2006年10月31日
神奈川臨海鉄道探索 その1
鉄道の日の10月14日は、神奈川臨海鉄道の浮島線・千鳥線を見に行っています。
今回は仕事が明け番だった仮設住宅氏と、京急川崎駅で合流して行きました。
神奈川臨海鉄道の浮島線と千鳥線は、JRの川崎貨物駅から分岐する形となっています。(昔の塩浜操車場)
塩浜駅に行くには、京急大師線に乗って終点の小島新田駅で降りると目の前でした。

駅を出てすぐ左側にJRの貨物線を跨ぐ陸橋が架かっているので、そこへ上がります。

上がると右から神奈川臨海鉄道の機関車がコンテナ車を牽いてやってきましたので、フェンスの隙間にレンズを突っ込んで撮影しています。
列車は停止後、バックして行きました。
どうやら塩浜駅の入換作業をしているようです。
陸橋を渡っている最中に左からも神奈川臨海の機関車が通過していきました。
こちらは浮島線からの単機回送のようです。

単機で通過する機関車を撮影したのですが、手前にコンテナ車が停まっているのでちょっとしか写りませんでした。
まずは浮島線を探索することにしてみます。
今回は仕事が明け番だった仮設住宅氏と、京急川崎駅で合流して行きました。
神奈川臨海鉄道の浮島線と千鳥線は、JRの川崎貨物駅から分岐する形となっています。(昔の塩浜操車場)
塩浜駅に行くには、京急大師線に乗って終点の小島新田駅で降りると目の前でした。

駅を出てすぐ左側にJRの貨物線を跨ぐ陸橋が架かっているので、そこへ上がります。

上がると右から神奈川臨海鉄道の機関車がコンテナ車を牽いてやってきましたので、フェンスの隙間にレンズを突っ込んで撮影しています。
列車は停止後、バックして行きました。
どうやら塩浜駅の入換作業をしているようです。
陸橋を渡っている最中に左からも神奈川臨海の機関車が通過していきました。
こちらは浮島線からの単機回送のようです。

単機で通過する機関車を撮影したのですが、手前にコンテナ車が停まっているのでちょっとしか写りませんでした。
まずは浮島線を探索することにしてみます。
2006年10月30日
神奈川臨海鉄道本牧線を見に行った
10月8日、田浦の次に向かったのは根岸線の根岸駅です。
この駅から神奈川臨海鉄道の本牧線が出ているので見に行ってみました。
根岸駅には石油輸送用のタンク車が多くいるとは聞いていました。京葉臨海鉄道でタンク車はいつも見ているので同じような感じなのかと思っていました。いざ根岸駅のホームから見渡すと、根岸線に沿った側線にもそれなりに多くのタンク車がいて、更にその向こう側の新日本石油(だったかな?)の構内には見渡す限りのタンク車の列がありました。これにはちょっとびっくりしました。

時間的に光線状態と撮影地点が良くなく、たくさん並んでいる写真の代わりに、側線側のタンク車をあげておきます。
駅を出て桜木町方面に向けて線路沿いを歩いていきます。そこには神奈川臨海鉄道の機関車が待機していました。

そこにいた機関車はDD5514号機、国鉄のDD13タイプの機関車です。
機関車の先で線路沿いの道は終わります。広い通りに出て本牧ふ頭方面に歩いていくと、頭上を根岸線が横切っていき、その先で神奈川臨海鉄道の線路が現れます。
その先は太い道路の右側に線路が続き、その隣の敷地は新日本石油の敷地がしばらく続きます。肝心な構内のタンク車が覗けるところは見あたりませんでした。
線路が通っている太い道路の上には、首都高速道が走っています。
歩くこと50分ほどで横浜本牧駅が見えてきました。線路の向こう側にも線路が見えています。そこに立っていたキロポストは4キロでした。
この時点で16時半になっており、構内の写真を撮っても高速道路の影が伸びてまともに撮影できなくなっています。

横浜本牧駅の建物だけ撮ってこの日は撤収、また後日裁縫することにしました。
この駅から神奈川臨海鉄道の本牧線が出ているので見に行ってみました。
根岸駅には石油輸送用のタンク車が多くいるとは聞いていました。京葉臨海鉄道でタンク車はいつも見ているので同じような感じなのかと思っていました。いざ根岸駅のホームから見渡すと、根岸線に沿った側線にもそれなりに多くのタンク車がいて、更にその向こう側の新日本石油(だったかな?)の構内には見渡す限りのタンク車の列がありました。これにはちょっとびっくりしました。

時間的に光線状態と撮影地点が良くなく、たくさん並んでいる写真の代わりに、側線側のタンク車をあげておきます。
駅を出て桜木町方面に向けて線路沿いを歩いていきます。そこには神奈川臨海鉄道の機関車が待機していました。

そこにいた機関車はDD5514号機、国鉄のDD13タイプの機関車です。
機関車の先で線路沿いの道は終わります。広い通りに出て本牧ふ頭方面に歩いていくと、頭上を根岸線が横切っていき、その先で神奈川臨海鉄道の線路が現れます。
その先は太い道路の右側に線路が続き、その隣の敷地は新日本石油の敷地がしばらく続きます。肝心な構内のタンク車が覗けるところは見あたりませんでした。
線路が通っている太い道路の上には、首都高速道が走っています。
歩くこと50分ほどで横浜本牧駅が見えてきました。線路の向こう側にも線路が見えています。そこに立っていたキロポストは4キロでした。
この時点で16時半になっており、構内の写真を撮っても高速道路の影が伸びてまともに撮影できなくなっています。

横浜本牧駅の建物だけ撮ってこの日は撤収、また後日裁縫することにしました。
2006年10月29日
田浦の相模運輸倉庫専用線 その17
海上自衛隊のフェンスに沿って左に行くと、自衛隊の門があります。
その前まで2本の線路が来ていました。

過去には自衛隊の中まで延びていたようですが、ここもこの先は辿れません。

自衛隊前から線路を辿っていくと2本あった線路が1本にまとまります。
更にそこから歩いていくと見覚えのある倉庫がありました。

ちょうどこの倉庫のある場所が、この日の探索のスタート地点だったのです。
やっと分かる範囲の線路を全部回ったことになりました。
ここの専用線は一言で言って「楽しい」です。なかなか一般の鉄道では味わえない雰囲気があります。
模型的にも配線を再現したら楽しいレイアウトが組めそうです。
この専用線の当日は、根岸に出て神奈川臨海鉄道本牧線の様子を見に行ってます。
このネタずいぶん長くなってしまいました。あまりにも長かったので日記形式だったブログを変更する羽目になりました。
これでやっと違うネタに行けます。
その前まで2本の線路が来ていました。

過去には自衛隊の中まで延びていたようですが、ここもこの先は辿れません。

自衛隊前から線路を辿っていくと2本あった線路が1本にまとまります。
更にそこから歩いていくと見覚えのある倉庫がありました。

ちょうどこの倉庫のある場所が、この日の探索のスタート地点だったのです。
やっと分かる範囲の線路を全部回ったことになりました。
ここの専用線は一言で言って「楽しい」です。なかなか一般の鉄道では味わえない雰囲気があります。
模型的にも配線を再現したら楽しいレイアウトが組めそうです。
この専用線の当日は、根岸に出て神奈川臨海鉄道本牧線の様子を見に行ってます。
このネタずいぶん長くなってしまいました。あまりにも長かったので日記形式だったブログを変更する羽目になりました。
これでやっと違うネタに行けます。
2006年10月28日
田浦の相模運輸倉庫専用線 その16
砂利の山の向こう側は線路は見えませんがコンクリートの橋が架かっています。

