2007年04月30日
真岡(長倉)線未成線を歩く その2
切り通しの先にどんどん進んで行くと、未成線跡と道路が分かれそのまま跡を進むと柵があり、車では進めなくなります。

車を置いて徒歩でその先に向かいます。
その先は砂利も無くなっており、草の上を進むことになりました。

未成線の路盤の脇に「工」の字の境界標を発見しました。
国鉄の建設用地だった証しです。

車を置いた場所からちょっと緩い右カーブを進むとトンネルが現れました。
トンネルの中がカーブしているらしく、向こう側の明かりは見えず、中は当然真っ暗です。
懐中電灯も持っていないのに、探検隊気分の私達はトンネルに侵入しました。

車を置いて徒歩でその先に向かいます。
その先は砂利も無くなっており、草の上を進むことになりました。

未成線の路盤の脇に「工」の字の境界標を発見しました。
国鉄の建設用地だった証しです。

車を置いた場所からちょっと緩い右カーブを進むとトンネルが現れました。
トンネルの中がカーブしているらしく、向こう側の明かりは見えず、中は当然真っ暗です。
懐中電灯も持っていないのに、探検隊気分の私達はトンネルに侵入しました。
2007年04月29日
真岡(長倉)線未成線を歩く その1
昨日のブログに引き続き4月1日ネタの続きです。
筑波鉄道真壁駅跡を見た後、用事のあるG氏を水戸線の新治駅で降ろし、残った3人で真岡鉄道の北真岡ー西田井間で下りのSL重連列車を撮影、さらに茂木駅まで移動してSL列車の構内入れ替えを撮影しています。
上りのSLまでは少し時間があったので、国鉄真岡線の延長予定区間が途中まで建設されていたので、探索することにしました。
この未成線は、茂木駅から水郡線の玉川村までの路線として計画され、途中長倉という集落を経ており、建設の終点をとりあえず長倉にしたため、長倉線という工事線名が付いています。
SLの入替えを茂木駅で撮影後、未成線の築堤を横に見ながら少し先の区間まで移動します。
未成線跡は築堤の先、道路に吸収されたりする区間もありますが、終点に向かって右側に併走しています。
道路と一旦離れて再び道路と交差する場所が小井戸地区にあり、その地点から道路とは別ルートになります。
未成線跡は農道として利用されているようで、砂利道になりますがあまり草も生えていません。

道路から分かれて少し進むと、川を渡るためにコンクリー橋が現れます。

コンクリート橋の先で山裾に接近しており、切り通しで未成線跡は抜けています。

コンクリート橋の脇の一段高いところからだと、築堤が続いているのが分かります。
右側が茂木方面になります。
筑波鉄道真壁駅跡を見た後、用事のあるG氏を水戸線の新治駅で降ろし、残った3人で真岡鉄道の北真岡ー西田井間で下りのSL重連列車を撮影、さらに茂木駅まで移動してSL列車の構内入れ替えを撮影しています。
上りのSLまでは少し時間があったので、国鉄真岡線の延長予定区間が途中まで建設されていたので、探索することにしました。
この未成線は、茂木駅から水郡線の玉川村までの路線として計画され、途中長倉という集落を経ており、建設の終点をとりあえず長倉にしたため、長倉線という工事線名が付いています。
SLの入替えを茂木駅で撮影後、未成線の築堤を横に見ながら少し先の区間まで移動します。
未成線跡は築堤の先、道路に吸収されたりする区間もありますが、終点に向かって右側に併走しています。
道路と一旦離れて再び道路と交差する場所が小井戸地区にあり、その地点から道路とは別ルートになります。
未成線跡は農道として利用されているようで、砂利道になりますがあまり草も生えていません。

道路から分かれて少し進むと、川を渡るためにコンクリー橋が現れます。

コンクリート橋の先で山裾に接近しており、切り通しで未成線跡は抜けています。

コンクリート橋の脇の一段高いところからだと、築堤が続いているのが分かります。
右側が茂木方面になります。
2007年04月28日
筑波鉄道真壁駅跡の様子
鹿島鉄道の最終日翌日の4月1日に、真岡鉄道のSL重連を撮影したことは以前のブログに載せました。
本日は、その日の他のネタです。
石岡の宿を出発して真岡鉄道へ向かう途中で、筑波鉄道の廃線跡と交差します。
やはり廃線跡を見掛けたら、寄っていくのが当然とばかりに真壁駅跡に寄ってみました。

真壁駅には桜の木があり、線路が無くなった今でも花を咲かしていました。

この駅のホームは2本とも残っていました。
主要駅だったので、この駅で折り返す列車もあったようです。

筑波鉄道の廃線跡は全線ではないですが、岩瀬土浦自転車道として整備されています。
真壁駅の地点は真壁休憩所として整備されていました。
休憩所の看板は意識的なのか、駅名標に似た形をしています。
本日は、その日の他のネタです。
石岡の宿を出発して真岡鉄道へ向かう途中で、筑波鉄道の廃線跡と交差します。
やはり廃線跡を見掛けたら、寄っていくのが当然とばかりに真壁駅跡に寄ってみました。

真壁駅には桜の木があり、線路が無くなった今でも花を咲かしていました。

この駅のホームは2本とも残っていました。
主要駅だったので、この駅で折り返す列車もあったようです。

筑波鉄道の廃線跡は全線ではないですが、岩瀬土浦自転車道として整備されています。
真壁駅の地点は真壁休憩所として整備されていました。
休憩所の看板は意識的なのか、駅名標に似た形をしています。
2007年04月27日
高松琴平電鉄、電鉄琴平駅にて
こんぴら温泉で宿泊した翌日、またまた出発前に高松琴平電鉄の電鉄琴平駅とJR琴平駅を見に行ったのでした。
金比羅温泉側から歩いていくと、電鉄琴平駅は金倉川と言う川を渡ったところに川と平行にありました。
ホームには元京急700形の1200形が留置されています。

駅のバックに見えている右側の建物は、駅の隣にある、金刀比羅宮北神苑内にある、高灯籠と言う名の灯籠です。
高さは27.6メートルあり、日本一高い木造の灯籠だそうです。
瀬戸内海を運航する船の目印となっていたのでした。

電鉄琴平駅の駅舎です。
1988年に建て替えられた駅舎であり、隣の高灯籠との景観も考えられているそうです。

駅の高松側にも本線と平行する形で留置線がありました。
留置線には元京王電鉄5000系の1100形が留置されており、本線を1200形が走ってきたところを写しています。
宿と駅の間にあった郵便局が昔の琴平急行電鉄の駅があった場所で、琴参閣と言う大きな旅館の位置が琴平参宮電鉄の駅の場所でした。
両鉄道の痕跡が少しだけ残っているのは知っていましたが、そこまで探索している時間は残念ながら無しでした。
金比羅温泉側から歩いていくと、電鉄琴平駅は金倉川と言う川を渡ったところに川と平行にありました。
ホームには元京急700形の1200形が留置されています。

