姉崎機関区 旧・姉崎機関区移転しました。http://kd55-101.shumilog.com/です。

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今日の千葉機関区 その1

 2007年1月31日(水)、本日は朝までの仕事だったので帰りに千葉機関区の近くに寄り道です。
 千葉機関区脇での京葉臨海鉄道の撮影時に千葉機関区にもカメラを向けています。
 この時はEF65が5両停まっていました。

千葉機関区のEF65
 撮影地点側から見える3両は特急色を纏う機関車です。
 ちなみに手前からEF65 535・EF65 1116・EF65 1079の3両でした。

 新・姉崎機関区のJR貨物のページはこの文字をクリックで飛びます。

JR貨物 | 投稿者 kd55-101 20:00 | コメント(0)| トラックバック(0)

今日の京葉臨海鉄道

 1月31日は、朝までの仕事だったので帰りに千葉機関区の近くに寄り道です。
 以前は千葉機関区の近くから蘇我駅を出る列車を簡単に撮影できたのですが、今は背の高いフェンスが立ってしまいましたので、何らかの対策が必要となりました。。
 フェンス自体は脚立でクリア出来ましたが、フェンスの内側の雑草が伸びてしまっていてかなり邪魔になります。
 本当は明日のSLをここで撮ろうと思っていたのですが、ちょっと厳しいようです。(用事があるので撮れませんけど)

KD60 1とE331系
 京葉臨海鉄道の貨物列車の出発を待っていると、外房線側から列車が入ってきました。
 良く見るとE331系です。
 貨物列車も出発したので一緒に撮影することが出来ました。
 でもタイミング的には貨物列車がもう少し速く発車していれば、電柱がクリアできたのですが、まあしょうがないでしょう。

蘇我を発車したKD60 1牽引貨物
 牽引機はKD60 1号機、やっぱり伸びた雑草が邪魔です。
 次回は高枝切り鋏でも持ってこようかなとか思ってしまいました。

 姉崎機関区支区の京葉臨海鉄道のページ
京葉臨海鉄道 | 投稿者 kd55-101 19:51 | コメント(0)| トラックバック(0)

和倉温泉に行った時の小ネタ その11

 富山駅北口前からは富山港線から転換された富山ライトレールが発着しています。
 富山駅前にある停留所には北口ロータリー正面に向かって真っ直ぐ入ってきます。
 富山地方鉄道の軌道線と違って道路の端を通ってやってきます。
富山ライトレール①
 写真は富山北電停に到着する電車です。
 道路に沿って真っ直ぐ来た線路は、ロータリーの横に少し斜めになっている停留所に入ってきます。

 停留所は2線あるのですが、普段は1本しか使用していないようです。
 降車ホームと乗車ホームが両側に分かれて配置されています。
富山ライトレール②
 写真の右側が乗車ホームで左側が降車ホームです。

 ここで使用されている車両は低床車です。
 高岡から出ている万葉線の赤い低床車と同タイプの車両を使用しています。
富山ライトレール③

富山駅北口の風景
 富山北停留所を富山駅北口側から見た風景です。
 まだまだこちら側は発展する余地が残されています。

 この富山ライトレールもこれで完成と言うことではありません。
 富山駅の橋上駅かが終了した後は、富山駅の下をくぐり抜けて、富山市内軌道線と接続する計画となっているのです。
富山ライトレール | 投稿者 kd55-101 10:10 | コメント(0)| トラックバック(0)

和倉温泉に行った時の小ネタ その10

 今日29日も内房線のSL試運転が千葉→木更津間でありました。
 でも今回も仕事なので撮りに行けません。
 そんな訳で和倉温泉旅行の続きです。

 富山駅にはJRの2路線の他にも鉄道が集まっています。
 そのうちの一つがJR富山駅に隣接している、富山地方鉄道の電鉄富山駅から出ている富山地方鉄道の本線です。
電鉄富山駅
 この駅は三線のホームを持つ頭端式の駅となっています。
 色々な車両が出入りするので、見ていて飽きないのです。
 電鉄富山駅も連続立体化工事が行われるとまた違った形になってしまうと思われます。

 さらに、富山駅前ロータリーにも路面電車が発着します。
 こちらもまた富山地方鉄道であり、富山市内軌道線です。
 停留所の名前は富山駅前となっています。
富山市内軌道線 富山駅前電停
 市内軌道線は道路の中央をゴロゴロと走っています。

 今まで紹介した側はJR富山駅の南口になります。
 JRの富山駅には北口もあります。
富山駅北口
 こちらは南口と比べるとかなり規模が小さい物となっています。
富山地方鉄道 | 投稿者 kd55-101 21:39 | コメント(0)| トラックバック(0)

和倉温泉に行った時の小ネタ その9

 特急北越に乗って富山駅の5番線に着きました。
 沿線風景をずっと眺めていましたが、雪が見あたりません。今年は異常なくらい降らないようです。
 ホームの反対の6番線には金沢方面に向かう475系の普通列車が止まっていました、
 よく見ると金沢方にはデビュー当時の急行色に塗り直した車両が連結されているのが見えます。
 糸魚川方にいたので反対まで歩いて撮影しようとしたら、列車は発車してしまいました。
 サイドは撮れたのですが、とても絵になりません。

 列車がどいた後の6番線の向こうには鉄骨の枠組みを建設中でした。
 この鉄骨は、現在富山駅近辺で行われている連続立体化工事に伴い、在来線の富山駅を高架駅に移転するための物です。
富山駅高架化工事
 この工事が行われていた位置には富山ライトレールになって、一部が廃止となった富山港線のホームがありました。

富山港線ホームへの階段
 富山港線のホームへ上がる階段だけは何故か残っています。

 工事が進んで現在建設中の部分が完成すると、在来線の駅がその部分に移動します。
 在来線のホーム跡は北陸新幹線のホームとして作り直されるのでした。
富山駅改札口
 富山駅は改札口からそのまま1番線に停車している列車に乗ることが出来ます。
 この写真では高山本線の列車が停車しています。
 高山本線の列車は専用のホームが別にあるのですが、昼間帯は改札前の1番線からの発車にしているようです。

