2008年06月08日
2007年11月12日
ちょいと長野まで その21
北須坂~小布施間の撮影後は、延徳駅まで戻って延徳~信州中野間での撮影を行いました。
ここでの撮影は場所の選び方が悪く、変な写真ばっかりになってしまいました。
さらに信濃竹原~夜間瀬間の夜間瀬川に掛かる橋梁でも撮影も行いましたが、2000系が来る直前で日が沈んでしまい、やはり失敗です。

暗くなったので、駅での撮影に切り替え上条駅にやってきました。
勾配の途中にあるこの駅は、駅部分だけ傾斜が緩くなっています。
写真を見て分かるように、駅を出るといきなり線路が見えなくなる程の急勾配です。

上条駅に停車中の3500系です。
ホームは2両編成の電車でいっぱいの長さしかありません。

上条駅は無人駅なので待合室しかありません。
1975年までは有人駅だったそうです。
待合室壁に付いている駅名の看板は、何故か『上條』の表示になっています。
昔はこの字を使っていたのかはまだ調べていませんが、有人駅だった最後の年の切符は『上条』になっていました。

夜が近い上条駅の様子です。
この小さな駅も多くの乗降客があった時が最近ありました。
湯田中駅のスイッチバック解消に伴う工事中は、この駅から終点の湯田中駅まで代行バスを運行していたのでした。
何も知らないで乗ってきた人は、こんな小さな駅に降ろされてびっくりしたと思います。
この駅での撮影後、湯田中駅の撮影に向かいましたが、駅裏側の『楓の湯』で風呂に浸かって撮影せずに撤収しました。
これで長野の話は終了です。
ここでの撮影は場所の選び方が悪く、変な写真ばっかりになってしまいました。
さらに信濃竹原~夜間瀬間の夜間瀬川に掛かる橋梁でも撮影も行いましたが、2000系が来る直前で日が沈んでしまい、やはり失敗です。

暗くなったので、駅での撮影に切り替え上条駅にやってきました。
勾配の途中にあるこの駅は、駅部分だけ傾斜が緩くなっています。
写真を見て分かるように、駅を出るといきなり線路が見えなくなる程の急勾配です。

上条駅に停車中の3500系です。
ホームは2両編成の電車でいっぱいの長さしかありません。

上条駅は無人駅なので待合室しかありません。
1975年までは有人駅だったそうです。
待合室壁に付いている駅名の看板は、何故か『上條』の表示になっています。
昔はこの字を使っていたのかはまだ調べていませんが、有人駅だった最後の年の切符は『上条』になっていました。

夜が近い上条駅の様子です。
この小さな駅も多くの乗降客があった時が最近ありました。
湯田中駅のスイッチバック解消に伴う工事中は、この駅から終点の湯田中駅まで代行バスを運行していたのでした。
何も知らないで乗ってきた人は、こんな小さな駅に降ろされてびっくりしたと思います。
この駅での撮影後、湯田中駅の撮影に向かいましたが、駅裏側の『楓の湯』で風呂に浸かって撮影せずに撤収しました。
これで長野の話は終了です。
2007年11月11日
ちょいと長野まで その20
北須坂駅から小布施駅の方向に歩いてみます。
小布施に向かって線路の右側を進む形で進むと、駅に近い辺りにはまだ新しい住宅地が広がっています。
そのまま進み住宅地が途切れる辺りに来ると、線路の両側にはリンゴ畑になりました。

北須坂と小布施の間には川が流れており、その橋梁部に向かってかなり急な勾配となっています。
とりあえずここで撮影をすることに決めて、特急列車を待ちました。

撮影する時に、小田急時代の長い編成をついイメージしてしまったため、妙に短い1000系特急が結構なスピードを出してやって来ました。
一瞬で通り過ぎた感じを受けるぐらい早く感じました。

線路の両側までリンゴ畑が迫っているので、リンゴ畑と絡めて湯田中行きの1000系特急を撮影します。
線路とリンゴ畑が近すぎて、うまい場所が見つからなかったので、リンゴが目立ちません。
小布施に向かって線路の右側を進む形で進むと、駅に近い辺りにはまだ新しい住宅地が広がっています。
そのまま進み住宅地が途切れる辺りに来ると、線路の両側にはリンゴ畑になりました。

北須坂と小布施の間には川が流れており、その橋梁部に向かってかなり急な勾配となっています。
とりあえずここで撮影をすることに決めて、特急列車を待ちました。

撮影する時に、小田急時代の長い編成をついイメージしてしまったため、妙に短い1000系特急が結構なスピードを出してやって来ました。
一瞬で通り過ぎた感じを受けるぐらい早く感じました。

線路の両側までリンゴ畑が迫っているので、リンゴ畑と絡めて湯田中行きの1000系特急を撮影します。
線路とリンゴ畑が近すぎて、うまい場所が見つからなかったので、リンゴが目立ちません。
2007年11月10日
ちょいと長野まで その19
村山駅から下り電車に乗って北須坂駅で下車しました。
朝の電車からのロケハンで、北須坂~小布施間が気になったのでちょっと歩いてみることにしたのです。

北須坂駅は島式ホーム一本の駅です。
この駅も延徳駅と同じく長野オリンピックの時に交換できるように改良されています。

ホームへの構内踏切から信州中野方面を見たところです。
左側に見えている建物が駅舎ですが、ホームからは距離があります。
交換施設を造った時に駅舎とホームの位置関係が変わったためではないかと思っています。

北須坂駅駅舎です。
線路に対して直角に長い駅舎となっています。
朝の電車からのロケハンで、北須坂~小布施間が気になったのでちょっと歩いてみることにしたのです。

北須坂駅は島式ホーム一本の駅です。
この駅も延徳駅と同じく長野オリンピックの時に交換できるように改良されています。

ホームへの構内踏切から信州中野方面を見たところです。
左側に見えている建物が駅舎ですが、ホームからは距離があります。
交換施設を造った時に駅舎とホームの位置関係が変わったためではないかと思っています。

