2006年08月27日
やっと東北撮影旅行の補完ページ完成
出張が早く終わったので、またまた帰りにスクラップ屋を覗いたら都営の車両群は2両が解体されて2両だけが残っている状態になっていました。

車両が無くなったので中の様子が見えるようになっており、そこに見えたのは切断されて積まれた台車の残骸の山です。
この数から見るとかなりの車両がが解体されたんですね。
再使用されなかった車両の悲しい末路です。
話は変わりますが、やっとホームページの東北撮影旅行補完ページが完成しました。http://park.geocities.jp/kd55_101これでやっと違うネタに行けます。

車両が無くなったので中の様子が見えるようになっており、そこに見えたのは切断されて積まれた台車の残骸の山です。
この数から見るとかなりの車両がが解体されたんですね。
再使用されなかった車両の悲しい末路です。
話は変わりますが、やっとホームページの東北撮影旅行補完ページが完成しました。http://park.geocities.jp/kd55_101これでやっと違うネタに行けます。
2006年08月26日
湯治なんだからゆっくりしてろ~ その4
湯治旅行3日目も列車の音で目を覚ましました。
この日の朝方の運用は首都圏色と越美北線色で、今回の旅行中は一般色のキハ52は見掛けずに終わっています。
最終日もどこに立ち寄るわけでなく帰りながらのドライブとなりました。
途中、木曽森林鉄道の機関車などが置いてある場所を昨年の夏に木崎湖に遊びに来たときに見つけており、その時は同行の仮設住宅氏しか写真を撮っていなかったので今回は自分も撮影します。

ここは確かお焼き王国という店の敷地です。
今回の旅行の写真はこれが最後となりました。
この日の朝方の運用は首都圏色と越美北線色で、今回の旅行中は一般色のキハ52は見掛けずに終わっています。
最終日もどこに立ち寄るわけでなく帰りながらのドライブとなりました。
途中、木曽森林鉄道の機関車などが置いてある場所を昨年の夏に木崎湖に遊びに来たときに見つけており、その時は同行の仮設住宅氏しか写真を撮っていなかったので今回は自分も撮影します。

ここは確かお焼き王国という店の敷地です。
今回の旅行の写真はこれが最後となりました。
2006年08月26日
湯治なんだからゆっくりしてろ~ その3
青海での撮影後、そのまままっすぐ宿に戻ればいいのに、さらに糸魚川の煉瓦庫を覗いていきます。
既に完全に旅行の目的である「ノンビリして体を休める」から外れています。
庫の中にはラッセル車とDE10が止まっており、その先にキハ52の首都圏色が止まっているのが見えました。

昨日から大糸線の列車を見たり撮影していますが、国鉄一般色の車両だけ見ていません。
ここにいないということは運用に入っていると思い。どこかですれ違うことを期待して、大糸線に沿って姫川温泉に向かいます。
しかし残念ながら途中で越美北線色のキハ52を見ただけで宿に到着してしまいました。
既に完全に旅行の目的である「ノンビリして体を休める」から外れています。
庫の中にはラッセル車とDE10が止まっており、その先にキハ52の首都圏色が止まっているのが見えました。

昨日から大糸線の列車を見たり撮影していますが、国鉄一般色の車両だけ見ていません。
ここにいないということは運用に入っていると思い。どこかですれ違うことを期待して、大糸線に沿って姫川温泉に向かいます。
しかし残念ながら途中で越美北線色のキハ52を見ただけで宿に到着してしまいました。
2006年08月25日
湯治なんだからゆっくりしてろ~ その2
新潟県の青海まで戻ってきました。
JR西日本の青海駅からは、デンカの専用線が分岐していますので写真を撮ってきました。

