2006年07月30日
東北撮影旅行 その10
終点の岩手石橋駅はスイッチバック式の構造となっています。
列車は勾配を上がりながら駅舎を通り過ぎたさらに奥で停止。
ポイントを切り替え、推進運転で構内のホッパーにホッパ車を押し込んでいきます。
このホッパーは石灰石を積み出すための大きな設備で、貨車6両に同時に石灰石を載せています。
積み終わると機関車が貨車を押し次の6両で同じ作業です。

最後の貨車がホッパーの下に入ると、機関車は切り離され、ホッパーの脇を通って反対側に連結します。

全部の貨車に石灰石を積み終わると、ホッパーの中を抜けて反対側に押して行き、構内の奥まで行きポイントを切り替えて本線に出て行きました。
写真は発車した列車が本線を走っていく姿で、一段高い位置の駅舎が左端に見えています。
岩手石橋駅は駅舎だけでなく旅客ホームも残っていますが、線路は剥がされています。
駅名標は真っ白にペンキで塗りつぶされていましたが、よく見ると文字が読み取れました。
列車の撮影が終わり駅員の方に挨拶に伺うと、次に到着する列車が今日の最後だと教えていただけました。生産調整でその後の列車は運休です。
お礼を言って、次の列車を撮影するために移動します。
折り返して最終列車になる列車は、先ほど見送った列車と隣駅の日頃市駅で交換となっていたのですぐ来てしまいました。
最終列車を迎え撃つため、さらに一駅先の長安寺駅に向かいます。
長安寺の駅も駅舎も駅名標も旅客営業時代のまま残っていました。
長安寺駅から徒歩で15分ほど日頃市側に戻った直線の終わりで、正面から機関車メインで撮影することにします。
ただ単に、時間が無くて撮影ポイントが見つけられなかっただけなのです。

本日の最終列車の撮影が終わったので、全駅のチェックをすることにしました。
日頃市駅も駅舎が残っており立派な貨物用ホームも残っています。
猪川駅は高い位置にあった駅へのアプローチの階段は残っていましたが、ホームなどは一切撤去されていました。
盛駅もしっかり駅舎が残っているのが踏切から確認できました。
ここはとりあえず機関区を先に見ます。
機関庫の中には機関車が1両休んでいました。
駅に戻るとホームに機関車が1両います。撮影しているうちにもう1両が連結されました。
駅の様子やら機関車を撮影しているうちにもう1両の機関車が連結されて3重連になりました。

慌てて踏切を渡って線路の反対側に出ると、踏切が鳴り始め3重連となった機関車が機関区に向けて発車していきました。
列車が運休となったため庫に収納するための回送3重連になったようである意味ラッキーです。
惜しむべきは走行列車を撮ると思っていなかったので、広角レンズしかカメラに付いていなかったので引き寄せることが出来なかったことですね。
再び機関区に戻ると、岩手開発鉄道の関係者が「今、3重連走ったぞ撮れたか!」と言いながら来ました。「撮ったよ!」と返したら笑いながら本社の敷地に消えていきました。
最後は赤崎駅に寄っていきます。
こちら側の線路は元々旅客営業はしていませんでしたので特に何かがあるわけではなく、セメント工場の付属施設のとしか見えませんでした。
列車は勾配を上がりながら駅舎を通り過ぎたさらに奥で停止。
ポイントを切り替え、推進運転で構内のホッパーにホッパ車を押し込んでいきます。
このホッパーは石灰石を積み出すための大きな設備で、貨車6両に同時に石灰石を載せています。
積み終わると機関車が貨車を押し次の6両で同じ作業です。

最後の貨車がホッパーの下に入ると、機関車は切り離され、ホッパーの脇を通って反対側に連結します。

全部の貨車に石灰石を積み終わると、ホッパーの中を抜けて反対側に押して行き、構内の奥まで行きポイントを切り替えて本線に出て行きました。
写真は発車した列車が本線を走っていく姿で、一段高い位置の駅舎が左端に見えています。
岩手石橋駅は駅舎だけでなく旅客ホームも残っていますが、線路は剥がされています。
駅名標は真っ白にペンキで塗りつぶされていましたが、よく見ると文字が読み取れました。
列車の撮影が終わり駅員の方に挨拶に伺うと、次に到着する列車が今日の最後だと教えていただけました。生産調整でその後の列車は運休です。
お礼を言って、次の列車を撮影するために移動します。
折り返して最終列車になる列車は、先ほど見送った列車と隣駅の日頃市駅で交換となっていたのですぐ来てしまいました。
最終列車を迎え撃つため、さらに一駅先の長安寺駅に向かいます。
長安寺の駅も駅舎も駅名標も旅客営業時代のまま残っていました。
長安寺駅から徒歩で15分ほど日頃市側に戻った直線の終わりで、正面から機関車メインで撮影することにします。
ただ単に、時間が無くて撮影ポイントが見つけられなかっただけなのです。

本日の最終列車の撮影が終わったので、全駅のチェックをすることにしました。
日頃市駅も駅舎が残っており立派な貨物用ホームも残っています。
猪川駅は高い位置にあった駅へのアプローチの階段は残っていましたが、ホームなどは一切撤去されていました。
盛駅もしっかり駅舎が残っているのが踏切から確認できました。
ここはとりあえず機関区を先に見ます。
機関庫の中には機関車が1両休んでいました。
駅に戻るとホームに機関車が1両います。撮影しているうちにもう1両が連結されました。
駅の様子やら機関車を撮影しているうちにもう1両の機関車が連結されて3重連になりました。

慌てて踏切を渡って線路の反対側に出ると、踏切が鳴り始め3重連となった機関車が機関区に向けて発車していきました。
列車が運休となったため庫に収納するための回送3重連になったようである意味ラッキーです。
惜しむべきは走行列車を撮ると思っていなかったので、広角レンズしかカメラに付いていなかったので引き寄せることが出来なかったことですね。
再び機関区に戻ると、岩手開発鉄道の関係者が「今、3重連走ったぞ撮れたか!」と言いながら来ました。「撮ったよ!」と返したら笑いながら本社の敷地に消えていきました。
最後は赤崎駅に寄っていきます。
こちら側の線路は元々旅客営業はしていませんでしたので特に何かがあるわけではなく、セメント工場の付属施設のとしか見えませんでした。
2006年07月28日
東北撮影旅行 その9
仮設住宅氏が、箱で良いのでやっぱり仙人水を買うとの話になり、再び釜石鉱山の事務所に戻ります。
最初に寄ってから40分以上経っており、カメラのカウンターも120枚近く進んでいます。
この間何をやっていたかは想像にお任せしておきます。
事務所へは先ほどとは違い駐車場側から入りました。
さて仙人水を積み込んで広い駐車場をぐるりと反転すると、機関車が目に飛び込んできました。
ここには鉱山で使用していた電気機関車が展示してあったのです。 少し疲れていた私は、車の中からパチリと手抜き撮影だけ、仮設住宅氏がちゃんと撮っていたので後で見せてもらうことにします。
今度は釜石線の洞泉駅近くの、昔、日鉄鉱業線と釜石線が交差していた場所に行ってみました。
に日鉄鉱業線が廃止されてから時間が経っているため、道路となっています。
この場所は鉄道廃線跡を歩くの3巻に載っている場所です。
本に載っている写真と大きく変わっている点は、釜石線の遙か上空を建設中のバイパスの橋が架かっていることです。
次の目的地は岩手開発鉄道、この場所からだと山を2つ越えていけば岩手石橋駅に出られますが、道が細いと想定されるのが問題です。
釜石・盛回りと検討した結果、山越えを選択しました。
やはり道は狭く気が抜けない道でしたが、幸いにも対向車が少なかったため助かりました。
最初の山を越えると、釜石線の上有住駅がありましたので、寄り道していきました。
駅の周辺には何もない駅でした。
しかし、この何もない場所に、JPの方らしい人、測量に来た人、私たちと人が集まってしまいちょっとだけ賑わってました。
ちょうど列車が来たので撮影すると、この旅行中見飽きた感のあるキハ100系がやってきました。
個人的にはこの車両自体は嫌いではないのですが、緑の中を白と緑系の塗色の車両だと目立たないので今ひとつの感じを受けています。
やはり旧国鉄色は良いですね。
撮影を終えて、岩手石橋駅へ向かいます。
2回目の山越えは道幅も少し広くなり手こずることはありませんでした。
岩手石橋駅へは仮設住宅氏が旅客営業をしていた頃に来ていたので、迷うこともなくあっさり到着、当時の駅舎もしっかり残っているようです。
ゆっくりする間も無く列車が遠くのカーブから顔を出しました。
そのまま構内に向かってくるのかと思いきや、エンジンを吹かす音はすれども列車は一向に進んでいません。
機関車が故障したのかと思っているうちに1分ほど経ち、列車は進み始めました。

