2007年10月08日
青森・秋田撮影旅行 その25
津軽五所川原駅の話の最後です。

津軽五所川原駅の構内にはキハ22形が2両留置されています。
この2両は写真手前からキハ22029とキハ22027で、津軽鉄道へは1989年12月に入線しており、国鉄時代の番号のままで使用しています。
全部で3両が一緒に入線してきたのですが、嘉瀬駅で留置されているキハ22028だけは廃車となっており、この2両は予備車として残されているのです。

事業用貨車のタム501です。
国鉄のタム500形のタム2848を廃車後に購入した車両です。
1894年2月の五能線五所川原~川部間の貨物営業が廃止時に、それまで動力車に使用する燃料のタンク輸送を行っていたのが不可能となったため、代替輸送手段が必要となりました。
当時は五所川原機関区周辺の道路事情が悪かったそうで、直接タンクローリーが入れなかったために、津軽飯詰駅でこのタム501に燃料を積み替えて機関区に運んだのです。
もっとも道路の改良がすぐに完成したため、タムの活躍は短期間で終わっています。

津軽鉄道のラッセル車であるキ101です。
元国鉄のキ120で1933年に鉄道省大宮工場で製造され、1967年に津軽鉄道へやってきています。
普段の除雪はモーターカーを使用していますが、大雪が降るとDD350型機関車に押されて活躍します。
この駅を最後に津軽鉄道の撮影を終了とし、弘南鉄道の撮影のために弘前方面に車を走らせました。

津軽五所川原駅の構内にはキハ22形が2両留置されています。
この2両は写真手前からキハ22029とキハ22027で、津軽鉄道へは1989年12月に入線しており、国鉄時代の番号のままで使用しています。
全部で3両が一緒に入線してきたのですが、嘉瀬駅で留置されているキハ22028だけは廃車となっており、この2両は予備車として残されているのです。

事業用貨車のタム501です。
国鉄のタム500形のタム2848を廃車後に購入した車両です。
1894年2月の五能線五所川原~川部間の貨物営業が廃止時に、それまで動力車に使用する燃料のタンク輸送を行っていたのが不可能となったため、代替輸送手段が必要となりました。
当時は五所川原機関区周辺の道路事情が悪かったそうで、直接タンクローリーが入れなかったために、津軽飯詰駅でこのタム501に燃料を積み替えて機関区に運んだのです。
もっとも道路の改良がすぐに完成したため、タムの活躍は短期間で終わっています。

津軽鉄道のラッセル車であるキ101です。
元国鉄のキ120で1933年に鉄道省大宮工場で製造され、1967年に津軽鉄道へやってきています。
普段の除雪はモーターカーを使用していますが、大雪が降るとDD350型機関車に押されて活躍します。
この駅を最後に津軽鉄道の撮影を終了とし、弘南鉄道の撮影のために弘前方面に車を走らせました。
2007年10月06日
青森・秋田撮影旅行 その24
今回も津軽五所川原駅の話なのです。

左側は現役で使用中のオハフ331です。
1948年に製造された元国鉄のオハフ33 520(電暖化改造でオハフ33 2520)です。
後方に見える客車はナハフ1203です。
こちらの客車は電車(制御車)を改造した車両で、1928年に製造されたかなりの古豪です。
前歴は(初代)西武鉄道のクハ600形で、津軽鉄道にやってきた3両のうちの1両です。

跨線橋から駅構内が見渡せます。
右側の緑の部分が津軽鉄道側、左側がJRの構内です。

跨線橋の階段を下りるとすぐ横に津軽鉄道側の駅舎があります。
JRは少し先まで歩くことになります。

左側は現役で使用中のオハフ331です。
1948年に製造された元国鉄のオハフ33 520(電暖化改造でオハフ33 2520)です。
後方に見える客車はナハフ1203です。
こちらの客車は電車(制御車)を改造した車両で、1928年に製造されたかなりの古豪です。
前歴は(初代)西武鉄道のクハ600形で、津軽鉄道にやってきた3両のうちの1両です。

跨線橋から駅構内が見渡せます。
右側の緑の部分が津軽鉄道側、左側がJRの構内です。

跨線橋の階段を下りるとすぐ横に津軽鉄道側の駅舎があります。
JRは少し先まで歩くことになります。
2007年10月05日
青森・秋田撮影旅行 その23
津軽五所川原駅の話がまだ続きます。

津軽五所川原駅のホームの様子です。
階段を下りて左側の3番線で列車が発着します。
右側の4番線には貨車があったり、自動販売機があったりで手前側は列車の発着には使えません。
写真右の5本のレールは、津軽鉄道で使用していたレールが年代ごとに展示されていました。

