2006年12月31日
蒲原鉄道の跡を巡る その11
2006年も本日で終わりですね。(これから職場で年越しなので実感がないですけど)でもブログの方はまだ続きますのでお暇な方はおつきあいを。
それでは本題です。
狭口から加茂方向に向かって車を走らせます。
何となく線路の跡が広い道路に転用されていると思われる道に出ました。
広くなったあたりが狭口の次駅の駒場駅だったのだったのでしょうか?ちょっと分かりませんでした。
その先、道の脇に空き地が広がっている場所がありました。
雰囲気的には鉄道用地の跡地のようです。
近くに工場もあり、そこまで引き込み線でもあったような感じもします。
はっきりした確証はないですが、東加茂駅の跡だったと思われました。
更に道を進むと広い道は終わり、いかにも線路跡を転用した細い道になり、山裾をかすめていきます。さらに先に行くといきなり正面に築堤が現れました。
この先で蒲原鉄道は信越本線を跨ぐために、築堤で高度を上げていた跡でした。
直前の築堤は道路にするときに削ってしまったようです。
加茂駅に向かって進路を取り市街地をウロウロしていると、市街地の道路を跨いでいた橋の跡がありました。
左右の橋台だけが残っています。

位置的には東加茂~陣ヶ峰間になります。
橋台の近くの道から築堤の上に上がってみました。

東加茂の方を見た様子です。
線路の跡は草むらと化しております。その先にトンネルがあったはずですが確認はしていません。

家の間から反対の橋台を見ることが出来ます。
この橋台の少し向こう側が陣ヶ峰駅のあった場所になります。
それでは本題です。
狭口から加茂方向に向かって車を走らせます。
何となく線路の跡が広い道路に転用されていると思われる道に出ました。
広くなったあたりが狭口の次駅の駒場駅だったのだったのでしょうか?ちょっと分かりませんでした。
その先、道の脇に空き地が広がっている場所がありました。
雰囲気的には鉄道用地の跡地のようです。
近くに工場もあり、そこまで引き込み線でもあったような感じもします。
はっきりした確証はないですが、東加茂駅の跡だったと思われました。
更に道を進むと広い道は終わり、いかにも線路跡を転用した細い道になり、山裾をかすめていきます。さらに先に行くといきなり正面に築堤が現れました。
この先で蒲原鉄道は信越本線を跨ぐために、築堤で高度を上げていた跡でした。
直前の築堤は道路にするときに削ってしまったようです。
加茂駅に向かって進路を取り市街地をウロウロしていると、市街地の道路を跨いでいた橋の跡がありました。
左右の橋台だけが残っています。

位置的には東加茂~陣ヶ峰間になります。
橋台の近くの道から築堤の上に上がってみました。

東加茂の方を見た様子です。
線路の跡は草むらと化しております。その先にトンネルがあったはずですが確認はしていません。

家の間から反対の橋台を見ることが出来ます。
この橋台の少し向こう側が陣ヶ峰駅のあった場所になります。
2006年12月30日
蒲原鉄道の跡を巡る その10
七谷駅を出ると線路は加茂川に沿って進みます。
加茂川と山裾の間を進む線路跡は、道路からは川の対岸になるためしばらくは間近での観察は出来ませんでした。
その後、加茂市の狭口地区まで到着。この付近に狭口駅があったのでその跡を探したのでしたが、残念ながら発見できませんでした。
加茂川の支流の猿毛川という川があり、線路跡には橋が架かっていたので、その場所の前後を撮影しておきました。
狭口駅と言えば、狭き門に掛けて合格祈願の絵馬などが駅舎の中に飾られていた写真を見た覚えがあります。

写真は狭口~七谷間の七谷駅方向の線路跡を見たところです。
左側には山が迫り、画像には写っていませんが、右側に加茂川が平行しています。

加茂川支流の猿毛川に架かる橋です。
鉄道のガーター橋を再利用しているようにも見えるし掛け替えられているような気もします。
銘板の類は見つからなかったのではっきりしません。

こちらは1枚目の反対向きの狭口駅方向を見たところです。
ここからは山が遠ざかり田んぼの中を進むようになります。
加茂川と山裾の間を進む線路跡は、道路からは川の対岸になるためしばらくは間近での観察は出来ませんでした。
その後、加茂市の狭口地区まで到着。この付近に狭口駅があったのでその跡を探したのでしたが、残念ながら発見できませんでした。
加茂川の支流の猿毛川という川があり、線路跡には橋が架かっていたので、その場所の前後を撮影しておきました。
狭口駅と言えば、狭き門に掛けて合格祈願の絵馬などが駅舎の中に飾られていた写真を見た覚えがあります。

写真は狭口~七谷間の七谷駅方向の線路跡を見たところです。
左側には山が迫り、画像には写っていませんが、右側に加茂川が平行しています。

加茂川支流の猿毛川に架かる橋です。
鉄道のガーター橋を再利用しているようにも見えるし掛け替えられているような気もします。
銘板の類は見つからなかったのではっきりしません。

こちらは1枚目の反対向きの狭口駅方向を見たところです。
ここからは山が遠ざかり田んぼの中を進むようになります。
2006年12月29日
蒲原鉄道の跡を巡る その9
次にやってきたのは七谷駅の跡でした。
現役時代のこの駅は、島式ホームで列車交換があったのでした。
この駅での交換風景は結構写真を見た覚えがあります。

元の駅舎は、地元の集会場として多少の改装はされていますが残っていました。
駅舎の裏には島式ホームが草の間に残っていました。

すぐ近くに高台がありそこから駅の全景が写せます。

仮設住宅氏はこの場所から交換風景を撮影したそうです。
現役時代のこの駅は、島式ホームで列車交換があったのでした。
この駅での交換風景は結構写真を見た覚えがあります。

元の駅舎は、地元の集会場として多少の改装はされていますが残っていました。
駅舎の裏には島式ホームが草の間に残っていました。

すぐ近くに高台がありそこから駅の全景が写せます。

仮設住宅氏はこの場所から交換風景を撮影したそうです。
2006年12月28日
蒲原鉄道の跡を巡る その8
今度は冬鳥越駅の跡にやってきました。
ここの駅はすぐ横がスキー場になっており、冬になるとスキー客で賑わったと言います。
そんな場所を線路が走っていたと言うことは除雪なんかは大変だったのでしょう。
ここにも保存されている電車が2両います。