その延長上には白い建物があります。これは最初の方に出てきた税関の建物で最初に合流してきたポイント跡に続いていたのでした。

写真で右の線路の正面が砂利の山で、左の線路が最初に辿ってきた線路です。
再び砂利山の前まで戻ります。

線路が合流した後、線路は真っ直ぐ進んでいきますが、その先でさっぱり跡が分からなくなってしまいました。
そのまま前進するとフェンスがあり先には行けません。そこは海上自衛隊の艦船補給処でした。

その延長上には白い建物があります。これは最初の方に出てきた税関の建物で最初に合流してきたポイント跡に続いていたのでした。

写真で右の線路の正面が砂利の山で、左の線路が最初に辿ってきた線路です。
再び砂利山の前まで戻ります。

線路が合流した後、線路は真っ直ぐ進んでいきますが、その先でさっぱり跡が分からなくなってしまいました。
そのまま前進するとフェンスがあり先には行けません。そこは海上自衛隊の艦船補給処でした。
2006年10月27日
田浦の相模運輸倉庫専用線 その15
港の線路が消えた工事現場の資材置き場の先で、港は直角に曲がっています。曲がったところで資材置き場は終わっており線路がカーブしながら現れます。

線路の方も港に合わせて90度方向を変えたところで再び線路が合流してきました。

合流してきた線路は砂利置き場に続いています。良く見ると砂利と一緒にショベルカーで掘り出されたのか、線路が曲がって上を向いていました。


線路の方も港に合わせて90度方向を変えたところで再び線路が合流してきました。

合流してきた線路は砂利置き場に続いています。良く見ると砂利と一緒にショベルカーで掘り出されたのか、線路が曲がって上を向いていました。

2006年10月26日
田浦の相模運輸倉庫専用線 その14
再び分岐点まで戻ってきました。

正面の建物の右から写真を撮っている方向への線路が、米国政府使用施設方向から来た線路、建物の左側の道路の更に左に沿って港の荷物置き場へ向かう線路があります。
元来た線路の先へ進んでみます。

線路は港に沿って進んでいきます。港の前には大きな倉庫が建っていました。

そのまま進んで行くとガーター橋が架かっています。しかし、ぱっと見ただけでは分かりません。
何故分からないかというと ガーターの上にコンクリ-とがあってその上を線路が通っているからです。
橋を海側から見るとちゃんと分かります。
その先は線路の上が工事の資材置き場になっていました。

正面の建物の右から写真を撮っている方向への線路が、米国政府使用施設方向から来た線路、建物の左側の道路の更に左に沿って港の荷物置き場へ向かう線路があります。
元来た線路の先へ進んでみます。

線路は港に沿って進んでいきます。港の前には大きな倉庫が建っていました。

そのまま進んで行くとガーター橋が架かっています。しかし、ぱっと見ただけでは分かりません。
何故分からないかというと ガーターの上にコンクリ-とがあってその上を線路が通っているからです。
橋を海側から見るとちゃんと分かります。
その先は線路の上が工事の資材置き場になっていました。
2006年10月25日
田浦の相模運輸倉庫専用線 その13
駐車場の先の線路はプレハブの建物がある敷地へ続いていました。
道路側からだと何も見えません。
港側から回り込むとプレハブの建物の間にかろうじてレールが頭を出しているのが確認できました。

写真真ん中の青いドラム缶の左下にレールが見えてます。

上の写真のアップです。

建物の敷地を過ぎると、港の荷物置き場に出ます。
ここはアスファルトで舗装された広い敷地となっていました。
建物の線路の延長戦を良く見ると線路の上からアスファルトを被せてしまっているのが分かります。
線路が確認できたのはここまでで、この先はよく分かりませんでした。

ここの港の向こうは海上自衛隊の基地なので、自衛隊の船や潜水艦が見えています。だからといって殺伐としているわけではなく、ノンビリと釣りをしている人たちが多く見られました。
道路側からだと何も見えません。
港側から回り込むとプレハブの建物の間にかろうじてレールが頭を出しているのが確認できました。

写真真ん中の青いドラム缶の左下にレールが見えてます。

上の写真のアップです。

建物の敷地を過ぎると、港の荷物置き場に出ます。
ここはアスファルトで舗装された広い敷地となっていました。
建物の線路の延長戦を良く見ると線路の上からアスファルトを被せてしまっているのが分かります。
線路が確認できたのはここまでで、この先はよく分かりませんでした。

ここの港の向こうは海上自衛隊の基地なので、自衛隊の船や潜水艦が見えています。だからといって殺伐としているわけではなく、ノンビリと釣りをしている人たちが多く見られました。
2006年10月24日
田浦の相模運輸倉庫専用線 その12
線路が現れた先は再び道路になっており、線路はまっすぐ道路上に進んでいました。

写真の左側が海になっており、長浦港になっています。
道路上に出た線路は一部が舗装されて消えています。でもアスファルトを被せただけのようでした。

ちょうどこの地点は道路が合流する地点なので広々としています。

2番目の写真の右側に車が駐車していますが、そこに近づくとここにも線路が発見できました。合流してきた道路にも線路があったのです。
先にそちら側を見ることにします。

写真の左側が海になっており、長浦港になっています。
道路上に出た線路は一部が舗装されて消えています。でもアスファルトを被せただけのようでした。

ちょうどこの地点は道路が合流する地点なので広々としています。

2番目の写真の右側に車が駐車していますが、そこに近づくとここにも線路が発見できました。合流してきた道路にも線路があったのです。
先にそちら側を見ることにします。
2006年10月23日
田浦の相模運輸倉庫専用線 その11
米国政府使用施設で行き止まりになってしまったので、再び来た線路を戻っていきます。
戻る右手にも建物があり、そちらにも線路があったような雰囲気が感じられました。
そのまま戻っていくと、カーブを伴う簡単な踏切がありますが、その直前から線路が分かれていた跡があります。敷地の広さから考えると複線だったように感じます。

写真の右手が米国政府使用施設。真ん中より左側の草が生えているところに向かって、以前は線路があったようです。

こちらの線路跡地はすっかり草むらと化していました。
踏切側では線路は発見できません。

直線のまま廃線跡は続いており、草むらが無くなったところから線路が姿を表しました。
戻る右手にも建物があり、そちらにも線路があったような雰囲気が感じられました。
そのまま戻っていくと、カーブを伴う簡単な踏切がありますが、その直前から線路が分かれていた跡があります。敷地の広さから考えると複線だったように感じます。

写真の右手が米国政府使用施設。真ん中より左側の草が生えているところに向かって、以前は線路があったようです。

こちらの線路跡地はすっかり草むらと化していました。
踏切側では線路は発見できません。

直線のまま廃線跡は続いており、草むらが無くなったところから線路が姿を表しました。
2006年10月22日
田浦の相模運輸倉庫専用線 その10
倉庫街から元の線路に戻ります。
道路を挟んで平行していた線路と合流すると、単線となり、左右のカーブを繰り返しながら先に進みます。
途中、明らかに左側から合流する線路があったらしき場所もありますが、そのまま先に進みます。

その先にはまたまたフェンスが立ちふさがっています。
しかし、今までのフェンスと違いここだけは先に進むわけにはいきません。
なぜならここから先は米国政府使用施設、要するに米軍の施設だからです。
さすがにここは入る勇気がありません。

以前は、ここの港までアメリカから航空燃料を船で運んできて、ここまでの線路を使用して、厚木基地などへ鉄道で輸送していました。
しかしながら、日本政府による「思いやり予算」とかで、日本による予算になり、燃料も国内での調達となったため、航空燃料の輸送自体が終了してしまったのでした。