4番線に置かれている木造有蓋車のワム5です。
きれいな状態で保存展示されています。

貨車の先にはオハ463が停まっています。
こちらの車両はストーブ列車でも活躍していましたが、今は引退しています。
ホームに置かれた状態で、団体用の待合室として使用されている形です。
元は国鉄の客車でオハ46 2662であり、1955年の製造ですから生まれて52年経っていることになります。

津軽五所川原駅のホームの様子です。
階段を下りて左側の3番線で列車が発着します。
右側の4番線には貨車があったり、自動販売機があったりで手前側は列車の発着には使えません。
写真右の5本のレールは、津軽鉄道で使用していたレールが年代ごとに展示されていました。

4番線に置かれている木造有蓋車のワム5です。
きれいな状態で保存展示されています。

貨車の先にはオハ463が停まっています。
こちらの車両はストーブ列車でも活躍していましたが、今は引退しています。
ホームに置かれた状態で、団体用の待合室として使用されている形です。
元は国鉄の客車でオハ46 2662であり、1955年の製造ですから生まれて52年経っていることになります。
2007年10月04日
青森・秋田撮影旅行 その22
今回も津軽五所川原駅の続きです。

跨線橋を渡り津軽鉄道のホームへ降りると、ホーム右側にはディーゼル機関車のDD352が停まっていました。
津軽鉄道名物のストーブ列車等を牽引するために活躍している機関車です。
写真を見て分かるように、この駅には隣接して機関区があり、ホームからよく見えます。

DD352の後ろの庫内には、もう1両の機関車であるDD351がいました。
この2両は同じDD350形なのですが、スタイルは少し違っています。
DD351にはキャブ前の煙突が無いため3枚窓になっています。
エンジン出力もDD352の方が大きい物が搭載されているのです。
DD351の方は茨城交通の機関車であったケキ102と同型機だそうで、写真を見比べると確かに同じです。

比較用の茨城交通のケキ102です。
ちなみにDD352の方はエンジン出力こそ違いますが、茨城交通のケキ103が同じスタイルをしていました。

この機関車の特徴であるロッド式の足回りです。
片側の車軸にエンジンからの駆動力が伝わり、ロッドを通して反対側の車軸にも伝える構造です。

跨線橋を渡り津軽鉄道のホームへ降りると、ホーム右側にはディーゼル機関車のDD352が停まっていました。
津軽鉄道名物のストーブ列車等を牽引するために活躍している機関車です。
写真を見て分かるように、この駅には隣接して機関区があり、ホームからよく見えます。

DD352の後ろの庫内には、もう1両の機関車であるDD351がいました。
この2両は同じDD350形なのですが、スタイルは少し違っています。
DD351にはキャブ前の煙突が無いため3枚窓になっています。
エンジン出力もDD352の方が大きい物が搭載されているのです。
DD351の方は茨城交通の機関車であったケキ102と同型機だそうで、写真を見比べると確かに同じです。

比較用の茨城交通のケキ102です。
ちなみにDD352の方はエンジン出力こそ違いますが、茨城交通のケキ103が同じスタイルをしていました。

この機関車の特徴であるロッド式の足回りです。
片側の車軸にエンジンからの駆動力が伝わり、ロッドを通して反対側の車軸にも伝える構造です。
2007年10月03日
青森・秋田撮影旅行 その21
津軽五所川原駅の続きです。

津軽五所川原駅の駅舎は古い風格を持った建物ですが、その斜め前にあるタクシー会社の建物も古い建物です。
この建物は津軽鉄道の本社の建物です。
タクシー会社の津鉄観光は以前は子会社だったのですが、今は違うようです。
古い建物が並んでいるところは中々絵になり、模型にしてみたいと思わせます。

駅構内に入り津軽鉄道のホームに渡ってみます。
この跨線橋はJRと津軽鉄道の共用となっており、手前がJR側、奥の狭くなっている方が津軽鉄道側です。

JRのホームから跨線橋に上がると、正面に津軽鉄道乗り場の看板があります。
これだけ大きいと初めての人でもすぐに分かります。

津軽五所川原駅の駅舎は古い風格を持った建物ですが、その斜め前にあるタクシー会社の建物も古い建物です。
この建物は津軽鉄道の本社の建物です。
タクシー会社の津鉄観光は以前は子会社だったのですが、今は違うようです。
古い建物が並んでいるところは中々絵になり、模型にしてみたいと思わせます。

駅構内に入り津軽鉄道のホームに渡ってみます。
この跨線橋はJRと津軽鉄道の共用となっており、手前がJR側、奥の狭くなっている方が津軽鉄道側です。

JRのホームから跨線橋に上がると、正面に津軽鉄道乗り場の看板があります。
これだけ大きいと初めての人でもすぐに分かります。
2007年10月02日
青森・秋田撮影旅行 その20
津軽飯詰駅を後にして、津軽鉄道の起点駅である津軽五所川原駅にやってきました。
間にある数駅は全て通過です。