ここ冬鳥越にいたのはモハ1とモハ61の2両でした。
モハ1形はダブルルーフの古い車両です。
ここにも案内板があったので内容を記入しておきます。
県内最古の木造電車(モハ1号)
蒲原鉄道は大正12年10月20日に五泉~村松間4.2㎞の運行を開始し、昭和5年7月22日には村松~東加茂間15.2㎞を開通、昭和5年10月20日には東加茂~加茂間2.5㎞を開通し、全線21.9㎞になります。その後、昭和60年3月31日をもって加茂~村松間17.7㎞を廃止、平成11年10月3日には五泉~村松間4.2㎞を廃止し、77年間続いた鉄道の使命を終えました。
日本の鉄道車両は、大正末期から昭和初期にかけて、ようやく木製から半鋼製に代わってきました。ここに展示するモハ1号は大正12年蒲田車輌製造のもので誕生してからわずか4年後に半鋼製時代を迎えます。
当初は五泉~村松間、その後昭和5年から昭和29年まで五泉~加茂間で運行され地域発展につくしました。
形式:モハ1
全長:11.455m 全幅:2.692m 高さ:4.064m
定員:66人 自重:20.03t
加茂市:市指定文化財

モハ1形の車内も自由に見ることが出来ます。
残念ながら自由すぎで、シートモケットは所々切れてしまっていました。
もうちょっと管理しないとこの貴重な電車はボロボロになってしまいそうです。
(整備してきれいな状態にしただけにもったいないです。)

こちらはモハ61です。
こちらも案内板の内容を記入しておきます。
半鋼製電動客車(モハ61号)
この電車は昭和15年に日本鉄道自動車(株)が武蔵野鉄道の半鋼製制御車として製造したもので、昭和初期の私鉄向きの標準型電車です。昭和33年1月に蒲原鉄道に譲渡する前に電動車に改造されました。
昭和33年から昭和60年に村松~加茂間が廃止されるまでと、その後平成11年に五泉~村松間が廃止されるまで運行され「モハ1号」とともに地域発展につくしました。
この種類の電車は、昭和11年頃から16年頃にかけて多数製造されましたが、比較的新しい時代の製造のためか、製造以来60年を経過した現在、保存車両は全国的に見てもかなり数が少なくなっています。
形式:モハ61
全長:17.000m 全幅:2.725m 高さ:4.110m
定員:110人 自重:27.45t
加茂市:市指定文化財

モハ1とモハ61が仲良く並んでいるところです。
しかし蒲原鉄道は保存車両が多いですね。
それだけ地元の人に愛着を持たれていたと言うことでしょうか。
ここの駅はすぐ横がスキー場になっており、冬になるとスキー客で賑わったと言います。
そんな場所を線路が走っていたと言うことは除雪なんかは大変だったのでしょう。
ここにも保存されている電車が2両います。

ここ冬鳥越にいたのはモハ1とモハ61の2両でした。
モハ1形はダブルルーフの古い車両です。
ここにも案内板があったので内容を記入しておきます。
県内最古の木造電車(モハ1号)
蒲原鉄道は大正12年10月20日に五泉~村松間4.2㎞の運行を開始し、昭和5年7月22日には村松~東加茂間15.2㎞を開通、昭和5年10月20日には東加茂~加茂間2.5㎞を開通し、全線21.9㎞になります。その後、昭和60年3月31日をもって加茂~村松間17.7㎞を廃止、平成11年10月3日には五泉~村松間4.2㎞を廃止し、77年間続いた鉄道の使命を終えました。
日本の鉄道車両は、大正末期から昭和初期にかけて、ようやく木製から半鋼製に代わってきました。ここに展示するモハ1号は大正12年蒲田車輌製造のもので誕生してからわずか4年後に半鋼製時代を迎えます。
当初は五泉~村松間、その後昭和5年から昭和29年まで五泉~加茂間で運行され地域発展につくしました。
形式:モハ1
全長:11.455m 全幅:2.692m 高さ:4.064m
定員:66人 自重:20.03t
加茂市:市指定文化財

モハ1形の車内も自由に見ることが出来ます。
残念ながら自由すぎで、シートモケットは所々切れてしまっていました。
もうちょっと管理しないとこの貴重な電車はボロボロになってしまいそうです。
(整備してきれいな状態にしただけにもったいないです。)

こちらはモハ61です。
こちらも案内板の内容を記入しておきます。
半鋼製電動客車(モハ61号)
この電車は昭和15年に日本鉄道自動車(株)が武蔵野鉄道の半鋼製制御車として製造したもので、昭和初期の私鉄向きの標準型電車です。昭和33年1月に蒲原鉄道に譲渡する前に電動車に改造されました。
昭和33年から昭和60年に村松~加茂間が廃止されるまでと、その後平成11年に五泉~村松間が廃止されるまで運行され「モハ1号」とともに地域発展につくしました。
この種類の電車は、昭和11年頃から16年頃にかけて多数製造されましたが、比較的新しい時代の製造のためか、製造以来60年を経過した現在、保存車両は全国的に見てもかなり数が少なくなっています。
形式:モハ61
全長:17.000m 全幅:2.725m 高さ:4.110m
定員:110人 自重:27.45t
加茂市:市指定文化財

モハ1とモハ61が仲良く並んでいるところです。
しかし蒲原鉄道は保存車両が多いですね。
それだけ地元の人に愛着を持たれていたと言うことでしょうか。
2006年12月27日
蒲原鉄道の跡を巡る その7
村松城址公園からしばらくは線路跡は多くの武分が道路になっている感じになっています。(正確な位置が分からないのであくまでもそんな感じ)
次に寄ったのは高松~土倉間の築堤でした。
この区間は、一段高くなった国道から外れて線路がありました。山裾を築堤が残っていました。


築堤の途中にはガーター橋も残っています。

築堤の上から土倉の方を見たところです。
築堤は雑草は生えているもののバラストは残っていました。
次に寄ったのは高松~土倉間の築堤でした。
この区間は、一段高くなった国道から外れて線路がありました。山裾を築堤が残っていました。


築堤の途中にはガーター橋も残っています。

築堤の上から土倉の方を見たところです。
築堤は雑草は生えているもののバラストは残っていました。
2006年12月26日
蒲原鉄道の跡を巡る その6
一旦車に戻って、線路が合流した道路を辿っていきます。
しばらく走っていると左側に蒲原鉄道の車両を発見しました。
場所は村松城址公園と言うところです。

ここに保存されている車両はモハ11でした。
モハ11の脇に案内板がありましたので、その内容を記入しておきます。
この電車は、大正12年に蒲原鉄道株式会社が磐越西線・五泉駅から信越本線・加茂駅までの21.9㎞が開通した当時から昭和60年まで、走行してきました。
昭和10年頃は、旅客をはじめ穀物、織物、鉱石等の貨物を輸送し、沿線住民の足として最も活躍、貢献しました。
昭和60年3月、加茂・村松間17.7㎞が廃止されバス輸送に変革したので、往時を懐古するとともに、ここ城址公園の一角が軌道敷だったことから、この地に展示し後世に伝えるものです。
形式:モハ11 自重:19.2t 高さ:4.0m
定員:82人 長さ:12.4m 前照灯:100V200W
座席数:34人 巾:2.6m
案内文にある軌道敷きは、写真では電車の後ろ側の道路の手前を併走していたと思われます。