写真をクリックするとホームページに飛びます。
岩手開発鉄道の方たちは、写真を撮りに来る人達に理解があるようで機関車のライトを付けたり消したりしてくれました。ありがたいことです。
最初に寄ってから40分以上経っており、カメラのカウンターも120枚近く進んでいます。
この間何をやっていたかは想像にお任せしておきます。
事務所へは先ほどとは違い駐車場側から入りました。
さて仙人水を積み込んで広い駐車場をぐるりと反転すると、機関車が目に飛び込んできました。
ここには鉱山で使用していた電気機関車が展示してあったのです。 少し疲れていた私は、車の中からパチリと手抜き撮影だけ、仮設住宅氏がちゃんと撮っていたので後で見せてもらうことにします。
今度は釜石線の洞泉駅近くの、昔、日鉄鉱業線と釜石線が交差していた場所に行ってみました。
に日鉄鉱業線が廃止されてから時間が経っているため、道路となっています。
この場所は鉄道廃線跡を歩くの3巻に載っている場所です。
本に載っている写真と大きく変わっている点は、釜石線の遙か上空を建設中のバイパスの橋が架かっていることです。
次の目的地は岩手開発鉄道、この場所からだと山を2つ越えていけば岩手石橋駅に出られますが、道が細いと想定されるのが問題です。
釜石・盛回りと検討した結果、山越えを選択しました。
やはり道は狭く気が抜けない道でしたが、幸いにも対向車が少なかったため助かりました。
最初の山を越えると、釜石線の上有住駅がありましたので、寄り道していきました。
駅の周辺には何もない駅でした。
しかし、この何もない場所に、JPの方らしい人、測量に来た人、私たちと人が集まってしまいちょっとだけ賑わってました。
ちょうど列車が来たので撮影すると、この旅行中見飽きた感のあるキハ100系がやってきました。
個人的にはこの車両自体は嫌いではないのですが、緑の中を白と緑系の塗色の車両だと目立たないので今ひとつの感じを受けています。
やはり旧国鉄色は良いですね。
撮影を終えて、岩手石橋駅へ向かいます。
2回目の山越えは道幅も少し広くなり手こずることはありませんでした。
岩手石橋駅へは仮設住宅氏が旅客営業をしていた頃に来ていたので、迷うこともなくあっさり到着、当時の駅舎もしっかり残っているようです。
ゆっくりする間も無く列車が遠くのカーブから顔を出しました。
そのまま構内に向かってくるのかと思いきや、エンジンを吹かす音はすれども列車は一向に進んでいません。
機関車が故障したのかと思っているうちに1分ほど経ち、列車は進み始めました。

写真をクリックするとホームページに飛びます。
岩手開発鉄道の方たちは、写真を撮りに来る人達に理解があるようで機関車のライトを付けたり消したりしてくれました。ありがたいことです。
2006年07月27日
東北撮影旅行 その8
仙人トンネルを越えると下り坂が続きます。
勾配を下っている最中、右手に踏み切り警報機が一瞬見えました。
ここら辺は釜石鉱山のテリトリー、その関連施設か?チェックは後にして陸中大橋駅へ向かいます。

写真をクリックするとホームページに飛びます。
陸中大橋駅には釜石鉱山からの積み出し施設として使用していた、コンクリート製のホッパが残っていました。
駅を見ていると列車の警笛が山の上から聞こえ、良く見ていると列車が走って来ます。
その位置から半ループのトンネルを抜けて180度向きを変えてこの駅に到着する線形になっています。
山の上に列車が見えて1分以上が経ってからトンネルを抜けた列車が駅に到着しました。
列車は110系3連の快速列車で、昔の急行陸中を格下げした列車だと思われます。
ちなみにこの110系はパイプを使用したスカートが着いている初期車でした。
この時間に停車列車は無かったのですが、列車は停車しなかなか発車しません。
しばらくすると花巻方面行きの快速がやってきて行き違いとなりました。
列車がいなくなった後、じっくりと駅周辺施設の撮影をしています。
釜石鉱山では地下で湧き出す水を仙人水と言う名で売り出しています。
仮設住宅氏が欲しいと言うので釜石鉱山の事務所まで行きました。
仙人水の搬出にはトロッコを使用しているのが分かっていましたので、ついでに見学が出来ないのかも聞いてみます。
結果、この事務所では仙人水の1本売りはしておらず12本の箱売りだけでした。見学もこの場では許可が出ませんでした。
今度は先ほどの踏切が見えた場所まで戻ってみます。
事務所のちょっと先から、釜石鉱山の建物がよく見える場所に出ましたので撮影しておきます。
建物の上の方に線路があるのが確認できました。
踏切の場所に着くと、この場所は釜石鉱山の採鉱事務所と書いてあり立ち入り禁止になっています。
道路より高い位置に踏切が見え、さらに道路を跨いで線路があるようですが中の様子は見えません。
周りを見ると、すぐ近くに、ブレーキが故障した車を突っ込んで停車させる施設があり、そこに上がると構内の様子を何とか見ることが出来ました。
山に突っ込むトンネルあり、踏切あり、反対側もトンネルあり、分岐する線路もありました。

写真をクリックするとホームページに飛びます。
この構内にに入れたら楽しそうです。
勾配を下っている最中、右手に踏み切り警報機が一瞬見えました。
ここら辺は釜石鉱山のテリトリー、その関連施設か?チェックは後にして陸中大橋駅へ向かいます。

写真をクリックするとホームページに飛びます。
陸中大橋駅には釜石鉱山からの積み出し施設として使用していた、コンクリート製のホッパが残っていました。
駅を見ていると列車の警笛が山の上から聞こえ、良く見ていると列車が走って来ます。
その位置から半ループのトンネルを抜けて180度向きを変えてこの駅に到着する線形になっています。
山の上に列車が見えて1分以上が経ってからトンネルを抜けた列車が駅に到着しました。
列車は110系3連の快速列車で、昔の急行陸中を格下げした列車だと思われます。
ちなみにこの110系はパイプを使用したスカートが着いている初期車でした。
この時間に停車列車は無かったのですが、列車は停車しなかなか発車しません。
しばらくすると花巻方面行きの快速がやってきて行き違いとなりました。
列車がいなくなった後、じっくりと駅周辺施設の撮影をしています。
釜石鉱山では地下で湧き出す水を仙人水と言う名で売り出しています。
仮設住宅氏が欲しいと言うので釜石鉱山の事務所まで行きました。
仙人水の搬出にはトロッコを使用しているのが分かっていましたので、ついでに見学が出来ないのかも聞いてみます。
結果、この事務所では仙人水の1本売りはしておらず12本の箱売りだけでした。見学もこの場では許可が出ませんでした。
今度は先ほどの踏切が見えた場所まで戻ってみます。
事務所のちょっと先から、釜石鉱山の建物がよく見える場所に出ましたので撮影しておきます。
建物の上の方に線路があるのが確認できました。
踏切の場所に着くと、この場所は釜石鉱山の採鉱事務所と書いてあり立ち入り禁止になっています。
道路より高い位置に踏切が見え、さらに道路を跨いで線路があるようですが中の様子は見えません。
周りを見ると、すぐ近くに、ブレーキが故障した車を突っ込んで停車させる施設があり、そこに上がると構内の様子を何とか見ることが出来ました。
山に突っ込むトンネルあり、踏切あり、反対側もトンネルあり、分岐する線路もありました。