北須坂駅駅舎です。
線路に対して直角に長い駅舎となっています。
2007年11月08日
ちょいと長野まで その18
今回も村山駅の続きです。

村山駅の駅舎です。
この駅も桐原駅や朝陽駅と一緒の1926年6月28日に長野電気鉄道によって開業した駅なのです。
やはり他の駅と同じように、古い木造の駅舎を使用しています。

駅舎内はポスターやチラシが目立ちますが、基本的にはあまり手を加えていない状態です。

外から中を覗いたところです。
壁と一体に作られた長椅子が木造らしさを出していて良い感じでした。

村山駅の駅舎です。
この駅も桐原駅や朝陽駅と一緒の1926年6月28日に長野電気鉄道によって開業した駅なのです。
やはり他の駅と同じように、古い木造の駅舎を使用しています。

駅舎内はポスターやチラシが目立ちますが、基本的にはあまり手を加えていない状態です。

外から中を覗いたところです。
壁と一体に作られた長椅子が木造らしさを出していて良い感じでした。
2007年11月07日
ちょいと長野まで その17
須坂駅の次は村山駅に移動しました。

この駅は3月のブログにも書いたとおり右側通行の駅なので、写真の電車は奥に向かって発車していきました。
長野電鉄には、右側通行の駅と左側通行の駅が混在しており、構内踏切が列車が到着した後ろ側になるように使い分けています。

長野側から見た村山駅のホームです。
左側後方には貨物ホームが残っているのが見えますが、ホームの上は駐車場として使用されています。

村山駅の長野方に道路併用橋の村山橋があります。
駅から橋の方を見ると、構内を抜けた踏切の先で線路が仮線に向けて曲げられているのが見えました。

この駅は3月のブログにも書いたとおり右側通行の駅なので、写真の電車は奥に向かって発車していきました。
長野電鉄には、右側通行の駅と左側通行の駅が混在しており、構内踏切が列車が到着した後ろ側になるように使い分けています。

長野側から見た村山駅のホームです。
左側後方には貨物ホームが残っているのが見えますが、ホームの上は駐車場として使用されています。

村山駅の長野方に道路併用橋の村山橋があります。
駅から橋の方を見ると、構内を抜けた踏切の先で線路が仮線に向けて曲げられているのが見えました。
2007年11月06日
ちょいと長野まで その16

10系を撮影したホーム上の長野方の端には、転轍機や標識などが展示されています。

再びホームを湯田中側まで歩き、車両基地で昼寝中の2000系を撮影します。

2000系の横には3500系がいます。
片側の前照灯が外されており、須坂工場で修理中のようです。
2007年11月05日
ちょいと長野まで その15
須坂駅の続きです。

隣のホームへ移ると4番線は屋代線用として使用されています。
屋代線は終日3500系のみで運転となっており、長野線側と比べると輸送量は少なくなっています。
こちらの3500系は前日のブログでも触れたように、長野線で運用されている車両と仕様が違っており、ワンマン運転用の運賃箱と運賃表示器が付いています。
正面から見た見分け方は前からみて左側の窓に書いてある編成番号が、『O』(アルファベットのオー)で始まっています。
他の3500系は『N』からの編成番号、3600系は『L』です。
車両の向こうにもホームらしき物が見えますが、現在は旅客扱いには使用していません。
向こうのホームの上が駅舎となっています。

屋代線のホームの屋代寄りから隣の線路を見ると、2003年に廃止となった10系電車が留置されています。
新OSカーと呼ばれたこの車両、長野駅付近の地下化に伴い地下線の運転基準を満たすために古い車両を置き換える目的を持って製造されましたが、結局元東急5000系が2500系として導入されたために増備されず、1編成2両のみの存在となっていました。
この車両が留置されている位置には、以前OSカーの0系が置かれていたのですが、保存目的で留置されていたのに最後は解体されてしまいました。
2001年秋の時点では0系と2500系が並んで留置されていたのを見た記憶があります。
10系が解体にならないことを願います。

隣のホームへ移ると4番線は屋代線用として使用されています。
屋代線は終日3500系のみで運転となっており、長野線側と比べると輸送量は少なくなっています。
こちらの3500系は前日のブログでも触れたように、長野線で運用されている車両と仕様が違っており、ワンマン運転用の運賃箱と運賃表示器が付いています。
正面から見た見分け方は前からみて左側の窓に書いてある編成番号が、『O』(アルファベットのオー)で始まっています。
他の3500系は『N』からの編成番号、3600系は『L』です。
車両の向こうにもホームらしき物が見えますが、現在は旅客扱いには使用していません。
向こうのホームの上が駅舎となっています。

屋代線のホームの屋代寄りから隣の線路を見ると、2003年に廃止となった10系電車が留置されています。
新OSカーと呼ばれたこの車両、長野駅付近の地下化に伴い地下線の運転基準を満たすために古い車両を置き換える目的を持って製造されましたが、結局元東急5000系が2500系として導入されたために増備されず、1編成2両のみの存在となっていました。
この車両が留置されている位置には、以前OSカーの0系が置かれていたのですが、保存目的で留置されていたのに最後は解体されてしまいました。
2001年秋の時点では0系と2500系が並んで留置されていたのを見た記憶があります。
10系が解体にならないことを願います。
2007年11月04日
ちょいと長野まで その14
須坂駅までやって来ました。
この駅は車両基地を併せ持つ長野電鉄の中枢駅です。
見ているだけで楽しい場所であり、構内の様子を撮影するために立ち寄りました。

左が乗車してきた8500系、右が留置線の3500系です。

8500系が発車した後の3500系です。
2連を組んでいる車両が3500系、3連を組んでいる車両が3600系となっており、3500系の中でもワンマン運転時の料金箱と料金表示器が有る車両と無い車両では、編成番号が分けられています。
車両の後方には2000系と検修庫(須坂工場)も見えています。

連絡用の階段からホームを見たところです。
今までいたところが1番線で湯田中方面に行く下り列車が使用しており、2番線は折り返しや車庫から出庫した長野方面に行く列車が使用しています。
ここにある表示にも木島方面の表示が残っていました。
この駅は車両基地を併せ持つ長野電鉄の中枢駅です。
見ているだけで楽しい場所であり、構内の様子を撮影するために立ち寄りました。