 古い駅がなくなるのは残念ですが、使いやすい駅を作ってもらいたいと思います。
北陸本線 | 投稿者 kd55-101 19:43 | コメント(0)| トラックバック(0)

さようなら東西線5000系

 本日は朝までの仕事だったため、そのまま東京メトロ東西線の深川検車区までさようなら東西線5000系車両撮影会&工場見学会まで行ってきました。
 予想はしていたのですが、天候にも恵まれたため多くの人達が見学に来ていました。
 検車区の敷地に入る前に400m近く並んでいましたので入場には時間を要しました。
深川検車区に並ぶ東西線車両
 写真は、列に並ぶ前に敷地外の道路から並んでいる編成を撮影したものです。
 左から5000系アルミ車、5000系ステンレス車、05系、新05系、07系です。

 検車区構内に入り一通り見物した後、展示車の撮影会場に向かいます。

5000系アルミ車とステンレス車
 人が多いため自由に撮影と言うことにはなりませんが、なんとか撮影することは出来ました。
 写真は5000のアルミ車とステンレス車の並びです。

5000系アルミ車
 写真は5000系アルミ車のサイドです。
 この写真は帰りに再び敷地外から撮っています。
 
 5000系はセミステンレスの車両として制作されましたが、アルミ車体の試作として21両(当時の編成は7両で3編成製造)だけがアルミ車として製造されています。
 この試作の成果がその後に製造されたアルミ車の各形式に活かされたのでした。

 しかし、ちょっと前まで東西線は5000系が当たり前だと思っていたのに東葉高速に行った1000系も含めて全廃になってしまうとは…。
 お金に余裕の無かった若い頃は、営団を使った方が安く上がるためこの5000系にはお世話になっただけに、寂しい気がします。
東京メトロ | 投稿者 kd55-101 22:47 | コメント(0)| トラックバック(0)

和倉温泉に行った時の小ネタ その8

 能登中島駅の後の行程は、七尾の食祭市場に寄って土産を買って、再び和倉温泉の宿に戻ります。
 実はこの日は和倉温泉の冬の花火大会とになっていました。本当は前日だったのですが、強風のため順延となっていたのです。
 ベストポイントというわけではないですが、宿からも花火を見ることが出来ました。
 でも、雪がちらほら舞う中ではやはり寒いので、最初と最後だけ見て寝転がっていました。

 日が変わって1月9日になり千葉に戻ることにします。
 時刻表を見て帰りの行程を考えた結果、米原経由できたので、帰りは北越急行経由としました。その途中、富山に寄って昼食タイムです。
 時刻表を検討した結果、帰りの列車一番手は和倉温泉発のサンダーバード20号と決定しました。
 和倉温泉から津幡駅まで乗車することになります。

 和倉温泉駅で乗車券と富山までの特急券を購入。
 駅に早く来てしまったので、時間が余っています。
 サンダーバードの出発前にのと鉄道の列車が和倉温泉駅で交換するので、それを撮影したりしながら時間を潰していました。
和倉温泉駅でのNT200形の交換
 のと鉄道NT200形の交換風景。

 そのうちサンダーバードが入線してきました。
 普段の3両ではなく6両編成での入線です。
和倉温泉駅のサンダーバード20号
 このサンダーバード20号は、七尾線の起点駅である津幡駅に停車する数少ない特急です。七尾線からの他の特急は停車しないので、富山方面に向かう時は津幡~金沢間を余計に乗ることになります。

 1時間弱の乗車で津幡駅に到着。サンダーバード20号はすぐには発車せず、富山方面からの特急を通過後に出発していきます。
 ここからはやはり数少ない津幡駅に停車する特急である北越3号に乗ることになっています。
 10分程度の待ち合わせ時間でしたが、北越の前にも特急は通過していき、北陸本線の特急街道ぶりを実感します。

津幡駅に到着する北越
 北越3号が到着しました。
 この特急は485系を使用しています。さすがに681系・683系を載った後なのでアコモ改造しているとはいえ古さを感じました。
 この列車で富山まで行きます。
のと鉄道 | 投稿者 kd55-101 11:01 | コメント(0)| トラックバック(0)

和倉温泉に行った時の小ネタ その7

 能登中島駅には他にも保存されている車両がありました。
 それは2002年まで走っていた、急行「のと恋路号」に使用されていたNT800形です。
 こちらは前面パノラマウインドウの2両編成として、のと鉄道開業時に準備された車両でした。
 基本的な駆動系関係はNT100形と一緒です。 
能登中島駅NT800形
 能登中島駅に保存されている、NT800形。

 保存車両が置かれている能登中島駅も昔からの駅舎を使用していました。
能登中島駅駅舎
 写真は能登中島駅の駅舎です。

能登中島駅の軌道モーターカー(ロータリー装置付)
 保存車の他にも能登中島駅にはモーターカー(ロータリー装置付)が留置されていました。
 写真の側はロータリー装置が付いていない側の写真で、ラッセル装置付です。
 この時点では今シーズンの活躍はなかったのではないかと思われました。
 なぜなら雪が全然積もっていなかったからです。
 今年は異常なほどに雪が降っていません。
のと鉄道 | 投稿者 kd55-101 23:55 | コメント(0)| トラックバック(0)

内房線のD51試運転

 2月になると、ちばデスティネーションキャンペーン開催記念として、内房線にD51型蒸気機関車が運転されることになっています。
 2月1日が千葉→木更津 2月3日・4日・10日・11日・12日が木更津→館山間の運転です。
 いきなりぶっつけ本番で運転することはなく、本日24日は千葉→木更津間で試運転が行われました。