専用線を辿っていくと途中にヤードがあったので撮影ました。

1枚目の写真を良く見ると、電光掲示板の表示が「アホ」になっており、UPにするとこうなります。
この電光掲示板は以前トワイライトゾーンに載っていたと記憶してますが、定かではありません。
この時「アホ」があるのを知って撮りに行ったのではないので、思わず笑ってしまいました。
「アホ」を撮影した後、線路が接続しているJRの駅を覗きに行きました。
駅には先客の方がカメラを持って写真を撮っていました。
少し先まで行って駅の外れの貨物ヤードで貨車を撮り始めると、JRではない機関車が通過していきます。
先客の狙いはこれだったのかと思い駅近くまで戻り、折り返して戻ってきた機関車を撮影しました。

機関車は駅に止まっていたホキ車3両の後ろに連結すると、そのまま推進運転で「アホ」のあるヤード方に走り去っていきました。
時間の分からない専用線の機関車を撮影出来てとてもラッキーです。
この間、先輩は20分ほど車の中で新聞を読んで待ってました。
JR西日本の青海駅からは、デンカの専用線が分岐していますので写真を撮ってきました。

専用線を辿っていくと途中にヤードがあったので撮影ました。

1枚目の写真を良く見ると、電光掲示板の表示が「アホ」になっており、UPにするとこうなります。
この電光掲示板は以前トワイライトゾーンに載っていたと記憶してますが、定かではありません。
この時「アホ」があるのを知って撮りに行ったのではないので、思わず笑ってしまいました。
「アホ」を撮影した後、線路が接続しているJRの駅を覗きに行きました。
駅には先客の方がカメラを持って写真を撮っていました。
少し先まで行って駅の外れの貨物ヤードで貨車を撮り始めると、JRではない機関車が通過していきます。
先客の狙いはこれだったのかと思い駅近くまで戻り、折り返して戻ってきた機関車を撮影しました。

機関車は駅に止まっていたホキ車3両の後ろに連結すると、そのまま推進運転で「アホ」のあるヤード方に走り去っていきました。
時間の分からない専用線の機関車を撮影出来てとてもラッキーです。
この間、先輩は20分ほど車の中で新聞を読んで待ってました。
2006年08月25日
湯治なんだからゆっくりしてろ~ その1
姫川温泉は長野・新潟の県境にあり、周りにはほとんど何もありません。
2日目の朝は、大糸線の列車が走る音で目が覚めてしまい、暇を潰しにドライブに出掛けることにしました。
先輩も特に行きたい場所がなかったので、大糸線に沿って糸魚川まで抜け、北陸本線沿いに西へ向かいます。そんなこんなで富山県まで行ってしまいました。
その行き帰りの道中に見つけたり寄ったりした写真を載せておきます。

黒部峡谷鉄道の宇奈月駅の近くにある関西電力専用線(黒部峡谷鉄道)の機関車。
黒部峡谷鉄道は宇奈月駅を出ると大きな橋を渡ります。
橋の名前は新山彦橋、少し下には旧線の山彦橋が遊歩道として残っています。
ちょっと上流にダムを建設する際に線路を付け替えたのでした。

遊歩道になっている旧線を歩くと、山彦橋の先にトンネルがありました。
このトンネルは所々に外が覗ける場所もあり、新山彦橋を渡る列車を見上げ見ることが出来ます。
宇奈月で折り返して適当に走っていたら、富山地鉄の折立駅の付近の公園で偶然機関車を発見しました。
以前黒部峡谷鉄道で使用していた機関車です。

この後もドライブは続きます。
2日目の朝は、大糸線の列車が走る音で目が覚めてしまい、暇を潰しにドライブに出掛けることにしました。
先輩も特に行きたい場所がなかったので、大糸線に沿って糸魚川まで抜け、北陸本線沿いに西へ向かいます。そんなこんなで富山県まで行ってしまいました。
その行き帰りの道中に見つけたり寄ったりした写真を載せておきます。

黒部峡谷鉄道の宇奈月駅の近くにある関西電力専用線(黒部峡谷鉄道)の機関車。
黒部峡谷鉄道は宇奈月駅を出ると大きな橋を渡ります。
橋の名前は新山彦橋、少し下には旧線の山彦橋が遊歩道として残っています。
ちょっと上流にダムを建設する際に線路を付け替えたのでした。