左が乗車してきた8500系、右が留置線の3500系です。

8500系が発車した後の3500系です。
2連を組んでいる車両が3500系、3連を組んでいる車両が3600系となっており、3500系の中でもワンマン運転時の料金箱と料金表示器が有る車両と無い車両では、編成番号が分けられています。
車両の後方には2000系と検修庫(須坂工場)も見えています。

連絡用の階段からホームを見たところです。
今までいたところが1番線で湯田中方面に行く下り列車が使用しており、2番線は折り返しや車庫から出庫した長野方面に行く列車が使用しています。
ここにある表示にも木島方面の表示が残っていました。
2007年11月03日
ちょいと長野まで その13
長野総合車両センターの見学を終え、再び桐原駅から長野電鉄に乗車して長野駅に向かいます。

長野電鉄の長野駅はJRの駅に隣接してありますが、長野駅からしばらくの区間は地下化されていますので、駅舎は地上にはなく地下への入口が何カ所かあります。
入口を見ると1000系ゆけむりの看板が大きく掲げられていました。
小布施などに、路線の周辺に観光資源を持っている長野電鉄としては、鉄道での観光に力を入れており、この1000系にも期待が大きいのです。

地下一階に長野電鉄の切符売り場や改札口があります。
久しぶりに自動改札ではない、ずらりと並ぶ改札口を見ました。
ホームは改札口を抜けてから、更に階段で地下2階に降りたところにあります。

改札を抜け階段を下りると正面に1000系が待っていました。
長野駅は頭端式の3線を持つ駅で、真ん中の線を特急ホームに使っているようです。
観光に来ていると思われる人が多く見られ、鉄道好きでなくても列車を撮影している人が見られました。
やはり1000系は魅力がある車両と言うことの表れで、長野電鉄としても導入した甲斐があったと思います。

長野電鉄の長野駅はJRの駅に隣接してありますが、長野駅からしばらくの区間は地下化されていますので、駅舎は地上にはなく地下への入口が何カ所かあります。
入口を見ると1000系ゆけむりの看板が大きく掲げられていました。
小布施などに、路線の周辺に観光資源を持っている長野電鉄としては、鉄道での観光に力を入れており、この1000系にも期待が大きいのです。

地下一階に長野電鉄の切符売り場や改札口があります。
久しぶりに自動改札ではない、ずらりと並ぶ改札口を見ました。
ホームは改札口を抜けてから、更に階段で地下2階に降りたところにあります。

改札を抜け階段を下りると正面に1000系が待っていました。
長野駅は頭端式の3線を持つ駅で、真ん中の線を特急ホームに使っているようです。
観光に来ていると思われる人が多く見られ、鉄道好きでなくても列車を撮影している人が見られました。
やはり1000系は魅力がある車両と言うことの表れで、長野電鉄としても導入した甲斐があったと思います。
2007年10月28日
ちょいと長野まで その8
朝陽駅から再び電車に乗車して長野駅方面に向かいます。
先ほど長野へ向かった、マルーンの2000系の戻りを撮影するためでした。

2駅先の桐原駅の形が何となく気に入ったのでここで下車します。
この駅は、跨線橋の屋根も駅舎の屋根も赤で塗装されており、他の駅と印象が違います。
ホームには数名のファンがいました。

ホームから見た駅舎です。
急な角度の屋根を持ったこの駅も、朝陽駅と同じ日に開設された駅ですが、全く構造は違っておりこちらは洋風の造りとなっていました。

マルーンの2000系が桐原駅に到着します。
特急で長野駅まで行った後、再び普通列車の運用になり須坂行きで戻ってきました。
この列車の直前に長野に向かって1000系の特急が走り去り、入れ替わりで2000系の方は須坂の車庫で昼寝に入ります。
基本的な運用だと、2000系は朝夕の時間帯、1000系は昼間帯となっているようです。
先ほど長野へ向かった、マルーンの2000系の戻りを撮影するためでした。

2駅先の桐原駅の形が何となく気に入ったのでここで下車します。
この駅は、跨線橋の屋根も駅舎の屋根も赤で塗装されており、他の駅と印象が違います。
ホームには数名のファンがいました。

ホームから見た駅舎です。
急な角度の屋根を持ったこの駅も、朝陽駅と同じ日に開設された駅ですが、全く構造は違っておりこちらは洋風の造りとなっていました。

マルーンの2000系が桐原駅に到着します。
特急で長野駅まで行った後、再び普通列車の運用になり須坂行きで戻ってきました。
この列車の直前に長野に向かって1000系の特急が走り去り、入れ替わりで2000系の方は須坂の車庫で昼寝に入ります。
基本的な運用だと、2000系は朝夕の時間帯、1000系は昼間帯となっているようです。
2007年10月27日
ちょいと長野まで その7
今度は駅を挟んで反対側に歩いて、単線区間の朝陽~附属中学前間で撮影です。

長野と言えば思い出される物の上位に、果物のリンゴがあります。
沿線にもかなり多くのリンゴ畑を見つけることができ、朝陽~附属中学前間にも赤いリンゴが育っていました。
やって来た3500系をリンゴを入れて撮影してみました。

線路の反対側は稲の刈り入れをやっている最中でした。
天気の悪さだけはどうしようもなく、どうにもすっきりしません。

ちょっとだけ明るくなったところへマルーンの2000系特急がやって来ました。
この列車の撮影後に晴れ間が広がってきました…。

長野と言えば思い出される物の上位に、果物のリンゴがあります。
沿線にもかなり多くのリンゴ畑を見つけることができ、朝陽~附属中学前間にも赤いリンゴが育っていました。
やって来た3500系をリンゴを入れて撮影してみました。

線路の反対側は稲の刈り入れをやっている最中でした。
天気の悪さだけはどうしようもなく、どうにもすっきりしません。

ちょっとだけ明るくなったところへマルーンの2000系特急がやって来ました。
この列車の撮影後に晴れ間が広がってきました…。
2007年10月26日
ちょいと長野まで その6
複線区間での撮影のため、朝陽駅から住宅の間を抜けて長野側に向かいます。
周囲は新しい家の建設が進められており、長野市内に通うのに丁度良い距離なのかもしれません。

