うようで、要するに機械的に軸重補償するためリンク機構などが付いているのでした。
メンテナンスなどトータルで考えると、電気的に軸重補償する方が良かったようで、その後製作された機関車には採用されていません。
2007年05月18日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その12

ホキ1000に連結した後は、推進運転で目の前に迫ってきます。

今度は停車することなくセメント工場に消えていきました。(仮設住宅氏撮影)

しばらくすると、機関車だけが駅のホームまで戻ってきます。

入れ換え作業の合間にも普通電車はやってきます。
写真は西藤原行きの601系です。
普通電車が走り去った後、再び機関車が動きました。
今度は別の線路に入っていき、しばらくして戻ってきた時には、黒いタキ1900の編成を牽いてきました。
そんなに長い時間ではないのに、機関車はあっちにこっちにと大活躍で見ていて飽きません。
2007年05月17日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その11
東藤原駅に貨物列車が到着しました。
この列車は保々駅で時間調整していた、ED459を先頭とした列車です。

列車が到着する前に、操車係の人が待機していました。

一番前の貨車であるタキ12260だけ切り離され、その一両だけ持ってセメント工場へ続く線路を真っ直ぐ進んできました。

勢いよくやってきたのでそのまま工場へ向かうかと思っていたら、目の前を通過した途端に急停止、すぐにバックを始めました。

逆方向に動いてすぐ機関車はブレーキを掛けましたが、前にいたタキ12260だけが走っていきました。
いわゆる突放です。
普段見るコンテナ車や石油類のタンク車は、突放禁止になっているので、初めて遭遇しました。
事前に分かっていればビデオで撮っていた方が面白かったかも。
仮設住宅氏はセメント工場側で撮影していたので、よく見えなかったそうです。

突放されたタキ12260が留置された貨車に向かって進んでいきます。

突放されたタキが進んでいくと、すかさず待機していた係員が、ポイントを切り替え機関車も後を追って発車します。
タキはその先のタキ群に向かい、機関車はタキと併走した後、留置されている貨車の間を抜けて、牽いてきたホキ1000の富田側に連結しました。
この列車は保々駅で時間調整していた、ED459を先頭とした列車です。

列車が到着する前に、操車係の人が待機していました。

一番前の貨車であるタキ12260だけ切り離され、その一両だけ持ってセメント工場へ続く線路を真っ直ぐ進んできました。

勢いよくやってきたのでそのまま工場へ向かうかと思っていたら、目の前を通過した途端に急停止、すぐにバックを始めました。

逆方向に動いてすぐ機関車はブレーキを掛けましたが、前にいたタキ12260だけが走っていきました。
いわゆる突放です。
普段見るコンテナ車や石油類のタンク車は、突放禁止になっているので、初めて遭遇しました。
事前に分かっていればビデオで撮っていた方が面白かったかも。
仮設住宅氏はセメント工場側で撮影していたので、よく見えなかったそうです。

突放されたタキ12260が留置された貨車に向かって進んでいきます。

突放されたタキが進んでいくと、すかさず待機していた係員が、ポイントを切り替え機関車も後を追って発車します。
タキはその先のタキ群に向かい、機関車はタキと併走した後、留置されている貨車の間を抜けて、牽いてきたホキ1000の富田側に連結しました。
2007年05月16日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その10
保々駅から伊勢治田駅まで戻り貨車群を撮影した後は、東藤原駅まで移動しました。
東藤原駅からはセメント工場への引き込み線があり、駅構内にも多数の側線があります。

曇天となってしまったので、色ははっきり出ませんが、東藤原駅の駅前には桜が咲いていました。
伊勢治田駅にも咲いていたのですが、天気が悪いのが悔やまれます。

東藤原駅の前には、ホキ5700形のホキ25767が保存展示されていました。
他の鉄道では貨車を保存しているところはあまりなく、貴重な存在であり、貨物列車と三岐鉄道の関係を認識させられるモノです。