津軽五所川原駅の脇から津軽鉄道のホームを見ると、気動車、客車が見えました。
津軽21形が入る以前の光景がこの一角にありました。
旧形の気動車と客車が一緒に見られるのは、たぶん全国でここだけでしょう。
もっとも旧型気動車であるキハ22は予備車なので滅多に動きません。

津軽鉄道のホームの手前にJR五能線があります。
ちょうどやってきた列車は五能線色のキハ40+キハ47の2連でした。

津軽五所川原駅の駅舎です。
JRの駅は移っていませんが、右隣に建っています。
ちなみにJRの駅名には津軽が付かず、ただの五所川原駅なのですが、駅舎が別なだけで構内は一緒になっており、跨線橋も共用です。
間にある数駅は全て通過です。

津軽五所川原駅の脇から津軽鉄道のホームを見ると、気動車、客車が見えました。
津軽21形が入る以前の光景がこの一角にありました。
旧形の気動車と客車が一緒に見られるのは、たぶん全国でここだけでしょう。
もっとも旧型気動車であるキハ22は予備車なので滅多に動きません。

津軽鉄道のホームの手前にJR五能線があります。
ちょうどやってきた列車は五能線色のキハ40+キハ47の2連でした。

津軽五所川原駅の駅舎です。
JRの駅は移っていませんが、右隣に建っています。
ちなみにJRの駅名には津軽が付かず、ただの五所川原駅なのですが、駅舎が別なだけで構内は一緒になっており、跨線橋も共用です。
2007年10月01日
青森・秋田撮影旅行 その19

写真は津軽飯詰駅至近の踏切です。
『ふみきりちゅうい』のシンプルな看板が、ローカルな雰囲気を漂わせています。

スノーシェッドを抜けて列車が到着します。
横から見たスノーシェッドは、カーポートを大きくしたような感じです。
2007年09月30日
青森・秋田撮影旅行 その18
津軽飯詰駅の続きです。

駅には無蓋車が2両停まっていました。
写真は島式のホームに上がって撮影しています。
もっとも島式のホームになっていますが、無人化と同時に交換も止めてしまったので、写真側は使用していないのでした。
この2両のトムは先に書いている『緊急保全整備事業』のため、バラストをこの駅から運ぶ用途に使用中の様です。

ホームから見た駅舎はこんな感じです。

五所川原方向を見るとポイント部分にはスノーシェッドがあります。
その先には交換を止めた時に使用を停止した腕木信号機が支柱だけ残っていました。
反対方向の津軽中里方面にもスノーシェッドと腕木信号機の支柱があります。
ホームには駅員用と思われる時刻表があり、まだ交換列車があった時代のままになっていました。

駅には無蓋車が2両停まっていました。
写真は島式のホームに上がって撮影しています。
もっとも島式のホームになっていますが、無人化と同時に交換も止めてしまったので、写真側は使用していないのでした。
この2両のトムは先に書いている『緊急保全整備事業』のため、バラストをこの駅から運ぶ用途に使用中の様です。

ホームから見た駅舎はこんな感じです。

五所川原方向を見るとポイント部分にはスノーシェッドがあります。
その先には交換を止めた時に使用を停止した腕木信号機が支柱だけ残っていました。
反対方向の津軽中里方面にもスノーシェッドと腕木信号機の支柱があります。
ホームには駅員用と思われる時刻表があり、まだ交換列車があった時代のままになっていました。
2007年09月29日
青森・秋田撮影旅行 その17
津軽鉄道の撮影が当初の予想より時間が掛かっていました。
次に行きたい場所もあったので、とりあえず津軽飯詰駅まで戻ります。
一駅津軽中里よりの毘沙門駅は、朝に寄った時に写真を撮っていなかったのですが、パスとなりました。

津軽飯詰駅はちゃんとした駅舎がありました。

駅舎内には待合室があります。
駅は2004年の11月に無人化されたので、駅員はいません。

改札の柵の脇を覗くと転轍テコがありました。
次に行きたい場所もあったので、とりあえず津軽飯詰駅まで戻ります。
一駅津軽中里よりの毘沙門駅は、朝に寄った時に写真を撮っていなかったのですが、パスとなりました。