写真は長野方から朝陽駅を見たところです。
ホーム手前に上下線双方向に渡り線が見えています。
この先にある村山橋が悪天候で運転できなくなったりすると、この駅で折り返し運転となるそうです。
過去には、長野駅からこの駅までの区間列車や特急列車の待避が行われていました。

長野電鉄の8500系がやって来ました。
東急からやって来た8500系が、当時とあまり変わらない姿で活躍しています。
もっとも長い編成から3両編成と短くなっており、ある意味大きく変わったところでしょう。

お目当ての2000系リンゴ塗色の特急がやってきました。
天気予報は晴れだったのに、思いっきり曇って残念。
周囲は新しい家の建設が進められており、長野市内に通うのに丁度良い距離なのかもしれません。

写真は長野方から朝陽駅を見たところです。
ホーム手前に上下線双方向に渡り線が見えています。
この先にある村山橋が悪天候で運転できなくなったりすると、この駅で折り返し運転となるそうです。
過去には、長野駅からこの駅までの区間列車や特急列車の待避が行われていました。

長野電鉄の8500系がやって来ました。
東急からやって来た8500系が、当時とあまり変わらない姿で活躍しています。
もっとも長い編成から3両編成と短くなっており、ある意味大きく変わったところでしょう。

お目当ての2000系リンゴ塗色の特急がやってきました。
天気予報は晴れだったのに、思いっきり曇って残念。
2007年10月25日
ちょいと長野まで その5
ロケハンを兼ねた電車を朝陽(あさひ)駅で下車しました。
朝陽駅の周辺でしばらく撮影する気になったからです。
ちなみにこの駅までは単線区間でしたが、この先長野までは複線となっています。

朝陽駅の駅舎です。
1926年6月に長野電気鉄道の最初の区間である権堂~須坂間が開業した時に開設されています。
駅舎は木造で古いですが、綺麗に手入れされて使用されています。

駅舎からホーム方向を見たところです。
奥側が長野方面になっており、複線区間となります。

ホーム上の待合室です。
壁には『須坂 湯田中 木島方面』の表示がありました。
木島線(通称)は2002年4月に廃止となったけど、バスが走っているから残しているのかは不明です。
朝陽駅の周辺でしばらく撮影する気になったからです。
ちなみにこの駅までは単線区間でしたが、この先長野までは複線となっています。

朝陽駅の駅舎です。
1926年6月に長野電気鉄道の最初の区間である権堂~須坂間が開業した時に開設されています。
駅舎は木造で古いですが、綺麗に手入れされて使用されています。

駅舎からホーム方向を見たところです。
奥側が長野方面になっており、複線区間となります。

ホーム上の待合室です。
壁には『須坂 湯田中 木島方面』の表示がありました。
木島線(通称)は2002年4月に廃止となったけど、バスが走っているから残しているのかは不明です。
2007年10月24日
ちょいと長野まで その4
延徳駅からは3500系電車の最後尾に陣取り、後方の景色を中心にロケハンをしながらの移動となりました。
何カ所か気になった場所をチェックしていると、村山駅までやって来ていました。

村山駅を過ぎると道路併用橋の村山橋を渡ります。
村山橋の掛け替え工事が進みダイヤも変えられているので、注視していると、村山駅を出た途端に急なカーブとなり、線路が付け替えられていました。

再び急なカーブを過ぎ元の線路に戻ると、すぐに村山橋を渡り始めます。

橋の上は特にまだ工事の影響は感じられません。
直前の仮線の位置からすると、現在の橋の真横に架設の鉄橋を造ってから撤去するのかもしれません。
何カ所か気になった場所をチェックしていると、村山駅までやって来ていました。

村山駅を過ぎると道路併用橋の村山橋を渡ります。
村山橋の掛け替え工事が進みダイヤも変えられているので、注視していると、村山駅を出た途端に急なカーブとなり、線路が付け替えられていました。

再び急なカーブを過ぎ元の線路に戻ると、すぐに村山橋を渡り始めます。

橋の上は特にまだ工事の影響は感じられません。
直前の仮線の位置からすると、現在の橋の真横に架設の鉄橋を造ってから撤去するのかもしれません。
2007年10月23日
ちょいと長野まで その3
延徳駅から桜沢駅側に歩いて撮影ポイントを探しましたが、良さそうな場所は見つからず、2本撮影した後一旦延徳駅に戻りました。
延徳駅から反対側の信州中野駅側には、山をバックに出来る撮影地があります。

踏切が鳴ったので列車を待つとリンゴ色の2000系が特急がやってきました。
すっきりした良いカラーリングで気に入っています。

すぐ反対方向の普通列車が来るので待っていると、マルーンの2000系がやって来ました。
リンゴ色とは隣り駅の桜沢駅で交換だったようです。
桜沢駅だったら並びが撮れたと言うことでちょっと残念。
ちなみに普通列車ですけど、ヘッドマークは「特急しが」を掲出しています。
この列車の撮影後、他の撮影場所に移動しました。
延徳駅から反対側の信州中野駅側には、山をバックに出来る撮影地があります。

踏切が鳴ったので列車を待つとリンゴ色の2000系が特急がやってきました。
すっきりした良いカラーリングで気に入っています。

すぐ反対方向の普通列車が来るので待っていると、マルーンの2000系がやって来ました。
リンゴ色とは隣り駅の桜沢駅で交換だったようです。
桜沢駅だったら並びが撮れたと言うことでちょっと残念。
ちなみに普通列車ですけど、ヘッドマークは「特急しが」を掲出しています。
この列車の撮影後、他の撮影場所に移動しました。
2007年10月22日
ちょいと長野まで その2
今日からのネタは10月6日の長野へ行った時の話です。
10月7日のブログでも書いていますが、目的は長野総合車両センターの公開と長野電鉄の撮影でした。

朝5時過ぎに須坂駅にやって来ました。
この5時半頃に始発電車が動き出します。
駅を跨ぐ陸橋から覗くと、列車を駅のホームに移動したりと車両基地は既に動き出していました。
丁度今回の目的の一つであるリンゴ塗色になった2000系も見えています。
須坂駅の券売所で2日間有効の長電フリー切符と2000系の記念写真集を購入して他の駅に移動します。