電車のすぐ近くには、踏切警報機と遮断機が残っていました。
遮断機の向きから移設されたものではなく、この位置で使用していたものではないかと思われます。
しばらく走っていると左側に蒲原鉄道の車両を発見しました。
場所は村松城址公園と言うところです。

ここに保存されている車両はモハ11でした。
モハ11の脇に案内板がありましたので、その内容を記入しておきます。
この電車は、大正12年に蒲原鉄道株式会社が磐越西線・五泉駅から信越本線・加茂駅までの21.9㎞が開通した当時から昭和60年まで、走行してきました。
昭和10年頃は、旅客をはじめ穀物、織物、鉱石等の貨物を輸送し、沿線住民の足として最も活躍、貢献しました。
昭和60年3月、加茂・村松間17.7㎞が廃止されバス輸送に変革したので、往時を懐古するとともに、ここ城址公園の一角が軌道敷だったことから、この地に展示し後世に伝えるものです。
形式:モハ11 自重:19.2t 高さ:4.0m
定員:82人 長さ:12.4m 前照灯:100V200W
座席数:34人 巾:2.6m
案内文にある軌道敷きは、写真では電車の後ろ側の道路の手前を併走していたと思われます。

電車のすぐ近くには、踏切警報機と遮断機が残っていました。
遮断機の向きから移設されたものではなく、この位置で使用していたものではないかと思われます。
2006年12月25日
蒲原鉄道の跡を巡る その5
改めて村松駅から西村松駅に向かっていた線路の路を辿ってみます。
村松駅を出た線路は右に急なカーブを切ります。線路の跡は舗装されて自転車置き場に利用されていました。
その先に踏切があり道路と交差していました。

切の跡にはコンクリートが斜めに道路を横切っており、踏切の名残になのかもしれません。
踏切の先の線路跡はレールや架線は撤去されているものの、所々にバラストや枕木が残っていました。

写真のあたりは枕木もなくなっていますが、近くの民家で再利用されているようです。

枕木が残っている場所もあります。

しばらく歩いていくと道路と合流して線路跡は分からなくなってしまいました。
村松駅を出た線路は右に急なカーブを切ります。線路の跡は舗装されて自転車置き場に利用されていました。
その先に踏切があり道路と交差していました。

切の跡にはコンクリートが斜めに道路を横切っており、踏切の名残になのかもしれません。
踏切の先の線路跡はレールや架線は撤去されているものの、所々にバラストや枕木が残っていました。

写真のあたりは枕木もなくなっていますが、近くの民家で再利用されているようです。

枕木が残っている場所もあります。

しばらく歩いていくと道路と合流して線路跡は分からなくなってしまいました。
2006年12月24日
蒲原鉄道の跡を巡る その4
再び村松駅までやってきた私達は、先に廃止された区間の村松~加茂間の探索を開始しました。
まず手始めに村松からまでの西村松までの区間を歩くつもりでした。
とりあえず、近くのコンビニに寄って飲み物を確保した時のことです。
ふと、コンビニの裏を覗くとここにも保存車両が置いてありました。
実はこのコンビニはこの日の朝、最初に村松駅まで来たときにも寄っていたけど全く気が付きませんでした。
ここにいた車両は2両。電気機関車のED1とモハ31でした。

コンビニの裏のED1。

ED1の社紋アップ。

モハ31は引きが取れなくて苦しい構図。
この車両がある場所の隣の建物は、蒲原鉄道が現役の時代からあった建物です。
村松駅の構内の外れにあった留置線が1本だけ残っている形となっていました。
まず手始めに村松からまでの西村松までの区間を歩くつもりでした。
とりあえず、近くのコンビニに寄って飲み物を確保した時のことです。
ふと、コンビニの裏を覗くとここにも保存車両が置いてありました。
実はこのコンビニはこの日の朝、最初に村松駅まで来たときにも寄っていたけど全く気が付きませんでした。
ここにいた車両は2両。電気機関車のED1とモハ31でした。

コンビニの裏のED1。

ED1の社紋アップ。

モハ31は引きが取れなくて苦しい構図。
この車両がある場所の隣の建物は、蒲原鉄道が現役の時代からあった建物です。
村松駅の構内の外れにあった留置線が1本だけ残っている形となっていました。
2006年12月23日
磐西・只見ぐるり一周号
蒲原鉄道の村松駅から磐西・只見ぐるり一周号撮影のため磐越西線までやってきました。
撮影場所に選んだのは猿和田~馬下間の田んぼの間を走る区間です。
DD53ばんえつ物語号もあるので、すでに多くの三脚が立ち並んでいます。
この日のこの場所は、風が結構吹いていました。
邪魔な草を刈っている人もいて皆さん気合いが入っているようです。

磐西・只見ぐるり一周号の前にキハ40系2連による普通列車がありました。こちらは旧新潟色です。
しばらく待つと、お目当ての列車が登場しました。

国鉄一般色・首都圏色・急行色・急行色の4連での列車です。
みんな一斉にシャッターを切っていました。

でも自分的には期待していたはずなのに、あまり感動がなかったのでした。
最近大糸線ばっかり撮っているからかな?
撮影後、同行者の仮設住宅さんと協議した結果、DD53の撮影は取りやめて廃線跡巡りをしようとの結論に達したので、再び、村松駅に向かう事にしました。
撮影場所に選んだのは猿和田~馬下間の田んぼの間を走る区間です。
DD53ばんえつ物語号もあるので、すでに多くの三脚が立ち並んでいます。
この日のこの場所は、風が結構吹いていました。
邪魔な草を刈っている人もいて皆さん気合いが入っているようです。

磐西・只見ぐるり一周号の前にキハ40系2連による普通列車がありました。こちらは旧新潟色です。
しばらく待つと、お目当ての列車が登場しました。

国鉄一般色・首都圏色・急行色・急行色の4連での列車です。
みんな一斉にシャッターを切っていました。

でも自分的には期待していたはずなのに、あまり感動がなかったのでした。
最近大糸線ばっかり撮っているからかな?
撮影後、同行者の仮設住宅さんと協議した結果、DD53の撮影は取りやめて廃線跡巡りをしようとの結論に達したので、再び、村松駅に向かう事にしました。
2006年12月22日
蒲原鉄道の跡を巡る その3
村松変電所跡から村松駅へ到着しました。
ここは鉄道が無くなった後も、蒲鉄小型バスの車庫や乗り場があります。
そんなわけで鉄道線はなくなっていますが、村松“駅”なのでした。
村松駅には昔も今も本社のビルが併設されています。(全体の写真撮ったつもりだったけど撮ってなかったのです。)