津軽飯詰駅はちゃんとした駅舎がありました。

駅舎内には待合室があります。
駅は2004年の11月に無人化されたので、駅員はいません。

改札の柵の脇を覗くと転轍テコがありました。
2007年09月27日
青森・秋田撮影旅行 その15
津軽中里駅の続きです。

錆付いた線路を辿って機関庫へ向かうと機関庫の前に転車台がありました。
蒸気機関車の時代には当たり前の設備が、長い年月を経てもまだ残っているのはうれしい限りです。
この時は広角レンズがなかったので、全体の写真は仮設住宅氏に任せてしまったので、全体の写真はありません。
代わりに回転部分の車輪を載せておきます。

津軽中里駅の駅舎正面です。
スーパーと同居しているというより、スーパーの一角に駅があるというのが正しい表現かもしれません。
この駅で硬券の入場券のセットを購入しました。
津軽鉄道では記念用の切符やバッチなど細かいものも販売しており、増収に頑張っています。
硬券の入場券も有人の駅では販売しており、立ち寄った記念に購入するのに手頃です。
基本的に切符全体が硬券を使用しているこの鉄道では、下車客から回収した使用済み切符を10枚セットにして100円で販売していました。
鉄道ファンの心をくすぐるなかなか良い増収策だと思いました。
何でこんな事を感じるのかというと、地元の小湊鐵道で記念の硬券入場券セットを販売していますが、子供のこづかいではちょっと買えないな、有人各駅で記念入場券を売ればもっと買う人多くなるのではないかと思っていたからです。

ホームに出て機関庫を見てみます。
木造の機関庫だと言うことが分かります。
機関庫の前の転車台は草が多くてはっきりしませんが、ちゃんと存在しているのでした。

錆付いた線路を辿って機関庫へ向かうと機関庫の前に転車台がありました。
蒸気機関車の時代には当たり前の設備が、長い年月を経てもまだ残っているのはうれしい限りです。
この時は広角レンズがなかったので、全体の写真は仮設住宅氏に任せてしまったので、全体の写真はありません。
代わりに回転部分の車輪を載せておきます。

津軽中里駅の駅舎正面です。
スーパーと同居しているというより、スーパーの一角に駅があるというのが正しい表現かもしれません。
この駅で硬券の入場券のセットを購入しました。
津軽鉄道では記念用の切符やバッチなど細かいものも販売しており、増収に頑張っています。
硬券の入場券も有人の駅では販売しており、立ち寄った記念に購入するのに手頃です。
基本的に切符全体が硬券を使用しているこの鉄道では、下車客から回収した使用済み切符を10枚セットにして100円で販売していました。
鉄道ファンの心をくすぐるなかなか良い増収策だと思いました。
何でこんな事を感じるのかというと、地元の小湊鐵道で記念の硬券入場券セットを販売していますが、子供のこづかいではちょっと買えないな、有人各駅で記念入場券を売ればもっと買う人多くなるのではないかと思っていたからです。

ホームに出て機関庫を見てみます。
木造の機関庫だと言うことが分かります。
機関庫の前の転車台は草が多くてはっきりしませんが、ちゃんと存在しているのでした。
2007年09月26日
青森・秋田撮影旅行 その14
終点の津軽中里駅に到着しました。

終着駅のこの駅は片面ホームの駅でした。
列車の右側の白い建物が駅になっており、スーパーと同居しています。
スーパーの部分は以前は生協だったためCOOPの文字が薄く残っています。
ホームと接していない側の線路は、客車列車の着回し線として使用されています。
また、左側の建物は機関庫でした。

津軽鉄道の終端部です。
手前の線路がホームからの延長線の線路、その隣が着回し線、着回し線から分岐しているのが、機関庫に続く線路です。
終端部は機関車を折り返せるギリギリまでしか長さが無く、その先は崖で行き手を遮られていました。

機関庫へ続く線路は普段は使用していないのか、全く使用していないのかは分かりませんが、レールは錆びて草が伸びていました。

終着駅のこの駅は片面ホームの駅でした。
列車の右側の白い建物が駅になっており、スーパーと同居しています。
スーパーの部分は以前は生協だったためCOOPの文字が薄く残っています。
ホームと接していない側の線路は、客車列車の着回し線として使用されています。
また、左側の建物は機関庫でした。

津軽鉄道の終端部です。
手前の線路がホームからの延長線の線路、その隣が着回し線、着回し線から分岐しているのが、機関庫に続く線路です。
終端部は機関車を折り返せるギリギリまでしか長さが無く、その先は崖で行き手を遮られていました。

機関庫へ続く線路は普段は使用していないのか、全く使用していないのかは分かりませんが、レールは錆びて草が伸びていました。
2007年09月25日
青森・秋田撮影旅行 その13
先述の駅に備えられている沿線ガイドの拡大版が、深郷田駅に張り出されていました。
その中に津軽森林鉄道の機関車が展示されている施設があることが書かれていました。
そちらにも立ち寄ることにして、とりあえず終点の津軽中里駅に向かいます。