移動した先はとりあえず延徳駅。
左側の白い建物が駅舎です。
島式ホームを持つ行き違い可能駅となっています。
以前は行き違いが出来なかったのですが、駅を移転して行き違い施設を設けています。
昔の駅はもっと長野寄りにありましたが、長野オリンピック時の増発のために改良されたのでした。

延徳駅周辺で撮影するつもりで場所を探しに行く時にやってきたのがこの電車です。
延徳駅直前の踏切で撮影しています。
10月7日のブログでも書いていますが、目的は長野総合車両センターの公開と長野電鉄の撮影でした。

朝5時過ぎに須坂駅にやって来ました。
この5時半頃に始発電車が動き出します。
駅を跨ぐ陸橋から覗くと、列車を駅のホームに移動したりと車両基地は既に動き出していました。
丁度今回の目的の一つであるリンゴ塗色になった2000系も見えています。
須坂駅の券売所で2日間有効の長電フリー切符と2000系の記念写真集を購入して他の駅に移動します。

移動した先はとりあえず延徳駅。
左側の白い建物が駅舎です。
島式ホームを持つ行き違い可能駅となっています。
以前は行き違いが出来なかったのですが、駅を移転して行き違い施設を設けています。
昔の駅はもっと長野寄りにありましたが、長野オリンピック時の増発のために改良されたのでした。

延徳駅周辺で撮影するつもりで場所を探しに行く時にやってきたのがこの電車です。
延徳駅直前の踏切で撮影しています。
2007年03月23日
雪を探しに長野電鉄へ その12
トレインギャラリーから戻り、今夜の宿がある信州中野方面に向かいます。
途中で買い物のため須坂駅隣のスーパーに立ち寄り、屋上駐車場から駅構内を見ると、マルーンの2000系が留置されているのが見えました。
途中から全然姿を見ないと思ったら、運用についていなかったのでした。
同じ駐車場からは、長野電鉄の検修庫なども見えます。

スーパーのすぐ横にあったのは、留置されているED5001でした。
他にもOSカーなどが構内に留置されています。
先ほど見た2500系もこの駅にあった車両でしょう。
この駅には構内を跨ぐ形で跨線橋が架けられており、そこから構内の様子が覗けます。

留置線にいたマルーンの2000系を撮影していると、ホームに移動して行きました。
どうやら再び運用に着くようです。
その後に到着した1000系が入れ替わる形で留置線に入りました。
折角マルーンの2000系が運転を再開したので、写真を再度撮影するために同じ方向に向かいます。
湯田中駅で折り返してくるのが分かっていたので、延徳駅の信州中野寄りで再度の撮影が出来ました。

何となく目的が達成できたので、この撮影を今回の長野電鉄撮影の最後として宿に向かったのです。
途中で買い物のため須坂駅隣のスーパーに立ち寄り、屋上駐車場から駅構内を見ると、マルーンの2000系が留置されているのが見えました。
途中から全然姿を見ないと思ったら、運用についていなかったのでした。
同じ駐車場からは、長野電鉄の検修庫なども見えます。

スーパーのすぐ横にあったのは、留置されているED5001でした。
他にもOSカーなどが構内に留置されています。
先ほど見た2500系もこの駅にあった車両でしょう。
この駅には構内を跨ぐ形で跨線橋が架けられており、そこから構内の様子が覗けます。

留置線にいたマルーンの2000系を撮影していると、ホームに移動して行きました。
どうやら再び運用に着くようです。
その後に到着した1000系が入れ替わる形で留置線に入りました。
折角マルーンの2000系が運転を再開したので、写真を再度撮影するために同じ方向に向かいます。
湯田中駅で折り返してくるのが分かっていたので、延徳駅の信州中野寄りで再度の撮影が出来ました。

何となく目的が達成できたので、この撮影を今回の長野電鉄撮影の最後として宿に向かったのです。
2007年03月22日
雪を探しに長野電鉄へ その11
村山橋の次は、地図を見ていて気になる場所があったので行ってみます。
場所は長野東インター(たぶん)から長野の市街地に向かう道路の左側です。
私の地図(マップル)を見ると、そこにはトレインギャラリーの文字がありちょっと気になったので、朝方、村山橋に行く時に様子を見ています。
ぱっと見ただけでしたが、食事が出来そうな建物と電車と踏切警報機が目に入っており、遅い昼食もそこで食べるつもりだったのです。
実際に現地に着くと、そこに待っていた車両は、長野電鉄を引退した2500系(元東急の5000系)でした。

車両はトレインギャラリーの駐車場に鎮座しています。
この車両は、引退後も留置されていた2500系が須坂駅にあったので、その車両が引き取られてきたと思われます。

トレインギャラリー自体はとんかつなどを扱っているお食事処のようです。
先にも書きましたけど、折角なのでご飯を食べようと思っていたのですが…、

無情にも本日終了の看板が出ていました。
店の人と話をしたら「明日はやっているよ」だそうです。
明日は来れないのでした、残念。
店内にも模型のレイアウトがあったような気がします。(ちょっと記憶が曖昧なのです)
場所は長野東インター(たぶん)から長野の市街地に向かう道路の左側です。
私の地図(マップル)を見ると、そこにはトレインギャラリーの文字がありちょっと気になったので、朝方、村山橋に行く時に様子を見ています。
ぱっと見ただけでしたが、食事が出来そうな建物と電車と踏切警報機が目に入っており、遅い昼食もそこで食べるつもりだったのです。
実際に現地に着くと、そこに待っていた車両は、長野電鉄を引退した2500系(元東急の5000系)でした。

車両はトレインギャラリーの駐車場に鎮座しています。
この車両は、引退後も留置されていた2500系が須坂駅にあったので、その車両が引き取られてきたと思われます。

トレインギャラリー自体はとんかつなどを扱っているお食事処のようです。
先にも書きましたけど、折角なのでご飯を食べようと思っていたのですが…、

無情にも本日終了の看板が出ていました。
店の人と話をしたら「明日はやっているよ」だそうです。
明日は来れないのでした、残念。
店内にも模型のレイアウトがあったような気がします。(ちょっと記憶が曖昧なのです)
2007年03月21日
雪を探しに長野電鉄へ その10
中野松川駅の後は数カ所を移動しながら撮影をしていましたが、間の話は端折って、再び村山橋までやってきました。