村松駅の駅舎は村松駅の表示も蒲原鉄道の社紋もしっかり残っています。

駅の道路に面する側はバス乗り場となっています。
バス乗り場の後ろ側に鉄道線のホームがあったのです。

そのホームがあった場所は空き地となっており、タクシーが休憩中でした。
この空き地に島式ホームがあったのでした。
この後は、磐西・只見ぐるり一周号撮影のために磐越西線に向かって移動です。
ここは鉄道が無くなった後も、蒲鉄小型バスの車庫や乗り場があります。
そんなわけで鉄道線はなくなっていますが、村松“駅”なのでした。
村松駅には昔も今も本社のビルが併設されています。(全体の写真撮ったつもりだったけど撮ってなかったのです。)

村松駅の駅舎は村松駅の表示も蒲原鉄道の社紋もしっかり残っています。

駅の道路に面する側はバス乗り場となっています。
バス乗り場の後ろ側に鉄道線のホームがあったのです。

そのホームがあった場所は空き地となっており、タクシーが休憩中でした。
この空き地に島式ホームがあったのでした。
この後は、磐西・只見ぐるり一周号撮影のために磐越西線に向かって移動です。
2006年12月21日
蒲原鉄道の跡を巡る その2
今泉駅から村松駅に向かって車を走らせると、道路の左側に電車があるのを発見しました。
この場所は蒲原鉄道の村松変電所だった地点のようです。
入り口の案内板には、む蒲原鉄道の廃止を惜しんだ地元の方が私費を投じて保存をしたとありました。

ちなみに線路の跡とは直角の向きに電車は置いてあります。
ここにいたのはモハ71+クハ10の2両です。
保存状態は屋根があるため悪くはありません。でも写真を撮影するには柱が邪魔になってしまいます。

この変電所跡の敷地の周りには、蒲原鉄道で使用していた架線柱が並んでおり、一風変わった風景となっていました。

モハ71側から撮った屋根と電車の様子です。
この屋根も蒲原鉄道で使用していたものと思いますが、詳細は分かりません。
この場所は蒲原鉄道の村松変電所だった地点のようです。
入り口の案内板には、む蒲原鉄道の廃止を惜しんだ地元の方が私費を投じて保存をしたとありました。

ちなみに線路の跡とは直角の向きに電車は置いてあります。
ここにいたのはモハ71+クハ10の2両です。
保存状態は屋根があるため悪くはありません。でも写真を撮影するには柱が邪魔になってしまいます。

この変電所跡の敷地の周りには、蒲原鉄道で使用していた架線柱が並んでおり、一風変わった風景となっていました。

モハ71側から撮った屋根と電車の様子です。
この屋根も蒲原鉄道で使用していたものと思いますが、詳細は分かりません。
2006年12月20日
蒲原鉄道の跡を巡る その1
11月4日、撮影旅行の二日目にもDD53ばんえつ物語号は運転があります。ばんえつ物語号の前に国鉄色気動車による磐越西線・只見線を回る列車が運転されていました。(列車名忘れてしまった)
その列車が五泉の駅を通過するのは9時頃だったので、それまでの時間を利用して、蒲原鉄道の廃線跡をちょっと見に行くことになりました。
五泉のビジネスホテルを出発して五泉の市街地を抜け村松へ向かいます。
五泉~村松間は蒲原鉄道で最後まで残っていた区間でしたが、1999年に廃止となっています。
その村松までの区間は、五泉駅の付近を覗いてほとんどが直線で道路と平行していました。
村松へ向かう道路を走っていると、今泉というバス停がありました。

この地点が今泉駅があった場所でした。
村松に向かって道路の左側に蒲原鉄道は併走していました。
その跡地は草むらとして残っています。

写真は今泉のバス停付近から村松方向を見たところです。
この草むらが線路跡なのでした。
その列車が五泉の駅を通過するのは9時頃だったので、それまでの時間を利用して、蒲原鉄道の廃線跡をちょっと見に行くことになりました。
五泉のビジネスホテルを出発して五泉の市街地を抜け村松へ向かいます。
五泉~村松間は蒲原鉄道で最後まで残っていた区間でしたが、1999年に廃止となっています。
その村松までの区間は、五泉駅の付近を覗いてほとんどが直線で道路と平行していました。
村松へ向かう道路を走っていると、今泉というバス停がありました。

この地点が今泉駅があった場所でした。
村松に向かって道路の左側に蒲原鉄道は併走していました。
その跡地は草むらとして残っています。

写真は今泉のバス停付近から村松方向を見たところです。
この草むらが線路跡なのでした。
2006年12月19日
DD53ばんえつ物語号の続き
今日からは11月3日~5日かけてDD53ばんえつ物語号の撮影をメインに福島・新潟を回ったときの話です。
津川駅でバルブ撮影をしていた時の線路の向こう側の様子です。

みんな一生懸命撮影していました。

DD53と客車の連結部分は、客車から漏れる明かりで機関車が照らされていたので、撮影してみた写真です。

月も出ていたので、客車と絡めて撮ってみました。
11月4日にも書きましたが、この後は五泉に泊まりました。
部屋はきれいなのですが、近くでご飯が食べられないのは痛かったです。
津川駅でバルブ撮影をしていた時の線路の向こう側の様子です。

みんな一生懸命撮影していました。

DD53と客車の連結部分は、客車から漏れる明かりで機関車が照らされていたので、撮影してみた写真です。

月も出ていたので、客車と絡めて撮ってみました。
11月4日にも書きましたが、この後は五泉に泊まりました。
部屋はきれいなのですが、近くでご飯が食べられないのは痛かったです。
2006年12月18日
秩父鉄道へ行った時の話 その15
秩父鉄道撮影の最後として、秩父駅から分かれていた秩父セメントの専用線の終点の工場付近を見に行きました。
線路はすでに剥がされていましたが、国道はそのまま陸橋で線路跡を越えています。
巨大なセメント工場の建物自体はそのまま残っていました。

秩父セメントの工場の入り口には広い空き地が残されていました。ここは入れ換え用のヤードの跡であり、信号扱い所の建物だけが取り残されていました。
その先の工場を見ると貨物用のホームも残っています。

工場が覗ける場所のすぐ近くには、テキ200形貨車が2両残っています。
かなり早い段階から倉庫として利用されていたようで、連結面の木々が育っていました。
ちなみにここにいた2両はテキ201とテキ211でした。他にも貨物ホームの奥に1両いますが、ナンバーは読めません。