写真をクリックするとホームページに飛びます。
この構内にに入れたら楽しそうです。
2006年07月26日
東北撮影旅行 その7
3日目は朝から晴れです。
釜石鉱山に向かって車を走らせます。
走っていく途中にJR釜石線のめがね橋があり、見た感じが良いので有名な場所です。
今回の旅行は地図とナビを併用していたのですが、お互いにめがね橋の位置が違っていました。
ナビの位置には道の駅があったので車を止めて撮影します。
残念ながら列車は来ませんでしたので、絡めての撮影はできませんでした。
橋梁の横には、軽便鉄道時代の橋脚・橋台が残っています。
この橋の形を見て、めがねなら輪っかが多いと思います。
地図の方の位置が正解だったのでしょうか?疑問を残したまま次に向かいます。
JR釜石線に沿って走っているので、途中の岩手二日町駅と足ヶ瀬駅にも寄ってみました。
足ヶ瀬駅では列車が来たので撮影、キハ100系の2連でした。
ここから線路と道路はルートが離れます。JRは仙人トンネルなどを抜けて陸中大橋駅まで峠をくぐっていきますが、軽便鉄道時代は峠を挟んで線路は繋がっていませんでした。
峠の荷物の搬送は、索道を使用して陸中大橋駅まで運んでいたそうです。
何処が軽便鉄道の終点か、また、索道の起点かははっきりしませんが、国道の仙人トンネル入り口付近を探索してみました。
すると旧釜石街道の仙人峠への道を発見したので、ちょっとだけ歩いてみます。

上の写真をクリックするとホームページに飛びます。
入ってすぐのところでレールを発見しました。
敷設してあったわけではなく土留めの柱として使用されています。
レールはあからさまに細く、トロッコか何かに使用されていた物のようです。
ちなみにレールは太さの違う2本を発見できました。
この峠から索道の痕が見えるという話なのですが、全行程3時間掛かるようなので諦めています。
釜石鉱山に向かって車を走らせます。
走っていく途中にJR釜石線のめがね橋があり、見た感じが良いので有名な場所です。
今回の旅行は地図とナビを併用していたのですが、お互いにめがね橋の位置が違っていました。
ナビの位置には道の駅があったので車を止めて撮影します。
残念ながら列車は来ませんでしたので、絡めての撮影はできませんでした。
橋梁の横には、軽便鉄道時代の橋脚・橋台が残っています。
この橋の形を見て、めがねなら輪っかが多いと思います。
地図の方の位置が正解だったのでしょうか?疑問を残したまま次に向かいます。
JR釜石線に沿って走っているので、途中の岩手二日町駅と足ヶ瀬駅にも寄ってみました。
足ヶ瀬駅では列車が来たので撮影、キハ100系の2連でした。
ここから線路と道路はルートが離れます。JRは仙人トンネルなどを抜けて陸中大橋駅まで峠をくぐっていきますが、軽便鉄道時代は峠を挟んで線路は繋がっていませんでした。
峠の荷物の搬送は、索道を使用して陸中大橋駅まで運んでいたそうです。
何処が軽便鉄道の終点か、また、索道の起点かははっきりしませんが、国道の仙人トンネル入り口付近を探索してみました。
すると旧釜石街道の仙人峠への道を発見したので、ちょっとだけ歩いてみます。

上の写真をクリックするとホームページに飛びます。
入ってすぐのところでレールを発見しました。
敷設してあったわけではなく土留めの柱として使用されています。
レールはあからさまに細く、トロッコか何かに使用されていた物のようです。
ちなみにレールは太さの違う2本を発見できました。
この峠から索道の痕が見えるという話なのですが、全行程3時間掛かるようなので諦めています。
2006年07月23日
東北撮影旅行 その6
朝は大雨だった岩手県まで再び戻って来ると、八戸まで一気に遠征した甲斐があり、ちゃんと雨が止んで晴れていました。
今晩の宿は、地図に花巻駅前にビジネスホテルらしいのが載っていたのでそこを目指しました。
花巻駅前には平成の頭の方に一度やってきた事があります。
さすがに15~16年経っていたので、綺麗整備され大きく変わっていました。
その時は木造の歴史のある駅前旅館に泊まった記憶があります。
駅前のビジネスホテルに着きチェックインする時に話をしていたら、偶然にもここが昔の駅前旅館でした。
東北本線が開通した頃に、旅館を開業したと前に泊まった時に話を聞いた気がします。
さすがに旅館の形態では現代ではきついと見え、ビジネスホテル風に改装したみたいです。
旅館時代の建物は味があって良かったのでちょっと残念でもありました。
部屋に入って窓を開けると花巻駅のホームが良く見えます。
荷物を置くとカメラだけ持って外に出掛けます。
この花巻には昔、花巻電鉄がありました。JRの花巻駅の裏に花巻電鉄の駅があり花巻温泉まで行く線と鉛温泉まで行く線がありました。
駅から鉛温泉へ向かう線路跡は、自転車用の道路になって残っていました。
そこを辿って歩いて行くと右側に花巻電鉄で使用されていた車両が保存されています。

上の写真をクリックするとホームページに飛びます。
車両は馬面電車と呼ばれていたナローの電車で、デハ3でした。
保存場所は屋根付きで、金網の中に保存されているので保存の状態は良いですが、写真を撮るには不向きです。
暗くなるとライトアップもされるようになっていました。
デハ3のすぐ横の道路が鉛温泉に向かっていた鉛線の跡です。
今度は東北本線を陸橋で越え駅前に戻ります。
この駅前からも線路が延びていました。こちらは現在の釜石線の前身に当たる岩手軽便鉄道です。
駅の跡に石碑だけ残っていました。
今晩の宿は、地図に花巻駅前にビジネスホテルらしいのが載っていたのでそこを目指しました。
花巻駅前には平成の頭の方に一度やってきた事があります。
さすがに15~16年経っていたので、綺麗整備され大きく変わっていました。
その時は木造の歴史のある駅前旅館に泊まった記憶があります。
駅前のビジネスホテルに着きチェックインする時に話をしていたら、偶然にもここが昔の駅前旅館でした。
東北本線が開通した頃に、旅館を開業したと前に泊まった時に話を聞いた気がします。
さすがに旅館の形態では現代ではきついと見え、ビジネスホテル風に改装したみたいです。
旅館時代の建物は味があって良かったのでちょっと残念でもありました。
部屋に入って窓を開けると花巻駅のホームが良く見えます。
荷物を置くとカメラだけ持って外に出掛けます。
この花巻には昔、花巻電鉄がありました。JRの花巻駅の裏に花巻電鉄の駅があり花巻温泉まで行く線と鉛温泉まで行く線がありました。
駅から鉛温泉へ向かう線路跡は、自転車用の道路になって残っていました。
そこを辿って歩いて行くと右側に花巻電鉄で使用されていた車両が保存されています。