駅のバックに見えている右側の建物は、駅の隣にある、金刀比羅宮北神苑内にある、高灯籠と言う名の灯籠です。
高さは27.6メートルあり、日本一高い木造の灯籠だそうです。
瀬戸内海を運航する船の目印となっていたのでした。

電鉄琴平駅の駅舎です。
1988年に建て替えられた駅舎であり、隣の高灯籠との景観も考えられているそうです。

駅の高松側にも本線と平行する形で留置線がありました。
留置線には元京王電鉄5000系の1100形が留置されており、本線を1200形が走ってきたところを写しています。
宿と駅の間にあった郵便局が昔の琴平急行電鉄の駅があった場所で、琴参閣と言う大きな旅館の位置が琴平参宮電鉄の駅の場所でした。
両鉄道の痕跡が少しだけ残っているのは知っていましたが、そこまで探索している時間は残念ながら無しでした。
2007年04月26日
玉藻公園に行ったついでの琴電
3月に四国へ行った時のついでに道後温泉で伊予鉄道を撮影しています。
その当日の観光は、栗林公園→玉藻公園(高松城跡)→金比羅さんと巡っています。
玉藻公園の脇には高松琴平電鉄の高松築港駅があり、お堀の外側に沿って線路が敷設されています。

玉藻公園の艮櫓の脇を琴電が走っていきます。
この高松築港~瓦町の区間は、琴電琴平へ行く琴平線と、長尾へ行く長尾線の電車が走っています。
写真の黄色い電車は琴平線の車両で、緑色の車両が長尾線の車両となっているようです。

玉藻公園の中からお堀越しに高松築港駅が見えました。
ちなみにこのお堀は海水を引き入れているのです。

高松築港駅の外観です。
後ろに見える木々がある場所が玉藻公園です。
近くには港もあり、JRの高松駅もあります。
その当日の観光は、栗林公園→玉藻公園(高松城跡)→金比羅さんと巡っています。
玉藻公園の脇には高松琴平電鉄の高松築港駅があり、お堀の外側に沿って線路が敷設されています。

玉藻公園の艮櫓の脇を琴電が走っていきます。
この高松築港~瓦町の区間は、琴電琴平へ行く琴平線と、長尾へ行く長尾線の電車が走っています。
写真の黄色い電車は琴平線の車両で、緑色の車両が長尾線の車両となっているようです。

玉藻公園の中からお堀越しに高松築港駅が見えました。
ちなみにこのお堀は海水を引き入れているのです。

高松築港駅の外観です。
後ろに見える木々がある場所が玉藻公園です。
近くには港もあり、JRの高松駅もあります。
2007年04月25日
静岡へ行った時の話 その14
清水港線を見た後は、再び静岡鉄道へ乗車して静岡方向へ向かいます。
そのまま乗り通すつもりでしたが、電車の中から見た富士山は雲が完全にどいており、思わず長沼駅で車両基地にいる車両を入れて撮影しています。
夕方はホーム側から撮ると側面に日は当たりませんけど、きれいに富士山が入ったので良しとしました。
新静岡駅まで行かずに日吉町駅で下車してJRの静岡駅まで歩きます。
静岡駅に着くと強風の影響で若干ダイヤは乱れていました。
午前中ほどの人数はいませんが、113系を撮影したり、東海を撮影に来ている人が15人ほどいました。

特急ワイドビュー東海4号になる車両は、東京方の留置線から入線してきました、

東京方の先頭車を撮影すると発車時刻が迫っているため、すぐ車内に入りました。

東海に使用される373系電車は、3両編成での構成になっているため、6両での運用では中間にも先頭車が入ります。
中間の貫通ドアのヘッドマークも特急東海が表示されていました。
波と富士山をイラスト化したヘッドマークを撮影して、この旅行は終了です。
そのまま乗り通すつもりでしたが、電車の中から見た富士山は雲が完全にどいており、思わず長沼駅で車両基地にいる車両を入れて撮影しています。
夕方はホーム側から撮ると側面に日は当たりませんけど、きれいに富士山が入ったので良しとしました。
新静岡駅まで行かずに日吉町駅で下車してJRの静岡駅まで歩きます。
静岡駅に着くと強風の影響で若干ダイヤは乱れていました。
午前中ほどの人数はいませんが、113系を撮影したり、東海を撮影に来ている人が15人ほどいました。

特急ワイドビュー東海4号になる車両は、東京方の留置線から入線してきました、

東京方の先頭車を撮影すると発車時刻が迫っているため、すぐ車内に入りました。

東海に使用される373系電車は、3両編成での構成になっているため、6両での運用では中間にも先頭車が入ります。
中間の貫通ドアのヘッドマークも特急東海が表示されていました。
波と富士山をイラスト化したヘッドマークを撮影して、この旅行は終了です。
2007年04月24日
静岡へ行った時の話 その13
草薙駅から再び静鉄電車に乗車して新清水駅に向かいます。
次の目的は廃止となった清水港線の跡を見ることでした。
清水港線は清水駅から美保駅までを結んでいた路線で、1984年3月31日付けで廃止となっています。
新清水駅から港の方に向かうと、廃線跡に出ることが出来ます。

この地点は清水港線の清水~清水埠頭間です。
この辺りの廃線跡は遊歩道として整備されています。
写真は清水駅の方向を見て撮っています。

今度は反対向きの清水埠頭駅方向を見たけ様子です。
遊歩道を清水埠頭駅の方向へ歩くと、エスパルスドリームプラザに出ます。
ここは貨物駅だった清水港駅の跡地になります。

海に面して謎のオブジェが立っていますが、これが港の船から材木をそのまま貨車に積み込むシステムがあった名残です。
全国でも直接貨車に荷揚げできた場所は少なかったようです。

このオブジェの名前はテルファークレーンと言います。
ここにも案内板があったので、そのまま全文を載せておきます。
テルファークレーン(木材積込用クレーン)
このクレーンは、昭和3年国鉄清水港線清水港駅に木材を貨物に積込む荷役機械として作られました。
当時の我が国には神戸、名古屋にしかない最新式のクレーンで、従前はベルトコンベアーで一日かけて1貨物車に積み込んでいたものが、わずか48分ですむようになり、費用も3分の1になりました。
その後、木材や石炭の荷役機械として活躍しましたが、時代とともにその用途もなくなり神戸や名古屋では撤去、清水港でも、昭和46年に使用停止になりました。
しかし清水港発展の歴史をとどめる遺産として、また日本近代産業の遺構としてたいへん価値あるものであることから、平成10年に補修工事が行われ、当公園のシンボルとして保存されることになりました。
この先の線路はちょっと痕跡が分からなくなっています。
さすがに歩きで時間もなかったので、この先の探索は諦めました。
次の目的は廃止となった清水港線の跡を見ることでした。
清水港線は清水駅から美保駅までを結んでいた路線で、1984年3月31日付けで廃止となっています。
新清水駅から港の方に向かうと、廃線跡に出ることが出来ます。