テキ201のナンバーと積載種別表示です。袋詰セメント線用の貨車でした。

貨車の近くには現役当時に使用されていた標札がまだ残っていました。
この場所は秩父の道の駅のすぐ裏です。
テキの止まっていたところも、観光バスの駐車場兼待機所として使用されていました。
線路はすでに剥がされていましたが、国道はそのまま陸橋で線路跡を越えています。
巨大なセメント工場の建物自体はそのまま残っていました。

秩父セメントの工場の入り口には広い空き地が残されていました。ここは入れ換え用のヤードの跡であり、信号扱い所の建物だけが取り残されていました。
その先の工場を見ると貨物用のホームも残っています。

工場が覗ける場所のすぐ近くには、テキ200形貨車が2両残っています。
かなり早い段階から倉庫として利用されていたようで、連結面の木々が育っていました。
ちなみにここにいた2両はテキ201とテキ211でした。他にも貨物ホームの奥に1両いますが、ナンバーは読めません。

テキ201のナンバーと積載種別表示です。袋詰セメント線用の貨車でした。

貨車の近くには現役当時に使用されていた標札がまだ残っていました。
この場所は秩父の道の駅のすぐ裏です。
テキの止まっていたところも、観光バスの駐車場兼待機所として使用されていました。
2006年12月17日
秩父鉄道へ行った時の話 その14
SLパレオエクスプレスを撮る気になったので、撮影場所を探して車を走らせます。
結局撮影場所に選んだのは浦山口~影森間の橋の上からとなりました。
この場所は三輪線を撮影していたすぐ近くです。戻ったら撮影者が10人ほどいました。それなりの撮影ポイントだったようで、間におじゃまして撮影しました。

SLの前に1000形が来たので撮影してみました。

1000形が行った後、反対側から三輪鉱業所へ向かうデキ507牽引の貨物列車がやってきたのでこれも撮影。
こっちの写真を撮っていた人は3人くらいでした。SLの人気は高いですね。貨物列車はどうでも良いらしいです。秩父鉄道では珍しくないと言うことでしょうかね。
デキがカーブの先へ消えてまもなくSLがやってきました。

撮影はしましたけどセンスが無いので今一の写真です。
結局撮影場所に選んだのは浦山口~影森間の橋の上からとなりました。
この場所は三輪線を撮影していたすぐ近くです。戻ったら撮影者が10人ほどいました。それなりの撮影ポイントだったようで、間におじゃまして撮影しました。

SLの前に1000形が来たので撮影してみました。

1000形が行った後、反対側から三輪鉱業所へ向かうデキ507牽引の貨物列車がやってきたのでこれも撮影。
こっちの写真を撮っていた人は3人くらいでした。SLの人気は高いですね。貨物列車はどうでも良いらしいです。秩父鉄道では珍しくないと言うことでしょうかね。
デキがカーブの先へ消えてまもなくSLがやってきました。

撮影はしましたけどセンスが無いので今一の写真です。
2006年12月16日
秩父鉄道へ行った時の話 その13
踏切から三峰口駅の構内を見ると、しっかり3000形がいました。
6000形と同じ線路に留置していたので、反対側からは見えなかったのです。

三峰口駅に隣接して秩父鉄道により鉄道車両公園が設置されています。
ここには、電気機関車や電車、貨車などが保存されています。

写真は踏切から保存されている車両を撮影したところです。

ここの車両公園は他ではあまり保存していない、貨車が数両置いてありました。
今回はじっくり撮影していないので、また来たいと思います。
写真はヨ10形のヨ15です。

鉄道公園の敷地から駅構内が良く見えます。
SLと3000形の並びも撮影することが出来ました。
6000形と同じ線路に留置していたので、反対側からは見えなかったのです。

三峰口駅に隣接して秩父鉄道により鉄道車両公園が設置されています。
ここには、電気機関車や電車、貨車などが保存されています。

写真は踏切から保存されている車両を撮影したところです。

ここの車両公園は他ではあまり保存していない、貨車が数両置いてありました。
今回はじっくり撮影していないので、また来たいと思います。
写真はヨ10形のヨ15です。

鉄道公園の敷地から駅構内が良く見えます。
SLと3000形の並びも撮影することが出来ました。
2006年12月15日
秩父鉄道へ行った時の話 その12
SLを見た後は三峰口駅の駅舎を見に行きました。
この駅は関東の駅100選に選ばれています。1930年3月に開業した時の駅舎をそのまま使用しているようです。

古い駅はやはり味があって良いと思います。新しい駅は利用しやすいけれども機能的なだけでつまらないのです。

駅舎の内部も古いままで味があります。

駅の先の踏切まで行くと1000形が入れ換え中でした。
この1000形もJRから101系が引退した今となっては大変貴重な車両となりました。
この車両もそろそろ引退の時期が迫ってくるのでしょう。
この駅は関東の駅100選に選ばれています。1930年3月に開業した時の駅舎をそのまま使用しているようです。

古い駅はやはり味があって良いと思います。新しい駅は利用しやすいけれども機能的なだけでつまらないのです。

駅舎の内部も古いままで味があります。

駅の先の踏切まで行くと1000形が入れ換え中でした。
この1000形もJRから101系が引退した今となっては大変貴重な車両となりました。
この車両もそろそろ引退の時期が迫ってくるのでしょう。
2006年12月14日
秩父鉄道へ行った時の話 その11
影森駅近くまで戻り、次はどこに行こうかと考えているとまた、踏切が鳴り始めました。
また普通電車だろうと撮りに行かなかったら、走りすぎた後から煙が漂ってきました。
見送ってしまった列車は、SL列車のパレオエクスプレスだったのでした。すっかりSLなんか忘れてました。
何となく撮影場所を探しながら三峰口駅まで移動することにして車を発進させました。
走っていると所々でSLの煙に追いつくので、ついつい三峰口の駅まで行ってしまいました。
三峰口の駅では、C58363を間近で見られるようになっており、ファンの方や家族連れの人たちで賑わっています。

私も一緒になって写真を撮っていました。

SLの折り返しの間には多くの人が整備点検等に携わっています。現代の列車のようにスイッチの切り替えだけというわけにはいかないのです。

三峰口駅の構内を見ると西武鉄道から乗り入れ車、急行用の6000形、パレオエクスプレスの客車、普通列車用の1000形がいます。
今日の目的だったはずの3000形の姿が見えません?
撮影してからここまでの間にすれ違った覚えはないのでどこに行ってしまったのでしょう。
ちょっとがっかりです。
また普通電車だろうと撮りに行かなかったら、走りすぎた後から煙が漂ってきました。
見送ってしまった列車は、SL列車のパレオエクスプレスだったのでした。すっかりSLなんか忘れてました。
何となく撮影場所を探しながら三峰口駅まで移動することにして車を発進させました。
走っていると所々でSLの煙に追いつくので、ついつい三峰口の駅まで行ってしまいました。
三峰口の駅では、C58363を間近で見られるようになっており、ファンの方や家族連れの人たちで賑わっています。