夕方に近くなったので、長野側からが順光になっています。
3500系の長野行きがやってきました。
タイミング良く車がかぶりませんでした。
この後、ビデオで撮影している方と話をしながら特急が通るのを待ちます。
しかしながら、普通列車ばかりが来て特急がやって来ません。

散々待ってやっと1000系の特急がやって来ました。
しかし、タイミングが悪くこっちは車だらけですっきり撮れませんでした。
併用橋らしいと言えばらしいのですが…。

新旧の村山橋の様子です。
右の新橋の方が高い位置にあり、長くなっています。
掛け替えが完了するとどういう景観になるのでしょうか?
鉄道は単独の橋になると言うので、絵になる橋を勝手に期待します。

夕方に近くなったので、長野側からが順光になっています。
3500系の長野行きがやってきました。
タイミング良く車がかぶりませんでした。
この後、ビデオで撮影している方と話をしながら特急が通るのを待ちます。
しかしながら、普通列車ばかりが来て特急がやって来ません。

散々待ってやっと1000系の特急がやって来ました。
しかし、タイミングが悪くこっちは車だらけですっきり撮れませんでした。
併用橋らしいと言えばらしいのですが…。

新旧の村山橋の様子です。
右の新橋の方が高い位置にあり、長くなっています。
掛け替えが完了するとどういう景観になるのでしょうか?
鉄道は単独の橋になると言うので、絵になる橋を勝手に期待します。
2007年03月20日
雪を探しに長野電鉄へ その9
今度は中野松川駅に行ってみました。

信濃松川駅を見ると、勾配を上ってきて、駅の部分だけ平坦になり、駅を出ると再び上り勾配になるのが見た目で分かります。(写真を小さくした後は分かりづらいかも)
勾配標を見ると駅の部分も完全な水平でなく、緩い上り勾配になっています。
いかにこの線の勾配がきついかを物語っています。

中野松川駅のホームです。

湯田中行きが中野松川駅にやってきました。
右のガードレールのある道がほぼ水平です。
信州中野から湯田中まで8キロもこんな感じで上がってます。

信濃松川駅を見ると、勾配を上ってきて、駅の部分だけ平坦になり、駅を出ると再び上り勾配になるのが見た目で分かります。(写真を小さくした後は分かりづらいかも)
勾配標を見ると駅の部分も完全な水平でなく、緩い上り勾配になっています。
いかにこの線の勾配がきついかを物語っています。

中野松川駅のホームです。

湯田中行きが中野松川駅にやってきました。
右のガードレールのある道がほぼ水平です。
信州中野から湯田中まで8キロもこんな感じで上がってます。
2007年03月19日
雪を探しに長野電鉄へ その8
信濃竹原駅には駅舎の他にも古い物が残っていました。
それは貨物ホームと上屋です。

貨物ホームと上屋が残っている駅は、探せば他の鉄道にもありますが、貴重な部類なのではないでしょうか?
こういう施設もどんどん消えていくので、どこかで保存してもらいたいものです。

貨物ホームの先端の線路です。
右の本線は上り勾配なので、少し高くなっています。
この先が、夜間瀬川の橋梁になります。

貨物上屋を反対から見ると、上部に2枚の注意書きが張られていました。
良く見ると、『車扱貨物の積卸時間について』と『車扱貨物の留置時間について』の注意書きなのです。
これは本当に貴重なのではないでしょうか?
よくぞ残っていたと言いたいですね。
それは貨物ホームと上屋です。

貨物ホームと上屋が残っている駅は、探せば他の鉄道にもありますが、貴重な部類なのではないでしょうか?
こういう施設もどんどん消えていくので、どこかで保存してもらいたいものです。

貨物ホームの先端の線路です。
右の本線は上り勾配なので、少し高くなっています。
この先が、夜間瀬川の橋梁になります。

貨物上屋を反対から見ると、上部に2枚の注意書きが張られていました。
良く見ると、『車扱貨物の積卸時間について』と『車扱貨物の留置時間について』の注意書きなのです。
これは本当に貴重なのではないでしょうか?
よくぞ残っていたと言いたいですね。
2007年03月18日
雪を探しに長野電鉄へ その7
次の移動先は信濃竹原駅です。
この駅は相対式ホームを持つ交換可能駅です。

駅舎は古い木造です。

駅舎に掛かっている駅名の看板も良い感じです。

引き戸を開けて駅舎に入ろうとしましたが、扉が動きません。
無人化した祭に、駅舎内部には入れないようにしていたのです。
扉のガラス越しに中を覗くと、電車運賃表などが昔のまま残っています。(平成9年改正の物)
古いので当然木島線の料金も書かれていました。

駅舎隣接の湯田中方面行きのホームも、古い鉄道のにおいがぷんぷんする構造です。
この駅は右側通行となっていました。
最初に寄った村山駅も右側通行です。
この駅は相対式ホームを持つ交換可能駅です。

駅舎は古い木造です。

駅舎に掛かっている駅名の看板も良い感じです。

引き戸を開けて駅舎に入ろうとしましたが、扉が動きません。
無人化した祭に、駅舎内部には入れないようにしていたのです。
扉のガラス越しに中を覗くと、電車運賃表などが昔のまま残っています。(平成9年改正の物)
古いので当然木島線の料金も書かれていました。

駅舎隣接の湯田中方面行きのホームも、古い鉄道のにおいがぷんぷんする構造です。
この駅は右側通行となっていました。
最初に寄った村山駅も右側通行です。
2007年03月17日
雪を探しに長野電鉄へ その6
再び夜間瀬側の橋梁に戻ります。

写真の列車は湯田中行きです。

上の列車の折り返し列車を撮影しています。
この鉄橋で4本の列車を撮影しましたが、全部曇りのタイミングで列車が来てしまったので、どうにもすっきりしません。

写真の列車は湯田中行きです。

上の列車の折り返し列車を撮影しています。
この鉄橋で4本の列車を撮影しましたが、全部曇りのタイミングで列車が来てしまったので、どうにもすっきりしません。
2007年03月16日
雪を探しに長野電鉄へ その5
再び、現在の湯田中駅の様子です。