上の写真をクリックするとホームページに飛びます。
車両は馬面電車と呼ばれていたナローの電車で、デハ3でした。
保存場所は屋根付きで、金網の中に保存されているので保存の状態は良いですが、写真を撮るには不向きです。
暗くなるとライトアップもされるようになっていました。
デハ3のすぐ横の道路が鉛温泉に向かっていた鉛線の跡です。
今度は東北本線を陸橋で越え駅前に戻ります。
この駅前からも線路が延びていました。こちらは現在の釜石線の前身に当たる岩手軽便鉄道です。
駅の跡に石碑だけ残っていました。
2006年07月22日
東北撮影旅行 その5
次の目的地は新井田小学校。
ここには昔セメント輸送に活躍したトロッコがあるという情報があり、行ってみることにしました。
途中、八戸線の白銀駅近くを通ったので、ちょっと寄り道します。
昔はここからも港に向かう線路があったようなのですが、痕跡は分かりません。
八戸線の列車が来たので、キハ40系の2連を撮影しています。
目的地の新井田小学校は小高い山の上にありました。
事務室に挨拶に伺い写真の撮影許可を許可を求めました。
対応してくれた女性の方は、そんな写真を撮りに来るような大層な物があったのかな?という対応、写真を撮りに来たのは初めてだとおっしゃっていました。
女性の方の案内で歩いて行くと、おっ、ありました。機関車+無蓋車+無蓋車+人車の4両編成です。
この場所は、学校敷地に入ってすぐのところにありますが、プールの脇です。
無断で入って、野郎二人がカメラ持ってプールの脇にいたら間違いなく警察に通報されてしまいます。
ちゃんと許可を取って良かった良かった。

上の写真をクリックするとホームページへ飛びます。
このトロッコ、八戸セメントで昭和48年まで使用されていた物のようです。
地下にベルトコンベアが出来て使われなくなったと案内板に書いてありました。
機関車はKATO君です。
女性の方と話している時に、経緯は知らないが、トロッコ道と呼ばれている道が近くにあると教わりました。
地図を見てると、何となくその道らしき道路が延びているのが分かり行ってみることにします。
現地に行くと、元々の道と線路跡の道が平行しており、一方通行の道としてセットで使われていました。
道路の終点から逆側には地図上には細い道があるのですが、曲がる場所がはっきりしません。
先に行って終点の方向に向かうと、築堤がまだ残っていました。
築堤を探索した時点で14時半。もう今日は撤収します。
何故ならば今日の宿は明日の行程を考えて花巻なのでした。
ここには昔セメント輸送に活躍したトロッコがあるという情報があり、行ってみることにしました。
途中、八戸線の白銀駅近くを通ったので、ちょっと寄り道します。
昔はここからも港に向かう線路があったようなのですが、痕跡は分かりません。
八戸線の列車が来たので、キハ40系の2連を撮影しています。
目的地の新井田小学校は小高い山の上にありました。
事務室に挨拶に伺い写真の撮影許可を許可を求めました。
対応してくれた女性の方は、そんな写真を撮りに来るような大層な物があったのかな?という対応、写真を撮りに来たのは初めてだとおっしゃっていました。
女性の方の案内で歩いて行くと、おっ、ありました。機関車+無蓋車+無蓋車+人車の4両編成です。
この場所は、学校敷地に入ってすぐのところにありますが、プールの脇です。
無断で入って、野郎二人がカメラ持ってプールの脇にいたら間違いなく警察に通報されてしまいます。
ちゃんと許可を取って良かった良かった。

上の写真をクリックするとホームページへ飛びます。
このトロッコ、八戸セメントで昭和48年まで使用されていた物のようです。
地下にベルトコンベアが出来て使われなくなったと案内板に書いてありました。
機関車はKATO君です。
女性の方と話している時に、経緯は知らないが、トロッコ道と呼ばれている道が近くにあると教わりました。
地図を見てると、何となくその道らしき道路が延びているのが分かり行ってみることにします。
現地に行くと、元々の道と線路跡の道が平行しており、一方通行の道としてセットで使われていました。
道路の終点から逆側には地図上には細い道があるのですが、曲がる場所がはっきりしません。
先に行って終点の方向に向かうと、築堤がまだ残っていました。
築堤を探索した時点で14時半。もう今日は撤収します。
何故ならば今日の宿は明日の行程を考えて花巻なのでした。
2006年07月20日
東北撮影旅行 その4
7月13日の朝は、一関のビジネスホテルで目を覚ましました。
外は結構な雨が降っており、テレビの天気予報でもこの地方一帯は雨だと伝えています。
当初のこの日の予定は、岩手開発鉄道・釜石鉱山をメインにしていました。
ノートパソコンでネットの天気予報をチェックすると、この地方は明日は雨ではなく、八戸まで出てしまえば今日は曇り。急遽予定を変更して八戸臨海鉄道まで行くことにしす。
高速を飛ばして10時過ぎに八戸に到着しました。
最初の列車が来るまであまり時間がありません。
1日4往復と数が少ない臨海鉄道なので、次の列車の撮影で良いやとはならず、川の土手沿いからとりあえずの撮影となりました。

上の写真をクリックするとホームページへ飛びます。
機関車はDD562号機、国鉄のDD13タイプです。
最初の列車の撮影後、対岸に渡り定期列車が走っていない線を探索してから、臨海鉄道終点の北沼駅に向かいます。
線路は途中から太い道路と平行して走っており、ヤードらしき物も見えました。
しかし、車を駐車できるスペースが無くいったん通過します。
地図上で線路の終端となっている場所は製紙工場の敷地となっており、道路も続いていません。
製紙工場近くの太い道路は道は道幅も広く、交通量も少なく車を駐車するにはちょうど良いけど、列車の走行を撮るにはちょっと遠いのです。
来た道を戻って違う駐車場所を探そうとUターンした瞬間、製紙工場の中に機関車がいるのが見えてしまったため、そのままさらにUターンして道路上で360度回ってしまいました。
製紙工場の敷地を外から覗くと、多数のコンテナ車と機関車が2両います。
Uターンの時に目に入ったのはD727機関車。工場の中に入るからなのか屋根が妙に低いです。
車両の配置と線路の配置から考えると、次に到着する列車が入って来ることができません。
そのことから考えると、途中に見えたヤードが北沼駅だと暫定で決定します。
八戸貨物駅からきた列車は北沼駅まで、ここから発送の列車も別の機関車で北沼駅まで持って行き、お互いの車両を取り替えて戻る運用だと考えました。
製紙工場の構内では機関車がコンテナ車の移動を続けています。
八戸貨物駅からの列車が北沼駅に到着する時間が近くなったので、製紙工場と北沼駅の間にちょっとだけ移動、案の定すぐに踏切が鳴り始めて、製紙工場から推進運転でコンテナ車が出てきました。機関車はDD352です。そのまま北沼駅に入って見えなくなるかと思ったら、見えるところで止まってしまいました。
全然動かなくなり、北沼発の列車が発車するまで時間があったので少し距離がある北沼駅まで徒歩で移動する事にしました。
歩いていくと北沼運動公園というのがあり、位置的に北沼駅の後ろだと感じたので中に入っていくと、見事に駅に出ることができましたので、牽引機のDD562号機を再び撮影することができました。
さらに15分ほど歩いて、八戸貨物駅行きの列車を撮影しています。
この後は違う目的に向かって移動です。
外は結構な雨が降っており、テレビの天気予報でもこの地方一帯は雨だと伝えています。
当初のこの日の予定は、岩手開発鉄道・釜石鉱山をメインにしていました。
ノートパソコンでネットの天気予報をチェックすると、この地方は明日は雨ではなく、八戸まで出てしまえば今日は曇り。急遽予定を変更して八戸臨海鉄道まで行くことにしす。
高速を飛ばして10時過ぎに八戸に到着しました。
最初の列車が来るまであまり時間がありません。
1日4往復と数が少ない臨海鉄道なので、次の列車の撮影で良いやとはならず、川の土手沿いからとりあえずの撮影となりました。

