2007年01月07日
新潟交通 月潟~六分間
次の目的地へ移動するために、六分駅の方に戻りました。
戻る途中にガーター橋が残っていたのでこちらの様子も紹介します。


今回の新潟交通の跡の探索は、ついでに寄った形となってしまったのでじっくり見ていません。
ちゃんと見れば他の痕跡が見つかるのでしょう。
この後は一気に高速道路を使用しての移動となりました。
戻る途中にガーター橋が残っていたのでこちらの様子も紹介します。


今回の新潟交通の跡の探索は、ついでに寄った形となってしまったのでじっくり見ていません。
ちゃんと見れば他の痕跡が見つかるのでしょう。
この後は一気に高速道路を使用しての移動となりました。
2007年01月06日
新潟交通 月潟駅跡④
月潟駅の施設と車両の保存は、地元のボランティア団体である「かぼちゃ電車保存会」が行っているようです。
お陰で駅も車両もきれいな状態で残されておりうれしい限りです。
今回の写真は駅の様子の紹介です。

駅のホームから駅舎側の様子。

駅長室の看板。
右書きの文字が歴史を感じさせます。

月潟駅の駅名標。
他にも色々看板やらヘッドマークやら見ていて楽しい物がありましたが、全部は紹介し切れません。
お陰で駅も車両もきれいな状態で残されておりうれしい限りです。
今回の写真は駅の様子の紹介です。

駅のホームから駅舎側の様子。

駅長室の看板。
右書きの文字が歴史を感じさせます。

月潟駅の駅名標。
他にも色々看板やらヘッドマークやら見ていて楽しい物がありましたが、全部は紹介し切れません。
2007年01月05日
新潟交通 月潟駅跡③
残る1両の保存車両は、雪掻車のキ100形のキ116ラッセル車です。
このキ116は、1968年に国鉄から譲り受けてから廃線時までの25年間、新潟交通に籍を置いていました。
製造は1932年の国鉄大宮工場製なのでかなりの歴史を刻んでいます。
新潟交通では、モワ51と総括制御ができるように改造されていました。

私にはこの黒い固まりの無骨さが格好良く思えます。

前面窓部分だけ見ても、今の車両のようなスマートさとはほど遠いですね。
私は暖かい地方の人間なので雪掻車には縁がなく、こうして間近で見られる状態での保存はうれしいですね。
このキ116は、1968年に国鉄から譲り受けてから廃線時までの25年間、新潟交通に籍を置いていました。
製造は1932年の国鉄大宮工場製なのでかなりの歴史を刻んでいます。
新潟交通では、モワ51と総括制御ができるように改造されていました。

私にはこの黒い固まりの無骨さが格好良く思えます。

前面窓部分だけ見ても、今の車両のようなスマートさとはほど遠いですね。
私は暖かい地方の人間なので雪掻車には縁がなく、こうして間近で見られる状態での保存はうれしいですね。
2007年01月04日
新潟交通 月潟駅跡②
もう1両はモワ50形のモワ51です。
この車両もモハ11と一緒の1933年の開業時に電動貨車として用意された車両です。
日車東京支店製で、モハ11形と下回りはほとんど同じであり、歯車比を変更している程度で、外観は基本的には同タイプですが、長さが11メートルとモハ11の原型の13メートルよりは短くなっていました。

この車両は車体更新をされていませんので、モハ11の原型を想像できるのではないでしょうか。
またこの車両は電動貨車としての使命の他、貨車の牽引などの役目も持って活躍していました。
1982年の貨物輸送廃止の後は、工事列車や、ラッセル車の推進用として使用され、全線廃止まで在籍していたのです。

モワ51の貨物室の扉部分です。
貨物用だけに扉は両開きで開口部は大きく取られています。
木造のドアの車両も今では貴重な部類に入ります。
この車両もモハ11と一緒の1933年の開業時に電動貨車として用意された車両です。
日車東京支店製で、モハ11形と下回りはほとんど同じであり、歯車比を変更している程度で、外観は基本的には同タイプですが、長さが11メートルとモハ11の原型の13メートルよりは短くなっていました。