津軽中里駅の手前に鉄橋が見えたので、列車を撮影するために立ち寄りました。
いざ列車が来た時は、タイミングを外して後ろが切れてしまったので失敗です。
違う角度から撮影していた仮設住宅氏も、単行だと思っていたらしく、2連で来たために失敗、この鉄橋を渡る写真は無しとなりました。

鉄橋を渡り終わった列車は、築堤を下って津軽中里駅に向け走り去っていきました。
最初からこっち向いて撮影しておけば良かったのです。
その中に津軽森林鉄道の機関車が展示されている施設があることが書かれていました。
そちらにも立ち寄ることにして、とりあえず終点の津軽中里駅に向かいます。

津軽中里駅の手前に鉄橋が見えたので、列車を撮影するために立ち寄りました。
いざ列車が来た時は、タイミングを外して後ろが切れてしまったので失敗です。
違う角度から撮影していた仮設住宅氏も、単行だと思っていたらしく、2連で来たために失敗、この鉄橋を渡る写真は無しとなりました。

鉄橋を渡り終わった列車は、築堤を下って津軽中里駅に向け走り去っていきました。
最初からこっち向いて撮影しておけば良かったのです。
2007年09月24日
青森・秋田撮影旅行 その12
次は深郷田駅に立ち寄ります。
読みは『ふこうだ』です。

この駅は片面ホームの上に待合室の単純な駅です。
19キロのキロポストがありました。

深郷田駅を五所川原よりの踏切から見たところです。
ホームの真ん中部分が嵩上げされており、沈下した部分を補修した感じを受けます。
ホームの上はかなり激しく波打っていました。
この駅といい、傾いている川倉駅といい、何でこんな状態になっているのでしょうか?

隣の駅はの終点の津軽中里駅です。
深郷田駅から津軽中里寄りに少し移動した場所で列車を待ちます。
光が差したり陰ったりの中、曇った時に列車はやってきました。
この列車は津軽21形の単行列車でした。
読みは『ふこうだ』です。

この駅は片面ホームの上に待合室の単純な駅です。
19キロのキロポストがありました。

深郷田駅を五所川原よりの踏切から見たところです。
ホームの真ん中部分が嵩上げされており、沈下した部分を補修した感じを受けます。
ホームの上はかなり激しく波打っていました。
この駅といい、傾いている川倉駅といい、何でこんな状態になっているのでしょうか?

隣の駅はの終点の津軽中里駅です。
深郷田駅から津軽中里寄りに少し移動した場所で列車を待ちます。
光が差したり陰ったりの中、曇った時に列車はやってきました。
この列車は津軽21形の単行列車でした。
2007年09月23日
青森・秋田撮影旅行 その11
再び一駅移動して大沢内駅にやってきました。

大沢内駅は現在は無人駅ですが、有人だった時代の駅舎がそのまま残っています。
写真はホームから駅舎を見たところです。
看板にある猿賀様への近道とは、目の神様である猿賀神社があるための表示です。
津軽鉄道の何カ所かの駅には、沿線の観光地や散策スポットが書かれたチラシが置かれており、簡単な散歩などに重宝します。

上の写真の位置から津軽中里方向を向くと車止めがありました。
草が生えているためレールは隠れて見えませんが、ちゃんと貨物側線があります。
本線側は片面ホームになっており行き違いは出来ませんが、以前は交換駅でした。
駅の前後でカーブしているのが名残です。

駅舎はL字型に建っています。
駅名の看板は無くなってしまったようで、表側には駅名の表示がありませんでした。

大沢内駅は現在は無人駅ですが、有人だった時代の駅舎がそのまま残っています。
写真はホームから駅舎を見たところです。
看板にある猿賀様への近道とは、目の神様である猿賀神社があるための表示です。
津軽鉄道の何カ所かの駅には、沿線の観光地や散策スポットが書かれたチラシが置かれており、簡単な散歩などに重宝します。

上の写真の位置から津軽中里方向を向くと車止めがありました。
草が生えているためレールは隠れて見えませんが、ちゃんと貨物側線があります。
本線側は片面ホームになっており行き違いは出来ませんが、以前は交換駅でした。
駅の前後でカーブしているのが名残です。

駅舎はL字型に建っています。
駅名の看板は無くなってしまったようで、表側には駅名の表示がありませんでした。
2007年09月22日
青森・秋田撮影旅行 その10
川倉駅近辺で上下列車を撮影することになり、上り列車は川倉駅で撮影です。