 私自身は仕事だったので、親父とお袋にSL走るよと教えておいたら、甥を連れて写真を撮ってきたのでした。

姉崎駅に到着するSL試運転列車
 今日はその写真を載せておきます。
 ちなみに姉ヶ崎駅に到着するところです。

姉ヶ崎駅でSLと記念撮影
 停車時間を利用して記念撮影もしてきたようです。
 ここには5人ほどが写真を撮りに来ていたみたいですね。
内房線 | 投稿者 kd55-101 22:39 | コメント(0)| トラックバック(0)

和倉温泉に行った時の小ネタ その6

 穴水駅を後にした私達は和倉温泉に再び戻るつもりで車を走らせました。
 のと鉄道沿いの国道を走っていると、青い車両が目に留まりました。
 見た瞬間、郵便車が保存されている場所があったことを思い出し、急遽寄り道です。

 青い列車があったのはのと鉄道の能登中島駅です。
能登中島駅のオユ10 2565
 ここに保存されている車両は、数少ない鉄道郵便車です。
 駅に案内板がありましたので全文を紹介しておきます。

 鉄道郵便車「オユ10 2565」
 オユ10形式は、旧郵政省が所有していた全室郵便車で一般客車の軽量構造化に伴って製造された我が国最初の軽量郵便車で、主に幹線区に使用されました。
 車内は郵袋室と区分作業室を持つ特殊な構造で、郵便物を納める郵袋を600個積むことが出来ます。
 また、郵便物を運ぶだけでなく走行中には区分をし、駅では郵袋の積み降ろしを行いました。
 ここで保存されている車両は昭和44年に製造され、東京~北海道間で郵便輸送に活躍しましたが、昭和61年鉄道郵便の全面廃止に伴い廃車となりました。
 廃車後は、能登線甲駅(穴水町)で保存されましたが、老朽化が激しく、処分間際の平成10年にボランティア団体「ふるさと鉄道保存協会」がのと鉄道様より譲渡を受け、保存活動を開始し、平成16年11月16日未明に能登中島駅に移転してきました。
 ここに鉄道郵便車を保存活用することにより、長年の郵便輸送に対する功績をたたえ、また鉄道郵便局職員の労苦に報いるものであります。
 ~鉄郵魂は、永遠に不滅なり~

 道路が整備されていない時代から、郵便と鉄道は密接な関係にありました。道路が整備されトラックの方が効率よくなったのと、国鉄改革により郵便の鉄道輸送を利用した運送は全廃となったのでした。
 一部は違いますが、郵便番号の三桁目が9の郵便局は鉄道郵便車の車内で区分されて最寄り駅で授受していたのでした。

オユ10窓部郵便表示
 郵便の表示も荷物の表示とともにすっかり過去の物となってしまいました。

能登中島駅駅名標
 郵便車の保存されている能登中島駅の駅名標です。
のと鉄道 | 投稿者 kd55-101 22:10 | コメント(0)| トラックバック(0)

和倉温泉に行った時の小ネタ その5

 穴水駅前までやってきました。
 この駅はのと鉄道が出来たときに『のと穴水駅』に改称されましたが、現在は元の『穴水駅』に戻っています。
のと鉄道穴水駅駅舎
 駅の近くにのと鉄道の本社もありました。

穴水駅に残るNT100形
 構内を覗くと奥の方に以前の主力だったNT100形が見えます。
 NT100形はお座敷車両に改造されたNT127「やすらぎ」を除いて全車廃車となっており、14両がミャンマー国鉄に寄贈されています。
 ここに残っているNT100形は「やすらぎ」の部品取り用に残された物だそうです。

穴水駅で出発待ちのNT211
 駅舎前のホームには、現在の主力であるNT200形のNT211が停車していました。
 こちらのNT200形は能登線が廃止になった時に4両が配置されて主力となりました。
 写真のNT211はその後に3両贈備された2次車の1両です。
のと鉄道 | 投稿者 kd55-101 20:29 | コメント(0)| トラックバック(0)

和倉温泉に行った時の小ネタ その4

 輪島駅近くの寿司屋で昼食を食べた後、再びドライブを再開します。
 能登半島は東京都とほぼ近い面積があるため、隅から隅へ回っている時間はないのでここからは穴水に向かいました。
 輪島から穴水へのルートは、廃止となったのと鉄道七尾線のルート沿いとなっています。

 市街地を抜けると国道に廃線跡が併走するようになります。
 2001年の廃止なので、まだはっきりと路盤が確認できます。
 もっとも七尾線自体は、現存している部分を含めてすべてがJR西日本の施設となっており、のと鉄道は線路を借りて運営していたので、ここはJRの廃線区間でもあります。

 そのまま穴水駅へ行ってもつまらないので、こちらも廃線となってしまったのと鉄道の能登線を見にルート変更です。
 ちなみに助手席の先輩はどこに向かっているのかは言わずに勝手にルート変更しています。

 能登線に着いてみると、こちらはまだ線路が残っているところもあります。2005年に廃止となってからすべての撤去はまだ完了していないようです。
 能登線は国鉄能登線から転換した、のと鉄道の自前の線路でした。
 そのまま能登線跡に沿ってドライブを続け、穴水駅に到着しました。

 穴水駅ではまずは線路の終端部へ行ってみます。
穴水駅線路終端
 線路の終端は、駅構内から500m以上続いています。
 ここまで先まで残す必要があったのかと思うほど長いです。

線路終端からの穴水駅
 線路終端から駅を見る。結構遠くに見える。

 線路終端には車止めが設けられており、その先は川となっています。
廃線区間の橋梁
 川には、能登線の橋梁は残っていますが、七尾選側は撤去されていました。
 能登線と七尾線は穴水駅で線路は別になりますが、700mほど平行してから分かれており、この橋を越えた後から。分かれていたのです。
 この先も歩きたいところですが、また次回来た時に取って置くことにします。
のと鉄道 | 投稿者 kd55-101 21:33 | コメント(0)| トラックバック(0)

和倉温泉に行った時の小ネタ その3

 2日目はレンタカーを借りてドライブをすることになりました。
 とりあえず昨日通った羽咋に行ってみることになり、車を走らせます。
 羽咋はUFO神話の町として売り出しており、何かあるかと思っての行動です。