遊歩道になっている旧線を歩くと、山彦橋の先にトンネルがありました。
このトンネルは所々に外が覗ける場所もあり、新山彦橋を渡る列車を見上げ見ることが出来ます。
宇奈月で折り返して適当に走っていたら、富山地鉄の折立駅の付近の公園で偶然機関車を発見しました。
以前黒部峡谷鉄道で使用していた機関車です。

この後もドライブは続きます。
2006年08月24日
湯治から帰ってきました
2泊3日の姫川温泉での湯治から戻ってきました。
残念ながら天気にはあまり恵まれませんでしたね。
今回泊まった宿は、姫川温泉のホテル朝日荘。
この旅館に入り窓を開けると、その真ん前には大糸線の平岩駅から続く鉄橋と築堤があります。

この状況は「鉄」としてはやはり美味しいです。
ノンビリすることを目的に来ていたのに、列車の音がする度に窓を開けて見てしまっては一緒に来た先輩は落ち着かなかったかもしれません。
この宿には露天風呂もあり、それは建物の屋上にありました。
部屋から線路が正面に来ると言うことは、屋上からは俯瞰となるはずと思い、タオルと一緒にカメラも持って行きます。
先客がいなかったので、ゆっくりと写真も撮れたし、露天風呂も貸切です。

この露天風呂は結構温度が高くて長時間は入っていられませんでした。
2泊3日の間は、特に行く場所もやる事も無かったので、自然とドライブになってしまいました。
その間に色々撮れましたので明日以降紹介したいと思います。
残念ながら天気にはあまり恵まれませんでしたね。
今回泊まった宿は、姫川温泉のホテル朝日荘。
この旅館に入り窓を開けると、その真ん前には大糸線の平岩駅から続く鉄橋と築堤があります。

この状況は「鉄」としてはやはり美味しいです。
ノンビリすることを目的に来ていたのに、列車の音がする度に窓を開けて見てしまっては一緒に来た先輩は落ち着かなかったかもしれません。
この宿には露天風呂もあり、それは建物の屋上にありました。
部屋から線路が正面に来ると言うことは、屋上からは俯瞰となるはずと思い、タオルと一緒にカメラも持って行きます。
先客がいなかったので、ゆっくりと写真も撮れたし、露天風呂も貸切です。

この露天風呂は結構温度が高くて長時間は入っていられませんでした。
2泊3日の間は、特に行く場所もやる事も無かったので、自然とドライブになってしまいました。
その間に色々撮れましたので明日以降紹介したいと思います。
2006年08月21日
ちょっと湯治に行ってきます
明日から毎年恒例となっていたキャンプに行くはずだったのですが、今年は流れてしまったのです。
休みは取ってあったので、代わりにどこかに行こうという話になり、腰痛持ちの先輩と温泉に湯治に出かけることになりました。
ネットで行き先を探していたら、TVチャンピオンで温泉通チャンピオンになっている人のHPに行き着きました。
その中で、大糸線沿いの姫川温泉に良い評価を出していたのでここに行くことにしました。
今日買ったレールマガジンの表紙も大糸線の糸魚川の煉瓦庫だったので、影響を受けて写真を撮りまくらないようにしないと。
湯治に行って疲れて帰ってきたら何もならないですからね。

写真は去年の秋に平岩駅で撮影したものです。国鉄色のキハ52は最高です。
休みは取ってあったので、代わりにどこかに行こうという話になり、腰痛持ちの先輩と温泉に湯治に出かけることになりました。
ネットで行き先を探していたら、TVチャンピオンで温泉通チャンピオンになっている人のHPに行き着きました。
その中で、大糸線沿いの姫川温泉に良い評価を出していたのでここに行くことにしました。
今日買ったレールマガジンの表紙も大糸線の糸魚川の煉瓦庫だったので、影響を受けて写真を撮りまくらないようにしないと。
湯治に行って疲れて帰ってきたら何もならないですからね。