上の写真をクリックするとホームページへ飛びます。
機関車はDD562号機、国鉄のDD13タイプです。
最初の列車の撮影後、対岸に渡り定期列車が走っていない線を探索してから、臨海鉄道終点の北沼駅に向かいます。
線路は途中から太い道路と平行して走っており、ヤードらしき物も見えました。
しかし、車を駐車できるスペースが無くいったん通過します。
地図上で線路の終端となっている場所は製紙工場の敷地となっており、道路も続いていません。
製紙工場近くの太い道路は道は道幅も広く、交通量も少なく車を駐車するにはちょうど良いけど、列車の走行を撮るにはちょっと遠いのです。
来た道を戻って違う駐車場所を探そうとUターンした瞬間、製紙工場の中に機関車がいるのが見えてしまったため、そのままさらにUターンして道路上で360度回ってしまいました。
製紙工場の敷地を外から覗くと、多数のコンテナ車と機関車が2両います。
Uターンの時に目に入ったのはD727機関車。工場の中に入るからなのか屋根が妙に低いです。
車両の配置と線路の配置から考えると、次に到着する列車が入って来ることができません。
そのことから考えると、途中に見えたヤードが北沼駅だと暫定で決定します。
八戸貨物駅からきた列車は北沼駅まで、ここから発送の列車も別の機関車で北沼駅まで持って行き、お互いの車両を取り替えて戻る運用だと考えました。
製紙工場の構内では機関車がコンテナ車の移動を続けています。
八戸貨物駅からの列車が北沼駅に到着する時間が近くなったので、製紙工場と北沼駅の間にちょっとだけ移動、案の定すぐに踏切が鳴り始めて、製紙工場から推進運転でコンテナ車が出てきました。機関車はDD352です。そのまま北沼駅に入って見えなくなるかと思ったら、見えるところで止まってしまいました。
全然動かなくなり、北沼発の列車が発車するまで時間があったので少し距離がある北沼駅まで徒歩で移動する事にしました。
歩いていくと北沼運動公園というのがあり、位置的に北沼駅の後ろだと感じたので中に入っていくと、見事に駅に出ることができましたので、牽引機のDD562号機を再び撮影することができました。
さらに15分ほど歩いて、八戸貨物駅行きの列車を撮影しています。
この後は違う目的に向かって移動です。
2006年07月18日
東北撮影旅行 その3
今度は終点の細倉マインパーク前駅を通り越して、名前の由来となった細倉マインパークへ向かいました。
平日だったからなのか、人があまりいない寂しいマインパークに到着。
昔の坑道を利用した色々な展示が見られるのが売りのようです。
湿気が多くかなり蒸し暑い日だったので、涼むのにちょうど良いかなと思ったらちょっと寒いです。
ここは40分ほどの見学時間があり、中の展示は、最初のうちは鉱山の仕組みとか、掘り出す作業を解説していく展示がありました。

上の写真をクリックするとホームページに飛びます。
バッテリーロコやトロッコも展示してありしっかり撮影しています。
こういう物があるのを期待して入ったようなものですので。
さらにその先のゾーンに進むと、何が見せたいのか全然わからない世界に迷い込んでしまいました。
はっきり言ってつまらないというのが私たちの感想です。
つまらなかろうが坑道は続き嫌でも付き合わされてしまい、40分は長すぎでした。
外の世界に戻り、細倉マインパーク前駅に移動します。
駅前には栗駒電鉄時代の1983年に廃車となった、ED202とワフ71が展示されていました。
元々は軌間762ミリの車両だったのを1067ミリに改造しているので、台車が妙に大きいのです。
保存状態は良いとは言えず、塗装は色褪せて錆びてしまっており、この先がとても心配です。
以前の旅客営業の終点であった細倉駅跡まで歩いてみました。
駅舎自体は塗装屋さんなどが入って使用している様子です。
ホームはそのまま残っており、駅名票も1枚残っています。
さらに転轍てこも残っていました。
再びマインパーク前駅まで歩いて戻ると、保線小屋としていた建物が2棟あり、おじさんとおばさんが解体作業を少しずつ進めている様子でした。
片方の小屋の扉の下からレールが見えていたので中をのぞくと、保線用のトロッコやら色々な物が雑然と入ってました。
この分ではこの小屋は近いうちに無くなってしまうと思われます。
15時を過ぎたのでそろそろ撤収の時間が近づいています。
栗駒駅方面に戻って途中で列車を1・2本撮って宿に向かおうと思っていました。
道路を走っていると、踏切が鳴っているのが見えます。
あれ?こんな時間には列車がないはずなのにどうしたのだろうと思いつつ、鶯沢駅で16時20分の石越行きを撮影することにしました。
駅には15時50分に着いて、列車が来るまで駅の近辺を撮影しながら待ちます。
駅のホームには近くの小学校の女の子が列車を待っていました。
16時10分頃を過ぎた頃、女の子が話し掛けてきました。
「マインパーク行きもう行きましたか?」見てないけど変なタイミングで踏切が鳴っていたのを教えてあげたら、トボトボと小学校に戻っていきました。
次の列車は1時間後です。何かトラブルが発生したのか?
16時20分、列車はやはりきません。
別の場所で撮影している仮設住宅氏と連絡を取り、40分まで粘ることにしましたが、結局、来なかったので撤収となりました。
栗駒駅の近くをもう一度通るついでに、駅構内をのぞいて見ると、その次のマインパーク前行きらしい列車と反対ホームには石越方向に行くらしい列車がみえました。
平常ダイヤではこの駅での行き違いは無かったはずなので、やはり何かのトラブルがあったようです。
ある意味貴重な栗駒駅での行き違いを撮影し、今晩の宿を探しに一関に向かったのでした。
平日だったからなのか、人があまりいない寂しいマインパークに到着。
昔の坑道を利用した色々な展示が見られるのが売りのようです。
湿気が多くかなり蒸し暑い日だったので、涼むのにちょうど良いかなと思ったらちょっと寒いです。
ここは40分ほどの見学時間があり、中の展示は、最初のうちは鉱山の仕組みとか、掘り出す作業を解説していく展示がありました。