 お約束で羽咋駅へ寄ってみます。
 北陸鉄道能登線は駅舎の反対側から出ていたはずですが、今回はじっくり観察せずにすぐ移動しました。
 駅前の照明灯の形もUFOを模したものがあり、町を挙げて売り出し中です。

 駅の近くに、コスモアイル羽咋という施設があります。
 UFOの町なのでそう言うモノをメインに展示している施設かと思いきや、立派な宇宙科学博物館となっており、本物の宇宙船など貴重な物も展示されていました。
 UFO関係はおまけ程度の展示となっています。

 北陸鉄道能登線がどこまで延びていたのか忘れていたので、寄り道することもなく、海岸線を辿って輪島方面に向かうことにしました。
 途中、巌門という場所に立ち寄って冬の海を眺めたりしています。

 家に戻った後で北陸鉄道能登線について調べると、廃線跡はサイクリングロードに転用されており、鉄道の終点からサイクリングロードは更に延長され巌門まで延びているとのことでした。
 そうなのです、巌門までのドライブルートは北陸鉄道能登線の廃線跡と平行していたのです。ちょっと事前の勉強が足らなかったようです。

 さて輪島の市内に着きました。輪島は朝市で有名ですが、到着したのが昼前なので、後片付けをしている最中でした。
 市内を少し散策しながら、昼食を食べる場所と輪島駅の跡を探します。
 輪島には20年ほど前に来たことがあり、国鉄の末期かJRになった頃の輪島駅に寄った気がします。
 その時は朝市の場所から近かった気がしていたのですが、実際の場所はちょっと離れていました。記憶なんていい加減な物です。

 輪島駅の跡は道の駅として整備され、立派な建物が建っていました。
 その建物と隣の建物の間に、輪島駅のホームの一部が残されていました。

旧のと鉄道輪島駅ホーム
 駅名標も残されており現役時代からあった、隣り駅のシベリア表示も健在です。
 この場所は記念撮影のスポットとなっているようで、記念撮影用に三脚まで準備されています。
 線路の先は壁になっており、壁にはのと鉄道の写真が貼られています。
 角度によっては駅に列車が来るようにも見えるようになっているのです。
 
旧のと鉄道輪島駅ホーム壁の裏側
 その壁の裏側に回ってみると、そこには踏切警報機やら連結器や腕木信号機が放置されていました。
 何か目的があってここに運ばれたのか分かりませんが、この状態ではもったいないです。
 いらないならもらって帰ろうかと思ったけど、電車には載せられませんので諦めました。

旧輪島駅に放置の腕木信号機
 放置された機器が今後何かに利用されることを期待です。

 この後は近くの寿司屋に行き、昼食を食べました。
のと鉄道 | 投稿者 kd55-101 10:15 | コメント(0)| トラックバック(0)

和倉温泉に行った時の小ネタ その2

 金沢駅で途中下車して駅ビルの1階でそばを食べました。
 本当はちゃんとしたご飯を食べるつもりだったのですが、ここで食べてしまうと宿の夕食が食べられなくなるので軽めになってしまいました。おいしいものを食べるつもりだったのに残念です。

 金沢駅の七尾線のホームは4番線。4番線は北陸本線の下りホームの富山方に切り欠いた形でありました。
 出発時間までかなりあるのに、すでに415系の3連の七尾行きが待っています。
七尾線の415系
 普通電車で和倉温泉まで行くと、七尾で乗り換えとなる上2時間以上架かります。特急サンダーバードで行くと乗り換え無しの1時間ほどです。
 結局、ここはゆっくり普通電車に揺られていくことを選択しました。

 車内に入って思ったことは、近郊形電車がアコモ改造でシートが替えられていることはあまり珍しくはないのですが、クロスシートの間隔を広げて、ドア横のロングシート部分を撤去してしまっていることは珍しく思いました。
七尾線415系のクロスシート
 これではどう考えても着席出来る人数が減ってしまうのに何故なのでしょう。
 それだけ人が乗らないと言うことなのでしょうか?

 しばらくすると乗客が増えてきて、座れない人が出始めました。
 大きな荷物を持った旅行者が多いようです。
 原因は、ダイヤが乱れたため、サンダーバードの七尾線直通を取りやめてしまったからなのでした。
 最低でもアコモ改造前より24席は座席数が少ないので余計に座れない客は多くなってます。
 私達は座れてラッキーだったと思っているうちに列車は定刻に発車しました。

 七尾線は遅れの影響がないのかなと思っていましたが、やはり途中駅で影響が出始めます。
 ダイヤの乱れた特急が和倉温泉から折り返してきているため、単線の七尾線では途中交換のため遅れが生じてしまうのでした。
 交換駅の度に列車交換をしていたら、10分近い遅れが生じてしまいした。
 また、ここでもズルズル遅れるのかと思いきや、415系はノッチ入れっぱなしで激走を始めました。
 この選のレールはロングレールではないので、継ぎ目の音がかなり速いペースで響いており、いかにもスピードが出ている感じが強調されます。

 たまたま羽咋駅を出発後、羽咋駅から出ていた北陸鉄道能登線の廃線跡が確認できたのでちょっとうれしかったりもします。
 最後に少し問題があります。七尾駅から目的地の和倉温泉までの1駅間をどうするかです。
 七尾駅に着いてから、のと鉄道の車両に乗り換えていくのですが、待ち時間があるのと、特急の分の乗客が多く乗っていることです。
 七尾駅からタクシーを利用する手も考えたのですが、みんな同じ事を考えている気がします。
 七尾駅の直前で和倉温泉まで臨時延長をすることを車内放送で流したのですが、がやがやしていてみんな聞こえていないようでした。
 頑張って走った列車はほぼ定時で七尾駅に到着して、観光客風の方々はほとんど列車から降りてしまいました。
 最後はガラガラになった列車で和倉温泉に到着。2時間ほど予定より遅れましたが、色々とハプニングが続いて面白い旅となったので良しとしましょう。
JR西日本 | 投稿者 kd55-101 22:38 | コメント(0)| トラックバック(0)