展示されているホキには立派な案内看板がありました。
東藤原駅からはセメント工場への引き込み線があり、駅構内にも多数の側線があります。

曇天となってしまったので、色ははっきり出ませんが、東藤原駅の駅前には桜が咲いていました。
伊勢治田駅にも咲いていたのですが、天気が悪いのが悔やまれます。

東藤原駅の前には、ホキ5700形のホキ25767が保存展示されていました。
他の鉄道では貨車を保存しているところはあまりなく、貴重な存在であり、貨物列車と三岐鉄道の関係を認識させられるモノです。

展示されているホキには立派な案内看板がありました。
2007年05月15日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その9

伊勢治田駅に戻る列車の前に、ED459他が牽引する貨物列車が富田方面から到着しました。
列車はホームではなく1本隣りの線に入り、運転士は降りてしまいました。
この列車はしばらくこの駅で時間調整するようです。

機関車の次位には、タキ12200が1両だけ連結されています。
この形式は40t積みのセメント専用車ですが、所有会社によって結構違いがある車両です。
この車両は小野田セメント(現太平洋セメント)所有のタキ12260でした。

残りの車両はホキ1000です。
ホキ1000形は小野田セメント(現太平洋セメント)所有の35t積フライアッシュ及び炭酸カルシウム専用ホッパ車です
積荷が往復で異なる珍しい使用方法で運用されています。
個人的には、うす緑色をしたタキ1900(CT所有)が見たかったのですが、3月中に見られなくなっています。
2007年05月14日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その8

801系先頭車同士です。
右の車両は唯一のラッピング車編成のクハ1802です。

再び切符を買って駅に入ると、運転区の建物が向かい側に建っています。
この保々駅が工場と合わせて三岐線の中枢駅だと分かります。

保々駅で購入した乗車券と入場券です。
薄っぺらな販売機の切符と違って、硬券はなんか良いですね。
2007年05月13日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その7

保々駅の駅舎です。
この駅も有人駅で硬券切符を売っています。
基本的に有人駅が多いようですが、無人駅化が進んでいる鉄道が多い中で珍しいのではないでしょうか。

保々工場の外からも構内の様子が伺える場所か何カ所もあり、中々楽しいです。
工場の中には写真のED451や他の機関車がいました。

工場に沿って歩くと富田側に踏切があり、そこから構内の写真を撮影してみました。
画面右側の線路が本線です。
2007年05月12日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その6
隣り駅の丹生川駅に到着する直前に、左側の車窓に貨車の群れが映りました。
ここには貨物鉄道博物館があります。
壬生川駅の構内にも小型タンク車が留置されていました。
後で寄ることにして通過です。

次の駅の三里駅までやってきました。
この駅で下り列車と交換のようです。
先頭車の窓越しに前方を見ていると、早速貨物列車と遭遇しました。

ED455を先頭にした列車がホームに差し掛かると、乗車している列車もすぐに出発となります。
さらに隣の大安駅の手前右側には、以前、三岐鉄道で使用していたED222号機が保存されているのが確認できました。

色々と興味をそそられる車窓を見ているうちに、保々駅に到着しました。
ここで先輩とは一旦お別れです。
降りたホームの反対側には、駅と隣接して車庫兼工場があり、ED453と101系が止まっていました。
しばらく駅構内で撮影した後、工場を外から見学です。
ここには貨物鉄道博物館があります。
壬生川駅の構内にも小型タンク車が留置されていました。
後で寄ることにして通過です。

次の駅の三里駅までやってきました。
この駅で下り列車と交換のようです。
先頭車の窓越しに前方を見ていると、早速貨物列車と遭遇しました。

ED455を先頭にした列車がホームに差し掛かると、乗車している列車もすぐに出発となります。
さらに隣の大安駅の手前右側には、以前、三岐鉄道で使用していたED222号機が保存されているのが確認できました。