写真は去年の秋に平岩駅で撮影したものです。国鉄色のキハ52は最高です。
2006年08月18日
まだ残っていました
仕事の帰りにスクラップ屋を覗いたら都営の車両群はまだ解体されずに残っていました。
でもここまでどうやって運んできたのだろう?
わざわざ何両もトラックで運んだのだろうか?
どうでも良いことなんですけどちょっと気になってます。
ホームページhttp://park.geocities.jp/kd55_101の方はやっと最終日のくりはら田園鉄道の写真まで辿り着きました。
今週中の完成目指して一踏ん張りしたいと思います。
でもここまでどうやって運んできたのだろう?
わざわざ何両もトラックで運んだのだろうか?
どうでも良いことなんですけどちょっと気になってます。
ホームページhttp://park.geocities.jp/kd55_101の方はやっと最終日のくりはら田園鉄道の写真まで辿り着きました。
今週中の完成目指して一踏ん張りしたいと思います。
2006年08月14日
京葉臨海鉄道探索
今日はお盆なので遠出は避け、近くの京葉臨海鉄道の探索に出掛けました。
最初に寄ったのは甲子駅から分岐している日本曹達の専用線。
専用線に平行して道路がありますので、てくてく歩いて様子を伺うつもりでした。
しかし、線路と道路の間に金網と木の繁った緑地帯がありちらちらとしか線路が見えません。

途中一カ所だけ木が少し繁っていないところがあり、そこにタンク車が2両だけ止まっていました。
なんとか1両だけタンク車の上部だけが写せました。
さらに先まで線路はあったのですが、木しか見えず収穫は無しです。
次は線路に沿って国道16号線を走り千葉貨物駅に向かいます。
線路が国道から外れたところで、線路に沿っている脇の道にルート変更すると、1分ほど走ったところに電車の車体が置いてありました。
良く見ると1両だけではありません。
そこにはスクラップ工場があり、車のスクラップが高く積んである脇に4両ほど(見た感じ都営新宿線に使用していた車両)ありました。

京葉臨海鉄道の線路を挟んで道路から写真撮影をしています。
ちょうど解体作業の最中で火花が散っていました。
車両の原形をとどめているものの他にも、クーラーカバーやパンタグラフが置いてあったので、すでに解体された車両があったようです。
いつも通勤で通っている道のすぐ近くで、こんな光景が繰り広げられているとは、思いもよらずちょっとびっくりしました。
更に先まで移動するとそこは千葉貨物駅の構内です。
以前、千葉貨物駅にはホームページのトップページの機関車のように廃車された機関車がありました。(トップページの写真は2両でしたがその後3両になっていました)

現地に到着してみると4両の機関車が並んでおり、手前にKD55 9号機が増えています。
廃車になっているかは分かりませんが、最近運用に付いているのを見ておらず、前回よりKD60形機関車が2両増備されて3両となっているためすでに使用していないと思われます。
KD559が運用から外れていれば、京葉臨海鉄道のDD13タイプの機関車はエンジン換装車と新製車だけになっています。
写真の車両群は奥からKD501、KD5512、KD557、KD559です。
この後、望遠レンズで構内を撮影しましたが、熱でゆがんでヘロヘロとなっていました。
寒くなったらもう一度撮り直しに来ることにします。
姉崎機関区支区の京葉臨海鉄道のページ
最初に寄ったのは甲子駅から分岐している日本曹達の専用線。
専用線に平行して道路がありますので、てくてく歩いて様子を伺うつもりでした。
しかし、線路と道路の間に金網と木の繁った緑地帯がありちらちらとしか線路が見えません。