和倉温泉に行った時の小ネタ その1

 突然温泉に行きたい病が発症したので、今月の7日に金沢の和倉温泉まで出掛けたのです。
 今回は雪国に行くと言うこともあって電車での旅行を選択しました。
 本日からのブログは、その旅行中の鉄道関係の小ネタです。
 今回の旅行も8月に姫川温泉に行った時に犠牲としてしまった先輩と一緒です。

 行きはひかり号、しらさぎ号の乗り継ぎで金沢で時間を取って少し遅めの昼食を食べる予定でした。
 雪の影響でひかり号に遅れが発生、米原駅では乗り継ぎ時間が9分しかないので車掌も階段の近い車両を教えに来ていました。
 遅れていますのお詫びを流しながら、5分遅れで米原駅に到着すると、乗り換え客が一斉に中間改札に流れ込みます。
 駅員の方も中間改札も自動改札をスルーさせて乗り換えホームへ急がせます。
 急ぎ足でみんながホームに着くと列車はいません。結局、しらさぎ号も遅れていたのでした。
 米原まではJR東海で同じ会社なのに、何で情報が届かないのだろうかと疑問が湧きました。

遅れて到着のしらさぎ号 
 写真は遅れて米原駅に入線してきたしらさぎ号。この後付属編成を増結しました。

 10分遅れで列車は出発、ここからは北陸本線の旅です。
 久しぶりの北陸本線だったので、右や左をきょろきょろと疋田のループや湖西線の合流を眺めていました。

 敦賀駅に停車した時に隣のホームには、583系改造近郊形電車の419系の福井行きが止まっていました。
 JR西日本もいよいよ新型交直流電車を投入し始めたので、そろそろこの車両もちゃんと撮っておかないといけません。

 敦賀駅を出ると、新しい交直セクションを通過して北陸トンネルに入ります。と言っても683系なので照明が消えるわけでもなくいつ通過したのかは分かりませんでした。
 このトンネル掘削中に温泉が出ており、そこの宿に泊まったなとかふと思い出しました。敦賀トンネル温泉とか言う名前だったような軌がします。

 10分の遅れは回復するわけでも延びるわけでもなく、淡々としらさぎ号は走り続けます。
 武生駅にも10分遅れで停車。車両の置き換わった福井鉄道にも乗りたいなと思いながら列車の発車を待ちますが、一向に発車しません。
 しばらく経って車内放送が入り、福井の手前で強風のため運転見合わせとで、回復の見込みは分からないとのこと。
 しょうがないので車内販売で買ったあなご寿司を食べてました。割合おいしかったと思います。
あなご寿司
 昼食の繋ぎとなったあなご寿司。

 そうこうしているうちに、敦賀駅で見掛けた419系の普通電車が隣のホームに入線してきました。
 再び車内放送、「隣のホームの普通電車の方が先に福井駅に着きます。福井まで急ぎのお客様はお乗り換えください。」と流れて来ました。
 特急が普通に抜かれるなんて貴重な体験だと思いますけど、金返せとも思いましたね。
 1時間遅れを拡大してしらさぎ号も出発となりました。
武生駅のホーム
 1時間も見ていた武生駅のホームの様子。

 そのまま金沢で降りるまで遅れはそのままでした。
北陸本線 | 投稿者 kd55-101 22:15 | コメント(0)| トラックバック(0)

千鳥線 東葉高速1000系甲種回送②

 先回りして線路の終点まで行くと、丁度甲種回送も終端に到着したところでした。
埠頭の線路終端へ到着
 途中の車両間に作業員が集まっています。
 この港の線路は20m車の10両編成は入りきらないので分割して隣の線に入れる作業を行っているようです。
 しかし中々作業はスムーズに行ってないようです。
 原因は切り離す部分がカーブ場にあるため、片側は車体間が狭く、反対側はホースが延びた状態で止まってしまったからのようでした。
埠頭での切り離し作業
 しばらく経って機関車が機関車側の6両を牽いて動き出しました。
埠頭での入れ換え
 短い距離を前進、ポイントを切り替えた後は後進して車両を所定の位置に停止させました。
機関区へ帰るDD5519
 すぐに作業員が集まって、切り離し作業、電車のチエック、フェンスの閉鎖を行って機関車はデッキに作業員を乗せて単機で帰っていきました。
 この埠頭の岸壁には、東葉1000系の前に運び込まれた東京メトロ5000系と東急の車両もすでに置いてありました。
 海外で大切に使用されることを願います。
神奈川臨海鉄道 | 投稿者 kd55-101 22:15 | コメント(0)| トラックバック(0)

千鳥線 東葉高速1000系甲種回送①

 甲種回送を撮る場所は、昨年10月14日に千鳥線を探索したときの倉庫の間の区間に決めていました。
 この日の朝はさすがに11月だけあってかなりの冷え込み。鼻水を流しながら待つ羽目になりました。
 作業員が線路の点検を徒歩で終えると、神奈川臨海鉄道のトラックがゆっくり線路の上を走ってきます。
甲種輸送先導のトラック
 そのトラックに先導されながら、甲種回送の電車がゆっくりと倉庫の間に顔を見せました。
甲種回送姿を見せる
 姿を見せたのは東葉高速鉄道の1000系です。次に働く場所は異国の地と言うことになったようです。
 そのまま廃車解体されてしまう車両も多い中、運が良い車両と言えるでしょう。
推進運転で進む東葉高速1000系
 一緒に来ている仮設住宅氏は東西線沿線なので、見送りも兼ねて撮りたかったそうです。
DD5519が推進
 本日の甲種回送はDD5519号機を使用していました。
 甲種回送を撮りに来ている人もそれなりの人数がいます。もっとも前日まで撮影に行っていた、DD53ばんえつ物語号の人出に比べれば大したことがないと感じてましたけれど。
神奈川臨海鉄道 | 投稿者 kd55-101 18:39 | コメント(0)| トラックバック(0)