このフェンスの先を覗くと、線路は突然終わっています。
その先はアスファルトで舗装されてしまっているのでした。
良く見るとうっすらと左にカーブしていた跡は分かります。
かなり以前はこの中もずっと先まで続いていたようであり、トンネル内の軌道終端の先も米軍の施設内まで延びていたようですが、確かめられません。
道路を挟んで平行していた線路と合流すると、単線となり、左右のカーブを繰り返しながら先に進みます。
途中、明らかに左側から合流する線路があったらしき場所もありますが、そのまま先に進みます。

その先にはまたまたフェンスが立ちふさがっています。
しかし、今までのフェンスと違いここだけは先に進むわけにはいきません。
なぜならここから先は米国政府使用施設、要するに米軍の施設だからです。
さすがにここは入る勇気がありません。

以前は、ここの港までアメリカから航空燃料を船で運んできて、ここまでの線路を使用して、厚木基地などへ鉄道で輸送していました。
しかしながら、日本政府による「思いやり予算」とかで、日本による予算になり、燃料も国内での調達となったため、航空燃料の輸送自体が終了してしまったのでした。

このフェンスの先を覗くと、線路は突然終わっています。
その先はアスファルトで舗装されてしまっているのでした。
良く見るとうっすらと左にカーブしていた跡は分かります。
かなり以前はこの中もずっと先まで続いていたようであり、トンネル内の軌道終端の先も米軍の施設内まで延びていたようですが、確かめられません。
2006年10月21日
田浦の相模運輸倉庫専用線 その9
本日は秩父鉄道へ行ってきました。元JR165系の3000系が引退するというので撮影に出向きました。
秩父鉄道は初めてみたいなものなので(過去に1区間だけ乗車)撮影ポイントが分からないので、ウロウロしていたらいきなりやってきてしまったので、ちゃんと撮れているか怪しいものです。
ここの鉄道は貨物列車あり、貨物線あり、他社からの乗り入れ列車あり、SLありでなかなか楽しいところでした。
秩父鉄道の報告はまたまたまたま後日と言うことにして、相模運輸倉庫の続きです。
倉庫に続く線路を辿ると、すぐに線路は荷物の山に埋もれてしまいます。その先、低温倉庫というのがあり、その前に行くと荷物がないので再び姿を現します。

昔はここでも何かの積み込み作業があったのでしょうか。

線路はそのまま先まで続いています。

線路の延長線上には川が流れており橋が架かっていました。その橋の手前で線路はぷつりと切れて終点となりました。
この川は、線路を探索を始めた最初の頃にあった古い鉄橋が架かっている川と同じであり、橋の向こうに最初の線路が通っています。
秩父鉄道は初めてみたいなものなので(過去に1区間だけ乗車)撮影ポイントが分からないので、ウロウロしていたらいきなりやってきてしまったので、ちゃんと撮れているか怪しいものです。
ここの鉄道は貨物列車あり、貨物線あり、他社からの乗り入れ列車あり、SLありでなかなか楽しいところでした。
秩父鉄道の報告はまたまたまたま後日と言うことにして、相模運輸倉庫の続きです。
倉庫に続く線路を辿ると、すぐに線路は荷物の山に埋もれてしまいます。その先、低温倉庫というのがあり、その前に行くと荷物がないので再び姿を現します。

昔はここでも何かの積み込み作業があったのでしょうか。

線路はそのまま先まで続いています。

線路の延長線上には川が流れており橋が架かっていました。その橋の手前で線路はぷつりと切れて終点となりました。
この川は、線路を探索を始めた最初の頃にあった古い鉄橋が架かっている川と同じであり、橋の向こうに最初の線路が通っています。
2006年10月20日
田浦の相模運輸倉庫専用線 その8
海に向かって左側の線路に沿って進みます。

直線が終わったところで左から道路が合流してきます。
その先で右側を進んでいた線路と合流して1本になっていました。
良く見るとその合流の手前右側からも線路がやってきています。

ちょうどトラックが止まっているので見えませんが、左から来た線路の合流はトレーラーの先にありました。ここもすでにポイントは無くなっていました。

左から合流する線路を振り返ってみると、倉庫群の間に進んでいきました。
今度はこちらを辿ってみます。

直線が終わったところで左から道路が合流してきます。
その先で右側を進んでいた線路と合流して1本になっていました。
良く見るとその合流の手前右側からも線路がやってきています。

ちょうどトラックが止まっているので見えませんが、左から来た線路の合流はトレーラーの先にありました。ここもすでにポイントは無くなっていました。

左から合流する線路を振り返ってみると、倉庫群の間に進んでいきました。
今度はこちらを辿ってみます。
2006年10月19日
田浦の相模運輸倉庫専用線 その7
再び平面クロスまでやってきました。
平面クロスから先は、2本の平行する線路の間に道路を挟む形で先に延びています。
道路の方にはフェンスがあり、車は通り抜けられないようになっていますが、人の方は線路の上を行けば関係なく抜けられます。

田浦駅から港に向かう方向に撮った写真です。フェンスの向こう右側にも線路があります。

こちらはフェンスの先で撮った右側の線路の様子です。

ちょっと先まで行って振り向いてフェンスを入れての撮影。2本の線路の位置関係はこうなっています。
左から来る青いトラックが走る道が、軌道終端の表示があるトンネルへの道です。
平面クロスから先は、2本の平行する線路の間に道路を挟む形で先に延びています。
道路の方にはフェンスがあり、車は通り抜けられないようになっていますが、人の方は線路の上を行けば関係なく抜けられます。

田浦駅から港に向かう方向に撮った写真です。フェンスの向こう右側にも線路があります。

こちらはフェンスの先で撮った右側の線路の様子です。

ちょっと先まで行って振り向いてフェンスを入れての撮影。2本の線路の位置関係はこうなっています。
左から来る青いトラックが走る道が、軌道終端の表示があるトンネルへの道です。
2006年10月18日
田浦の相模運輸倉庫専用線 その6
フェンスの所までやってきまたので、先を見てみます。

フェンスの前後で線路は切られてしまっています。もう二度と列車が走ることはないのでしょう。
フェンスの先には田浦駅の久里浜側のトンネルが口を開けていました。
当然、その隣には横須賀線の線路もあります。

フェンスの位置から先には行けないので、再び来た線路を辿って平面クロス方向に戻ります。

平面クロスの手前の風景はこんな感じです。
ここまで歩いた辺りで、放置されている2両の機関車が見つかっていないことに気が付きました。
先月20日に来たI氏の写真では、平面クロスの辺りの草むらの中に、2両の機関車が置いてありました。まだ全線を回っていないので場所を勘違いしているかもしれませんということで、先に進みました。
==コメント==
私は田浦駅のごく近くに住んでいるものですが、毎日通勤時に見かけた機関車は、ある日こつ然と消えました。もし事情がわかりましたら連絡いたします。
投稿者 fuji 2006/10/22 19:08
==コメント==
fuji様コメントありがとうございます。
色々な人の情報によれば、先月20日の時点で確認されていた機関車は、今月5日の時点ではまだあったのですが20日の時点と位置が変わっており、また、周りの雑草もきれいに刈り取られていたそうです。5日を含め3日間のうちにどこかに持って行かれてしまったようです。
地元で情報が分かれば教えてください。
投稿者 kd55-101 2006/10/22 23:25
==コメント==
これだけ、ポイントが残っているところが有るとは知りませんでした。
3枚目のノーズからのアングルはくすぐられます。
1日楽しめそうですね。
投稿者 機関士魂 2006/10/23 22:04
==コメント==
あっちへ分岐、こっちへ分岐と迷路のような線路配置を追っかけているだけでかなり楽しめるところです。
ここの港には休日になれば釣り客もやってきますし、海上自衛隊の船や潜水艦まで見られます。
なかなか貴重な場所なのは確かですね。
欲を言えば現役時代に見たかったです。
投稿者 kd55-101 2006/10/23 23:36