色々と興味をそそられる車窓を見ているうちに、保々駅に到着しました。
ここで先輩とは一旦お別れです。
降りたホームの反対側には、駅と隣接して車庫兼工場があり、ED453と101系が止まっていました。
しばらく駅構内で撮影した後、工場を外から見学です。
2007年05月11日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その5
阿下喜駅から北勢線に乗車して、西桑名から巻き添えの先輩は別行動を取る話になったのですが、北勢線は思ったより本数が少なくしばらく列車が来ないことが分かりました。
北勢線のナロー車両の乗車は後回しにして、そんなに離れていない三岐線の伊勢治田駅に移動しました。
この駅にも、パーク&ライドの駐車場があるので、車を停めて列車に乗車します。
この駅には自動券売機は無く、窓口で切符を購入します。
切符は硬券を使用しており、ちゃんと入場券も販売しています。

駅の構内は、貨物が盛業な三岐鉄道三岐線だけあり、側線が多くあり、多数のセメントホキ・タキ車が留置されていました。

伊勢治田駅の駅名標は木製です。
私と仮設住宅氏は車両基地のある保々駅に向かい、先輩は近鉄富田駅まで出て松坂方面に単独行動をすることになりました。
さすがに毎回巻き添えにしているので、この日は早々と離脱です。

乗車する列車が駅に入ってきました。
三岐鉄道の851系、元西武鉄道の701系です。
北勢線のナロー車両の乗車は後回しにして、そんなに離れていない三岐線の伊勢治田駅に移動しました。
この駅にも、パーク&ライドの駐車場があるので、車を停めて列車に乗車します。
この駅には自動券売機は無く、窓口で切符を購入します。
切符は硬券を使用しており、ちゃんと入場券も販売しています。

駅の構内は、貨物が盛業な三岐鉄道三岐線だけあり、側線が多くあり、多数のセメントホキ・タキ車が留置されていました。

伊勢治田駅の駅名標は木製です。
私と仮設住宅氏は車両基地のある保々駅に向かい、先輩は近鉄富田駅まで出て松坂方面に単独行動をすることになりました。
さすがに毎回巻き添えにしているので、この日は早々と離脱です。

乗車する列車が駅に入ってきました。
三岐鉄道の851系、元西武鉄道の701系です。
2007年05月10日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その4
転車台と反対側の線路の先には車庫があります。

車庫内の左側に「下工弁慶号」がしまってあった場所でした。
でもその「下工弁慶号」は、訪問した12日前に借りていた山口県下松市に返却されたので、この中には既にいないのでした。
隣りに立っている腕木信号機は、2004年1月26日までJR名松線家城駅で使用されていたもので、JR東海管内でも一番最後まで使用されていたものです。

車庫の左側にも線路があります。
こちらは軌間幅381ミリで、車庫の中にもミニ車両がしまわれているようです。
細かい内容は「ASITA(北勢線とまち育みを考える会)」のホームページに色々な活動報告が載っています。

車庫内の左側に「下工弁慶号」がしまってあった場所でした。
でもその「下工弁慶号」は、訪問した12日前に借りていた山口県下松市に返却されたので、この中には既にいないのでした。
隣りに立っている腕木信号機は、2004年1月26日までJR名松線家城駅で使用されていたもので、JR東海管内でも一番最後まで使用されていたものです。

車庫の左側にも線路があります。
こちらは軌間幅381ミリで、車庫の中にもミニ車両がしまわれているようです。
細かい内容は「ASITA(北勢線とまち育みを考える会)」のホームページに色々な活動報告が載っています。
2007年05月09日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その3
終点の阿下喜駅までやってきました。

この駅は昨年の12月1日に新しい駅舎になったばかりです。
まだ整備が途中なので、写真の右側に見えるように旧ホームが残っていました。
駅舎の前には、駅前広場などが整備される計画です。