夜の塩浜機関区

 会津若松から東北道のパーキングでの仮眠時間を挟んでやってきたのは、未明の神奈川臨海鉄道塩浜機関区でした。
 この撮影旅行の最後は神奈川臨海鉄道千鳥線を走る甲種回送を撮ることにしたので時間調整を兼ねて早朝の川崎貨物駅(塩浜機関区)の撮影を行いました。
夜の塩浜機関区
 照明灯に照らされた夜の鉄道現場は、日本の物流を支えるため24時間動いている鉄道の象徴です。
 貨物列車の復権のためもう少し国にも力を入れてくれたらいいのにと思います。
 モーダルシフトと言っている割に貨物は減る一方の軌がしますので。

塩浜機関区のディーゼル機関車2両
 この日は2両の帰還者が休んでいました。
 左側がDD601、右側のがDD602です。
神奈川臨海鉄道 | 投稿者 kd55-101 20:36 | コメント(0)| トラックバック(0)

只見線 会津坂下駅

 会津若松に向かう国道49号線は、途中から磐越西線とはルートが離れ、只見線に沿うようになります。
 走っている位置と時間を只見線の列車時刻と合わせて考えた結果、会津坂下駅で撮影できそうなので寄り道してみます。

 会津坂下駅は只見線で会津若松から来ると最初の交換駅になっています。また、東北の駅100選に選ばれているようです。
只見線 会津坂下駅駅舎

 この駅には駅の反対側に渡るための跨線橋が架かっていますので、そこで交換列車を撮影することにしました。
 時間的にはすでに20時を回っていて完全に夜になっていますが、近くの高校がナイター設備を使用して部活動を行っていたので、結構賑やかでした。
只見線 会津坂下駅構内の様子
 夜の会津坂下駅構内の様子です。

只見線 会津坂下駅の列車交換
 この駅で交換した列車はどちらもキハ40系の2連でした。

 ここでの撮影後は、会津若松駅近くにあるスーパー銭湯と食事処で24時近くまで時間調整を行い、次の目的地に向かってさらに移動です。
JR東日本 | 投稿者 kd55-101 17:41 | コメント(0)| トラックバック(1)

再び磐越西線へ

 東赤谷を後にして、とりあえず会津若松方面に向かうつもりで車を走らせました。
 11月に入っているので、すっかり辺りは薄暗くなっています。
 赤谷から会津若松に向かうルートを走ると、朝撮影した磐越西線と再び出会うことになります。
 DD53ばんえつ物語号の時間を改めてみると間に合いそうです。
 さすがに夜なのでバルブ撮影しか思いつかず、一番近い停車駅の三川駅に向かいました。
 前日の津川駅みたいに長時間停車ではないけど何とかなるかなと思い行ってみます。

 三川駅に着き、機関車の停車する場所に立つと、ここには明かりが全くないのでした。
 列車の時刻が近づくと、津川駅ほどではないにしろ人が集まってきます。
 時間になり列車が駅に進入してきました。
三川駅にDD53進入
 列車は停車したのですが、前照灯を点けたままで減光も無しでの停車となったため、正面がちに狙っていた私の写真は真っ白けとなり失敗に終わってしまいました。

 この後の時間に余裕があったので、三川駅で普通列車を2本撮影してから会津若松方面に向かいました。
夜の三川駅駅舎
 写真は夜の三川駅の様子です。

三川駅に停車中の110系
 三川駅に停車中の110系の普通列車。
 こっちはちゃんと撮れてます。
磐越西線 | 投稿者 kd55-101 06:30 | コメント(0)| トラックバック(0)

日鉄鉱業赤谷専用軌道の跡 その3

 東赤谷付近まで戻ってくると昔は日鉄鉱業だったと思われる施設に出ます。
 ここに至る直前まで道路に沿うように空き地が延びています。この空き地が軌道時代の線路跡です。

 ここの軌道跡にはスノーシェッドがあったため、隙間が空いているところからしか列車は見られなかったそうです。

元日鉄鉱業の施設
 写真の施設に向かって、何となくヤードに使っていたのではないかと思うような空き地があり、専用鉄道時代は施設の前を通っていたのではないかと思えます。

 また、軌道時代は施設の一段低いところにも何らかの施設が見えており、そちらから上がってきていたのかと思います。
 ここら辺は私の勝手な推測にすぎません。

 この施設より少し行ったところが東赤谷駅の構内だったはずですが、正確な位置が分からず違う場所を撮影していました。

 その場所より道路を挟んで一段低くなっているところに、バスの転回場がありました。
東赤谷のバス停
 バスの転回場が東赤谷のバス停であり、昔の東赤谷駅の構内の跡だったのですが、その時点で気が付かず全体の様子までは撮影しておりません。

 ちなみにこの駅は、スイッチバックの駅として有名でした。
 先まで行って赤谷駅の構内にスイッチバックで入ってきたのです。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 06:30 | コメント(0)| トラックバック(0)

日鉄鉱業赤谷専用軌道の跡 その2

 専用鉄道跡の道路を東赤谷に戻る途中に、川を渡る地点がありました。
 川の上流側を見ると、木々の陰に鉄橋が残っていたので見に行ってみます。
日鉄赤谷専用軌道 残る鉄橋
 こちらは専用軌道時代の鉄橋でした。
 鉄橋の手前には細いレールが残っていました。

 専用軌道は鉄道時代とは違い、この付近では山をトンネルで抜けていたのですが、山と山の間に川があるためその部分には鉄橋が架けられています。

日鉄赤谷専用軌道 塞がれたトンネル
 鉄橋両サイドのトンネル入り口は、コンクリで塞がれていました。
 トンネル直前にも細いレールが放置されています。

日鉄赤谷専用軌道 路線変更前の橋台
 この鉄橋のすぐ横にも鉄橋が架かっていた跡があり、橋台が残っていました。
 こちらの鉄橋跡は、軌道が路線変更をしたために廃止となった、旧線のものと思われます。