途中一カ所だけ木が少し繁っていないところがあり、そこにタンク車が2両だけ止まっていました。
なんとか1両だけタンク車の上部だけが写せました。
さらに先まで線路はあったのですが、木しか見えず収穫は無しです。
次は線路に沿って国道16号線を走り千葉貨物駅に向かいます。
線路が国道から外れたところで、線路に沿っている脇の道にルート変更すると、1分ほど走ったところに電車の車体が置いてありました。
良く見ると1両だけではありません。
そこにはスクラップ工場があり、車のスクラップが高く積んである脇に4両ほど(見た感じ都営新宿線に使用していた車両)ありました。

京葉臨海鉄道の線路を挟んで道路から写真撮影をしています。
ちょうど解体作業の最中で火花が散っていました。
車両の原形をとどめているものの他にも、クーラーカバーやパンタグラフが置いてあったので、すでに解体された車両があったようです。
いつも通勤で通っている道のすぐ近くで、こんな光景が繰り広げられているとは、思いもよらずちょっとびっくりしました。
更に先まで移動するとそこは千葉貨物駅の構内です。
以前、千葉貨物駅にはホームページのトップページの機関車のように廃車された機関車がありました。(トップページの写真は2両でしたがその後3両になっていました)

現地に到着してみると4両の機関車が並んでおり、手前にKD55 9号機が増えています。
廃車になっているかは分かりませんが、最近運用に付いているのを見ておらず、前回よりKD60形機関車が2両増備されて3両となっているためすでに使用していないと思われます。
KD559が運用から外れていれば、京葉臨海鉄道のDD13タイプの機関車はエンジン換装車と新製車だけになっています。
写真の車両群は奥からKD501、KD5512、KD557、KD559です。
この後、望遠レンズで構内を撮影しましたが、熱でゆがんでヘロヘロとなっていました。
寒くなったらもう一度撮り直しに来ることにします。
姉崎機関区支区の京葉臨海鉄道のページ
2006年08月10日
台風が来た
昨日まで三連休だったのに台風が来てどこにも行けなかったのです。
どこかに行こうと色々考えていたのにとても残念。
お陰というか何というか、ブログ補完のホームページは172枚まで写真が追加されました。
次の休みは晴れると良いな。
どこかに行こうと色々考えていたのにとても残念。
お陰というか何というか、ブログ補完のホームページは172枚まで写真が追加されました。
次の休みは晴れると良いな。
2006年08月08日
ブログ補完計画
やっと東北撮影旅行の報告が終わりましが、ブログに載せられた写真はほんの一部だけでした。
その補完として、ホームページを立ち上げて載せていない写真を公開するようにしました。
アドレスはhttp://park.geocities.jp/kd55_101となっております。
お暇な方は見てやってください。
その補完として、ホームページを立ち上げて載せていない写真を公開するようにしました。
アドレスはhttp://park.geocities.jp/kd55_101となっております。
お暇な方は見てやってください。
2006年08月07日
東北撮影旅行 その15
再び外に出て、細倉鉱山駅跡まで歩きます。
これが元の駅舎なのかな?と思った建物は、細倉金属鉱業の敷地となっており近づくことは出来ません。
さらに先まで歩くと、線路跡に上がれる地点に出ます。

線路の跡にはパイプが数本延びていました。

マインパーク前~鶯沢間、鶯沢直前の橋梁で列車の撮影をして、初日にバックに山が見えていた栗原~鳥矢崎間に向かいます。
初日は晴天だったのでくっきり見えていた山は、残念ながら雲の中に隠れていました。
曇天の上夕方となり、かなり暗くなってきました。
栗駒駅に戻って停車している列車を撮影したのを最後に撤収します。

東北道に乗るために走っていると、ちゃんと撮影していなかった沢辺駅の近くを通ったので、寄り道して駅舎を撮影しました。
この撮影がこの旅行の締めとなっています。
これが元の駅舎なのかな?と思った建物は、細倉金属鉱業の敷地となっており近づくことは出来ません。
さらに先まで歩くと、線路跡に上がれる地点に出ます。