新しい阿下喜駅のホームは、島式2面となっています。
手前には怪しげな線路がありました。

怪しげな線路の駅舎側には転車台があります。
この駅には三岐鉄道北勢線の90周年の記念行事の一環として、「下工弁慶号」と呼ばれている軽便蒸気機関車を山口県下松市から借りていたのです。(過去形)
4本の線路のうち真ん中の2本を使用して、「下工弁慶号」を公開展示していました。
転車台は、元々阿下喜駅にあった物を移設して使用しています。

この駅は昨年の12月1日に新しい駅舎になったばかりです。
まだ整備が途中なので、写真の右側に見えるように旧ホームが残っていました。
駅舎の前には、駅前広場などが整備される計画です。

新しい阿下喜駅のホームは、島式2面となっています。
手前には怪しげな線路がありました。

怪しげな線路の駅舎側には転車台があります。
この駅には三岐鉄道北勢線の90周年の記念行事の一環として、「下工弁慶号」と呼ばれている軽便蒸気機関車を山口県下松市から借りていたのです。(過去形)
4本の線路のうち真ん中の2本を使用して、「下工弁慶号」を公開展示していました。
転車台は、元々阿下喜駅にあった物を移設して使用しています。
2007年05月08日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その2
踏切から西桑名方向を見ると、少し先に新しい駅が見えているので移動してみます。

新しい駅は、統合で出来た東員駅であり、大きく立派な駅舎が建っていました。
これは統合時に西桑名駅と北大社駅に分散していた現場運転・駅務部門を集約し、さらにCTCを整備し各駅の信号制御を集中監視するようになったためのようです。
また駅前にはパークアンドライド用の駐車場も整備されていました。

駅構内には保線用の軌道モーターカーがありました。
軌道モーターカーだと軌間の幅が狭いのはあまり気になりません。

写真を撮っていると列車が到着しました。
やってきたのはK77編成、270系モ277が先頭の4両編成、後ろの3両は三重交通モ4400形だった200系であり、3車体連接車の付随車です。

新しい駅は、統合で出来た東員駅であり、大きく立派な駅舎が建っていました。
これは統合時に西桑名駅と北大社駅に分散していた現場運転・駅務部門を集約し、さらにCTCを整備し各駅の信号制御を集中監視するようになったためのようです。
また駅前にはパークアンドライド用の駐車場も整備されていました。

駅構内には保線用の軌道モーターカーがありました。
軌道モーターカーだと軌間の幅が狭いのはあまり気になりません。

写真を撮っていると列車が到着しました。
やってきたのはK77編成、270系モ277が先頭の4両編成、後ろの3両は三重交通モ4400形だった200系であり、3車体連接車の付随車です。
2007年05月07日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その1
4月13日のブログに書きましたが、三重・和歌山・愛知に墓参りも兼ねて旅行してきた時の報告です。
旅行のメンバーは3人、いつもの仮設住宅氏といつも巻き添えになっている一般人の先輩と私です。
最初に行ったのは三岐議鉄道北勢線です。
この線は2003年に近鉄から譲渡された路線で、日本では珍しい軌間762ミリの特殊狭軌線、いわゆるナローゲージとなっています。
高速を降りとりあえず終点の阿下喜駅方面に向かいますが、朝の7時頃の道路は通勤のため渋滞しており、ナビで途中の北大社駅に向かいます。

ナビの案内で北大社駅に着くとそこには駅はありませんでした。
現地に着いてから、北勢線の活性化のために高速化工事を行って、駅の統廃合が進められているのを思い出しました。
北大社駅は西桑名方にあった六把野駅と統合されて、東員駅になっており、ここは信号所になっていたのでした。

この信号所に隣接して車庫もあります。
しかし、通勤時間帯のピークだったために車両が出払っているようで、構内には1両も見あたりません。

車庫をぐるりと回り込むと1両だけモ275が残っていました。
旅行のメンバーは3人、いつもの仮設住宅氏といつも巻き添えになっている一般人の先輩と私です。
最初に行ったのは三岐議鉄道北勢線です。
この線は2003年に近鉄から譲渡された路線で、日本では珍しい軌間762ミリの特殊狭軌線、いわゆるナローゲージとなっています。
高速を降りとりあえず終点の阿下喜駅方面に向かいますが、朝の7時頃の道路は通勤のため渋滞しており、ナビで途中の北大社駅に向かいます。

