2006年12月26日
蒲原鉄道の跡を巡る その6
一旦車に戻って、線路が合流した道路を辿っていきます。
しばらく走っていると左側に蒲原鉄道の車両を発見しました。
場所は村松城址公園と言うところです。

ここに保存されている車両はモハ11でした。
モハ11の脇に案内板がありましたので、その内容を記入しておきます。
この電車は、大正12年に蒲原鉄道株式会社が磐越西線・五泉駅から信越本線・加茂駅までの21.9㎞が開通した当時から昭和60年まで、走行してきました。
昭和10年頃は、旅客をはじめ穀物、織物、鉱石等の貨物を輸送し、沿線住民の足として最も活躍、貢献しました。
昭和60年3月、加茂・村松間17.7㎞が廃止されバス輸送に変革したので、往時を懐古するとともに、ここ城址公園の一角が軌道敷だったことから、この地に展示し後世に伝えるものです。
形式:モハ11 自重:19.2t 高さ:4.0m
定員:82人 長さ:12.4m 前照灯:100V200W
座席数:34人 巾:2.6m
案内文にある軌道敷きは、写真では電車の後ろ側の道路の手前を併走していたと思われます。

電車のすぐ近くには、踏切警報機と遮断機が残っていました。
遮断機の向きから移設されたものではなく、この位置で使用していたものではないかと思われます。
しばらく走っていると左側に蒲原鉄道の車両を発見しました。
場所は村松城址公園と言うところです。

ここに保存されている車両はモハ11でした。
モハ11の脇に案内板がありましたので、その内容を記入しておきます。
この電車は、大正12年に蒲原鉄道株式会社が磐越西線・五泉駅から信越本線・加茂駅までの21.9㎞が開通した当時から昭和60年まで、走行してきました。
昭和10年頃は、旅客をはじめ穀物、織物、鉱石等の貨物を輸送し、沿線住民の足として最も活躍、貢献しました。
昭和60年3月、加茂・村松間17.7㎞が廃止されバス輸送に変革したので、往時を懐古するとともに、ここ城址公園の一角が軌道敷だったことから、この地に展示し後世に伝えるものです。
形式:モハ11 自重:19.2t 高さ:4.0m
定員:82人 長さ:12.4m 前照灯:100V200W
座席数:34人 巾:2.6m
案内文にある軌道敷きは、写真では電車の後ろ側の道路の手前を併走していたと思われます。

電車のすぐ近くには、踏切警報機と遮断機が残っていました。
遮断機の向きから移設されたものではなく、この位置で使用していたものではないかと思われます。