駅直前のカーブを曲がって、津軽五所川原行きの列車がやってきました。
この列車は2連です。

到着した列車は津軽21形104+101でした。
この駅での乗降はありません。

川倉駅から芦野公園側に移動すると、バックに岩木山が入ります。
下り列車がカーブした築堤を下ってくるところを撮影しています。

駅直前のカーブを曲がって、津軽五所川原行きの列車がやってきました。
この列車は2連です。

到着した列車は津軽21形104+101でした。
この駅での乗降はありません。

川倉駅から芦野公園側に移動すると、バックに岩木山が入ります。
下り列車がカーブした築堤を下ってくるところを撮影しています。
2007年09月21日
青森・秋田撮影旅行 その9
次は川倉駅にやってきました。

この駅の周囲には田んぼが広がっています。
写真で見て分かるようにホーム上の待合室は傾いています。
ホームも波打っており、柵も傾いていました。

待合い室内にはピンク電話がありました。
壁に貼られているお願いの表示には、『緊急時または列車に遅れがある場合この電話に連絡致します』と書かれています。
列車の遅れに対してこういう対応をしている会社は初めてです。
有線電話よりもしかすると珍しいのでは?
普段慣れ親しんでいることは、その場所でしか通用しないと感じました。

津軽中里方面を見ると、田んぼの真っただ中を線路が延びているのが見えます。
駅名標は枠だけになって行方不明になってます。

この駅の周囲には田んぼが広がっています。
写真で見て分かるようにホーム上の待合室は傾いています。
ホームも波打っており、柵も傾いていました。

待合い室内にはピンク電話がありました。
壁に貼られているお願いの表示には、『緊急時または列車に遅れがある場合この電話に連絡致します』と書かれています。
列車の遅れに対してこういう対応をしている会社は初めてです。
有線電話よりもしかすると珍しいのでは?
普段慣れ親しんでいることは、その場所でしか通用しないと感じました。

津軽中里方面を見ると、田んぼの真っただ中を線路が延びているのが見えます。
駅名標は枠だけになって行方不明になってます。
2007年09月20日
青森・秋田撮影旅行 その8
芦野公園駅の続きです。

芦野公園駅のホームを津軽中里側に歩くと木造の建物がありました。

この建物には喫茶『駅舎』の看板が掲出されています。
看板の通りこの建物は旧駅舎なのです。
ホームからの階段もそのまま残っているので、ホームから喫茶店に直接入ることが出来ます。

旧駅舎の表側です。
太宰治のゆかりの駅舎と言うことなので、観光名所の一つとして活用していくことになっており、地元NPO法人・かなぎ元気倶楽部が今年の6月28日に開店しています。
喫茶店内部は駅としての構造を残し、レトロな雰囲気になっているそうです。

芦野公園駅のホームを津軽中里側に歩くと木造の建物がありました。

この建物には喫茶『駅舎』の看板が掲出されています。
看板の通りこの建物は旧駅舎なのです。
ホームからの階段もそのまま残っているので、ホームから喫茶店に直接入ることが出来ます。

旧駅舎の表側です。
太宰治のゆかりの駅舎と言うことなので、観光名所の一つとして活用していくことになっており、地元NPO法人・かなぎ元気倶楽部が今年の6月28日に開店しています。
喫茶店内部は駅としての構造を残し、レトロな雰囲気になっているそうです。
2007年09月19日
青森・秋田撮影旅行 その7
金木駅で上下の交換列車があるので交換風景を撮影しようかと思っていましたが、待ち時間が長いのと、天気が良い内に走行風景を数多く撮るために別の場所に移動することになりました。
金木駅はもう少しじっくり後で撮影するつもりでしたが、結局戻ってくることはなかったのでした。
次は芦野公園駅にやってきました。
名前の通り芦野公園の乗降のためにある駅です。
芦野公園は桜の名所であり、桜の季節には多くの人出で賑わいます。
玄関口であるこの駅自体にも桜が咲くので、桜と列車を絡めた撮影地として有名でもあります。

芦野公園駅のホームを津軽五所川原側から見たところです。
この線路の両側に桜が咲くのでした。
以前はホームの反対側に、昔ストーブ列車の客車として活躍したオハ311が保存されていました。
保存と言っても近年は木々が伸びまくっており、車体も痛みが進みブルーシートを被せた放置状態だったようです。
運良く大宮の鉄道博物館に展示されることになったので、これからはきれいな状態で見られることになりました。