上の写真をクリックするとホームページに飛びます。
バッテリーロコやトロッコも展示してありしっかり撮影しています。
こういう物があるのを期待して入ったようなものですので。
さらにその先のゾーンに進むと、何が見せたいのか全然わからない世界に迷い込んでしまいました。
はっきり言ってつまらないというのが私たちの感想です。
つまらなかろうが坑道は続き嫌でも付き合わされてしまい、40分は長すぎでした。
外の世界に戻り、細倉マインパーク前駅に移動します。
駅前には栗駒電鉄時代の1983年に廃車となった、ED202とワフ71が展示されていました。
元々は軌間762ミリの車両だったのを1067ミリに改造しているので、台車が妙に大きいのです。
保存状態は良いとは言えず、塗装は色褪せて錆びてしまっており、この先がとても心配です。
以前の旅客営業の終点であった細倉駅跡まで歩いてみました。
駅舎自体は塗装屋さんなどが入って使用している様子です。
ホームはそのまま残っており、駅名票も1枚残っています。
さらに転轍てこも残っていました。
再びマインパーク前駅まで歩いて戻ると、保線小屋としていた建物が2棟あり、おじさんとおばさんが解体作業を少しずつ進めている様子でした。
片方の小屋の扉の下からレールが見えていたので中をのぞくと、保線用のトロッコやら色々な物が雑然と入ってました。
この分ではこの小屋は近いうちに無くなってしまうと思われます。
15時を過ぎたのでそろそろ撤収の時間が近づいています。
栗駒駅方面に戻って途中で列車を1・2本撮って宿に向かおうと思っていました。
道路を走っていると、踏切が鳴っているのが見えます。
あれ?こんな時間には列車がないはずなのにどうしたのだろうと思いつつ、鶯沢駅で16時20分の石越行きを撮影することにしました。
駅には15時50分に着いて、列車が来るまで駅の近辺を撮影しながら待ちます。
駅のホームには近くの小学校の女の子が列車を待っていました。
16時10分頃を過ぎた頃、女の子が話し掛けてきました。
「マインパーク行きもう行きましたか?」見てないけど変なタイミングで踏切が鳴っていたのを教えてあげたら、トボトボと小学校に戻っていきました。
次の列車は1時間後です。何かトラブルが発生したのか?
16時20分、列車はやはりきません。
別の場所で撮影している仮設住宅氏と連絡を取り、40分まで粘ることにしましたが、結局、来なかったので撤収となりました。
栗駒駅の近くをもう一度通るついでに、駅構内をのぞいて見ると、その次のマインパーク前行きらしい列車と反対ホームには石越方向に行くらしい列車がみえました。
平常ダイヤではこの駅での行き違いは無かったはずなので、やはり何かのトラブルがあったようです。
ある意味貴重な栗駒駅での行き違いを撮影し、今晩の宿を探しに一関に向かったのでした。
2006年07月17日
東北撮影旅行 その2
くりはら田園鉄道沿線に到着、ロケハンを兼ねて車を走らせます。
さすが田園鉄道というだけあり、田んぼの中を線路は走っていました。
まずは列車時刻の確認をするため津久毛駅に立ち寄りました。
津久毛駅の近くには栗原電鉄時代の変電所があります。
この駅は昔は交換可能駅だったようで、線路は撤去されていますがホームの跡は残っていました。
無人化はされていますが、駅舎が残っていて、民間の工場か事務所に使われているようです。

上の写真をクリックするとホームページに飛びます。
一通り駅周辺を撮影し、列車は当分来ないので杉橋駅、鳥矢崎駅を撮りつつ移動です。
この二つの駅は駅舎のないホームだけの小さな駅でした。
途中、遠くの山に雪が残っているのをバックに、線路は田んぼの中を走っている場所がありました。
ここで列車が来れば絵になるのですけれど、時間がもったいないので先に進みます。
栗駒駅までやってきました。
ここは駅員の配置もある大きな駅となっています。
せっかく来た記念に、絵はがきのセットとCD付きの記念乗車券を購入しました。
この栗駒駅には腕木信号機があり、列車と絡めての撮影をすることにしましす。
この駅近辺で2本の列車を撮影し、近くの風土館で少し遅い昼食タイムです。
この風土館でちょうどくりでんの歴史展をやっていました。
食べ終わってもう1本撮影して歴史展を見ていきます。
展示物は昔使われていた物や、古いダイヤ、貴重な写真など色々ありました。
さすが田園鉄道というだけあり、田んぼの中を線路は走っていました。
まずは列車時刻の確認をするため津久毛駅に立ち寄りました。
津久毛駅の近くには栗原電鉄時代の変電所があります。
この駅は昔は交換可能駅だったようで、線路は撤去されていますがホームの跡は残っていました。
無人化はされていますが、駅舎が残っていて、民間の工場か事務所に使われているようです。

上の写真をクリックするとホームページに飛びます。
一通り駅周辺を撮影し、列車は当分来ないので杉橋駅、鳥矢崎駅を撮りつつ移動です。
この二つの駅は駅舎のないホームだけの小さな駅でした。
途中、遠くの山に雪が残っているのをバックに、線路は田んぼの中を走っている場所がありました。
ここで列車が来れば絵になるのですけれど、時間がもったいないので先に進みます。
栗駒駅までやってきました。
ここは駅員の配置もある大きな駅となっています。
せっかく来た記念に、絵はがきのセットとCD付きの記念乗車券を購入しました。
この栗駒駅には腕木信号機があり、列車と絡めての撮影をすることにしましす。
この駅近辺で2本の列車を撮影し、近くの風土館で少し遅い昼食タイムです。
この風土館でちょうどくりでんの歴史展をやっていました。
食べ終わってもう1本撮影して歴史展を見ていきます。
展示物は昔使われていた物や、古いダイヤ、貴重な写真など色々ありました。
2006年07月16日
東北撮影旅行 その1
予定と休みが微妙にズレたりしましたが、東北方面に撮影旅行に行ってきました。
11日の深夜に家を出発、仲間の仮設住宅氏を拾って北に向かいます。
東北道は所々雨が降っていましたが、交通量が少ないため順調に走れます。
何事もなく最初の目的地に着くのかと思っていたら、突然、インパネに普段表示されないエンジンチェックの文字が!パワーも落ちてしまいました。
エンジンが止まったわけでは無く、アクセルを大きく開けなければ普通の運転ができるので、一番近いSAまでゆっくり進むことに。
SAまで辿り着きとりあえずエンジン停止。電子制御系のトラブルの時に出る表示なので、湿気が多いために起きたトラブルだと予想。少し時間を空けて様子を見ることに。車も古くなるとあちこちにガタが出てきますからね。
ご飯を食べたりして時間を潰し、いよいよエンジン再始動。どきどきしながらセルを回すと、何事もなく始動し、表示も消えました。北行き続行です。
外も明るくなりすっかり朝。雨もあがりました。長者原のSAで6時になり、ここで東北道を降りました。

上の写真をクリックするとホームページへ飛びます。
今日の最初の目的は、仙北鉄道の廃線跡を辿ること。まずは登米駅のあった場所に向かいます。
登米駅の駅舎は、宮交登米バスの登米営業所として再利用されているのは、色々な本に出ているので有名です。
今日もちゃんと私達を待っていてくれました。
この旧登米駅前には仙北鉄道で使用していた機関車の車輪が飾ってあり、駅舎内にも当時使用していた備品がありました。
廃線跡を辿っていく前に、近くにあるJR気仙沼線の柳津駅を覗いていきましたが、残念ながら柳津駅は特に見るところのない普通の駅でした。
登米駅の近くには、国指定重要文化財である旧登米高等尋常小学校校舎もありました。かなり立派な建物です。時間が早くて中には入れませんでしたが、門の隙間から写真を撮っておきました。
この近辺には古い歴史を持った建物とかがあるようなので、それと一緒に改めて見に来たいと思います。
廃線跡の道を瀬峰駅を経由して築館駅まで探索開始です。あっちこっち迷いながら痕跡を探しますがなかなか見つかりません。
何となく廃線跡かなという道を走り交差点で停止したら、商店に上沼駅前の文字を発見。他に何か無いかと見渡したら、近くに貨車の廃車体がありました。
貨車は民家の物置として再利用されているようです。
妻面にはバッファーを取り付けていた跡もしっかり残っており、側扉にはうっすらと社紋も残っていました。
その後も廃線跡を辿りますが、地図に載っている廃線跡らしい道が見つからなかったりで苦労しました。
JR瀬峰駅までやってきました。
ここが仙北鉄道と国鉄との接続駅となっていましたので、仙北鉄道の跡を示す石碑も建っています。
跨線橋が仙北鉄道のホームにつながっていた部分は切られて板で塞いでありました。
以前は塞いだ板の色が跨線橋と違っていて切った跡がすぐ分かると、どこかのHPで見た記憶があるのですが、今は同じ色に塗ってありました。
築館駅までのルートも辿りましたが、こちら側は何も発見できませんでした。(旧築館駅の位置を勘違いしていた事が後で判明、これでは見つかりませんね)
仙北鉄道の探索は終了、陸羽街道を北上して、くりはら田園鉄道に向かうところでその1は終了です。
11日の深夜に家を出発、仲間の仮設住宅氏を拾って北に向かいます。
東北道は所々雨が降っていましたが、交通量が少ないため順調に走れます。
何事もなく最初の目的地に着くのかと思っていたら、突然、インパネに普段表示されないエンジンチェックの文字が!パワーも落ちてしまいました。
エンジンが止まったわけでは無く、アクセルを大きく開けなければ普通の運転ができるので、一番近いSAまでゆっくり進むことに。
SAまで辿り着きとりあえずエンジン停止。電子制御系のトラブルの時に出る表示なので、湿気が多いために起きたトラブルだと予想。少し時間を空けて様子を見ることに。車も古くなるとあちこちにガタが出てきますからね。
ご飯を食べたりして時間を潰し、いよいよエンジン再始動。どきどきしながらセルを回すと、何事もなく始動し、表示も消えました。北行き続行です。
外も明るくなりすっかり朝。雨もあがりました。長者原のSAで6時になり、ここで東北道を降りました。