フェンスの前後で線路は切られてしまっています。もう二度と列車が走ることはないのでしょう。
フェンスの先には田浦駅の久里浜側のトンネルが口を開けていました。
当然、その隣には横須賀線の線路もあります。

フェンスの位置から先には行けないので、再び来た線路を辿って平面クロス方向に戻ります。

平面クロスの手前の風景はこんな感じです。
ここまで歩いた辺りで、放置されている2両の機関車が見つかっていないことに気が付きました。
先月20日に来たI氏の写真では、平面クロスの辺りの草むらの中に、2両の機関車が置いてありました。まだ全線を回っていないので場所を勘違いしているかもしれませんということで、先に進みました。
==コメント==
私は田浦駅のごく近くに住んでいるものですが、毎日通勤時に見かけた機関車は、ある日こつ然と消えました。もし事情がわかりましたら連絡いたします。
投稿者 fuji 2006/10/22 19:08
==コメント==
fuji様コメントありがとうございます。
色々な人の情報によれば、先月20日の時点で確認されていた機関車は、今月5日の時点ではまだあったのですが20日の時点と位置が変わっており、また、周りの雑草もきれいに刈り取られていたそうです。5日を含め3日間のうちにどこかに持って行かれてしまったようです。
地元で情報が分かれば教えてください。
投稿者 kd55-101 2006/10/22 23:25
==コメント==
これだけ、ポイントが残っているところが有るとは知りませんでした。
3枚目のノーズからのアングルはくすぐられます。
1日楽しめそうですね。
投稿者 機関士魂 2006/10/23 22:04
==コメント==
あっちへ分岐、こっちへ分岐と迷路のような線路配置を追っかけているだけでかなり楽しめるところです。
ここの港には休日になれば釣り客もやってきますし、海上自衛隊の船や潜水艦まで見られます。
なかなか貴重な場所なのは確かですね。
欲を言えば現役時代に見たかったです。
投稿者 kd55-101 2006/10/23 23:36
2006年10月17日
田浦の相模運輸倉庫専用線 その5
トンネルから出たら今度は先ほど右から合流してきた線路を辿ってみます。

写真は分岐した線路からトンネル方向を見たところです。

線路に沿っていくと、平面クロスしている線路とぶつかりました。ちゃんと2本の線路が平行しています。
更に前進を続けますと、駅間近のトンネルの入り口の手前に出ます。その部分にはフェンスが張ってあり。それ以上の前進は阻まれてしまいました。

フェンスの先、左側が横須賀線です。

写真は分岐した線路からトンネル方向を見たところです。

線路に沿っていくと、平面クロスしている線路とぶつかりました。ちゃんと2本の線路が平行しています。
更に前進を続けますと、駅間近のトンネルの入り口の手前に出ます。その部分にはフェンスが張ってあり。それ以上の前進は阻まれてしまいました。

フェンスの先、左側が横須賀線です。
2006年10月16日
田浦の相模運輸倉庫専用線 その4

線路が消えているところ良く見ると、線路の上にアスファルトでそのまま舗装しているのが分かります。
線路の形跡ははトンネルの中まで続いているので、そのままトンネルの中まで入ります。

トンネル内にはいると、砂埃だらけの看板がありました。良く見ると軌道終端と書かれています。
以前はここまで線路があった証拠です。ここまで列車が来てポイントを切り替えて違う線路に折り返していたのでした。
遙か以前はそのままトンネルを突き抜けて反対側にも延びていたらしいのですが、そちらの探索はやめて折り返します。
このトンネルは平日はそれなりに交通量があるらしいので、ゆっくり見学しているとトラックに轢かれますので休日が良いようです。周囲が倉庫街なのでトラックが多いらしいです。
2006年10月15日
田浦の相模運輸倉庫専用線 その3
クロス地点まで来ました。

クロスするレールは間隔の広く開いた複線状なので当然直角クロスは2カ所ありました。
この地点から更に前進すると、右から線路が合流してきます。

合流してきた線路は、先ほどクロスした線路から分かれてきてこちらに合流しています。
合流したポイントの先にはトンネルが見えていますが、合流直後に線路は消えていました。

クロスするレールは間隔の広く開いた複線状なので当然直角クロスは2カ所ありました。
この地点から更に前進すると、右から線路が合流してきます。

合流してきた線路は、先ほどクロスした線路から分かれてきてこちらに合流しています。
合流したポイントの先にはトンネルが見えていますが、合流直後に線路は消えていました。

2006年10月14日
田浦の相模運輸倉庫専用線 その2
今日は鉄道の日。休みになるようにしてはいたのですが、夕方から用事が入ってしまったので、近場に出掛けてきました。
今日の目的地は神奈川臨海鉄道の浮島線と千鳥線でした。また内容は後日と言うことで。(最近このパターンばっかりですね)
さて本題。線路に沿って税関の建物まで歩いていくと、左からも線路が現れます。

現れた線路は、辿ってきた線路とちょうど税関の前で合流していたようです。昔はポイントがあって合流していたのですが、左からの線路はずいぶん前に廃止されているので、ポイントもすでに無くなっています。
そのまま先に進むと、今度は川を渡る鉄橋が出てきました。

この橋梁についている銘板は川崎造船所○○工場、大正○年の文字が見えました。なかなかの年代物のようです。
更に先に進むと踏切にぶつかります。道路を線路が横切っています。辿ってきた線路は道路に沿っているので一緒に横切ることになります。

ここが線路が直角にクロスしている地点です。一般的な鉄道ではあまり見ることがないので貴重なのですが。ここも現役から退いてしまったので残念です。
今日の目的地は神奈川臨海鉄道の浮島線と千鳥線でした。また内容は後日と言うことで。(最近このパターンばっかりですね)
さて本題。線路に沿って税関の建物まで歩いていくと、左からも線路が現れます。

現れた線路は、辿ってきた線路とちょうど税関の前で合流していたようです。昔はポイントがあって合流していたのですが、左からの線路はずいぶん前に廃止されているので、ポイントもすでに無くなっています。
そのまま先に進むと、今度は川を渡る鉄橋が出てきました。

この橋梁についている銘板は川崎造船所○○工場、大正○年の文字が見えました。なかなかの年代物のようです。
更に先に進むと踏切にぶつかります。道路を線路が横切っています。辿ってきた線路は道路に沿っているので一緒に横切ることになります。

ここが線路が直角にクロスしている地点です。一般的な鉄道ではあまり見ることがないので貴重なのですが。ここも現役から退いてしまったので残念です。
2006年10月13日
田浦の相模運輸倉庫専用線 その1
10月8日、田浦の相模運輸倉庫専用線に出掛けました。
内房線沿線の人間にとって、東京湾の向こう側は直線にすると短いのですが、電車で行くとかなりの距離となります。
土曜日だったのでホリデーパスで安くなった分、総武快速・横須賀線のグリーン車を奮発して行きました。
家のある姉ヶ崎駅から、2時間半掛けて田浦駅までやって来ると、久里浜方にトンネルが3つ口を開けて待っていました。

右から横須賀線上り、横須賀線下り、一番左が今回の目的の相模運輸倉庫専用線のトンネルです。
田浦駅自体は前後がトンネルに挟まれた狭い敷地にあります。
その海側に簡単なヤードがあったのですが、廃止となって草が生えていました。