線路の跡にはパイプが数本延びていました。

マインパーク前~鶯沢間、鶯沢直前の橋梁で列車の撮影をして、初日にバックに山が見えていた栗原~鳥矢崎間に向かいます。
初日は晴天だったのでくっきり見えていた山は、残念ながら雲の中に隠れていました。
曇天の上夕方となり、かなり暗くなってきました。
栗駒駅に戻って停車している列車を撮影したのを最後に撤収します。

東北道に乗るために走っていると、ちゃんと撮影していなかった沢辺駅の近くを通ったので、寄り道して駅舎を撮影しました。
この撮影がこの旅行の締めとなっています。
2006年08月07日
東北撮影旅行 その14
この時点まで天気が回復せず、雨が降れば傘を差しながらの撮影をしていました。
マインパーク行きの列車が、旧細倉駅へ入るには登り勾配をジグザグに曲がりながらやって来ます。
そうやってやってくる列車を望遠で撮影することにしました。
何故この場所を選んだのかというと、旧細倉駅のホームには屋根があり雨の心配がないからなのでした。
撮影準備をしていると同好の人もやって来てました。土曜日だったのでここまでも何人か見掛けています。

列車の撮影も終わり、細倉鉱山駅の跡を見に行くことにします。
元の線路に沿って上がっていくと、元の駅舎なのかと思われる建物を発見。
車を止めるスペースが無いのでそのまま先まで進むと、鉱山資料館がありました。
折角だから寄ることにして駐車場に入ると、鉱山に付き物のトロッコ達が展示されていました。
展示されていたのは、細倉鉱山で使用していた、ガソリン内燃機関車と人車などです。
入館するとビデオを最初に見ます。
細倉鉱山の現役の頃のビデオですが、結構時間が長かったので、危うく寝てしまうところでした。
資料館の中は、鉱山関係の展示となっており、中にもトロッコ関係が展示してあります。(中は市の許可がないと撮影禁止です)
マインパーク行きの列車が、旧細倉駅へ入るには登り勾配をジグザグに曲がりながらやって来ます。
そうやってやってくる列車を望遠で撮影することにしました。
何故この場所を選んだのかというと、旧細倉駅のホームには屋根があり雨の心配がないからなのでした。
撮影準備をしていると同好の人もやって来てました。土曜日だったのでここまでも何人か見掛けています。

列車の撮影も終わり、細倉鉱山駅の跡を見に行くことにします。
元の線路に沿って上がっていくと、元の駅舎なのかと思われる建物を発見。
車を止めるスペースが無いのでそのまま先まで進むと、鉱山資料館がありました。
折角だから寄ることにして駐車場に入ると、鉱山に付き物のトロッコ達が展示されていました。
展示されていたのは、細倉鉱山で使用していた、ガソリン内燃機関車と人車などです。
入館するとビデオを最初に見ます。
細倉鉱山の現役の頃のビデオですが、結構時間が長かったので、危うく寝てしまうところでした。
資料館の中は、鉱山関係の展示となっており、中にもトロッコ関係が展示してあります。(中は市の許可がないと撮影禁止です)
2006年08月04日
東北撮影旅行 その13
谷地畑、大岡小前、大岡の各駅は、ホーム片面の上に待合室があるだけで特に特徴のない駅でした。

写真は大岡駅の待合室、元々はこの駅も交換可能駅だったようでホームの反対側には敷地が開いています。
反対側(石越側)の先には東北新幹線の高架橋が横切っていました。
沢辺の駅に着くとここには立派な駅舎があり、交換が出来る構造となっているようです。
しかし、地元で何か行われているようで車を止めておけなかったので、簡単な撮影だけとなってしまいました。