芦野公園駅の駅名標です。
近年活躍している有名な方の書いた駅名標ですが、名前が思い出せない…。
昨年の5月に津軽鉄道サポーターズクラブによって寄贈されています。

駅舎内には食堂などが入って営業しています。
バックに見える森が芦野公園です。
金木駅はもう少しじっくり後で撮影するつもりでしたが、結局戻ってくることはなかったのでした。
次は芦野公園駅にやってきました。
名前の通り芦野公園の乗降のためにある駅です。
芦野公園は桜の名所であり、桜の季節には多くの人出で賑わいます。
玄関口であるこの駅自体にも桜が咲くので、桜と列車を絡めた撮影地として有名でもあります。

芦野公園駅のホームを津軽五所川原側から見たところです。
この線路の両側に桜が咲くのでした。
以前はホームの反対側に、昔ストーブ列車の客車として活躍したオハ311が保存されていました。
保存と言っても近年は木々が伸びまくっており、車体も痛みが進みブルーシートを被せた放置状態だったようです。
運良く大宮の鉄道博物館に展示されることになったので、これからはきれいな状態で見られることになりました。

芦野公園駅の駅名標です。
近年活躍している有名な方の書いた駅名標ですが、名前が思い出せない…。
昨年の5月に津軽鉄道サポーターズクラブによって寄贈されています。

駅舎内には食堂などが入って営業しています。
バックに見える森が芦野公園です。
2007年09月18日
青森・秋田撮影旅行 その6
次は金木駅にやって来ました。

金木の駅は今まで見てきた駅と違い新しい駅舎になっています。
新しい駅舎になったのは理由があります。

金木駅の駅名看板を見ると分かるように、有名な太宰治のふるさとの玄関口になっているのです。
街としても観光に力を入れているため、駅舎も新しくなっているのでした。
駅から徒歩で5分ほどの場所に、太宰治記念館の斜陽館(太宰の生家)があります。
駅に向かう途中で、斜陽館の前を通ったけれども観光は一切無しです。

金木駅は交換可能駅であり腕木信号機もあります。
構内には木造有蓋車も留置されていました。

金木の駅は今まで見てきた駅と違い新しい駅舎になっています。
新しい駅舎になったのは理由があります。

金木駅の駅名看板を見ると分かるように、有名な太宰治のふるさとの玄関口になっているのです。
街としても観光に力を入れているため、駅舎も新しくなっているのでした。
駅から徒歩で5分ほどの場所に、太宰治記念館の斜陽館(太宰の生家)があります。
駅に向かう途中で、斜陽館の前を通ったけれども観光は一切無しです。

金木駅は交換可能駅であり腕木信号機もあります。
構内には木造有蓋車も留置されていました。
2007年09月17日
青森・秋田撮影旅行 その5
嘉瀬駅の続きです。

駅舎内の待合室の様子です。
この駅の開業は1930年なので、そのままの駅舎を使用していれば77年を経ている事になります。
約3年前に無人駅になっています。
旧駅事務室は、この時はコスモ元気ランドという健康器具の体験治療に使用されていました。

駅舎内待合室から改札口を見ると、改札の手前に引き戸、改札を過ぎてまた引き戸となっており、冬の厳しさが想像される構造となっています。

嘉瀬駅の駅舎です。
良く見ると駅舎前の電話ボックスがかさ上げされていました。
雪への対策だと思われます。

駅舎内の待合室の様子です。
この駅の開業は1930年なので、そのままの駅舎を使用していれば77年を経ている事になります。
約3年前に無人駅になっています。
旧駅事務室は、この時はコスモ元気ランドという健康器具の体験治療に使用されていました。

駅舎内待合室から改札口を見ると、改札の手前に引き戸、改札を過ぎてまた引き戸となっており、冬の厳しさが想像される構造となっています。

嘉瀬駅の駅舎です。
良く見ると駅舎前の電話ボックスがかさ上げされていました。
雪への対策だと思われます。
2007年09月16日
青森・秋田撮影旅行 その4
今度は嘉瀬駅です。

嘉瀬駅の駅舎をホーム側から撮影しています。
扉が二重になっていたりと、雪国の駅としての構造が見られます。

嘉瀬駅の使用していない線路には、2000年に廃車となったキハ22028が留置されています。
この車両はSMAPの香取慎吾が何かの番組でイラストを描いた車両でしたが、津軽21形が増備されて廃車となっています。
残念ながら車両の状態は良いとは言えません。

嘉瀬駅に津軽五所川原行きの列車が到着しました。
乗り込む人は高齢の人がほとんどであり、車を運転できない人達にとっては重要な足となっています。

嘉瀬駅の駅舎をホーム側から撮影しています。
扉が二重になっていたりと、雪国の駅としての構造が見られます。

嘉瀬駅の使用していない線路には、2000年に廃車となったキハ22028が留置されています。
この車両はSMAPの香取慎吾が何かの番組でイラストを描いた車両でしたが、津軽21形が増備されて廃車となっています。
残念ながら車両の状態は良いとは言えません。