横須賀線からの分岐は下り線の大船側にありました。
専用線の跡は駅を出て海側にあり早速向かいます。
駅前にはいきなり倉庫群、目の前の道路を右に行き道なりに進んでいきます。
300メートル程行くと、道路の左側で歩道の工事を行っています。
そうここが今回の撮影に駆り立てた理由です。線路跡を掘り起こして歩道の整備をしているらしいのです。当然歩道になってしまえば、線路の痕跡もなくなってしまうと言うことで撮影に来たのでした。
工事はまだあまり進んでおらず、線路は残っていました。

線路の正面に立つ建物は税関の建物だったと思います。
ここから線路跡の探索の開始です。
内房線沿線の人間にとって、東京湾の向こう側は直線にすると短いのですが、電車で行くとかなりの距離となります。
土曜日だったのでホリデーパスで安くなった分、総武快速・横須賀線のグリーン車を奮発して行きました。
家のある姉ヶ崎駅から、2時間半掛けて田浦駅までやって来ると、久里浜方にトンネルが3つ口を開けて待っていました。

右から横須賀線上り、横須賀線下り、一番左が今回の目的の相模運輸倉庫専用線のトンネルです。
田浦駅自体は前後がトンネルに挟まれた狭い敷地にあります。
その海側に簡単なヤードがあったのですが、廃止となって草が生えていました。

横須賀線からの分岐は下り線の大船側にありました。
専用線の跡は駅を出て海側にあり早速向かいます。
駅前にはいきなり倉庫群、目の前の道路を右に行き道なりに進んでいきます。
300メートル程行くと、道路の左側で歩道の工事を行っています。
そうここが今回の撮影に駆り立てた理由です。線路跡を掘り起こして歩道の整備をしているらしいのです。当然歩道になってしまえば、線路の痕跡もなくなってしまうと言うことで撮影に来たのでした。
工事はまだあまり進んでおらず、線路は残っていました。

線路の正面に立つ建物は税関の建物だったと思います。
ここから線路跡の探索の開始です。
2006年10月12日
真岡鉄道へ行く その4
車両の展示コーナーから駅を見ると駅構内が良く見えます。
この駅は車両基地がある駅なので、車両の入れ替えもあり、活気があります。
SL真岡号用の客車も留置されており、旧国鉄の50系客車を使用しています。
茶色に白線入りの塗装に変更された車両が、3両編成で日曜日などにSLに牽引されて走るのです。

50系客車の向こうには真岡駅の駅舎が見えます。
この駅舎はSLの形を模して作ってあるので有名になっています。
実物はかなり巨大な建物でした。
展示コーナーとは別にも車両があり、本線を挟んだところにもワフが2両止まっているのです。
倉庫代わりにしているのかは分かりませんが、妻面に配電盤も設置されているので、何かの用途では使用しているようです。

倉庫代わり?の真岡駅のワフ29804です。
駅舎に戻りもう1両いるキハ20を見に行きます。
こちらの車両は1番ホームの下館方反対側に旧貨物ホームがあり、そこに置かれています。
昭和34年東急車輌製造の車両ですが、ナンバーはこちらも不明です。

構内展示中のナンバー不明のキハ20と駅舎です。
既にキハ20が現役で走っているのは、水島臨海鉄道や島原鉄道などにわずかに残っているだけとなってしまっています。
真岡駅での楽しいひとときを過ごした後、帰路につきました。
帰りがてら折本駅、下館駅にも立ち寄っています。
この駅は車両基地がある駅なので、車両の入れ替えもあり、活気があります。
SL真岡号用の客車も留置されており、旧国鉄の50系客車を使用しています。
茶色に白線入りの塗装に変更された車両が、3両編成で日曜日などにSLに牽引されて走るのです。

50系客車の向こうには真岡駅の駅舎が見えます。
この駅舎はSLの形を模して作ってあるので有名になっています。
実物はかなり巨大な建物でした。
展示コーナーとは別にも車両があり、本線を挟んだところにもワフが2両止まっているのです。
倉庫代わりにしているのかは分かりませんが、妻面に配電盤も設置されているので、何かの用途では使用しているようです。

倉庫代わり?の真岡駅のワフ29804です。
駅舎に戻りもう1両いるキハ20を見に行きます。
こちらの車両は1番ホームの下館方反対側に旧貨物ホームがあり、そこに置かれています。
昭和34年東急車輌製造の車両ですが、ナンバーはこちらも不明です。

構内展示中のナンバー不明のキハ20と駅舎です。
既にキハ20が現役で走っているのは、水島臨海鉄道や島原鉄道などにわずかに残っているだけとなってしまっています。
真岡駅での楽しいひとときを過ごした後、帰路につきました。
帰りがてら折本駅、下館駅にも立ち寄っています。
2006年10月11日
真岡鉄道へ行く その3
駅を跨いで架かっている自由通路への階段を上がると、真岡駅の構内跨線橋にも繋がっており、そのまま階段を下りるとホームに出ました。
この駅には有人の改札口があるのですが、改札を抜けなくても列車への乗降が出来てしまうのです。
あくまでもワンマン運転の車内精算が基本という事なのか?確認は取れませんでした。
ホームで下館行きの列車などを撮影してから、駅舎の反対側に抜けます。
SLはC12 66がいましたが、機関庫の中でお休み中。大事にされているようです。
C11の方は姿が見えませんでした。

駅舎の反対側には転車台もありました。

この駅にはあちこちに鉄道やSLをモチーフにしたものがあります。
時計もSLをモチーフとしていました。
そのまま下館側に進むと車両の展示コーナーがあります。
ここにはキハ20、DE10、ヨ8000、ヨ5000、トラ7000が展示されていました。
昔は珍しいものではなかった車両達ですが、今では貴重なものとなっています。
でもちょっと保存状態は良いとは言えずその点が残念です。

このキハ20はナンバーの上から塗装してしまっているのでナンバーが分かりません。
そう言うところもちょっと残念な部分です。
この車両は昭和63年4月の第3セクター転換まで真岡線を走っていた車両のようです。
この駅には有人の改札口があるのですが、改札を抜けなくても列車への乗降が出来てしまうのです。
あくまでもワンマン運転の車内精算が基本という事なのか?確認は取れませんでした。
ホームで下館行きの列車などを撮影してから、駅舎の反対側に抜けます。
SLはC12 66がいましたが、機関庫の中でお休み中。大事にされているようです。
C11の方は姿が見えませんでした。

駅舎の反対側には転車台もありました。

この駅にはあちこちに鉄道やSLをモチーフにしたものがあります。
時計もSLをモチーフとしていました。
そのまま下館側に進むと車両の展示コーナーがあります。
ここにはキハ20、DE10、ヨ8000、ヨ5000、トラ7000が展示されていました。
昔は珍しいものではなかった車両達ですが、今では貴重なものとなっています。
でもちょっと保存状態は良いとは言えずその点が残念です。

このキハ20はナンバーの上から塗装してしまっているのでナンバーが分かりません。
そう言うところもちょっと残念な部分です。
この車両は昭和63年4月の第3セクター転換まで真岡線を走っていた車両のようです。
2006年10月10日
真岡鉄道へ行く その2
真岡駅に到着して構内を見ると色々な車両がいます。
SLを運行しているだけあって、そのために給水塔や石炭置き場などの施設もありました。
最初に見えたのはモオカ63形の2両で、検修庫の前に止まっています。

手前の車両のナンバーはモオカ6311です。
貫通ドアが開いた状態なので現役の車両かと思いましたが、実は昨年末に廃車となっているようです。
この真岡の機関区には以前、戦時中に迷彩色に塗られた機関庫があったのですが、なくなっていました。