日鉄赤谷専用軌道 鉄橋を横から
 写真は山の中に残る鉄橋をサイドから撮影したものです。

 この鉄橋の少し下にもコンクリートの構造物が川を渡っています。
 そちらのものは、少し上流にある発電所の冬期点検用の通路となっています。冬になると雪が深く道路が使えないのです。
 軌道がトンネルで山を抜けるようになったのも、雪の対策もあったのではないかと思われます。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 10:19 | コメント(0)| トラックバック(0)

日鉄鉱業赤谷専用軌道の跡 その1

 本題に入る前に、7日から9日にかけて和倉温泉に行ってきました。突然温泉に行きたくなり和倉温泉に行くことにしたのです。
 ついでに少しだけ「鉄」してきたので、そのうち報告します。

 本題の方は、赤谷線の終点の東赤谷駅から先に日鉄鉱業赤谷専用軌道が延びていたので跡を見に行ってみたのです。
 赤谷線を含めてここに来た理由ですが、どこに行くかを考えるため地図を見ていたら、赤谷に線路のマークがあるのを発見したからでした。
 専用軌道は赤谷の先、鉄山という場所まで延びていたのですが、終点付近は草が多くまた、道もUターンが出来そうもなかったので、最奥部まで行かなかったため終点の遺構は発見できませんでした。
 草に囲まれた道を進む途中で、コンクリ製の何かを壊した跡があったので、そこが何かの施設だったのかも知れません。
日鉄赤谷 鉄山付近
 写真は鉄山付近の様子を撮ったものです。
 この辺りは何もない山の中なのすが紅葉のポイントだったようで、紅葉を見に来た車と何台もすれ違いました。

 ここの専用軌道は、1957年から1999年頃まで存在した軌間610ミリの軌道でした。
 そして同じ区間には、前年1956年秋まで1067ミリの専用鉄道が存在していました。

日鉄赤谷専用鉄道の鉄橋
 専用鉄道の鉄橋が、鉄山の手前に残っています。

日鉄赤谷専用鉄道の鉄橋 その2
 なかなか立派な鉄橋で、深い谷を越えています。
 橋の上の状態も撮影しようと思ったのですが、草が繁っていたので断念しました。
 ヘタをして崖下に転落したのでは洒落になりませんので。

日鉄赤谷専用鉄道のスノーシェッド
 鉄山まで続いている道路は、専用鉄道時代の敷地を転用したようで、4カ所のスノーシェッドが残っており、そのまま道路用として利用されています。
 スノーシェッド内は鉄道用の単線分しか幅がないので、車のすれ違いが出来ません。
 長い方の2カ所には両側に信号機が設置され、交互通行となっていました。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 22:52 | コメント(0)| トラックバック(0)

赤谷線 夏井川に架かる橋

 さらに先に進むとサイクリングロードは終わりとなります。

 赤谷駅のあった場所へ向かう途中、道路の右手の少しだけ高い位置に線路跡が並行する区間があり、線路跡が消えた先に突然橋梁が現れます。
赤谷線 夏井川に架かる橋の橋台
 この橋梁は夏井川という川に架かっている橋梁でした。

赤谷線 夏井川に架かる橋
 手前には築堤があったはずですが、すっかり削られて整地されて無くなっていたので、突然橋が現れたのでした。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 18:59 | コメント(0)| トラックバック(0)

赤谷線 米倉駅跡

 高速道路を使って移動してきてやってきたのは、新発田市です。
 ここからは新発田駅から分かれていた国鉄赤谷線の跡を辿ってみました。

 新発田駅を出て少し経った廃線跡は、ふるさと創生基金を利用して立派なサイクリングロードに生まれ変わっています。
 サイクリングロードのため、所々で道路とは交差するものの車は進入できないため、時間の関係もありじっくり見られないまま先に進みました。

 最初にじっくり見ることが出来たのは、米倉駅の跡となりました。
赤谷線米倉駅跡の駅名標
 駅のあった跡には米倉駅の駅名標が立っていました。
 この駅名標は現役当時使用していたものではなく、後から立てたようですが、あればうれしくなります。

米倉駅跡の様子
 サイクリングロードの上から米倉駅の跡を見たところです。
 ロードの右側に駅はあったようです。
 写真は新発田駅方向を見て撮っています。

米倉駅付近踏切通行禁止の看板
 駅跡の近くには、踏切の車両通行止めの看板がまだ落ちていました。

 ちなみにサイクリングロードの方は、この駅までは平坦な道ですが、この先から勾配区間に入り上り坂が始まります。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 15:59 | コメント(0)| トラックバック(0)

新潟交通 月潟~六分間

 次の目的地へ移動するために、六分駅の方に戻りました。
 戻る途中にガーター橋が残っていたのでこちらの様子も紹介します。

月潟~六分間に残るガーター橋 その1

月潟~六分間に残るガーター橋 その2
 今回の新潟交通の跡の探索は、ついでに寄った形となってしまったのでじっくり見ていません。
 ちゃんと見れば他の痕跡が見つかるのでしょう。

 この後は一気に高速道路を使用しての移動となりました。
新潟交通 | 投稿者 kd55-101 04:59 | コメント(0)| トラックバック(0)

新潟交通 月潟駅跡④

 月潟駅の施設と車両の保存は、地元のボランティア団体である「かぼちゃ電車保存会」が行っているようです。
 お陰で駅も車両もきれいな状態で残されておりうれしい限りです。

 今回の写真は駅の様子の紹介です。
月潟駅の様子
 駅のホームから駅舎側の様子。

月潟駅駅長室の看板
 駅長室の看板。
 右書きの文字が歴史を感じさせます。

月潟駅の駅名標
 月潟駅の駅名標。

 他にも色々看板やらヘッドマークやら見ていて楽しい物がありましたが、全部は紹介し切れません。
新潟交通 | 投稿者 kd55-101 20:00 | コメント(0)| トラックバック(0)