この車両は車体更新をされていませんので、モハ11の原型を想像できるのではないでしょうか。
またこの車両は電動貨車としての使命の他、貨車の牽引などの役目も持って活躍していました。
1982年の貨物輸送廃止の後は、工事列車や、ラッセル車の推進用として使用され、全線廃止まで在籍していたのです。

モワ51の貨物室の扉部分です。
貨物用だけに扉は両開きで開口部は大きく取られています。
木造のドアの車両も今では貴重な部類に入ります。
2007年01月03日
新潟交通 月潟駅跡①
月形駅跡へやってきました。
この駅には駅の施設とともに車両が3両保存され、現役当時を偲べるようになっています。

そのうちの1両が写真のモハ10形のモハ11です。
このモハ11の経歴は、1933年の開業にあたって、日車東京支店で製作された半鋼製電車です。
この車両の足回りや電装品を活かす形で、日本車輌で車体を新製して載せ替えています。
載せ替えた車体は、日本車輛が地方私鉄向けに開発した、17m級2扉、両運転台式の半鋼製車体で日車標準車体と言われているものです。側面客室窓は、上段固定でHゴム支持の「バス窓」タイプになっています。

他の鉄道に導入された日車標準車体を持った車両は、岳南鉄道と松本電鉄で走っていましたが、どちらも東急5000系と交替していたので、新潟交通で走っていたのが最後だったと記憶しています。
この駅には駅の施設とともに車両が3両保存され、現役当時を偲べるようになっています。

そのうちの1両が写真のモハ10形のモハ11です。
このモハ11の経歴は、1933年の開業にあたって、日車東京支店で製作された半鋼製電車です。
この車両の足回りや電装品を活かす形で、日本車輌で車体を新製して載せ替えています。
載せ替えた車体は、日本車輛が地方私鉄向けに開発した、17m級2扉、両運転台式の半鋼製車体で日車標準車体と言われているものです。側面客室窓は、上段固定でHゴム支持の「バス窓」タイプになっています。

他の鉄道に導入された日車標準車体を持った車両は、岳南鉄道と松本電鉄で走っていましたが、どちらも東急5000系と交替していたので、新潟交通で走っていたのが最後だったと記憶しています。
2007年01月02日
新潟交通 六分駅跡
蒲原鉄道の廃線跡を巡った跡にやってきたのは、新潟交通の六分駅跡です。
この駅が廃止になったのは、新潟交通の燕~月潟間が廃止となった1993年の夏でした。
この廃止によって、新潟交通は他の鉄道線と接点のない路線となり、さらに6年後に残った部分まで廃止となったのです。
この駅には1993年の燕~月潟間が廃止になる前に来ていたのですが、宅地が造成されていて、どうなっていたのかが思い出せませんでした。

六分駅の駅名標があったのですが、本来の駅とずれている気がしてます。気のせいかな?

写真は土手から六分駅のあった場所を見ています。
駅名標がある場所は写真の真ん中。私のイメージの中では、線路は左下を平行する道路の位置だったような気がしています。
この駅が廃止になったのは、新潟交通の燕~月潟間が廃止となった1993年の夏でした。
この廃止によって、新潟交通は他の鉄道線と接点のない路線となり、さらに6年後に残った部分まで廃止となったのです。
この駅には1993年の燕~月潟間が廃止になる前に来ていたのですが、宅地が造成されていて、どうなっていたのかが思い出せませんでした。

六分駅の駅名標があったのですが、本来の駅とずれている気がしてます。気のせいかな?

写真は土手から六分駅のあった場所を見ています。
駅名標がある場所は写真の真ん中。私のイメージの中では、線路は左下を平行する道路の位置だったような気がしています。