構内を見ているとモオカ14形の茂木行きが発車していきました。車両はトップナンバーでした。
モオカ14形も着実に増備されており、今はモオカ149まであるようです。
SLの形を模した駅舎に入る手前、ふと下館の方を見るとキハ20らしき車両が見えます。
駅舎内に入ると、構内のジオラマや床に埋め込まれたレールなど、鉄道が好きな人の興味を引く作りになっていました。
ジオラマを見ると先ほど見えたキハ20の他にも車両があるようです。

改札口越しに見たモオカ14形です。
駅舎内を見物した後は、駅構内全体の探索を開始しました。
SLを運行しているだけあって、そのために給水塔や石炭置き場などの施設もありました。
最初に見えたのはモオカ63形の2両で、検修庫の前に止まっています。

手前の車両のナンバーはモオカ6311です。
貫通ドアが開いた状態なので現役の車両かと思いましたが、実は昨年末に廃車となっているようです。
この真岡の機関区には以前、戦時中に迷彩色に塗られた機関庫があったのですが、なくなっていました。

構内を見ているとモオカ14形の茂木行きが発車していきました。車両はトップナンバーでした。
モオカ14形も着実に増備されており、今はモオカ149まであるようです。
SLの形を模した駅舎に入る手前、ふと下館の方を見るとキハ20らしき車両が見えます。
駅舎内に入ると、構内のジオラマや床に埋め込まれたレールなど、鉄道が好きな人の興味を引く作りになっていました。
ジオラマを見ると先ほど見えたキハ20の他にも車両があるようです。

改札口越しに見たモオカ14形です。
駅舎内を見物した後は、駅構内全体の探索を開始しました。
2006年10月09日
真岡鉄道へ行く その1
本題の前に今日は日立電鉄の廃線跡を撮りに出掛けましたが、大ちょんぼして痛い出費をする羽目になってます。
また前日の田浦の機関車ですが、5日に田浦に行った人が仮設住宅氏の知り合いにいて、その時には機関車がまだ置いてあったそうです。
私が行ったのが8日なので、6日か7日に運び出されてしまったことになり、もうちょっと早く行けていれば見られたのにと考えると非常に残念です。
さてここから本題です。
小山から真岡鉄道へやってきて。最初に立ち寄ったのは久下田駅。
列車の時刻が分からないので確認するために寄りましたが、ちょうど行ってしまったばかりでした。

この駅は交換可能駅でSLも停車する駅です。
別名で桜の駅と呼ばれるように、桜の木が多くあり、春は桜を入れて列車を撮る人が大勢やって来ます。
駅舎の壁も桜にあやかり、ピンク色を使用しています。

駅前の公園には、多くの猫が昼寝をしていました。
ぱっと見ただけですが15匹くらいいたようです。

続いて隣り駅の寺内駅にも寄りました。
この駅は昔からの駅舎が残っており、個人的にはこういう駅が落ち着いて好みです。
隣の駅が真岡駅。真岡鉄道の中心となっており、機関区も併設されています。
真岡駅の話はまた次回へ。
また前日の田浦の機関車ですが、5日に田浦に行った人が仮設住宅氏の知り合いにいて、その時には機関車がまだ置いてあったそうです。
私が行ったのが8日なので、6日か7日に運び出されてしまったことになり、もうちょっと早く行けていれば見られたのにと考えると非常に残念です。
さてここから本題です。
小山から真岡鉄道へやってきて。最初に立ち寄ったのは久下田駅。
列車の時刻が分からないので確認するために寄りましたが、ちょうど行ってしまったばかりでした。

この駅は交換可能駅でSLも停車する駅です。
別名で桜の駅と呼ばれるように、桜の木が多くあり、春は桜を入れて列車を撮る人が大勢やって来ます。
駅舎の壁も桜にあやかり、ピンク色を使用しています。

駅前の公園には、多くの猫が昼寝をしていました。
ぱっと見ただけですが15匹くらいいたようです。

続いて隣り駅の寺内駅にも寄りました。
この駅は昔からの駅舎が残っており、個人的にはこういう駅が落ち着いて好みです。
隣の駅が真岡駅。真岡鉄道の中心となっており、機関区も併設されています。
真岡駅の話はまた次回へ。
2006年10月08日
高岳製作所専用線を見る
本題の前に、今日は田浦駅から分岐していた相模倉庫専用線を見てきました。9月20日の時点では使用していた機関車2両が残っていたのですが、すっかり消えていました。
こちらの報告はまた後日行います。
葛生の廃線群から離れ、小山までやってきました。
小山駅から別れる高岳製作所の専用線は、巨大なシキ車が運転されることで貨車好きな人には有名です。
小山駅の方から行くと、途中までは道路と平行して工場に沿って進んでいますが、ひとたび道路と離れるといきなり田園風景となります。
ここで写真を撮りたいと思いますが、列車が来ないことには話になりません。
10月は3回運転があるようですけど今日ではありません。
途中で車を置いて歩いていくと、小山駅から3~4キロの所に高岳製作所はありました。
その工場の手前に専用線の機関車をしまっているだろう建物とシキ810および静荷重試験専用車両があります。

青い車両がシキ810です。

緑の車両が静荷重試験車で、変圧器を乗せて重量を量り、使用するシキを決めるための車両だったと思います。
上の写真から振り返ると工場があり、工場とシキがある場所の間には道路が通っています。

この工場には他にもシキがあったとと聞いていたので、工場の中も覗きましたが残念ながら見当たりませんでした。
この後は、線路を撮影しながら小山駅まで戻り、次の目的地として真岡鉄道の真岡に向かいます。
==コメント==
はじめまして。
昨日高岡引き込み線で変圧器の輸送をしていたそうです。小山市民ですが全く知りませんでしたし、生まれて一度も動いているところを見たことが無いくらいです。シキですが小山駅の引込み線が大幅に撤去されたので、一部は宇都宮の貨物ターミナルに移動しております。では。
投稿者 シン 2007/05/07 00:05
==コメント=
シン様どうもこんにちは。高岳製作所の専用線では3月・4月辺りは何度も変圧器輸送があったのです。でも休みが会わなくて結局1回も撮影できていないのでした。輸送中の写真が載るのはいつになる事やら…。
投稿者 kd55-101 2007/05/07 22:41
こちらの報告はまた後日行います。
葛生の廃線群から離れ、小山までやってきました。
小山駅から別れる高岳製作所の専用線は、巨大なシキ車が運転されることで貨車好きな人には有名です。
小山駅の方から行くと、途中までは道路と平行して工場に沿って進んでいますが、ひとたび道路と離れるといきなり田園風景となります。
ここで写真を撮りたいと思いますが、列車が来ないことには話になりません。
10月は3回運転があるようですけど今日ではありません。
途中で車を置いて歩いていくと、小山駅から3~4キロの所に高岳製作所はありました。
その工場の手前に専用線の機関車をしまっているだろう建物とシキ810および静荷重試験専用車両があります。

青い車両がシキ810です。

緑の車両が静荷重試験車で、変圧器を乗せて重量を量り、使用するシキを決めるための車両だったと思います。
上の写真から振り返ると工場があり、工場とシキがある場所の間には道路が通っています。