ナビの案内で北大社駅に着くとそこには駅はありませんでした。
現地に着いてから、北勢線の活性化のために高速化工事を行って、駅の統廃合が進められているのを思い出しました。
北大社駅は西桑名方にあった六把野駅と統合されて、東員駅になっており、ここは信号所になっていたのでした。

この信号所に隣接して車庫もあります。
しかし、通勤時間帯のピークだったために車両が出払っているようで、構内には1両も見あたりません。

車庫をぐるりと回り込むと1両だけモ275が残っていました。
2007年05月06日
水海道車両基地の様子 その3
車両基地は水海道側から分岐して構内が広がっており、取手側は行き止まりとなって、何本も車両が留置されています。
何度かこの基地に来ていますが、2100形以降の新タイプが取手側に停まっているのを見た記憶がありません。
何か理由があるのでしょうか?

旧タイプの車両であるキハ006とキハ318が並んでいます。
ぱっと見た限りでは同じに見える車両ですが、良く見ると違っているのです。
左のキハ006はキハ0形、右のキハ318はキハ310形となっており、正面から見た違いは、キハ310形の方が方向幕が少し出っ張っていることです。
以前のキハ310形は、方向幕のある部分にヘッドライトが2灯並んで設置されていて、後に幕板部に移設されたのでした。
キハ0形は最初から方向幕が設置されていたのです。

キハ318の隣の2両はキハ314とキハ3520です。
サイドを見るとキハ310形は縦の雨樋が露出していますが、キハ0形は車体に埋め込まれています。
この部分も数少ない見分けるポイントです。
キハ310形は、国鉄からキハ17・16の機関・台車・機器を譲り受け車体を新造した車両です。
1976年から1979年にかけ、2両編成4本の8両が製造され、奇数車と偶数車でペアとなっています。
改造名義ですので、キハ314は国鉄キハ16 94、キハ318は国鉄キハ17 173が前歴です。
機関と台車も既にオリジナルと取り替えられており、種車から引き継いだ物はかなり失われています。

今度は反対側の車両です。
キハ006の隣には、キハ352とキハ303が見えます。
キハ0形の方は国鉄キハ20形の廃車発生品を使用しており、こちらは改造ではなく新造名義での投入となっています。
基本的な寸法はキハ310形と同じであり、1982年から1984年にかけて2両編成4本が投入されました。
隣のキハ303は、16両あったキハ300形のうちの残り2両です。
何度かこの基地に来ていますが、2100形以降の新タイプが取手側に停まっているのを見た記憶がありません。
何か理由があるのでしょうか?

旧タイプの車両であるキハ006とキハ318が並んでいます。
ぱっと見た限りでは同じに見える車両ですが、良く見ると違っているのです。
左のキハ006はキハ0形、右のキハ318はキハ310形となっており、正面から見た違いは、キハ310形の方が方向幕が少し出っ張っていることです。
以前のキハ310形は、方向幕のある部分にヘッドライトが2灯並んで設置されていて、後に幕板部に移設されたのでした。
キハ0形は最初から方向幕が設置されていたのです。

キハ318の隣の2両はキハ314とキハ3520です。
サイドを見るとキハ310形は縦の雨樋が露出していますが、キハ0形は車体に埋め込まれています。
この部分も数少ない見分けるポイントです。
キハ310形は、国鉄からキハ17・16の機関・台車・機器を譲り受け車体を新造した車両です。
1976年から1979年にかけ、2両編成4本の8両が製造され、奇数車と偶数車でペアとなっています。
改造名義ですので、キハ314は国鉄キハ16 94、キハ318は国鉄キハ17 173が前歴です。
機関と台車も既にオリジナルと取り替えられており、種車から引き継いだ物はかなり失われています。