上の写真をクリックするとホームページへ飛びます。
今日の最初の目的は、仙北鉄道の廃線跡を辿ること。まずは登米駅のあった場所に向かいます。
登米駅の駅舎は、宮交登米バスの登米営業所として再利用されているのは、色々な本に出ているので有名です。
今日もちゃんと私達を待っていてくれました。
この旧登米駅前には仙北鉄道で使用していた機関車の車輪が飾ってあり、駅舎内にも当時使用していた備品がありました。
廃線跡を辿っていく前に、近くにあるJR気仙沼線の柳津駅を覗いていきましたが、残念ながら柳津駅は特に見るところのない普通の駅でした。
登米駅の近くには、国指定重要文化財である旧登米高等尋常小学校校舎もありました。かなり立派な建物です。時間が早くて中には入れませんでしたが、門の隙間から写真を撮っておきました。
この近辺には古い歴史を持った建物とかがあるようなので、それと一緒に改めて見に来たいと思います。
廃線跡の道を瀬峰駅を経由して築館駅まで探索開始です。あっちこっち迷いながら痕跡を探しますがなかなか見つかりません。
何となく廃線跡かなという道を走り交差点で停止したら、商店に上沼駅前の文字を発見。他に何か無いかと見渡したら、近くに貨車の廃車体がありました。
貨車は民家の物置として再利用されているようです。
妻面にはバッファーを取り付けていた跡もしっかり残っており、側扉にはうっすらと社紋も残っていました。
その後も廃線跡を辿りますが、地図に載っている廃線跡らしい道が見つからなかったりで苦労しました。
JR瀬峰駅までやってきました。
ここが仙北鉄道と国鉄との接続駅となっていましたので、仙北鉄道の跡を示す石碑も建っています。
跨線橋が仙北鉄道のホームにつながっていた部分は切られて板で塞いでありました。
以前は塞いだ板の色が跨線橋と違っていて切った跡がすぐ分かると、どこかのHPで見た記憶があるのですが、今は同じ色に塗ってありました。
築館駅までのルートも辿りましたが、こちら側は何も発見できませんでした。(旧築館駅の位置を勘違いしていた事が後で判明、これでは見つかりませんね)
仙北鉄道の探索は終了、陸羽街道を北上して、くりはら田園鉄道に向かうところでその1は終了です。
2006年07月06日
国鉄時代6
国鉄時代6を買って読みました。今回の特集は飯田線特集、昔は旧型国電が好きだったので高校時代に一度だけ飯田線まで行ったのを懐かしく思い出しました。
この頃は、毎年夏と冬に母親の実家がある身延線沿線の鰍沢に行っていましたので、そのたびに身延線の写真を撮影していました。
高校に入って、1年の時だけ鉄道クラブに入っており、先輩から飯田線の列車運用表見せてもらったのが飯田線に行くきっかけになりました。
その先輩から運用表を写させてもらい、82年の年末となり、鰍沢に行く途中で、新宿のさくらやで望遠レンズを買った記憶があります。(当時は時給500円のバイトを長時間やっていたのでかなり余裕がありました)
年が明けて1月2日となり、いよいよ計画実行です。身延線の鰍沢口駅始発の列車に乗り甲府駅へ。甲府駅からは6時30分発の辰野駅行きに乗車、この列車は165系を使用した各駅停車でした。
朝焼けで赤く染まった空を見ながら先頭車両に乗車すると、乗客は私一人だけ、真冬だというのに窓全開で外を眺めてました。
この時が中央本線を甲府駅より先に乗車したのが初めてだったので、見る景色がすべて新鮮。アルプスの山々も日が当たってきれいだったし、富士山もよく見えます、またまだ、スイッチバックの跡が残っていたり、線路を切り替えた旧線の鉄橋も見えました。これだけで十分楽しみ、今度は走る列車を撮りに来ようと思いました。(結局撮りに来たのはかなり後になりましたが)
7時50分茅野駅に着きました。辰野まで乗っていくか悩んだ末に茅野駅始発の飯田線直通列車に乗ることを選択して下車しました。
始発列車は8時4分発。茅野駅で立ち食いうどんを食べたらすぐにやってきました。当然ながら旧型国電の編成で4両編成でした。
車両を調べてみると、辰野側からクモハ54133+クハ68409+クモハ53007+クハ68400でした。○の子のクモハ53007は残念ながら中間に組み込まれてしまってちょっと残念です。
写真は同列車が辰野駅で停車しているところです。ちょうど辰野駅始発の急行に接続して先発させるため8分停車時間がありました。甲府側から撮影していますので、クハ68400が写っており、次車がクモハ53007です。

いよいよ8時53分に辰野駅を発車、最初は飯島駅まで行きます。車窓を眺めていると車両がいっぱい止まっていました。伊那松島機関区です。伊那松島駅でも停車時間が長くなっていました。ここでは、後ろの2両の切り離しが行われました。
後ろの2両と言えば、クモハ53007も含まれている。残念、いやこれはチャンス到来!庫に入っていくクモハ53007を撮影することができました。

その後は、適当な駅で降りては駅で到着列車を撮影、反対方向に行く列車に乗車して適当な駅で降りて撮影の繰り返しを行いました。
この時点では、119系が導入間近となっており、ED62 9+クモハ119-1+クモエ21009の編成が何かの試験をしていました。
伊那松島機関区にも立ち寄りました。機関区に挨拶して許可をもらって構内での撮影もできました。同好の人たちも何人かおり、色々な貴重な話をもらったのも良い思い出です。
機関区で散々撮影を楽しみ、15時を回りました。さすがに冬場なのでシャッタースピードも上がらなくなってきました。時間的にも撤収しないと帰れなくなりますが、ギリギリまで旧国を堪能するため、逆方向の電車に乗車、北殿駅まで行きます。そこから辰野駅行きに乗ったのですが、また羽場駅で降りて伊那松島駅に戻ります。伊那松島駅からは急行こまがねに乗車となりました。これで本当に撤収です。
最終的には、飯田線内を11本の列車に乗車したことになりました。満足満足。
実は途中からお腹空いていました。朝、茅野駅でうどんを食べただけだったのです。急行に乗れば車販で何か食べられると思っていましたが、考えが甘かった。1月2日の上り列車は田舎から都会に戻る人で満員です。車販どころかデッキから客室に入れない有様でした。
今となってはこれも良い思い出です。
この頃は、毎年夏と冬に母親の実家がある身延線沿線の鰍沢に行っていましたので、そのたびに身延線の写真を撮影していました。
高校に入って、1年の時だけ鉄道クラブに入っており、先輩から飯田線の列車運用表見せてもらったのが飯田線に行くきっかけになりました。
その先輩から運用表を写させてもらい、82年の年末となり、鰍沢に行く途中で、新宿のさくらやで望遠レンズを買った記憶があります。(当時は時給500円のバイトを長時間やっていたのでかなり余裕がありました)
年が明けて1月2日となり、いよいよ計画実行です。身延線の鰍沢口駅始発の列車に乗り甲府駅へ。甲府駅からは6時30分発の辰野駅行きに乗車、この列車は165系を使用した各駅停車でした。
朝焼けで赤く染まった空を見ながら先頭車両に乗車すると、乗客は私一人だけ、真冬だというのに窓全開で外を眺めてました。
この時が中央本線を甲府駅より先に乗車したのが初めてだったので、見る景色がすべて新鮮。アルプスの山々も日が当たってきれいだったし、富士山もよく見えます、またまだ、スイッチバックの跡が残っていたり、線路を切り替えた旧線の鉄橋も見えました。これだけで十分楽しみ、今度は走る列車を撮りに来ようと思いました。(結局撮りに来たのはかなり後になりましたが)
7時50分茅野駅に着きました。辰野まで乗っていくか悩んだ末に茅野駅始発の飯田線直通列車に乗ることを選択して下車しました。
始発列車は8時4分発。茅野駅で立ち食いうどんを食べたらすぐにやってきました。当然ながら旧型国電の編成で4両編成でした。
車両を調べてみると、辰野側からクモハ54133+クハ68409+クモハ53007+クハ68400でした。○の子のクモハ53007は残念ながら中間に組み込まれてしまってちょっと残念です。
写真は同列車が辰野駅で停車しているところです。ちょうど辰野駅始発の急行に接続して先発させるため8分停車時間がありました。甲府側から撮影していますので、クハ68400が写っており、次車がクモハ53007です。