この工場には他にもシキがあったとと聞いていたので、工場の中も覗きましたが残念ながら見当たりませんでした。
この後は、線路を撮影しながら小山駅まで戻り、次の目的地として真岡鉄道の真岡に向かいます。
==コメント==
はじめまして。
昨日高岡引き込み線で変圧器の輸送をしていたそうです。小山市民ですが全く知りませんでしたし、生まれて一度も動いているところを見たことが無いくらいです。シキですが小山駅の引込み線が大幅に撤去されたので、一部は宇都宮の貨物ターミナルに移動しております。では。
投稿者 シン 2007/05/07 00:05
==コメント=
シン様どうもこんにちは。高岳製作所の専用線では3月・4月辺りは何度も変圧器輸送があったのです。でも休みが会わなくて結局1回も撮影できていないのでした。輸送中の写真が載るのはいつになる事やら…。
投稿者 kd55-101 2007/05/07 22:41
2006年10月07日
葛生方面廃線跡探検 その4
葛生駅までやってきました。

この駅は今でこそローカル線の終点となっていますが、貨物の全盛期には一大ヤードとして機能しており、多くの貨車で賑わっていたのです。
残念ながら、今は客扱い用と保線用にわずかな線路を残すだけで、その他の部分は広大な空き地となっていました。
ヤード跡から振り返ると上白石貨物駅へ向かう線路跡が複数の線路とともに左に緩くカーブしていきます。

ふとそちらの方向を見ていたら、右手の山にトンネルらしきものが見えました。葛生の駅から見るとまっすぐな位置です。

そちらに向かって歩いてみると、やはり線路の用地であり、トンネル近くではバラストが残っていました。
この線路はいったい何なのでしょう?
昔の計画では、日光に向かう路線は佐野・葛生・鹿沼と抜ける案もあったようですが、それにしてもトンネルは新しい様な気がしました。
上の二つの写真は同行者の仮設住宅さんのを使用しています。
自分でも撮影したつもりだったのですが、後で見たら撮って無かったのでした。
この後は、葛生駅の駅舎や到着する電車を撮影して、小山に向かっています。
==コメント==
楽しく拝読させていただいております。さて、葛生駅北方にあるトンネルは、かつての貨物入替用の引き上げ線です。トンネルは、引き上げ線の有効長を延ばすために掘られたようです。では、失礼いたします。
投稿者 旧館林機関区 2006/12/23 19:41
==コメント==
旧館林機関区様どうもありがとうございました。謎が一つ解消されてとてもうれしいです。昔JRRで出していた配線図にも載っていなかったので現地に行ってから悩みの一つでした。
投稿者 kd55-101 2006/12/23 21:37

この駅は今でこそローカル線の終点となっていますが、貨物の全盛期には一大ヤードとして機能しており、多くの貨車で賑わっていたのです。
残念ながら、今は客扱い用と保線用にわずかな線路を残すだけで、その他の部分は広大な空き地となっていました。
ヤード跡から振り返ると上白石貨物駅へ向かう線路跡が複数の線路とともに左に緩くカーブしていきます。

ふとそちらの方向を見ていたら、右手の山にトンネルらしきものが見えました。葛生の駅から見るとまっすぐな位置です。

そちらに向かって歩いてみると、やはり線路の用地であり、トンネル近くではバラストが残っていました。
この線路はいったい何なのでしょう?
昔の計画では、日光に向かう路線は佐野・葛生・鹿沼と抜ける案もあったようですが、それにしてもトンネルは新しい様な気がしました。
上の二つの写真は同行者の仮設住宅さんのを使用しています。
自分でも撮影したつもりだったのですが、後で見たら撮って無かったのでした。
この後は、葛生駅の駅舎や到着する電車を撮影して、小山に向かっています。
==コメント==
楽しく拝読させていただいております。さて、葛生駅北方にあるトンネルは、かつての貨物入替用の引き上げ線です。トンネルは、引き上げ線の有効長を延ばすために掘られたようです。では、失礼いたします。
投稿者 旧館林機関区 2006/12/23 19:41
==コメント==
旧館林機関区様どうもありがとうございました。謎が一つ解消されてとてもうれしいです。昔JRRで出していた配線図にも載っていなかったので現地に行ってから悩みの一つでした。
投稿者 kd55-101 2006/12/23 21:37
2006年10月05日
葛生方面廃線跡探検 その3
東武鉄道の大叶線の廃線跡の探索です。
こちらは線路のあった場所がはっきり分からないのでした。
線路の跡かと思う場所はあるのですが、確定するものが見つからないのです。

そんな探索の最中に道路脇の柵にレールを使用しているのを発見しました。
かなり細いので大叶線のものではないと思います。
坑内のトロッコから転用したものでしょうか。
上白石駅の方に戻る途中、日鉄鉱業線と大叶線の分岐点に出ました。大叶線の方が先に廃止となっており、分岐した先の敷地には建物が建っていました。

この部分は複線分の敷地があり、東武の境界標と日鉄鉱業の境界標の2つがありました。
写真右の白い建物が大叶線の跡になり、左側には日鉄鉱業線が分岐しており、舗装された道路に沿って曲がっていきます。
カーブを曲がった先からは線路を跨ぐ高圧線が出てきて目印になります。
今度は葛生駅に移動です。
こちらは線路のあった場所がはっきり分からないのでした。
線路の跡かと思う場所はあるのですが、確定するものが見つからないのです。

そんな探索の最中に道路脇の柵にレールを使用しているのを発見しました。
かなり細いので大叶線のものではないと思います。
坑内のトロッコから転用したものでしょうか。
上白石駅の方に戻る途中、日鉄鉱業線と大叶線の分岐点に出ました。大叶線の方が先に廃止となっており、分岐した先の敷地には建物が建っていました。

この部分は複線分の敷地があり、東武の境界標と日鉄鉱業の境界標の2つがありました。
写真右の白い建物が大叶線の跡になり、左側には日鉄鉱業線が分岐しており、舗装された道路に沿って曲がっていきます。
カーブを曲がった先からは線路を跨ぐ高圧線が出てきて目印になります。
今度は葛生駅に移動です。
2006年10月04日
葛生方面廃線跡探検 その2
両方の線路跡を気にしながら葛生方向に進むと、住友大阪セメントの工場が見えてきました。
住友セメントの専用線はここまでセメントの原石を運んでいたのです。
セメント工場を回り込んで、専用線の跡を辿ろうと道を曲がった瞬間、踏切の黒と黄色の柵と架線柱が目に入りました。
この場所はちょうど線路跡であり、私のナビは古かったのでそこには日鉄鉱業線と表示されていました。
先の方にヤードらしきものが見えたので向かってみます。
向かった先には広大な草むらがY字形に広がっており、片側はその延長が住友大阪セメントの工場に向いています。
反対側はナビ上の日鉄鉱業線に繋がっていました。

ここのヤードにはレールはなかったものの架線柱は残っていました。
ここは東武鉄道の上白石貨物駅跡であり、昔はここで東武の大叶、会沢の2本の貨物線、日鉄鉱業羽鶴専用線の3線が分岐していたのです。
遠くを見ると腕木信号機も2本残っていました。
多くの写真を撮って今度は日鉄鉱業羽鶴専用線の探索に向かいます。

今度はナビに線路が載っているので跡を辿るのは簡単で、さらに当時から線路の上に高圧電線が通っていたので、遠くから見ても分かりやすくなっていました。

線路を追っているうちに貨車2両を発見しました。
珍しくレールの上に乗った有蓋車で、東武鉄道が所有していたワムのようです。
この貨車が置いてある場所は常磐信号所だったところで、転車台もあるらしいのですが、この時は気が付きませんでした。
終点まで一通り辿った後は大叶線を探索しに行きます。
住友セメントの専用線はここまでセメントの原石を運んでいたのです。
セメント工場を回り込んで、専用線の跡を辿ろうと道を曲がった瞬間、踏切の黒と黄色の柵と架線柱が目に入りました。
この場所はちょうど線路跡であり、私のナビは古かったのでそこには日鉄鉱業線と表示されていました。
先の方にヤードらしきものが見えたので向かってみます。
向かった先には広大な草むらがY字形に広がっており、片側はその延長が住友大阪セメントの工場に向いています。
反対側はナビ上の日鉄鉱業線に繋がっていました。