今度は反対側の車両です。
キハ006の隣には、キハ352とキハ303が見えます。
キハ0形の方は国鉄キハ20形の廃車発生品を使用しており、こちらは改造ではなく新造名義での投入となっています。
基本的な寸法はキハ310形と同じであり、1982年から1984年にかけて2両編成4本が投入されました。
隣のキハ303は、16両あったキハ300形のうちの残り2両です。
2007年05月05日
水海道車両基地の様子 その2
水海道車両基地の敷地に沿って道があり、基地の外からぐるっと車両を見ることが出来ます。
と言っても、フェンスが高いところもあるので、脚立を使用して写真を撮っています。

本線の裏側に回ると多くの車両の正面を眺めることが出来ます。
その中に、上部クリームの下が濃い青色のツートンカラーであるキハ100形が2両並んでいました。
この車両は両運転仕様のキハ300形に、下館~水海道間のワンマン運行に対応した設備を取り付け改造した車両です。
当初は4両存在しましたが、新型のキハ2200形の増備によって2両がキハ300形に戻されて、残っているのは写真の2両だけとなっています。

キハ100形の隣には、先ほど車両基地に入ったために撮影できなかった水色の350形がいました。
先ほどは2両編成でしたが、残りの2両に連結して4両が連なっていました。
と言っても、フェンスが高いところもあるので、脚立を使用して写真を撮っています。

本線の裏側に回ると多くの車両の正面を眺めることが出来ます。
その中に、上部クリームの下が濃い青色のツートンカラーであるキハ100形が2両並んでいました。
この車両は両運転仕様のキハ300形に、下館~水海道間のワンマン運行に対応した設備を取り付け改造した車両です。
当初は4両存在しましたが、新型のキハ2200形の増備によって2両がキハ300形に戻されて、残っているのは写真の2両だけとなっています。

キハ100形の隣には、先ほど車両基地に入ったために撮影できなかった水色の350形がいました。
先ほどは2両編成でしたが、残りの2両に連結して4両が連なっていました。
2007年05月04日
水海道車両基地の様子 その1
長倉未成線跡の探索や真岡鉄道の撮影後、帰りのルート上に関東鉄道があるのでも、、水海道車両基地を覗くことにしました。
目的の中に、旧国鉄キハ35・36形のキハ350形が水色(昔の京浜東北線の色)に塗られているのを見たかったのもありました。

水海道駅の前を通って、水海道車両区へ向かうのですが、駅に青色の車両が停車しているのが見えました。
急げば水海道車両基地の脇で走行写真が撮れるかもと思い、ちょっとわくわくしていました。
さて現地に到着してカメラを準備します。
すぐに青い車両が水海道駅の方向からやってきましたが…。
そのまま目の前に来ること無く車両基地に入ってしまいました。
写真は「そっちじゃないよ~」と言いながら撮ったものです。

上の写真と逆に取手方向を向いて車両群を撮影しています。
多くの気動車が休んでいました。
手前の2線が本線となっています。

キハ353+キハ354が停まっていました。
この車両は常総線開業90周年を記念した関東鉄道旧配色に塗られています。
個人的にはこの塗色が一番落ち着くと感じます。
目的の中に、旧国鉄キハ35・36形のキハ350形が水色(昔の京浜東北線の色)に塗られているのを見たかったのもありました。

水海道駅の前を通って、水海道車両区へ向かうのですが、駅に青色の車両が停車しているのが見えました。
急げば水海道車両基地の脇で走行写真が撮れるかもと思い、ちょっとわくわくしていました。
さて現地に到着してカメラを準備します。
すぐに青い車両が水海道駅の方向からやってきましたが…。
そのまま目の前に来ること無く車両基地に入ってしまいました。
写真は「そっちじゃないよ~」と言いながら撮ったものです。