改札越しに1000系を見たところです。
温泉地なので駅にものれんが掛かっています。
のれんの図柄は2000系特急車です。

改札前には、切符売り場と切符券売機が3台あります。
写真を撮っている場所の真後ろには、バスの切符売り場があります。

再び『楓の湯』の駐車場から発車待ちの1000系の様子です。

列車は発車するといきなり40‰の勾配を下っていきます。
小田急時代、勾配のきつい箱根登山鉄道に乗り入れていたこの車両ですが、長野電鉄の方が急勾配の距離が長いため、発電ブレーキの抵抗やら電気関係の強化が図られています。
信州中野駅から湯田中駅まではほとんど上り勾配になっています。

改札越しに1000系を見たところです。
温泉地なので駅にものれんが掛かっています。
のれんの図柄は2000系特急車です。

改札前には、切符売り場と切符券売機が3台あります。
写真を撮っている場所の真後ろには、バスの切符売り場があります。

再び『楓の湯』の駐車場から発車待ちの1000系の様子です。

列車は発車するといきなり40‰の勾配を下っていきます。
小田急時代、勾配のきつい箱根登山鉄道に乗り入れていたこの車両ですが、長野電鉄の方が急勾配の距離が長いため、発電ブレーキの抵抗やら電気関係の強化が図られています。
信州中野駅から湯田中駅まではほとんど上り勾配になっています。
2007年03月15日
雪を探しに長野電鉄へ その4
スイッチバックが湯田中駅の一つの売りだったと思うので、個人的にはつまらない駅になってしまった気がして残念です。
折角ですので、昨年2月のスッイチバックガ健在だった頃の写真を載せておきます。

ホームの終端から踏切を見ています。
この踏切の中まで入って、スイッチバックしていたのです。

踏切から駅を見たところです。
反対側のホームは既に使用していないので、線路は雪で埋もれていました。

ホームの長野方向を見たところです。
列車の先には雪に埋もれて線路は見えませんが、雪の下に真っ直ぐ続いているのです。
右側にちらっと下っていく本線が見えています。
この本線からの合流ポイントを、列車は跨いだ状態で停車しているのでした。

列車の前に出るとこんな感じと言いたいですけど、昨年は雪が多くて本線以外の線路が見えていませんね。
折角ですので、昨年2月のスッイチバックガ健在だった頃の写真を載せておきます。

ホームの終端から踏切を見ています。
この踏切の中まで入って、スイッチバックしていたのです。

踏切から駅を見たところです。
反対側のホームは既に使用していないので、線路は雪で埋もれていました。

ホームの長野方向を見たところです。
列車の先には雪に埋もれて線路は見えませんが、雪の下に真っ直ぐ続いているのです。
右側にちらっと下っていく本線が見えています。
この本線からの合流ポイントを、列車は跨いだ状態で停車しているのでした。

列車の前に出るとこんな感じと言いたいですけど、昨年は雪が多くて本線以外の線路が見えていませんね。
2007年03月14日
雪を探しに長野電鉄へ その3
次の列車まで時間があったので終点の湯田中駅まで行ってみます。
この駅は昨年まではスイッチバックの駅として有名でしたが、小田急電鉄からのロマンスカーを導入するのに合わせて、駅構内の配線を改良すると共に、スイッチバックの解消が行われたのでした。

現在のホームの様子はこんな感じになっていました。
写真を撮影したのは、駅舎反対側にある日帰り入浴施設の『楓の湯』の駐車場からです。
以前は、本線から二本に分岐して二つのホームに線路があったのが、両ホームの真ん中に1本だけ線路を引いて、そこに新しいホームを造ってありました。

反対側を見ると本線は40‰で湯田中駅に入ってくるのが分かります。
本線の手前右側の枕木が積んである場所までと、向こう側の軽トラックが止まっている場所が、スイッチバックしてホームに入っていた時の線路跡です。(先の方は使用していなかった)
駅のホームの終端側にも行ってみます。

この駅がスイッチバックの構造になっていたのは、駅構内まで40‰の勾配になっていたためでした。
そのため、レベルの駅ホームに停車させるのに、少し先まで行ってポイントを切り替えて、ちょっとだけバックしてホームに着けていました。
その時に駅構内が短いので、ホームの先の踏切まではみ出してバックさせていましたが、スイッチバックの解消と共に踏切も廃止されました。
踏切の先には2線分の線路が延びており、留置線として使われていましたが、そちらも撤去となっていました。
この駅は昨年まではスイッチバックの駅として有名でしたが、小田急電鉄からのロマンスカーを導入するのに合わせて、駅構内の配線を改良すると共に、スイッチバックの解消が行われたのでした。

現在のホームの様子はこんな感じになっていました。
写真を撮影したのは、駅舎反対側にある日帰り入浴施設の『楓の湯』の駐車場からです。
以前は、本線から二本に分岐して二つのホームに線路があったのが、両ホームの真ん中に1本だけ線路を引いて、そこに新しいホームを造ってありました。

反対側を見ると本線は40‰で湯田中駅に入ってくるのが分かります。
本線の手前右側の枕木が積んである場所までと、向こう側の軽トラックが止まっている場所が、スイッチバックしてホームに入っていた時の線路跡です。(先の方は使用していなかった)
駅のホームの終端側にも行ってみます。

この駅がスイッチバックの構造になっていたのは、駅構内まで40‰の勾配になっていたためでした。
そのため、レベルの駅ホームに停車させるのに、少し先まで行ってポイントを切り替えて、ちょっとだけバックしてホームに着けていました。
その時に駅構内が短いので、ホームの先の踏切まではみ出してバックさせていましたが、スイッチバックの解消と共に踏切も廃止されました。
踏切の先には2線分の線路が延びており、留置線として使われていましたが、そちらも撤去となっていました。
2007年03月13日
雪を探しに長野電鉄へ その2
村山橋の周囲には雪がありません。
更に雪を求めて、やはり撮影ポイントの夜間瀬橋梁に向かってみます。
夜間瀬橋梁は、信州中野を過ぎ湯田中に向かう途中にあり、スキー場のある志賀高原に向かう途中でもあり、雪景色が見られると期待して向かいました。
現地に着くと残念ながら雪はありませんでした。がっかりです。
気を取り直して夜間瀬橋梁での撮影をする気になりましたが、肝心な列車時刻が分からない。時刻表を間違ったのが大きな痛手です。
夜間瀬駅まで散歩がてら歩いてみました。
夜間瀬駅で時刻表を確認すると、上下の列車が近い時間に来ることが分かりましたので駅で撮影することにします。