ここのヤードにはレールはなかったものの架線柱は残っていました。
ここは東武鉄道の上白石貨物駅跡であり、昔はここで東武の大叶、会沢の2本の貨物線、日鉄鉱業羽鶴専用線の3線が分岐していたのです。
遠くを見ると腕木信号機も2本残っていました。
多くの写真を撮って今度は日鉄鉱業羽鶴専用線の探索に向かいます。

今度はナビに線路が載っているので跡を辿るのは簡単で、さらに当時から線路の上に高圧電線が通っていたので、遠くから見ても分かりやすくなっていました。

線路を追っているうちに貨車2両を発見しました。
珍しくレールの上に乗った有蓋車で、東武鉄道が所有していたワムのようです。
この貨車が置いてある場所は常磐信号所だったところで、転車台もあるらしいのですが、この時は気が付きませんでした。
終点まで一通り辿った後は大叶線を探索しに行きます。
2006年10月03日
葛生方面廃線跡探検 その1
やっと休みに雨が降らない予報が出ました。
行きたい場所がたくさんある中で、仲間の仮設住宅氏と相談の結果、葛生方面の廃線跡と小山の高岳製作所の専用線を見に行くことに決定しました。
早朝に家を出発、最初の目的地として会沢に向かうことにしたので、東北道栃木ICに向かいます。
栃木ICを降り一般道を走りますが、目的の場所まで道が合っているのか確信はありませんでした。
何とか辿り着いたところはとある鉱山です。
鉱山にはホッパーがあり、近くには車両を格納する車庫にも見える長細い建物がありました。

隙間から中を覗くと、色々な物と一緒にトロッコが置いてあるのが見えたので隙間から撮影しておきます。
ここが住友セメント葛生専用線の跡だと思われます。
既に線路は無く、線路の代わりにベルトコンベアだと思われるパイプが2本延びています。
この先は鉱山の敷地のようなので進入は出来ず、来た道を戻ってちょっとウロウロと周囲を探索しました。

そのうち枕木が柵として利用されている場所を発見、近くの川にはそのままガーター橋が残っていました。
橋の隣には先ほどのパイプが通っています。
周囲の状況から考えると、住友セメント葛生専用線と東武会沢貨物線が併走している区間があったので、その跡と思われました。
ガーター橋が東武会沢貨物線、パイプが住友セメント葛生専用線でしょう。
住友セメント専用線の跡は徒歩でしばらく辿る事が可能です。
会沢貨物線との併走区間はすっかり花壇に変身しており、花がいっぱい咲いていました。
ガーター橋から葛生の方に向かうと互いの線路が分かれていきます。

写真で直進しているのが住友セメント専用線、右に曲がっていくのが東武会沢貨物線です。
しばらく辺りを撮影して葛生駅方向に向かいました。
行きたい場所がたくさんある中で、仲間の仮設住宅氏と相談の結果、葛生方面の廃線跡と小山の高岳製作所の専用線を見に行くことに決定しました。
早朝に家を出発、最初の目的地として会沢に向かうことにしたので、東北道栃木ICに向かいます。
栃木ICを降り一般道を走りますが、目的の場所まで道が合っているのか確信はありませんでした。
何とか辿り着いたところはとある鉱山です。
鉱山にはホッパーがあり、近くには車両を格納する車庫にも見える長細い建物がありました。

隙間から中を覗くと、色々な物と一緒にトロッコが置いてあるのが見えたので隙間から撮影しておきます。
ここが住友セメント葛生専用線の跡だと思われます。
既に線路は無く、線路の代わりにベルトコンベアだと思われるパイプが2本延びています。
この先は鉱山の敷地のようなので進入は出来ず、来た道を戻ってちょっとウロウロと周囲を探索しました。

そのうち枕木が柵として利用されている場所を発見、近くの川にはそのままガーター橋が残っていました。
橋の隣には先ほどのパイプが通っています。
周囲の状況から考えると、住友セメント葛生専用線と東武会沢貨物線が併走している区間があったので、その跡と思われました。
ガーター橋が東武会沢貨物線、パイプが住友セメント葛生専用線でしょう。
住友セメント専用線の跡は徒歩でしばらく辿る事が可能です。
会沢貨物線との併走区間はすっかり花壇に変身しており、花がいっぱい咲いていました。
ガーター橋から葛生の方に向かうと互いの線路が分かれていきます。

写真で直進しているのが住友セメント専用線、右に曲がっていくのが東武会沢貨物線です。
しばらく辺りを撮影して葛生駅方向に向かいました。
2006年10月02日
西武鉄道横瀬車両基地へ
昨日の10月1日は、西武鉄道横瀬車両基地の公開に行ってきました。
当日は前日夕方からの仕事で朝9時過ぎまでです。
雲は多いけど晴れていたので、横瀬まで根性で行くことにしました。
勤務終了後、京葉線の電車に飛び乗り、有楽町線、西武池袋線とうつらうつらと半分寝ながら乗り継いで行きます。
飯能駅で最後の西武秩父線に乗り換えましたが、天気は暗い曇り空になっており、ちょっと嫌な感じがしてきました。
秩父線の電車が山に近づくと、雨が降ってきました。
ここまでで既に2時間電車に乗っているので今更引き返せませんので雨の中で撮影することにします。
横瀬駅で降り会場に着くと、みんな雨の中だと言うのに頑張って撮影していました。

車両基地構内には電気機関車や旧型電車、先代のレッドアロー号、古い貨車など色々展示してありました。
人出の方は雨が降ったからなのか、遠いからなのかそんなに多いとは感じませんが、それでも車両を撮ろうとすると人が入ってしまいます。

庫の中では記念グッズや鉄道部品の販売なども行われていました。
雨が降っていたのもありここでの撮影は早めに切り上げて、電車に乗ってあちこちフラフラ撮影しながら撤収しました。
今日2日と3日は休みで、予定では名古屋臨海鉄道を撮りに行くつもりでしたが雨でした。
これで休みの日は10連続雨となりました。
明日こそは雨が止むのを祈ってます。
当日は前日夕方からの仕事で朝9時過ぎまでです。
雲は多いけど晴れていたので、横瀬まで根性で行くことにしました。
勤務終了後、京葉線の電車に飛び乗り、有楽町線、西武池袋線とうつらうつらと半分寝ながら乗り継いで行きます。
飯能駅で最後の西武秩父線に乗り換えましたが、天気は暗い曇り空になっており、ちょっと嫌な感じがしてきました。
秩父線の電車が山に近づくと、雨が降ってきました。
ここまでで既に2時間電車に乗っているので今更引き返せませんので雨の中で撮影することにします。
横瀬駅で降り会場に着くと、みんな雨の中だと言うのに頑張って撮影していました。

車両基地構内には電気機関車や旧型電車、先代のレッドアロー号、古い貨車など色々展示してありました。
人出の方は雨が降ったからなのか、遠いからなのかそんなに多いとは感じませんが、それでも車両を撮ろうとすると人が入ってしまいます。

庫の中では記念グッズや鉄道部品の販売なども行われていました。
雨が降っていたのもありここでの撮影は早めに切り上げて、電車に乗ってあちこちフラフラ撮影しながら撤収しました。
今日2日と3日は休みで、予定では名古屋臨海鉄道を撮りに行くつもりでしたが雨でした。
これで休みの日は10連続雨となりました。
明日こそは雨が止むのを祈ってます。