私も一緒になって写真を撮っていました。

SLの折り返しの間には多くの人が整備点検等に携わっています。現代の列車のようにスイッチの切り替えだけというわけにはいかないのです。

三峰口駅の構内を見ると西武鉄道から乗り入れ車、急行用の6000形、パレオエクスプレスの客車、普通列車用の1000形がいます。
今日の目的だったはずの3000形の姿が見えません?
撮影してからここまでの間にすれ違った覚えはないのでどこに行ってしまったのでしょう。
ちょっとがっかりです。
2006年12月13日
秩父鉄道へ行った時の話 その10
武甲線の廃線跡探索の後は、しつこく三輪鉱業所に戻ったりしてみたのですが、やっぱり動く気配は見られません。
やはり土曜日に行ってしまったので、貨物列車の運行が少なくこの日はもう終了したのかなと思いながら影森駅に向かって歩き始めました。
影森駅に向かう途中で、鉄道の標識類や看板が沢山置いてある家がありました。趣味で置いているのでしょうか?
ここも撮影してますが、個人宅と思われますので写真は無しです。
再び影森駅で写真を撮ろうと思って最初の踏切まで戻ってきたら、また踏切が鳴り始めました。

来たのはデキ108が牽引するホッパ車です。先頭部のデッキにも人を乗せています。
目の前の踏切を通過して三輪線に向かっていきました。
運が良ければディーゼル機を撮れるのではないかと、三脚を担いだまま今来た道を早足で戻ります。

三輪鉱業所の手前でホッパ車の最後部が見えました。
まだ、工場構内には完全に入っていません。

列車の先頭に回るとディーゼル機が先頭にいました。すでにデキ108はホッパーの前に移動しています。
ゆっくりする暇もなくディーゼル機は白煙を上げて前進を始めました。
ディーゼル機関車単独での写真は撮れませんでしたが、とりあえず動いているところを撮れたので良しとします。
やはり土曜日に行ってしまったので、貨物列車の運行が少なくこの日はもう終了したのかなと思いながら影森駅に向かって歩き始めました。
影森駅に向かう途中で、鉄道の標識類や看板が沢山置いてある家がありました。趣味で置いているのでしょうか?
ここも撮影してますが、個人宅と思われますので写真は無しです。
再び影森駅で写真を撮ろうと思って最初の踏切まで戻ってきたら、また踏切が鳴り始めました。

来たのはデキ108が牽引するホッパ車です。先頭部のデッキにも人を乗せています。
目の前の踏切を通過して三輪線に向かっていきました。
運が良ければディーゼル機を撮れるのではないかと、三脚を担いだまま今来た道を早足で戻ります。

三輪鉱業所の手前でホッパ車の最後部が見えました。
まだ、工場構内には完全に入っていません。

列車の先頭に回るとディーゼル機が先頭にいました。すでにデキ108はホッパーの前に移動しています。
ゆっくりする暇もなくディーゼル機は白煙を上げて前進を始めました。
ディーゼル機関車単独での写真は撮れませんでしたが、とりあえず動いているところを撮れたので良しとします。
2006年12月12日
秩父鉄道へ行った時の話 その9
ハイキングコースが分かれた地点には武甲線のモノだったと思われるレールと枕木が集められていました。
でも他の人のホームページと比べると以前はもっとレールの本数が多くあったようです。


集められたレールの先には勾配標も残っています。
線路跡の方は草むらと化していました。

終点までは線路の跡を辿れなかったので、少し上を平行する道路を歩いていきます。
途中で下を見るとまだレールが残っているのが確認できました。

武甲線の終点だったと思われる地点は、石灰石の山で埋まってしまっています。
さすがに1983年の廃止から24年経っているだけに変化はそれなりにあるようです。
でも他の人のホームページと比べると以前はもっとレールの本数が多くあったようです。


集められたレールの先には勾配標も残っています。
線路跡の方は草むらと化していました。

終点までは線路の跡を辿れなかったので、少し上を平行する道路を歩いていきます。
途中で下を見るとまだレールが残っているのが確認できました。

武甲線の終点だったと思われる地点は、石灰石の山で埋まってしまっています。
さすがに1983年の廃止から24年経っているだけに変化はそれなりにあるようです。
2006年12月11日
秩父鉄道へ行った時の話 その8
まだディーゼル機が動かないので、武甲線の跡を歩いてみました。
影森駅で3本になった線路の真ん中が武甲線でしたが、車止めがあって列車は進めないようになっています。
その車止めの先にも草むらに隠れてレールは残っていました。

その先を辿ると、写真のところでレールは終わっていました。
この場所はSLの撮影ポイントの一つなので、知っている人も多いのではないでしょうか。

線路が無くなっても線路の跡は続き、すぐにハイキングコースになります。

ハイキングコースになった線路跡の脇には、古レールで出来た架線中が残っていました。

しばらく先に行くとハイキングコースは左に曲がり、少し広い場所に出ます。
この場所は何となく小さなヤードがあったようにも感じられる雰囲気がありました。
影森駅で3本になった線路の真ん中が武甲線でしたが、車止めがあって列車は進めないようになっています。
その車止めの先にも草むらに隠れてレールは残っていました。

その先を辿ると、写真のところでレールは終わっていました。
この場所はSLの撮影ポイントの一つなので、知っている人も多いのではないでしょうか。

線路が無くなっても線路の跡は続き、すぐにハイキングコースになります。

ハイキングコースになった線路跡の脇には、古レールで出来た架線中が残っていました。

しばらく先に行くとハイキングコースは左に曲がり、少し広い場所に出ます。
この場所は何となく小さなヤードがあったようにも感じられる雰囲気がありました。
2006年12月10日
秩父鉄道へ行った時の話 その7
ここ三輪鉱業所にはホッパ車を構内に入れるためのディーゼル機がいると聞いていました。
ホッパ車がいなくなった構内を覗いていると、ホッパーの奥からディーゼル機が出てきました。
しかし、ホッパーの下から出る前に停車して動かなくなりました。
そのうち動くのかなと待っていたのですが、全然動きません。近くの撮影をして時間潰しです。

機関車の止まった場所は横はホッパ車、前はホッパーの太い柱。せめて写真が撮れる位置に止まってくれればなと
向こうは仕事、こっちは趣味、わがままは言えませんけどね。

三輪鉱業所のホッパーをサイドから見たところです。
遙か山の上から石灰石をベルトコンベアで運んできています。
ここから下に入ったホッパ車に積み込むのです。

三輪鉱業所を出た列車はすぐに一旦停止します。出たところに制動試験の標識があるのです。
ここから重量列車を牽引してすぐに20パーミルの下り勾配が始まるので、ブレーキの確認を怠ることは出来ません。
ホッパ車がいなくなった構内を覗いていると、ホッパーの奥からディーゼル機が出てきました。
しかし、ホッパーの下から出る前に停車して動かなくなりました。
そのうち動くのかなと待っていたのですが、全然動きません。近くの撮影をして時間潰しです。