上の写真と逆に取手方向を向いて車両群を撮影しています。
多くの気動車が休んでいました。
手前の2線が本線となっています。

キハ353+キハ354が停まっていました。
この車両は常総線開業90周年を記念した関東鉄道旧配色に塗られています。
個人的にはこの塗色が一番落ち着くと感じます。
2007年05月03日
真岡(長倉)線未成線を歩く その5
車で鳥居の地点までやってきました。
歩いてみた感じでは車が走れそうだったので、そのまま未成線跡に乗り入れてドライブです。

写真は、鳥居の横から終点方向を見ています。

前進していくうちに、山裾を走っていた路盤は両側に畑が広がる場所を通るようになりました。
この辺りは完全に農作業用に使用されています。
写真前方の右の山が接近してくる辺りが、下野中川駅予定地のようです。
その部分は路盤も広がっていました。

路盤は、下野中川駅予定地を過ぎると道路とぶつかっています。
写真は道路の方から下野中川駅方向を見ています。

道路を渡ると地元の集会場があり、路盤はその前を通って先の林で終了していました。
ここが工事区間の終点だったようで、少ししか見ていないけど、その先の痕跡は発見できませんでした。
歩いてみた感じでは車が走れそうだったので、そのまま未成線跡に乗り入れてドライブです。

写真は、鳥居の横から終点方向を見ています。

前進していくうちに、山裾を走っていた路盤は両側に畑が広がる場所を通るようになりました。
この辺りは完全に農作業用に使用されています。
写真前方の右の山が接近してくる辺りが、下野中川駅予定地のようです。
その部分は路盤も広がっていました。

路盤は、下野中川駅予定地を過ぎると道路とぶつかっています。
写真は道路の方から下野中川駅方向を見ています。

道路を渡ると地元の集会場があり、路盤はその前を通って先の林で終了していました。
ここが工事区間の終点だったようで、少ししか見ていないけど、その先の痕跡は発見できませんでした。
2007年05月02日
真岡(長倉)線未成線を歩く その4
トンネルを抜けてしばらく歩いた後、一旦車まで戻って先の区間まで移動してみました。

築堤は少し高い場所を走っており、道路は築堤の下を短いトンネルで抜けています。
この付近に車を停めて、再び築堤に上がり探索を続行です。

道路の真上は草が生い茂り、かろうじて人が歩けるだけの状態となっています。

狭かったのは道路の上だけで、その先は路盤の幅がそのままの状態で残っています。
しばらく進むと左側に鳥居があり、そこまでで行って再び車に戻りました。

築堤は少し高い場所を走っており、道路は築堤の下を短いトンネルで抜けています。
この付近に車を停めて、再び築堤に上がり探索を続行です。

道路の真上は草が生い茂り、かろうじて人が歩けるだけの状態となっています。

狭かったのは道路の上だけで、その先は路盤の幅がそのままの状態で残っています。
しばらく進むと左側に鳥居があり、そこまでで行って再び車に戻りました。
2007年05月01日
真岡(長倉)線未成線を歩く その3

トンネル内の様子はこんな感じです。
もっともフラッシュ炊いたから見えているのであって、実際は真っ暗で何も見えなかったのでした。
暗闇を歩いていくと、前方から「うわっ!」と言う声が聞こえてきました。
先行した仮設住宅氏が泥になっている部分に踏み込んだのです。
実際はぬかるんでいるけど大したことはないのですが、やはり見えないので慎重に進みます。
真ん中付近に直径1メートル程の円形の構造物があったのですが、何のためにあるのか分かりません。

何事もなく反対側の出口を抜けて振り返るとこんな感じでした。

トンネルを抜けると築堤になり、しばらく歩いたところで、振り返った景色です。
左側が築堤、築堤の奥が抜けてきたトンネルです。
築堤の脇には動物避けだと思われる電線が張ってありますので、触らないように注意が必要です。