長野行きの列車は3500系の2両編成でした。

続いてきた湯田中行きは、再びマルーンの2000系です。
予想していなかったので、変な位置からの撮影となってしまいました。
この湯田中行き列車がが湯田中駅で折り返すと、特急の運用に入るようなので夜間瀬橋梁まで戻ります。
夜間瀬橋梁で待ち構えている間、明るくなったり暗くなったりを繰り返すすっきりしない天気です。

とにかく雪の残る山をバックに待っていましたが、列車が来た時はタイミングが悪く暗くなった時でした。
こういう場合、暗い色の車両は全然目立ちません。
更に雪を求めて、やはり撮影ポイントの夜間瀬橋梁に向かってみます。
夜間瀬橋梁は、信州中野を過ぎ湯田中に向かう途中にあり、スキー場のある志賀高原に向かう途中でもあり、雪景色が見られると期待して向かいました。
現地に着くと残念ながら雪はありませんでした。がっかりです。
気を取り直して夜間瀬橋梁での撮影をする気になりましたが、肝心な列車時刻が分からない。時刻表を間違ったのが大きな痛手です。
夜間瀬駅まで散歩がてら歩いてみました。
夜間瀬駅で時刻表を確認すると、上下の列車が近い時間に来ることが分かりましたので駅で撮影することにします。

長野行きの列車は3500系の2両編成でした。

続いてきた湯田中行きは、再びマルーンの2000系です。
予想していなかったので、変な位置からの撮影となってしまいました。
この湯田中行き列車がが湯田中駅で折り返すと、特急の運用に入るようなので夜間瀬橋梁まで戻ります。
夜間瀬橋梁で待ち構えている間、明るくなったり暗くなったりを繰り返すすっきりしない天気です。

とにかく雪の残る山をバックに待っていましたが、列車が来た時はタイミングが悪く暗くなった時でした。
こういう場合、暗い色の車両は全然目立ちません。
2007年03月12日
雪を探しに長野電鉄へ その1
3月2日のブログでも触れましたが、その日は長野電鉄を撮影しに出掛けました。
最初に寄ってみた場所は村山駅です。
この駅は、長野電鉄では有名な道路と鉄道の併用橋である村山橋の最寄り駅になり、ちょっと様子を見るために寄ったのでした。
村山駅で列車の時刻を確認するため、持ってきた時刻表を見ます。
良く見ると東京時刻表と書いてありました。
私鉄時刻表を持ってきたつもりだったのですけど…。間抜けですね。
仕方ないので村山駅を覗いて列車時刻を確認すると、すぐに上下の普通列車の交換があるようです。
駅の脇で構えていると、茶色い車両がやってきました。
マルーンに塗り直された2000系が普通列車の運用でやって来たのです。

マルーンの2000系も目的の一つだったので、幸先が良い感じです。
続いて村山橋を見に行きます。
村山橋は、村山駅と長野寄りの柳原駅との間の千曲川に架けられており、1926年と大正時代に完成しています。
当時、長野電鉄は千曲川を渡るために長大な橋梁が必要となり架設費用を安く上げるために、長野県に県道の長野~須坂線との供用橋を提案してそれが受け入れられ完成しました。
費用も長野県が6割、長野電鉄が4割をそれぞれ負担しています。
道路はその後、県道から国道406号線に格上げとなっており、交通量も増えたため橋の架け替えが行われることになったのです。
新しい橋は、古い橋が片側1車線ずつの道路だったのを、片側2車線ずつの道路として2004年8月に1期工事が完成し、上り線のみの新橋が開通しています。
鉄道と下り線は旧橋を使用していますが、2期工事が完成するまでとなり、その予定は2010年となっています。
旧橋の長さは814.2mであり、長野電鉄では一番長い橋です。

この朝早い時間帯は、車と列車を一緒に撮影する定番の写真を撮るには逆光になってしまうので、千曲川の反対側の土手から撮影しています。
最初に寄ってみた場所は村山駅です。
この駅は、長野電鉄では有名な道路と鉄道の併用橋である村山橋の最寄り駅になり、ちょっと様子を見るために寄ったのでした。
村山駅で列車の時刻を確認するため、持ってきた時刻表を見ます。
良く見ると東京時刻表と書いてありました。
私鉄時刻表を持ってきたつもりだったのですけど…。間抜けですね。
仕方ないので村山駅を覗いて列車時刻を確認すると、すぐに上下の普通列車の交換があるようです。
駅の脇で構えていると、茶色い車両がやってきました。
マルーンに塗り直された2000系が普通列車の運用でやって来たのです。

マルーンの2000系も目的の一つだったので、幸先が良い感じです。
続いて村山橋を見に行きます。
村山橋は、村山駅と長野寄りの柳原駅との間の千曲川に架けられており、1926年と大正時代に完成しています。
当時、長野電鉄は千曲川を渡るために長大な橋梁が必要となり架設費用を安く上げるために、長野県に県道の長野~須坂線との供用橋を提案してそれが受け入れられ完成しました。
費用も長野県が6割、長野電鉄が4割をそれぞれ負担しています。
道路はその後、県道から国道406号線に格上げとなっており、交通量も増えたため橋の架け替えが行われることになったのです。
新しい橋は、古い橋が片側1車線ずつの道路だったのを、片側2車線ずつの道路として2004年8月に1期工事が完成し、上り線のみの新橋が開通しています。
鉄道と下り線は旧橋を使用していますが、2期工事が完成するまでとなり、その予定は2010年となっています。
旧橋の長さは814.2mであり、長野電鉄では一番長い橋です。

この朝早い時間帯は、車と列車を一緒に撮影する定番の写真を撮るには逆光になってしまうので、千曲川の反対側の土手から撮影しています。