この地点は清水港線の清水~清水埠頭間です。
この辺りの廃線跡は遊歩道として整備されています。
写真は清水駅の方向を見て撮っています。

今度は反対向きの清水埠頭駅方向を見たけ様子です。
遊歩道を清水埠頭駅の方向へ歩くと、エスパルスドリームプラザに出ます。
ここは貨物駅だった清水港駅の跡地になります。

海に面して謎のオブジェが立っていますが、これが港の船から材木をそのまま貨車に積み込むシステムがあった名残です。
全国でも直接貨車に荷揚げできた場所は少なかったようです。

このオブジェの名前はテルファークレーンと言います。
ここにも案内板があったので、そのまま全文を載せておきます。
テルファークレーン(木材積込用クレーン)
このクレーンは、昭和3年国鉄清水港線清水港駅に木材を貨物に積込む荷役機械として作られました。
当時の我が国には神戸、名古屋にしかない最新式のクレーンで、従前はベルトコンベアーで一日かけて1貨物車に積み込んでいたものが、わずか48分ですむようになり、費用も3分の1になりました。
その後、木材や石炭の荷役機械として活躍しましたが、時代とともにその用途もなくなり神戸や名古屋では撤去、清水港でも、昭和46年に使用停止になりました。
しかし清水港発展の歴史をとどめる遺産として、また日本近代産業の遺構としてたいへん価値あるものであることから、平成10年に補修工事が行われ、当公園のシンボルとして保存されることになりました。
この先の線路はちょっと痕跡が分からなくなっています。
さすがに歩きで時間もなかったので、この先の探索は諦めました。
2007年04月23日
静岡へ行った時の話 その12

県立美術館前駅まできました。
ホーム部分が2両対応と短いので、駅舎部分がかなり大きく見える駅です。
更に隣の草薙駅に向かって歩くと、富士山がバックに見える場所がありました。

撮影した時にはまだ上半分が雲で隠れていました。

そのまま草薙駅まで来た頃には、富士山上部を覆っていた雲はかなりどきましたが、撮影地点からだと電線などでごちゃごちゃしています。
2007年04月22日
静岡へ行った時の話 その11
車両基地を後にして線路に沿って歩いてみました。
電車内からは富士山が見える場所が何カ所かあったので、バックに入れて撮れるかもしれません。

古庄駅の県総合運動場側の様子です。
この辺りの線路際は家が多く、すっきりと撮れる場所ではありませんでした。

古庄~県総合運動場間には国道1号線があり、鉄橋で跨いでいます。
その国道に掛かる歩道橋からかろうじて富士山を入れて撮ることが出来ました。
残念ながらかなりごちゃごちゃしているので、きれいな風景とはなりません。
この撮影の後は富士山が雲に覆われてしまったので、昼食タイムとしました。

国道を跨いだ線路はそのまま築堤となりその後に川を渡ります。
川を渡った後も築堤になっており、その先はJRのヤードを跨ぎます。
JRのヤードを跨ぎ終わると県総合運動場駅になっていました。
電車内からは富士山が見える場所が何カ所かあったので、バックに入れて撮れるかもしれません。

古庄駅の県総合運動場側の様子です。
この辺りの線路際は家が多く、すっきりと撮れる場所ではありませんでした。

古庄~県総合運動場間には国道1号線があり、鉄橋で跨いでいます。
その国道に掛かる歩道橋からかろうじて富士山を入れて撮ることが出来ました。
残念ながらかなりごちゃごちゃしているので、きれいな風景とはなりません。
この撮影の後は富士山が雲に覆われてしまったので、昼食タイムとしました。

国道を跨いだ線路はそのまま築堤となりその後に川を渡ります。
川を渡った後も築堤になっており、その先はJRのヤードを跨ぎます。
JRのヤードを跨ぎ終わると県総合運動場駅になっていました。
2007年04月21日
静岡へ行った時の話 その10
長沼駅脇の踏切を渡ると静岡鉄道の鉄道営業所があります。

折角来たので、鉄道営業所を訪れたところ、車両基地の撮影許可をもらえたので、構内の撮影を開始しました。

駅から見た時に一番気になっていた、旧型電車のクモハ20が撮影できたのでラッキーでした。
このクモハ20は、1930年に現JR鶴見線の前身である、鶴見臨港鉄道が新潟鉄工浅野造船所に発注したモハ100形の1両でした。
1957年に静岡国体開催時の輸送力増強対策として、鶴見臨港鉄道の国有化によって国鉄籍となり、その後現役を退いたモハ103、107、109の3両を国鉄より譲渡を受け、クモハ18、19、20として1957年8月に静岡鉄道に来ています。
新型車の増備により、クモハ20号以外は廃車となり、1両のみが庫内入換、工事用車両として機械扱いとして使われていた物です。
1997年に写真にも写っている、軌道モーターカーが導入されて現役を引退しています。
以前、銚子電鉄にいたデハ301も鶴見臨港鉄道から移った同型車でした。
鹿島鉄道の最終日に仮設住宅氏と会った時の話では、私が行く少し前に静岡鉄道に行った時には、表に出ていなかったので、まともに撮影できなかったそうです。
このブログを書くために改めて静岡鉄道のことを調べたら、3月19日以降にクモハ20が解体されてしまったようです。
静岡鉄道の3月9日付けのホームページに解体前に一般公開がされるとの話が載っていたようですが、気が付いていませんでした。
結果として撮影することが出来たので運が良かったのでしょう。
この基地には古い電動貨車もいるようなのですが、この時は気が付きませんでした。

軌道モーターカーは大切に使われているようで、きれいな状態でしす。
でもこの車両が導入されたお陰で、クモハ20がお役ご免→解体となったのです。

折角来たので、鉄道営業所を訪れたところ、車両基地の撮影許可をもらえたので、構内の撮影を開始しました。

駅から見た時に一番気になっていた、旧型電車のクモハ20が撮影できたのでラッキーでした。
このクモハ20は、1930年に現JR鶴見線の前身である、鶴見臨港鉄道が新潟鉄工浅野造船所に発注したモハ100形の1両でした。
1957年に静岡国体開催時の輸送力増強対策として、鶴見臨港鉄道の国有化によって国鉄籍となり、その後現役を退いたモハ103、107、109の3両を国鉄より譲渡を受け、クモハ18、19、20として1957年8月に静岡鉄道に来ています。
新型車の増備により、クモハ20号以外は廃車となり、1両のみが庫内入換、工事用車両として機械扱いとして使われていた物です。
1997年に写真にも写っている、軌道モーターカーが導入されて現役を引退しています。
以前、銚子電鉄にいたデハ301も鶴見臨港鉄道から移った同型車でした。
鹿島鉄道の最終日に仮設住宅氏と会った時の話では、私が行く少し前に静岡鉄道に行った時には、表に出ていなかったので、まともに撮影できなかったそうです。
このブログを書くために改めて静岡鉄道のことを調べたら、3月19日以降にクモハ20が解体されてしまったようです。
静岡鉄道の3月9日付けのホームページに解体前に一般公開がされるとの話が載っていたようですが、気が付いていませんでした。
結果として撮影することが出来たので運が良かったのでしょう。
この基地には古い電動貨車もいるようなのですが、この時は気が付きませんでした。