機関車の止まった場所は横はホッパ車、前はホッパーの太い柱。せめて写真が撮れる位置に止まってくれればなと
向こうは仕事、こっちは趣味、わがままは言えませんけどね。

三輪鉱業所のホッパーをサイドから見たところです。
遙か山の上から石灰石をベルトコンベアで運んできています。
ここから下に入ったホッパ車に積み込むのです。

三輪鉱業所を出た列車はすぐに一旦停止します。出たところに制動試験の標識があるのです。
ここから重量列車を牽引してすぐに20パーミルの下り勾配が始まるので、ブレーキの確認を怠ることは出来ません。
2006年12月09日
秩父鉄道へ行った時の話 その6
影森駅構内で写真を撮っていると、貨物列車が到着しました。
デキ102牽引で空のホッパ車を連ねています。
列車を見送った後、三輪線の終点に向かって歩いてみました。
三輪線の終点は秩父太平洋セメントの三輪鉱業所の敷地となっています。

石灰石のホッパーの下から先ほどのデキ102が、石灰石を積み込んだホッパ車を牽いて出発する準備中でした。

ほんの少し影森駅側に戻り三輪鉱業所の敷地から出てくるところを撮影します。

ホッパ車の群れは一旦停止後、影森駅に向かって走り去っていきました。
デキ102牽引で空のホッパ車を連ねています。
列車を見送った後、三輪線の終点に向かって歩いてみました。
三輪線の終点は秩父太平洋セメントの三輪鉱業所の敷地となっています。

石灰石のホッパーの下から先ほどのデキ102が、石灰石を積み込んだホッパ車を牽いて出発する準備中でした。

ほんの少し影森駅側に戻り三輪鉱業所の敷地から出てくるところを撮影します。

ホッパ車の群れは一旦停止後、影森駅に向かって走り去っていきました。
2006年12月08日
秩父鉄道へ行った時の話 その5

3000形の急行を見送った後、構内に止まっていたホッパ車が動き出しました。単線区間なので急行通過をを待っていたようです。
貨物列車を見送った後、影森駅を見に行きます。
この駅は貨物を主体に建設されたようで、ホームは構内の端に湾曲して造られています。貨物扱いの線路は真っ直ぐです。
これらの配線からも完全に貨物を優先に作られた駅だと言うことが分かります。

写真は影森駅ホームを三峰口の方から撮ったものです。
駅舎も立派なものがありました。
この駅は有人駅なのですが、駅舎では切符を販売しておりません。
地下道を通ってホームに上がるとそこで切符を販売しています。

駅舎の横には新しく作られたキレイなトイレもありました。
2006年12月07日
秩父鉄道へ行った時の話 その4
武州原谷駅の撮影後、影森駅までやってきました。
ちょうど影森駅の構内にはデキ506単機ともう一両の機関車がホッパ車を連ねて止まっていました。

着いてまずは、駅の三峰口側の踏切から影森駅周辺の様子を撮影していました。
踏切から三峰口側を見ると線路が3本あります。右から本線、廃止となった貨物線の武甲線、同じく貨物線の三輪線の線路です。

撮影を始めてすぐ踏切が鳴り出しました。
何が来るのかと見ていたら、本日の主目的の3000形がやってきました。

慌ててレンズを望遠に付け替えましたが、向かってくるところは間に合わず、走り去るところを後追い撮影するのがやっとでした。
実は貨車を撮っていたら、当初の目的を忘れてしまっていたのです。
また折り返しの列車が来るだろうとこの時点では呑気に思っていました。
ちょうど影森駅の構内にはデキ506単機ともう一両の機関車がホッパ車を連ねて止まっていました。

着いてまずは、駅の三峰口側の踏切から影森駅周辺の様子を撮影していました。
踏切から三峰口側を見ると線路が3本あります。右から本線、廃止となった貨物線の武甲線、同じく貨物線の三輪線の線路です。

撮影を始めてすぐ踏切が鳴り出しました。
何が来るのかと見ていたら、本日の主目的の3000形がやってきました。

慌ててレンズを望遠に付け替えましたが、向かってくるところは間に合わず、走り去るところを後追い撮影するのがやっとでした。
実は貨車を撮っていたら、当初の目的を忘れてしまっていたのです。
また折り返しの列車が来るだろうとこの時点では呑気に思っていました。
2006年12月06日
秩父鉄道へ行った時の話 その3
写真を撮っていると、この日は土曜日なので貨物は動かないよ、影森駅が良いよと、原谷駅の職員の方が教えてくれました。

武州原谷駅(秩父太平洋セメントの構内?)の構内に集う貨車の群れです。
今度は動いている平日に見に来たいと思います。

構内には廃止となっているテキ200形が倉庫か何かとして置かれていました。テキ216か218でした。廃車となったのは1988年の6月です。

ここにはスイッチャーもいました。でもこちらも休み。止まっているところは木に邪魔されて完全には写せませんでした。

武州原谷駅(秩父太平洋セメントの構内?)の構内に集う貨車の群れです。
今度は動いている平日に見に来たいと思います。

構内には廃止となっているテキ200形が倉庫か何かとして置かれていました。テキ216か218でした。廃車となったのは1988年の6月です。

ここにはスイッチャーもいました。でもこちらも休み。止まっているところは木に邪魔されて完全には写せませんでした。
2006年12月05日
秩父鉄道へ行った時の話 その2
寄居付近で秩父鉄道と出会い、最初の撮影をどこから始めようかなと車を走らせていたら大野原駅まで来ていました。
この駅から熊谷方面に戻ったところに秩父太平洋セメントの工場があるので行ってみました。

最初に目に入ったのは、大きなセメント工場と石灰で白っぽくなった黒いセメント用タンク車の群れでした。

端っこから車両を一両ずつ撮っていくと武州原谷駅の建物がありました。ここはセメント工場の貨物を扱うための貨物駅です。

武州原谷駅の更に先には、セメント工場の積み込み用の施設があります。貨物用のホームも備わっていました。
この駅から熊谷方面に戻ったところに秩父太平洋セメントの工場があるので行ってみました。