新潟交通 月潟駅跡③

 残る1両の保存車両は、雪掻車のキ100形のキ116ラッセル車です。
 このキ116は、1968年に国鉄から譲り受けてから廃線時までの25年間、新潟交通に籍を置いていました。
 製造は1932年の国鉄大宮工場製なのでかなりの歴史を刻んでいます。
 新潟交通では、モワ51と総括制御ができるように改造されていました。
月潟駅のキ116
 私にはこの黒い固まりの無骨さが格好良く思えます。

月潟駅のキ116の前面窓アップ
 前面窓部分だけ見ても、今の車両のようなスマートさとはほど遠いですね。

 私は暖かい地方の人間なので雪掻車には縁がなく、こうして間近で見られる状態での保存はうれしいですね。
新潟交通 | 投稿者 kd55-101 21:43 | コメント(0)| トラックバック(0)

新潟交通 月潟駅跡②

 もう1両はモワ50形のモワ51です。
 この車両もモハ11と一緒の1933年の開業時に電動貨車として用意された車両です。
 日車東京支店製で、モハ11形と下回りはほとんど同じであり、歯車比を変更している程度で、外観は基本的には同タイプですが、長さが11メートルとモハ11の原型の13メートルよりは短くなっていました。
新潟交通モワ51
 この車両は車体更新をされていませんので、モハ11の原型を想像できるのではないでしょうか。

 またこの車両は電動貨車としての使命の他、貨車の牽引などの役目も持って活躍していました。
 1982年の貨物輸送廃止の後は、工事列車や、ラッセル車の推進用として使用され、全線廃止まで在籍していたのです。

モワ51の貨物室の扉
 モワ51の貨物室の扉部分です。
 貨物用だけに扉は両開きで開口部は大きく取られています。
 木造のドアの車両も今では貴重な部類に入ります。
新潟交通 | 投稿者 kd55-101 21:24 | コメント(0)| トラックバック(0)

新潟交通 月潟駅跡①

 月形駅跡へやってきました。
 この駅には駅の施設とともに車両が3両保存され、現役当時を偲べるようになっています。
月潟駅のモハ11 その1
 そのうちの1両が写真のモハ10形のモハ11です。

 このモハ11の経歴は、1933年の開業にあたって、日車東京支店で製作された半鋼製電車です。
 この車両の足回りや電装品を活かす形で、日本車輌で車体を新製して載せ替えています。
 載せ替えた車体は、日本車輛が地方私鉄向けに開発した、17m級2扉、両運転台式の半鋼製車体で日車標準車体と言われているものです。側面客室窓は、上段固定でHゴム支持の「バス窓」タイプになっています。

月潟駅のモハ11 その2
 他の鉄道に導入された日車標準車体を持った車両は、岳南鉄道と松本電鉄で走っていましたが、どちらも東急5000系と交替していたので、新潟交通で走っていたのが最後だったと記憶しています。
新潟交通 | 投稿者 kd55-101 22:08 | コメント(0)| トラックバック(0)

新潟交通 六分駅跡

 蒲原鉄道の廃線跡を巡った跡にやってきたのは、新潟交通の六分駅跡です。

 この駅が廃止になったのは、新潟交通の燕~月潟間が廃止となった1993年の夏でした。
 この廃止によって、新潟交通は他の鉄道線と接点のない路線となり、さらに6年後に残った部分まで廃止となったのです。
 この駅には1993年の燕~月潟間が廃止になる前に来ていたのですが、宅地が造成されていて、どうなっていたのかが思い出せませんでした。

六分駅の駅名標?
 六分駅の駅名標があったのですが、本来の駅とずれている気がしてます。気のせいかな?

平行する土手からの六分駅跡
 写真は土手から六分駅のあった場所を見ています。
 駅名標がある場所は写真の真ん中、私のイメージの中では、線路は左下を平行する道路の位置だったような気がしています。
新潟交通 | 投稿者 kd55-101 21:22 | コメント(0)| トラックバック(0)

蒲原鉄道の跡を巡る その12

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
 今回が蒲原鉄道編の最終回となりました。

 高い位置の築堤上にあった陣ヶ峰駅のアプローチの階段は、下の方は崩れかかっていますが、何となく残っているようです。
 写真を見てもらえば分かりますが、草が茂っていてよく分からない状況でした。
陣ヶ峰駅への階段
 同行者の仮設住宅氏は、草をかき分けてホームまで上がっていきましたが、私はやめておきました。
 戻ってきた彼の服には、草の種が大量について酷い状態になっていたのは言うまでもありません。

道路から見た陣ヶ峰駅ホーム跡
 陣ヶ峰のホームは築堤の上にしっかり残っています。
 手を抜いた私は道路からの写真だけになりました。

 陣ヶ峰駅を出た加茂行きの列車は、すぐ道路と信越本線を鉄橋で越えていました。
信越本線をオーバーパスしていた蒲原鉄道跡
 道路と信越本線を越えた後は左にカーブしており、信越本線と平行する形となって加茂川を渡り、加茂駅に向かっていました。
 その先の加茂川の橋梁は信越本線の複線と共用されており、3本の線路で渡っていました。
 いまも同じ橋梁を使用しているそうなのですが、今回は撮影していません。
 加茂駅については、蒲原鉄道のホームは別に設けられていたのですが、今は何も残っておりません。
 JRの加茂駅の裏口側の左側に蒲原鉄道所有の駐車場があり、ここにホームがあったと思われます。
 仮設住宅氏の記憶もさすがに20年以上経っているので曖昧になっているようです。
 駆け足で蒲原鉄道の跡を巡ったので、不十分な探索に終わってしまいました。まだ保存車両もあるのでまた別の機会にでも訪れたいと思います。

 この後はまた違う場所の探索のために移動です。

 新・姉崎機関区の蒲原鉄道のページはこの文字をクリックで飛びます。
蒲原鉄道 | 投稿者 kd55-101 21:51 | コメント(0)| トラックバック(0)
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