軌道モーターカーは大切に使われているようで、きれいな状態でしす。
でもこの車両が導入されたお陰で、クモハ20がお役ご免→解体となったのです。
2007年04月20日
静岡へ行った時の話 その9
途中の駅に寄りながら長沼駅にやってきました。
この駅に隣接して、静岡鉄道の車両基地があります。

長沼駅のホームから車両基地がよく見えます。
留置している車両のバックには富士山が見えました。

長沼の車両基地構内の様子を駅のホームから見たところです。
一番左側に旧型車両のクモハ20が停まっていました。

駅の外に出て長沼駅の駅舎を撮ってみました。
工事をしていたので、ごちゃごちゃしています。
駅前の踏切は狭いので車が来ると歩きづらいのでした。
この駅に隣接して、静岡鉄道の車両基地があります。

長沼駅のホームから車両基地がよく見えます。
留置している車両のバックには富士山が見えました。

長沼の車両基地構内の様子を駅のホームから見たところです。
一番左側に旧型車両のクモハ20が停まっていました。

駅の外に出て長沼駅の駅舎を撮ってみました。
工事をしていたので、ごちゃごちゃしています。
駅前の踏切は狭いので車が来ると歩きづらいのでした。
2007年04月19日
鹿島鉄道最終日 その10
今日も最終日の石岡駅の様子の続き。
20時頃の様子です。

昨日のブログと同じ列車のキハ432。
ホームは1両半分しか屋根がないため、階段側に比べるとこちらの方は人が少ないのでした。
このホームから発車する列車もこの列車を入れて残り4本です。

石岡機関区には既に営業運転が終わってしまった、キハ714が停まっています。
この場所に移動してエンジンを停止させた時には寂しい感覚を覚えました。

ホーム待合室の裏側上部には、イベント列車で使用したヘッドマークが4枚掲出されていました。
この後、石岡駅のホームで約2時間過ごして、4月1日のブログでの最終列車への乗車となりました。
20時頃の様子です。

昨日のブログと同じ列車のキハ432。
ホームは1両半分しか屋根がないため、階段側に比べるとこちらの方は人が少ないのでした。
このホームから発車する列車もこの列車を入れて残り4本です。

石岡機関区には既に営業運転が終わってしまった、キハ714が停まっています。
この場所に移動してエンジンを停止させた時には寂しい感覚を覚えました。

ホーム待合室の裏側上部には、イベント列車で使用したヘッドマークが4枚掲出されていました。
この後、石岡駅のホームで約2時間過ごして、4月1日のブログでの最終列車への乗車となりました。
2007年04月18日
鹿島鉄道最終日 その9
今日でブログがスタートして丁度1年となりました。
飽きっぽい私がよく続けられたと感心しております。
これからも続くと思われますので、お暇な方は見てやって下さい。
今日のネタは、鹿島鉄道最終日の夜の石岡駅で見ていた光景です。

石岡駅はJRと改札口は共有となっており、改札口を通ってJRのホームに出て、跨線橋を渡って鹿島鉄道のホームに移動する形となっていました。
写真はその跨線橋の端にある、鹿島鉄道線乗り場を示す看板です。

上の看板を見て左に曲がると鹿島鉄道のホームです。
さすがに最終日の夜だけあって、階段の途中まで人が溢れていました。

石岡駅の駅名標とキハ431です。
乗る人、撮る人、見送る人でごった返している状態です。
この駅名標ともこの日がお別れになりました。
このキハ431が下り列車として発車して、再び石岡駅に戻って来ると、私達が乗車した全線通しの最終営業列車となるのでした。
飽きっぽい私がよく続けられたと感心しております。
これからも続くと思われますので、お暇な方は見てやって下さい。
今日のネタは、鹿島鉄道最終日の夜の石岡駅で見ていた光景です。

石岡駅はJRと改札口は共有となっており、改札口を通ってJRのホームに出て、跨線橋を渡って鹿島鉄道のホームに移動する形となっていました。
写真はその跨線橋の端にある、鹿島鉄道線乗り場を示す看板です。

上の看板を見て左に曲がると鹿島鉄道のホームです。
さすがに最終日の夜だけあって、階段の途中まで人が溢れていました。

石岡駅の駅名標とキハ431です。
乗る人、撮る人、見送る人でごった返している状態です。
この駅名標ともこの日がお別れになりました。
このキハ431が下り列車として発車して、再び石岡駅に戻って来ると、私達が乗車した全線通しの最終営業列車となるのでした。
2007年04月17日
鹿島鉄道最終日 その8
17時頃にG氏と合流のため石岡駅に到着です。
石岡機関区の構内を覗くと車両がいなくて広々としていました。

2月の撮影ではカラフルな車両群が、機関車も入れて8両もいたのですが、この日は全車両を使用して2両編成での運行となっており、機関車も売却後だったのでした。
既に明日以降の姿を見ているような感覚でした。

構内を撮影中していると列車が到着しました。
寂しい機関区構内と違い、ホームの上は乗る人、撮る人で賑わっていました。
石岡機関区の構内を覗くと車両がいなくて広々としていました。

2月の撮影ではカラフルな車両群が、機関車も入れて8両もいたのですが、この日は全車両を使用して2両編成での運行となっており、機関車も売却後だったのでした。
既に明日以降の姿を見ているような感覚でした。

構内を撮影中していると列車が到着しました。
寂しい機関区構内と違い、ホームの上は乗る人、撮る人で賑わっていました。
2007年04月16日
鹿島鉄道最終日 その7
今年は暖冬でしたので、桜の開花が早くなり鹿島鉄道の最後の頃に間に合うと思っていました。
途中で寒い日もあったりので、さすがに満開とはなりませんでしたが、何とか桜は咲いてくれました。

桜が咲く駅として有名な東田中駅には、桜と列車を絡めての撮影を考えている人が集まっていました。
実際の桜の状態は写真の通りで、ぱらぱらと咲いています。

時間的には上り列車が来る時間でしたが、石岡側から下り列車がやってきたのです。

やっと咲き始めた桜とキハ714を撮影です。
途中で寒い日もあったりので、さすがに満開とはなりませんでしたが、何とか桜は咲いてくれました。

桜が咲く駅として有名な東田中駅には、桜と列車を絡めての撮影を考えている人が集まっていました。
実際の桜の状態は写真の通りで、ぱらぱらと咲いています。

時間的には上り列車が来る時間でしたが、石岡側から下り列車がやってきたのです。

やっと咲き始めた桜とキハ714を撮影です。
2007年04月15日
道後温泉駅と坊ちゃん列車
3月中は静岡鉄道と鹿島鉄道の間に四国に行く機会がありました。
前の職場で世話になった人が定年退職を迎えるというので、有志で四国旅行となったのです。
メインの組は飛行機で松山空港へ向かうのですが、飛行機が嫌いなメンバーに付き合ってサンライズ瀬戸を利用して行ってます。
初日は松山の道後温泉で泊まっており、早朝に道後温泉駅の様子を見てきました。