いよいよ8時53分に辰野駅を発車、最初は飯島駅まで行きます。車窓を眺めていると車両がいっぱい止まっていました。伊那松島機関区です。伊那松島駅でも停車時間が長くなっていました。ここでは、後ろの2両の切り離しが行われました。
後ろの2両と言えば、クモハ53007も含まれている。残念、いやこれはチャンス到来!庫に入っていくクモハ53007を撮影することができました。

その後は、適当な駅で降りては駅で到着列車を撮影、反対方向に行く列車に乗車して適当な駅で降りて撮影の繰り返しを行いました。
この時点では、119系が導入間近となっており、ED62 9+クモハ119-1+クモエ21009の編成が何かの試験をしていました。
伊那松島機関区にも立ち寄りました。機関区に挨拶して許可をもらって構内での撮影もできました。同好の人たちも何人かおり、色々な貴重な話をもらったのも良い思い出です。
機関区で散々撮影を楽しみ、15時を回りました。さすがに冬場なのでシャッタースピードも上がらなくなってきました。時間的にも撤収しないと帰れなくなりますが、ギリギリまで旧国を堪能するため、逆方向の電車に乗車、北殿駅まで行きます。そこから辰野駅行きに乗ったのですが、また羽場駅で降りて伊那松島駅に戻ります。伊那松島駅からは急行こまがねに乗車となりました。これで本当に撤収です。
最終的には、飯田線内を11本の列車に乗車したことになりました。満足満足。
実は途中からお腹空いていました。朝、茅野駅でうどんを食べただけだったのです。急行に乗れば車販で何か食べられると思っていましたが、考えが甘かった。1月2日の上り列車は田舎から都会に戻る人で満員です。車販どころかデッキから客室に入れない有様でした。
今となってはこれも良い思い出です。
2006年07月04日
トラックバックが増えていた
7時前に仕事から帰ってきてブログを見たら、トラックバックが増えていました。その中に「羅須地人鉄道協会」の文字がありました。
6月30日にいつもの仲間と酒を飲んで話をしていました。その中で東洋活性白土の専用線がどこを走っていたのかがお題となって、確認のため色々な方のHPを見て回っています。
さすがにネットの世界です、様々な情報が見つかりました。古い写真を見て、実際に行った場所との位置関係もも何となく確認できました。
しかし、他の疑問が湧いて来ました。一つは、糸魚川小学校にいる機関車は2号機関車であり、1号機関車は今は千葉にいるという話があり、その千葉の場所がどこかでした。
もう一つは、羅須地人鉄道協会と言う組織が、あちこちの話に出てきます。名前は以前から鉄道雑誌に載っていたのを知っていたのですが、どんなものかは、あまり気にしていませんでした。
千葉の機関車かある場所は、私の中では茂原のひめはるの丘に何かいたような気がしていました。
そんなこんなで羅須地人鉄道協会で検索すると、成田ゆめ牧場で現在は活動していることが分かりました。そう言えば成田ゆめ牧場に機関車がいたと仲間も思い出しました。
こんな近いところに、東洋活性白土の機関車がいたとは思いませんでした。他にも、頸城鉄道の車両や立山砂防事務所から来た車両達等々、興味をそそられてきましたのでしばらくしたら出掛けて来ようと思います。
6月30日にいつもの仲間と酒を飲んで話をしていました。その中で東洋活性白土の専用線がどこを走っていたのかがお題となって、確認のため色々な方のHPを見て回っています。
さすがにネットの世界です、様々な情報が見つかりました。古い写真を見て、実際に行った場所との位置関係もも何となく確認できました。
しかし、他の疑問が湧いて来ました。一つは、糸魚川小学校にいる機関車は2号機関車であり、1号機関車は今は千葉にいるという話があり、その千葉の場所がどこかでした。
もう一つは、羅須地人鉄道協会と言う組織が、あちこちの話に出てきます。名前は以前から鉄道雑誌に載っていたのを知っていたのですが、どんなものかは、あまり気にしていませんでした。
千葉の機関車かある場所は、私の中では茂原のひめはるの丘に何かいたような気がしていました。
そんなこんなで羅須地人鉄道協会で検索すると、成田ゆめ牧場で現在は活動していることが分かりました。そう言えば成田ゆめ牧場に機関車がいたと仲間も思い出しました。
こんな近いところに、東洋活性白土の機関車がいたとは思いませんでした。他にも、頸城鉄道の車両や立山砂防事務所から来た車両達等々、興味をそそられてきましたのでしばらくしたら出掛けて来ようと思います。
2006年07月01日
今月はどこに行こうかな
今月中旬に撮影旅行に出掛ける予定です。
この撮影旅行は、毎年恒例となっており、新潟交通の燕と月潟間の廃止前に日帰りで行ったのが最初だったと記憶しています。
その後、一畑電鉄、名鉄谷汲・揖斐線、富山地方鉄道、島原鉄道等々他の鉄道に立ち寄りながら写真撮りまくりで出掛けています。
ムキになって撮影していて食事を摂るのを忘れたり、有名な出雲大社の前を通っても立ち寄らなかったりと、普通の人が聞くと「あんたら何しに行ったの?」状態です。
今年は、廃止が決まったくりはら田園鉄道や仙北鉄道跡を訪ねに東北に行きたいなと思ってます。
他にも秋田臨海鉄道とか行きたいところはたくさんあります。今こうして行き先を考えているのも楽しいです。
怪しい機関車とかある場所に辿り着けるといいな。
この撮影旅行は、毎年恒例となっており、新潟交通の燕と月潟間の廃止前に日帰りで行ったのが最初だったと記憶しています。
その後、一畑電鉄、名鉄谷汲・揖斐線、富山地方鉄道、島原鉄道等々他の鉄道に立ち寄りながら写真撮りまくりで出掛けています。
ムキになって撮影していて食事を摂るのを忘れたり、有名な出雲大社の前を通っても立ち寄らなかったりと、普通の人が聞くと「あんたら何しに行ったの?」状態です。
今年は、廃止が決まったくりはら田園鉄道や仙北鉄道跡を訪ねに東北に行きたいなと思ってます。
他にも秋田臨海鉄道とか行きたいところはたくさんあります。今こうして行き先を考えているのも楽しいです。
怪しい機関車とかある場所に辿り着けるといいな。