嘉瀬駅に津軽五所川原行きの列車が到着しました。
乗り込む人は高齢の人がほとんどであり、車を運転できない人達にとっては重要な足となっています。
2007年09月15日
青森・秋田撮影旅行 その3
小坂鉄道撮影後は津軽鉄道の起点である五所川原に向かいました。
五所川原にあるビジネスホテルを今夜の宿と決め、荷物を置いて駅まで食べ物屋を探しながら街を見て歩きます。
残念ながら最近の地方都市の傾向そのままにシャッターが閉まった店が多いようです。
五所川原駅はJR五能線の駅舎に隣接して津軽鉄道の駅舎がありました。
駅舎は別になって改札も別ですが、ホームに渡る跨線橋は共用しており乗り換えは改札を出なくても大丈夫な構造です。
隣りに建つ本社の入っている建物と合わせて、渋さを醸し出していました。
翌日は、まず走行写真を撮ろうと言うことになり津軽鉄道沿線に向かいます。
特に撮影ポイントを調べて来たわけではないので、地図を見ながら毘沙門駅付近に行ってみることになり、車を走らせます。
津軽飯詰~毘沙門間の風景が良さそうだったので、最初の撮影地点として選んでみました。

撮影地点に選んだ風景です。
田んぼの中を線路は築堤で進んできて、右に岩木山も見えています。
この位置で撮影できればベストなのですが、間違いなく列車に轢かれる位置なので、実際の撮影場所は一段下がった場所からとなっています。
線路の左側には通信回線用の木製電柱が並んでいます。
もっと回線があれば『はえたたき』と呼べる代物になるのにななどと思いつつ列車を待ちます。
もっとも『はえたたき』もすっかり死語となって久しいですが…。

撮影地点の線路を見るとバラストは新しくなっており、枕木も木製とPCとが交互になっていました。
全線がこうなっているかというとそうではなく、毘沙門駅の構内は木製の枕木の横にPC枕木が置かれており、交換準備をしてある状態でした。
今津軽鉄道では、国からの指導の元に『緊急保全整備事業』を2ヶ年計画で行っており、現在は津軽五所川原駅から芦野公園駅の間で工事が進められているのでした。
古い木製枕木の方がローカル線らしさが出て良いのですが、安全のためには仕方がないことです。
折角線路が新しくなり、使用車両もまだ新しいのでスピードアップでもして旅客増を目指してもらいたいです。

しばらくして列車がやってきました。
津軽21形の2両編成が岩木山を横目に走ります。
五所川原にあるビジネスホテルを今夜の宿と決め、荷物を置いて駅まで食べ物屋を探しながら街を見て歩きます。
残念ながら最近の地方都市の傾向そのままにシャッターが閉まった店が多いようです。
五所川原駅はJR五能線の駅舎に隣接して津軽鉄道の駅舎がありました。
駅舎は別になって改札も別ですが、ホームに渡る跨線橋は共用しており乗り換えは改札を出なくても大丈夫な構造です。
隣りに建つ本社の入っている建物と合わせて、渋さを醸し出していました。
翌日は、まず走行写真を撮ろうと言うことになり津軽鉄道沿線に向かいます。
特に撮影ポイントを調べて来たわけではないので、地図を見ながら毘沙門駅付近に行ってみることになり、車を走らせます。
津軽飯詰~毘沙門間の風景が良さそうだったので、最初の撮影地点として選んでみました。

撮影地点に選んだ風景です。
田んぼの中を線路は築堤で進んできて、右に岩木山も見えています。
この位置で撮影できればベストなのですが、間違いなく列車に轢かれる位置なので、実際の撮影場所は一段下がった場所からとなっています。
線路の左側には通信回線用の木製電柱が並んでいます。
もっと回線があれば『はえたたき』と呼べる代物になるのにななどと思いつつ列車を待ちます。
もっとも『はえたたき』もすっかり死語となって久しいですが…。

撮影地点の線路を見るとバラストは新しくなっており、枕木も木製とPCとが交互になっていました。
全線がこうなっているかというとそうではなく、毘沙門駅の構内は木製の枕木の横にPC枕木が置かれており、交換準備をしてある状態でした。
今津軽鉄道では、国からの指導の元に『緊急保全整備事業』を2ヶ年計画で行っており、現在は津軽五所川原駅から芦野公園駅の間で工事が進められているのでした。
古い木製枕木の方がローカル線らしさが出て良いのですが、安全のためには仕方がないことです。
折角線路が新しくなり、使用車両もまだ新しいのでスピードアップでもして旅客増を目指してもらいたいです。

しばらくして列車がやってきました。
津軽21形の2両編成が岩木山を横目に走ります。