伊予鉄道の道後温泉駅駅舎、は洋風木造建築の立派な建物が建っていました。
駅前には、レプリカの坊ちゃん列車が留置されています。

そのレプリカの1号機関車です。
レプリカと言ってもディーセルエンジンを搭載しているので、ちゃんと動くし営業運転もしています。
本物はどこかの公園に保存されていると記憶しています。
ちなみにもう1両14号機のレプリカも存在します。

坊ちゃん列車と道後温泉駅です。
中々良い雰囲気が出ていました。
前の職場で世話になった人が定年退職を迎えるというので、有志で四国旅行となったのです。
メインの組は飛行機で松山空港へ向かうのですが、飛行機が嫌いなメンバーに付き合ってサンライズ瀬戸を利用して行ってます。
初日は松山の道後温泉で泊まっており、早朝に道後温泉駅の様子を見てきました。

伊予鉄道の道後温泉駅駅舎、は洋風木造建築の立派な建物が建っていました。
駅前には、レプリカの坊ちゃん列車が留置されています。

そのレプリカの1号機関車です。
レプリカと言ってもディーセルエンジンを搭載しているので、ちゃんと動くし営業運転もしています。
本物はどこかの公園に保存されていると記憶しています。
ちなみにもう1両14号機のレプリカも存在します。

坊ちゃん列車と道後温泉駅です。
中々良い雰囲気が出ていました。
2007年04月14日
静岡へ行った時の話 その8
また一駅電車に乗って隣の駅に移動、狐ヶ崎駅です。

橋上駅となっているこの駅はまだ新しい印象を受けます。

カーブの途中にあった桜橋駅を出た後、線路は直線となり、そのまま狐ヶ崎駅まで直線が続きます。
この区間も東海道本線との併走区間です。
写真は狐ヶ崎駅に向かってくる1007を先頭とする編成です。

今度は桜橋駅に向かう1006他の編成です。
写真の直線の終わりを左に曲がると桜橋駅となります。

橋上駅となっているこの駅はまだ新しい印象を受けます。

カーブの途中にあった桜橋駅を出た後、線路は直線となり、そのまま狐ヶ崎駅まで直線が続きます。
この区間も東海道本線との併走区間です。
写真は狐ヶ崎駅に向かってくる1007を先頭とする編成です。

今度は桜橋駅に向かう1006他の編成です。
写真の直線の終わりを左に曲がると桜橋駅となります。
2007年04月13日
静岡へ行った時の話 その7
今日これから南紀方面に出発します。
目的は大きく二つ、四日市近辺の鉄道を撮って歩くのとお墓参りです。
当初の計画では、トロッコに乗って行ける温泉がある湯の口温泉にも行くつもりでしたが、現在坑道の改修中のためにトロッコが運休中でしたので、今回は見送りです。
報告はまた後日と言うことで、本日も静岡ネタです。
入江岡駅のある道路橋から静岡方面を見ると、結構近い位置に隣の橋が見えます。
その橋の下にも駅が見えていました。
隣の駅は桜橋駅と言うようで、入江岡駅との駅間距離は300mしかありません。
300mと言えば、地元の内房線にもやってくる総武線快速電車15両編成の長さと一緒なのです。
静岡鉄道自体11㎞に15の駅があり、駅間は短いのですが、ここの駅間は特に短いようです。
そちらの駅に向かってみると、そこに掛かっていた橋の名前が桜橋となっており、駅名もここから命名されたようです。

橋の上から駅を見ると、上下線のホームが分かれて配置されています。
右下が新清水行きのホームで、左上が新静岡行きのホームとなっています。

道路から一段低い位置に駅の改札がありました。

写真は、新静岡行きのホームから新清水行きのホームを見たところです。
新静岡行きのホームは新清水行きのホームより新しい感じを受け、また、新清水行きのホームはそのまま島式ホームになり得る構造から、元々は島式ホームだったのを、狭くて危険なために新静岡行きのホームを増設して分離したのではないかと思います。
真相は調べていないので分かりませんが。
目的は大きく二つ、四日市近辺の鉄道を撮って歩くのとお墓参りです。
当初の計画では、トロッコに乗って行ける温泉がある湯の口温泉にも行くつもりでしたが、現在坑道の改修中のためにトロッコが運休中でしたので、今回は見送りです。
報告はまた後日と言うことで、本日も静岡ネタです。
入江岡駅のある道路橋から静岡方面を見ると、結構近い位置に隣の橋が見えます。
その橋の下にも駅が見えていました。
隣の駅は桜橋駅と言うようで、入江岡駅との駅間距離は300mしかありません。
300mと言えば、地元の内房線にもやってくる総武線快速電車15両編成の長さと一緒なのです。
静岡鉄道自体11㎞に15の駅があり、駅間は短いのですが、ここの駅間は特に短いようです。
そちらの駅に向かってみると、そこに掛かっていた橋の名前が桜橋となっており、駅名もここから命名されたようです。

橋の上から駅を見ると、上下線のホームが分かれて配置されています。
右下が新清水行きのホームで、左上が新静岡行きのホームとなっています。

道路から一段低い位置に駅の改札がありました。

写真は、新静岡行きのホームから新清水行きのホームを見たところです。
新静岡行きのホームは新清水行きのホームより新しい感じを受け、また、新清水行きのホームはそのまま島式ホームになり得る構造から、元々は島式ホームだったのを、狭くて危険なために新静岡行きのホームを増設して分離したのではないかと思います。
真相は調べていないので分かりませんが。
2007年04月12日
鹿島鉄道最終日 その6
榎本駅にも立ち寄ることになり駅前広場の一角に車を停めます。
列車が来る時間ではないので、駅にある自動販売機でコーヒーを買っていると、列車がやってくるようでザワザワし始めました。
既に時刻表が役に立たない状態になっていました。

急遽カメラを出して、榎本駅の駅舎の窓からカメラを構えると、緑色のキハ431でした。

この列車も2両編成であり、同型車のキハ432とコンビを組んでいました。
やはりここにも多数のファンが集まっています。

榎本の駅舎内にはこんな広告が貼ってありました。
2月に来た時にも有ったのかな?
ちょっと食べてみたい気がしました。
列車が来る時間ではないので、駅にある自動販売機でコーヒーを買っていると、列車がやってくるようでザワザワし始めました。
既に時刻表が役に立たない状態になっていました。