次の駅は撮影旅行初日の最初に寄った津久毛駅。
すぐに列車が来るタイミングだったので撮影しました。

しばらく走って栗原田町駅まで移動すると、独特な形をした駅舎がありました。
妙に屋根部分が大きな構造となっています。

次は尾松駅、片側ホーム上に待合室だけの構造で、山の切り通し区間にあります。
最後の駅は鶯沢工業高校前駅。
この駅も特に特徴のない片側ホーム上に待合室だけでした。
この駅で全部の駅の撮影が終わったので、これからは列車の撮影をメインにします。

写真は大岡駅の待合室、元々はこの駅も交換可能駅だったようでホームの反対側には敷地が開いています。
反対側(石越側)の先には東北新幹線の高架橋が横切っていました。
沢辺の駅に着くとここには立派な駅舎があり、交換が出来る構造となっているようです。
しかし、地元で何か行われているようで車を止めておけなかったので、簡単な撮影だけとなってしまいました。

次の駅は撮影旅行初日の最初に寄った津久毛駅。
すぐに列車が来るタイミングだったので撮影しました。

しばらく走って栗原田町駅まで移動すると、独特な形をした駅舎がありました。
妙に屋根部分が大きな構造となっています。

次は尾松駅、片側ホーム上に待合室だけの構造で、山の切り通し区間にあります。
最後の駅は鶯沢工業高校前駅。
この駅も特に特徴のない片側ホーム上に待合室だけでした。
この駅で全部の駅の撮影が終わったので、これからは列車の撮影をメインにします。
2006年08月02日
東北撮影旅行 その12
撮影旅行4日目、今日が撮影旅行の最終日となりました。
天気はあいにくの雨ですが、目的地はくりはら田園鉄道と決まっているので、晴れているところに移動するわけにはいきません。
駅前食堂で朝食を食べ、一ノ関駅でお土産を買って出発します。
まずは初日に行っていない方面の、石越駅に向かいました。

くりはら田園鉄道の石越駅はJRの駅舎と駅前広場を挟んで向かい合って建っています。
列車が来ない時間帯のため、各駅の撮影を進めることにしました。
次の荒町駅は小さな駅、ホーム上に待合室があるだけです。


さらに次の若柳駅は、くりはら田園鉄道の中心的な駅であり、車両基地もこの駅に隣接しています。
駅には栗原電鉄時代の電車が残されていました。
駅の横にある自転車置き場も、電車の車内を利用しています。

入場券を購入して駅構内や残されている電車の撮影をしました。
ここの車両達は鉄道廃止後どうなってしまうのでしょう。
気動車も含めて、何らかの保存を望みます。

駅長室に駅長が不在の場合は、赤いランプが点灯されます。
駅構内の撮影中に、車庫から回送の気動車が石越駅に向かって出発しました。
折り返しのマインパーク行きを撮影してから、再び駅の撮影をするため移動です。
天気はあいにくの雨ですが、目的地はくりはら田園鉄道と決まっているので、晴れているところに移動するわけにはいきません。
駅前食堂で朝食を食べ、一ノ関駅でお土産を買って出発します。
まずは初日に行っていない方面の、石越駅に向かいました。

くりはら田園鉄道の石越駅はJRの駅舎と駅前広場を挟んで向かい合って建っています。
列車が来ない時間帯のため、各駅の撮影を進めることにしました。
次の荒町駅は小さな駅、ホーム上に待合室があるだけです。


さらに次の若柳駅は、くりはら田園鉄道の中心的な駅であり、車両基地もこの駅に隣接しています。
駅には栗原電鉄時代の電車が残されていました。
駅の横にある自転車置き場も、電車の車内を利用しています。