最初に目に入ったのは、大きなセメント工場と石灰で白っぽくなった黒いセメント用タンク車の群れでした。

端っこから車両を一両ずつ撮っていくと武州原谷駅の建物がありました。ここはセメント工場の貨物を扱うための貨物駅です。

武州原谷駅の更に先には、セメント工場の積み込み用の施設があります。貨物用のホームも備わっていました。
2006年12月04日
秩父鉄道に行った時の話 その1
10月21日に秩父鉄道で引退する事になった、元国鉄の急行形165系電車改造の秩父3000形を撮りに行った時の話です。
この日は土曜日でした。早朝に家を出たのに関越道は途中から渋滞が始まりました。10月の紅葉シーズンなのでみんな行楽に行くようです。
しばらくは渋滞とともに進んでいたのですが、東松山手前から流れが悪化したので一般道におりました。
国道を降りて30分ほど走ったところで、F誌に出ていたラーメン屋さんがあるのを偶然発見、ちょっと立ち寄って撮影しました。

このラーメン屋も今日の撮影目的の秩父3000形の車体を使用しています。
使用されていた車両は秩父3000形第3編成の先頭車だった、国鉄クモハ165-93を改造した3003でした。

ちなみにヘッドマークはラーメン急行山小屋のシールが貼ってありました。
この日は土曜日でした。早朝に家を出たのに関越道は途中から渋滞が始まりました。10月の紅葉シーズンなのでみんな行楽に行くようです。
しばらくは渋滞とともに進んでいたのですが、東松山手前から流れが悪化したので一般道におりました。
国道を降りて30分ほど走ったところで、F誌に出ていたラーメン屋さんがあるのを偶然発見、ちょっと立ち寄って撮影しました。

このラーメン屋も今日の撮影目的の秩父3000形の車体を使用しています。
使用されていた車両は秩父3000形第3編成の先頭車だった、国鉄クモハ165-93を改造した3003でした。

ちなみにヘッドマークはラーメン急行山小屋のシールが貼ってありました。
2006年12月03日
夜の阿字ヶ浦駅
日立電鉄の撮影の帰りにちょっとだけ寄り道して、茨城交通湊線の阿字ヶ浦駅に立ち寄ってみました。
折角来たので三脚を出して夜の車両を撮影しました。
茨城交通も廃止問題が出ており茨城のローカル私鉄は大丈夫でしょうか?気が付いたら関東鉄道だけにならないことを祈ります。

古いタイプの気動車を期待していたのですが、来た車両は37100形の03番でした。
この車両は茨城交通で一番新しいタイプの気動車です。
3710形をマイナーチェンジして、37100形という形式になっています。
3710形は「ミナト形」の語呂合わせですけど37100形は何と呼ぶのでしょうか?

この駅からは阿字ヶ浦の海水浴場が近く、昔は海水浴シーズンになると、国鉄の気動車が乗り入れてきていました。
昔ほどではないにしろまだ海水浴客の利用があるようで、この駅には更衣室として、使わなくなった気動車を利用しています。
今年は羽幌炭砿鉄道カラーに塗り直されて使われていた、キハ221が更衣室になっていたようです。
残念ながら夜なのではっきり分かりませんが、ちょっと状態は悪そうです。
折角来たので三脚を出して夜の車両を撮影しました。
茨城交通も廃止問題が出ており茨城のローカル私鉄は大丈夫でしょうか?気が付いたら関東鉄道だけにならないことを祈ります。

古いタイプの気動車を期待していたのですが、来た車両は37100形の03番でした。
この車両は茨城交通で一番新しいタイプの気動車です。
3710形をマイナーチェンジして、37100形という形式になっています。
3710形は「ミナト形」の語呂合わせですけど37100形は何と呼ぶのでしょうか?

この駅からは阿字ヶ浦の海水浴場が近く、昔は海水浴シーズンになると、国鉄の気動車が乗り入れてきていました。
昔ほどではないにしろまだ海水浴客の利用があるようで、この駅には更衣室として、使わなくなった気動車を利用しています。
今年は羽幌炭砿鉄道カラーに塗り直されて使われていた、キハ221が更衣室になっていたようです。
残念ながら夜なのではっきり分かりませんが、ちょっと状態は悪そうです。
2006年12月02日
日立電鉄廃線跡探索 その17
やっと14駅目の終点常北太田駅に到着しました。
時間はすでに17時を過ぎていましたが、なんとか撮影は出来ました。
常北太田の駅舎はバスの待合所としても使われているようで、現役当時とあまり変わりません。

ぱっと見ての違いは駅名の看板が無くなっていることぐらいでした。

常北太田駅を出発する列車は道路を横切るので踏切がありました。
今回の訪問では見ることが出来た踏切は、すべて線路が残ったままの状態でした。
踏切警報機や遮断機は撤去されていました。

駅の構内の様子はやはり留置線を含めて沢山あった線路は剥がされており、ホームだけが残されていました。

駅舎の内部は窓口などが閉鎖された以外は、現役当時の姿をとどめていました。
この駅の向かいは道路を挟んでJR水郡線の常陸太田駅があります。
新型気動車が入るらしいのでキハ110系もこの線から撤収になるようなので撮影しようと待っていたのですが、油断をしていたら撮り逃してしまいました。
今回の撮影は最初から最後までどじったままです。
時間はすでに17時を過ぎていましたが、なんとか撮影は出来ました。
常北太田の駅舎はバスの待合所としても使われているようで、現役当時とあまり変わりません。

ぱっと見ての違いは駅名の看板が無くなっていることぐらいでした。

常北太田駅を出発する列車は道路を横切るので踏切がありました。
今回の訪問では見ることが出来た踏切は、すべて線路が残ったままの状態でした。
踏切警報機や遮断機は撤去されていました。

駅の構内の様子はやはり留置線を含めて沢山あった線路は剥がされており、ホームだけが残されていました。

駅舎の内部は窓口などが閉鎖された以外は、現役当時の姿をとどめていました。
この駅の向かいは道路を挟んでJR水郡線の常陸太田駅があります。
新型気動車が入るらしいのでキハ110系もこの線から撤収になるようなので撮影しようと待っていたのですが、油断をしていたら撮り逃してしまいました。
今回の撮影は最初から最後までどじったままです。
2006年12月01日
日立電鉄廃線跡探索 その16
小沢駅から終点の常北太田の間には、里川に架かる里川橋梁がありました。
この橋梁は日立電鉄の中で川に架かる一番大きな鉄橋であり、撮影ポイントにもなっていました。
常北太田駅に行く前に鉄橋の様子も見ていきました。

この橋梁はまだ撤去されておらずに残っていました。また、今回の廃線跡の中で唯一架線が残っていた場所でした。

架線は残っていましたが、架線柱にぶら下がっているだけの状態でした。
この橋梁は日立電鉄の中で川に架かる一番大きな鉄橋であり、撮影ポイントにもなっていました。
常北太田駅に行く前に鉄橋の様子も見ていきました。

この橋梁はまだ撤去されておらずに残っていました。また、今回の廃線跡の中で唯一架線が残っていた場所でした。

架線は残っていましたが、架線柱にぶら下がっているだけの状態でした。