急遽カメラを出して、榎本駅の駅舎の窓からカメラを構えると、緑色のキハ431でした。

この列車も2両編成であり、同型車のキハ432とコンビを組んでいました。
やはりここにも多数のファンが集まっています。

榎本の駅舎内にはこんな広告が貼ってありました。
2月に来た時にも有ったのかな?
ちょっと食べてみたい気がしました。
2007年04月11日
鹿島鉄道最終日 その5
借宿駅でキハ714+キハ602の石岡行きを見送った後、すぐに鉾田行きが来る時間になっていたので、駅の近くで咲いていた菜の花を入れて撮影するため列車を待つことにしました。
またまた列車が遅れているようで、定時を過ぎても全くやって来る気配がありません。
じたばたしてもしょうがないので、気長に待っていると、25分遅れで列車がやってきました。

この列車はKR-501+KR505の2連でした。
やはり車両が小さいためか、車内は大変混雑しています。

混雑が酷いため乗降に手間取っています。
なかなか車内に入れないようです。

列車の最後部のkR-505の運転台は完全に曇ってしまっていました。
サイドの窓もやはり曇っていたので、中の乗客はぎゅうぎゅう詰めの上景色を見ることも出来無かったのではないでしょうか?
乗車予定の最終列車が、こんな事にならないことを祈りながら見送りました。
またまた列車が遅れているようで、定時を過ぎても全くやって来る気配がありません。
じたばたしてもしょうがないので、気長に待っていると、25分遅れで列車がやってきました。

この列車はKR-501+KR505の2連でした。
やはり車両が小さいためか、車内は大変混雑しています。

混雑が酷いため乗降に手間取っています。
なかなか車内に入れないようです。

列車の最後部のkR-505の運転台は完全に曇ってしまっていました。
サイドの窓もやはり曇っていたので、中の乗客はぎゅうぎゅう詰めの上景色を見ることも出来無かったのではないでしょうか?
乗車予定の最終列車が、こんな事にならないことを祈りながら見送りました。
2007年04月10日
鹿島鉄道最終日 その4
小さな駅である借宿前駅にやってきました。
この付近の風景は関東ではあまり見掛けない風景が展開している場所でした。
また太い道路がないので、代替バスも借宿前駅は無視しています。
それだけ利用者が期待できない場所にあり、何回か鹿島鉄道を訪問していますが、平日の乗降客に会ったことがありませんでした。
そんな駅ですけど、さすがにこの日だけは違っていました。


この小さな駅の周辺にも20人近い人が撮影をしていました。

キハ714の先頭部を縦位置で撮影。
ただ単に広角レンズじゃ無いので、全体が入れられなかっただけですけどね。
この付近の風景は関東ではあまり見掛けない風景が展開している場所でした。
また太い道路がないので、代替バスも借宿前駅は無視しています。
それだけ利用者が期待できない場所にあり、何回か鹿島鉄道を訪問していますが、平日の乗降客に会ったことがありませんでした。
そんな駅ですけど、さすがにこの日だけは違っていました。


この小さな駅の周辺にも20人近い人が撮影をしていました。

キハ714の先頭部を縦位置で撮影。
ただ単に広角レンズじゃ無いので、全体が入れられなかっただけですけどね。
2007年04月09日
静岡へ行った時の話 その6
巴川橋梁からちょこちょこと撮影しながら、隣り駅の入江岡駅まで来ました。
この駅は静岡鉄道と東海道本線を跨ぐ道路橋の途中に駅舎があります。

道路橋から見るとこんな感じです。
新清水駅から列車に乗ってくると、この駅付近から東海道本線と併走するようになります。

入江岡駅で上下列車が交換している時に、横を走る東海道本線を313系が走り過ぎていきました。

入江岡駅の駅舎を正面から見ています。
小さな駅舎はがあるこの場所は橋の上、他にはあまりこういう構造の駅は無いのでは?
この駅は静岡鉄道と東海道本線を跨ぐ道路橋の途中に駅舎があります。

道路橋から見るとこんな感じです。
新清水駅から列車に乗ってくると、この駅付近から東海道本線と併走するようになります。

入江岡駅で上下列車が交換している時に、横を走る東海道本線を313系が走り過ぎていきました。

入江岡駅の駅舎を正面から見ています。
小さな駅舎はがあるこの場所は橋の上、他にはあまりこういう構造の駅は無いのでは?
2007年04月08日
鹿島鉄道最終日 その3
昼食後、仮設住宅氏のリクエストで、小川高校下~桃浦間での撮影を行うことになりました。

小川高校下~桃浦間に10キロポストがあります。
この辺りは鹿島鉄道と霞ヶ浦が一番近くになる地点となっており、多くの人達がこの付近での撮影をしていました。

先ほど撮影したキハ714+キハ602が石岡から折り返して戻ってきました。
この列車にも多くの人が乗っているのが分かりました。

菜の花を揺らして走り去っていきました。
この先を少し行くと、桃浦駅になります。

小川高校下~桃浦間に10キロポストがあります。
この辺りは鹿島鉄道と霞ヶ浦が一番近くになる地点となっており、多くの人達がこの付近での撮影をしていました。

先ほど撮影したキハ714+キハ602が石岡から折り返して戻ってきました。
この列車にも多くの人が乗っているのが分かりました。

菜の花を揺らして走り去っていきました。
この先を少し行くと、桃浦駅になります。
2007年04月07日
鹿島鉄道最終日 その2
3月31日は、9時過ぎまでの仕事を終えてから、行徳でやはり朝まで仕事だった仮設住宅氏を拾って鹿島鉄道へ向かいました。
東関東自動車道を利用して大栄インターでおり、国道を走って行きました。
特に場所を決めて向かっていた訳ではなく、何となく桃浦駅に向かって走っていました。
桃浦駅には、D氏が朝から撮影をしているようです。
昼前にそのD氏からメールが入りました。
『たい焼き食べたい うぐぅ』といきなりネタをかましてます。
(私はゲームやらないけど意味は分かる)
朝からの撮影でお腹の空いたD氏は、鉾田駅にたい焼きを食べに行くことにしたようです。
確かに鉾田駅のたい焼きは美味しいですからね。
しばらくすると再びメールが入りました。
列車が混んでいて乗車を諦めた模様。
この列車はKR500形の2連だったようで、使用していない運転席部分にまで人を入れているような状態になっていたようです。
かなり近くまで来ていたので、桃浦駅で合流して昼食を食べようと言うことになりました。
浜~玉造町間の有名撮影ポイントである、国道の陸橋では道路の左右に三脚の列がずらりと並んでいました。
その先、対向車線からボンネットバスが走ってきました。
それも昔の国鉄バスのカラーリングです。
こちらの写真も撮りたいと思う貴重な物ですが、とりあえず見送りです。
桃浦駅に到着してD氏と合流する前に列車がやって来るのでとりあえず撮影に臨みます。
天気は曇り、疲れているためテンションも上がってきていません。
列車は遅れが出ているようで、本来の時刻を過ぎています。