入場券を購入して駅構内や残されている電車の撮影をしました。
ここの車両達は鉄道廃止後どうなってしまうのでしょう。
気動車も含めて、何らかの保存を望みます。

駅長室に駅長が不在の場合は、赤いランプが点灯されます。
駅構内の撮影中に、車庫から回送の気動車が石越駅に向かって出発しました。
折り返しのマインパーク行きを撮影してから、再び駅の撮影をするため移動です。
2006年08月01日
東北撮影旅行 その11
次は大船渡線の陸中松川駅に向かいます。
観光旅行なら、隣の猊鼻渓に行くのでしょうが「鉄」旅行なので通過です。
陸中松川駅にはセメント工場があり専用線があるはずでした。
川の向こうからセメント工場を見たときにはタンク車が見えましたが、駅に着くと線路はすっかり剥がされており、残念です。
しかし、陸中松川駅に来た目的はセメント工場ではありません。
以前はこの駅付近にある旧東北砕石工場(東北タンカル)からトロッコが荷物の搬送に使用されていたからです。
タンカルとは、石灰石紛(炭酸カルシウム)のことで、宮沢賢治が命名しており、宮沢賢治は東北砕石工場に技師として働いていたそうです。

実際に現地を見てみると、東北砕石工場から陸中松川駅の間には軌間幅の狭い線路がありました。
でもよく見ると枕木の幅は1067ミリゲージ用の物で、レールもトロッコに使用されるにしては立派過ぎる物でした。
現在の旧東北砕石工場は、国登録有形文化財となっており、石と賢治のミュージアムなど周辺が観光向けに整備され、その一環で線路も新しく敷設されてそこが遊歩道となっているのです。
東北砕石工場からは石灰石紛を508ミリゲージのトロッコで国鉄の貨物ホーム上に搬送。そのまま貨車に積める構造となっていたとのこと、その貨物ホームは今も健在です。

残っている陸中松川駅の貨物ホーム。
写真の右の線路が、新しく敷設された飾りの線路であり、その位置には国鉄の貨物用ホームの線路がありました。

工場の中には、昔搬送に使用したであろうトロッコが転がっていました。
なお、東北砕石工場の案内看板は、何故か鉄道で使用していた転轍機の表示部分を利用している物を何か所か見かけました。
何か理由があるのでしょうか?

写真の看板は、セメント工場の専用線があったと思われる位置に立っています。
今日の宿は一関駅前のビジネスホテル、初日と同じホテルに再び泊まります。
観光旅行なら、隣の猊鼻渓に行くのでしょうが「鉄」旅行なので通過です。
陸中松川駅にはセメント工場があり専用線があるはずでした。
川の向こうからセメント工場を見たときにはタンク車が見えましたが、駅に着くと線路はすっかり剥がされており、残念です。
しかし、陸中松川駅に来た目的はセメント工場ではありません。
以前はこの駅付近にある旧東北砕石工場(東北タンカル)からトロッコが荷物の搬送に使用されていたからです。
タンカルとは、石灰石紛(炭酸カルシウム)のことで、宮沢賢治が命名しており、宮沢賢治は東北砕石工場に技師として働いていたそうです。

実際に現地を見てみると、東北砕石工場から陸中松川駅の間には軌間幅の狭い線路がありました。
でもよく見ると枕木の幅は1067ミリゲージ用の物で、レールもトロッコに使用されるにしては立派過ぎる物でした。
現在の旧東北砕石工場は、国登録有形文化財となっており、石と賢治のミュージアムなど周辺が観光向けに整備され、その一環で線路も新しく敷設されてそこが遊歩道となっているのです。
東北砕石工場からは石灰石紛を508ミリゲージのトロッコで国鉄の貨物ホーム上に搬送。そのまま貨車に積める構造となっていたとのこと、その貨物ホームは今も健在です。

残っている陸中松川駅の貨物ホーム。
写真の右の線路が、新しく敷設された飾りの線路であり、その位置には国鉄の貨物用ホームの線路がありました。

工場の中には、昔搬送に使用したであろうトロッコが転がっていました。
なお、東北砕石工場の案内看板は、何故か鉄道で使用していた転轍機の表示部分を利用している物を何か所か見かけました。
何か理由があるのでしょうか?

写真の看板は、セメント工場の専用線があったと思われる位置に立っています。
今日の宿は一関駅前のビジネスホテル、初日と同じホテルに再び泊まります。