10分ほどの遅れでキハ714+キハ602の2連が到着しました。
普段は単行で十分なのに、お名残乗車が多いための措置で2連運用のようです。

地元の方と思われる親子連れが、記念撮影をしながら列車を見に来ていました。

車内には多くの乗客が乗っています。
D氏は山手線のようだと感想を述べていました。
確かにこれは大混雑です。
特にKR500形の2連は車両が小さいため、混雑が激しかったようです。
東関東自動車道を利用して大栄インターでおり、国道を走って行きました。
特に場所を決めて向かっていた訳ではなく、何となく桃浦駅に向かって走っていました。
桃浦駅には、D氏が朝から撮影をしているようです。
昼前にそのD氏からメールが入りました。
『たい焼き食べたい うぐぅ』といきなりネタをかましてます。
(私はゲームやらないけど意味は分かる)
朝からの撮影でお腹の空いたD氏は、鉾田駅にたい焼きを食べに行くことにしたようです。
確かに鉾田駅のたい焼きは美味しいですからね。
しばらくすると再びメールが入りました。
列車が混んでいて乗車を諦めた模様。
この列車はKR500形の2連だったようで、使用していない運転席部分にまで人を入れているような状態になっていたようです。
かなり近くまで来ていたので、桃浦駅で合流して昼食を食べようと言うことになりました。
浜~玉造町間の有名撮影ポイントである、国道の陸橋では道路の左右に三脚の列がずらりと並んでいました。
その先、対向車線からボンネットバスが走ってきました。
それも昔の国鉄バスのカラーリングです。
こちらの写真も撮りたいと思う貴重な物ですが、とりあえず見送りです。
桃浦駅に到着してD氏と合流する前に列車がやって来るのでとりあえず撮影に臨みます。
天気は曇り、疲れているためテンションも上がってきていません。
列車は遅れが出ているようで、本来の時刻を過ぎています。

10分ほどの遅れでキハ714+キハ602の2連が到着しました。
普段は単行で十分なのに、お名残乗車が多いための措置で2連運用のようです。

地元の方と思われる親子連れが、記念撮影をしながら列車を見に来ていました。

車内には多くの乗客が乗っています。
D氏は山手線のようだと感想を述べていました。
確かにこれは大混雑です。
特にKR500形の2連は車両が小さいため、混雑が激しかったようです。
2007年04月06日
静岡へ行った時の話 その5
東海道本線の橋へ行ってみました。
この橋梁は巴川橋梁と言うようです。
区間は清水~草薙間になります。

線路際には地元の先客が一人おり、やはり113系が最後なので撮影しているとのことでした。
一緒に撮影を始めたのですが、中々113系は来ず、313系や写真の211系が走り過ぎていきました。

数本撮影した後、やっと113系が静岡側から姿を現しました。
この橋梁を入れて撮影すると、正面には日が当たらないのですが、気にせずに撮影しておきます。

列車は清水駅に向かって走り去っていきました。
113系が撮れたので、他の場所に移動です。
この橋梁は巴川橋梁と言うようです。
区間は清水~草薙間になります。

線路際には地元の先客が一人おり、やはり113系が最後なので撮影しているとのことでした。
一緒に撮影を始めたのですが、中々113系は来ず、313系や写真の211系が走り過ぎていきました。

数本撮影した後、やっと113系が静岡側から姿を現しました。
この橋梁を入れて撮影すると、正面には日が当たらないのですが、気にせずに撮影しておきます。

列車は清水駅に向かって走り去っていきました。
113系が撮れたので、他の場所に移動です。
2007年04月05日
静岡へ行った時の話 その4
新清水駅と隣の入江岡駅との間には橋が架かっていました。
場所は新清水駅から至近です。

橋梁を行く静岡鉄道の電車。
この鉄道は全てが2両編成の電車です。

静岡鉄道の橋梁の山側には、東海道本線の橋梁が掛かっています。
少し間はありますが、かなり近くです。

新清水駅を出発して橋を渡っていく電車です。
橋梁の新清水駅側から撮影しています。
この橋梁部分の線路も新清水駅の構内と思われ、橋梁を渡り終えたところにシーサスクロッシングがあります。
その関係で、この橋梁の部分は左側通行では無いので、二本の線お互いに上下列車が走ります。
そのため、写真の電車は右側を通行しています。
場所は新清水駅から至近です。

橋梁を行く静岡鉄道の電車。
この鉄道は全てが2両編成の電車です。

静岡鉄道の橋梁の山側には、東海道本線の橋梁が掛かっています。
少し間はありますが、かなり近くです。

新清水駅を出発して橋を渡っていく電車です。
橋梁の新清水駅側から撮影しています。
この橋梁部分の線路も新清水駅の構内と思われ、橋梁を渡り終えたところにシーサスクロッシングがあります。
その関係で、この橋梁の部分は左側通行では無いので、二本の線お互いに上下列車が走ります。
そのため、写真の電車は右側を通行しています。
2007年04月04日
静岡へ行った時の話 その3
沿線のロケハンを兼ねて、新静岡駅から終点の新清水駅まで行ってみました。

新清水駅の構内はこんな感じです。
新静岡駅と比べると20年ぐらい昔に感じます。

新清水駅の発車坂内案内はこんな装置となっていました。
こういう機械も最近見掛けなくなりました。

新清水駅の正面はこんな感じです。
この反対側にも出入り口がありますが、かなり規模が小さいです。

駅の直前に踏切があり、駅の構内がよく見えます。
その踏切の道路に面して反対側の改札口があるのです。
こちらはかなり小さく裏口みたいな感じです。

新清水駅の構内はこんな感じです。
新静岡駅と比べると20年ぐらい昔に感じます。

新清水駅の発車坂内案内はこんな装置となっていました。
こういう機械も最近見掛けなくなりました。

新清水駅の正面はこんな感じです。
この反対側にも出入り口がありますが、かなり規模が小さいです。

駅の直前に踏切があり、駅の構内がよく見えます。
その踏切の道路に面して反対側の改札口があるのです。
こちらはかなり小さく裏口みたいな感じです。
2007年04月03日
真岡鉄道SL重連
鹿島鉄道の最終日は石岡に泊まり、翌日の4月1日は真岡鉄道へ行きました。
この日真岡鉄道では、SLが重連で運転されることになっており、桜と絡めて撮影しようと言うことで向かったのでした。
桜の咲き具合の情報をD氏がやりとりした結果、下り列車の撮影地は北真岡ー西田井間の通称桜のトンネルでの撮影となりました。
当然と言えば当然なのですが、撮影している人数はかなり多く、ベストなポジションはギリギリの時間帯に行ったので、とても無理でした。

変なポジションから撮影したのは良いのですが、SLが重連だと分かりづらい構図となってしまいました。
上りのSLも結局同じ場所での撮影となりました。

本当はサイドがクリアに撮れる場所で撮影するつもりだったのですが、ノンビリご飯を食べていたら移動時間が足りなくなってしまったのでした。
とりあえず撮影できたので良しとします。
この日真岡鉄道では、SLが重連で運転されることになっており、桜と絡めて撮影しようと言うことで向かったのでした。
桜の咲き具合の情報をD氏がやりとりした結果、下り列車の撮影地は北真岡ー西田井間の通称桜のトンネルでの撮影となりました。
当然と言えば当然なのですが、撮影している人数はかなり多く、ベストなポジションはギリギリの時間帯に行ったので、とても無理でした。

変なポジションから撮影したのは良いのですが、SLが重連だと分かりづらい構図となってしまいました。
上りのSLも結局同じ場所での撮影となりました。

本当はサイドがクリアに撮れる場所で撮影するつもりだったのですが、ノンビリご飯を食べていたら移動時間が足りなくなってしまったのでした。
とりあえず撮影できたので良しとします。
2007年04月02日
静岡へ行った時の話 その2
静岡駅から山側に進んで行くと静岡鉄道の新静岡駅がありますが、駅に併設して大きなバスターミナルがあり、そちら側がメインになっています。
そのバスターミナルの浦みたいな場所に鉄道乗り場がありました。

写真は新静岡駅の鷹匠口です。
この入口の左に線路が見えているのですが、入口を入ると右に階段で下り、一旦地下に行き、改札口を通って再び上に上がる構造です。

駅のすぐ先に踏切があり、駅構内を見ることが出来ます。
乗り場は3線分ありました。

改札を通り、ホームに上がるとこんな感じです。
都会の駅とあまり変わらない感じがします。
そのバスターミナルの浦みたいな場所に鉄道乗り場がありました。

写真は新静岡駅の鷹匠口です。
この入口の左に線路が見えているのですが、入口を入ると右に階段で下り、一旦地下に行き、改札口を通って再び上に上がる構造です。

駅のすぐ先に踏切があり、駅構内を見ることが出来ます。
乗り場は3線分ありました。

改札を通り、ホームに上がるとこんな感じです。
都会の駅とあまり変わらない感じがします。
2007年04月01日
鹿島鉄道最終日 その1
昨日付けで、くりはら田園鉄道と鹿島鉄道が全線廃止となりました。
このうち鹿島鉄道の最終日の様子を見に行ってきたので報告です。
この日の鹿島鉄道は、最後に乗っておこうと考えるファンや地元の人で賑わっており、普段単行で走っている列車を2連として運転していましたが、東京の朝のラッシュ時のような混雑となっていました。
途中駅からの乗車が出来ない列車もあるような状態であり、線路ギリギリで撮影する人などもいて、各列車に遅れが生じていました。
いつもの仮設住宅氏とお仲間とに合流して、5人で最終列車に乗車する計画でした。
一番最後に運転される列車は、玉里発22時37分発の石岡行きが最後でしたが、私達は全線通して運転される最終列車である、石岡発21時32分発の鉾田行きを選択しました。
列車に乗っているM氏と合流するため、20時前に石岡駅に入り、何本かの列車の到着・出発を見ていました。
列車の遅れは時間が経つにつれ拡大していきました。
そんな中で、TV局の取材なども行われています。
ホームの先端の小屋ではグッズの販売も行われていました。

折り返して鉾田行きの最終になる列車が、22時03分に到着しました。
定時の到着は21時30分なので、33分遅れです。
列車の編成はキハ432とキハ431でした。
なんとか乗車に成功、席にもありつけました。

乗車したのは鉾田側先頭のキハ431です。
石岡駅では、ホームで花束贈呈などのセレモニーが行われているのですが、ホーム反対側のシートからは目の前の人しか見えない状態なので、何が行われているのかは分かりません。
そのうち、車内に見送り用の紙テープが数本渡され足りしているうちに出発です。
写真に写っている青い紙テープが最初に渡された紙テープです。
発車は22時15分頃、定時より約45分遅れでの発車です。
各駅で乗客と駅での見送りの人とであいさつや別れの言葉が交わされながら鉾田へ向けて進んでいきました。
小川高校下~桃浦間ではほとんどの人は気が付かなかったようですが、ハプニングが起きていました。
1両目と2両目の連結面に取り付けられていたヘッドマークが脱落して転落していったのです。
仮設住宅さんが目撃していたようです。
後で、拾いに行こうかとの話にもなりましたが、暗闇での捜索は面倒なのでやめました。

23時18分、定時に遅れること53分で鉾田駅に到着です。
駅には大勢の人が待っていました。

終点に到着したキハ431です。
これで鹿島鉄道とはお別れとなります。長い間、ご苦労様でした。
また後日、他の部分の報告をする予定です。
このうち鹿島鉄道の最終日の様子を見に行ってきたので報告です。
この日の鹿島鉄道は、最後に乗っておこうと考えるファンや地元の人で賑わっており、普段単行で走っている列車を2連として運転していましたが、東京の朝のラッシュ時のような混雑となっていました。
途中駅からの乗車が出来ない列車もあるような状態であり、線路ギリギリで撮影する人などもいて、各列車に遅れが生じていました。
いつもの仮設住宅氏とお仲間とに合流して、5人で最終列車に乗車する計画でした。
一番最後に運転される列車は、玉里発22時37分発の石岡行きが最後でしたが、私達は全線通して運転される最終列車である、石岡発21時32分発の鉾田行きを選択しました。
列車に乗っているM氏と合流するため、20時前に石岡駅に入り、何本かの列車の到着・出発を見ていました。
列車の遅れは時間が経つにつれ拡大していきました。
そんな中で、TV局の取材なども行われています。
ホームの先端の小屋ではグッズの販売も行われていました。

折り返して鉾田行きの最終になる列車が、22時03分に到着しました。
定時の到着は21時30分なので、33分遅れです。
列車の編成はキハ432とキハ431でした。
なんとか乗車に成功、席にもありつけました。

乗車したのは鉾田側先頭のキハ431です。
石岡駅では、ホームで花束贈呈などのセレモニーが行われているのですが、ホーム反対側のシートからは目の前の人しか見えない状態なので、何が行われているのかは分かりません。
そのうち、車内に見送り用の紙テープが数本渡され足りしているうちに出発です。
写真に写っている青い紙テープが最初に渡された紙テープです。
発車は22時15分頃、定時より約45分遅れでの発車です。
各駅で乗客と駅での見送りの人とであいさつや別れの言葉が交わされながら鉾田へ向けて進んでいきました。
小川高校下~桃浦間ではほとんどの人は気が付かなかったようですが、ハプニングが起きていました。
1両目と2両目の連結面に取り付けられていたヘッドマークが脱落して転落していったのです。
仮設住宅さんが目撃していたようです。
後で、拾いに行こうかとの話にもなりましたが、暗闇での捜索は面倒なのでやめました。

23時18分、定時に遅れること53分で鉾田駅に到着です。
駅には大勢の人が待っていました。

終点に到着したキハ431です。
これで鹿島鉄道とはお別れとなります。長い間、ご苦労様でした。
また後日、他の部分の報告をする予定です。
