2008年04月05日
鹿島鉄道廃線から1年 その5
最後に玉造町駅跡に立ち寄ってみました。

玉造町駅も駅舎は撤去されており、駅前のアスファルトだけがむなしく残っていました。

線路の方も撤去されており、構内は砂利の多い更地となっていました。
写真は鉾田方向を見た写真です。

反対の石岡方向の様子です。
左側には貨物ホームが見えています。
旅客用ホームが撤去されていた中で、貨物ホームだけが姿を残していました。
貨物ホームの上に建物が建っていたためと思われます。
(消防の建物だったような気がします)
今回の鹿島鉄道跡は、ついでだったために時間がなかったので、またそのうちゆっくり回ってみるつもりです。

玉造町駅も駅舎は撤去されており、駅前のアスファルトだけがむなしく残っていました。

線路の方も撤去されており、構内は砂利の多い更地となっていました。
写真は鉾田方向を見た写真です。

反対の石岡方向の様子です。
左側には貨物ホームが見えています。
旅客用ホームが撤去されていた中で、貨物ホームだけが姿を残していました。
貨物ホームの上に建物が建っていたためと思われます。
(消防の建物だったような気がします)
今回の鹿島鉄道跡は、ついでだったために時間がなかったので、またそのうちゆっくり回ってみるつもりです。
2008年04月04日
鹿島鉄道廃線から1年 その4
有名撮影地であった、浜~玉造町間の道路橋にも寄ってみました。

この地点はレールが残っており、草は若干伸びてはいますが、今にも列車がやってきそうな雰囲気は残っていました。
玉造町の方を見た様子です。

この場所は、霞ヶ浦を入れることが出来るので有名だった撮影地でした。
道路橋下の斜面で撮影する人が多かったため、列車が走っていた当時は簡単に上がることが出来たのですが、言ったときには雑草が伸びており、上がるのに一苦労でした。
霞ヶ浦は撮れても列車は二度とやって来ません。

同じ場所から少し左を向いて撮影した写真です。
この日の夕日は綺麗でした。
列車が来ればな~と思わずにはいられない景色です。

この地点はレールが残っており、草は若干伸びてはいますが、今にも列車がやってきそうな雰囲気は残っていました。
玉造町の方を見た様子です。

この場所は、霞ヶ浦を入れることが出来るので有名だった撮影地でした。
道路橋下の斜面で撮影する人が多かったため、列車が走っていた当時は簡単に上がることが出来たのですが、言ったときには雑草が伸びており、上がるのに一苦労でした。
霞ヶ浦は撮れても列車は二度とやって来ません。

同じ場所から少し左を向いて撮影した写真です。
この日の夕日は綺麗でした。
列車が来ればな~と思わずにはいられない景色です。
2008年04月03日
鹿島鉄道廃線から1年 その3
次は常陸小川駅跡までやって来ました。

旧貨物ホームのあったと思われる場所を撮影です。
見事に線路が剥がされて更地になっています。
剥がされたPC枕木がホームセンターの裏手に積まれていました。

比較用に、昨年の2月9日に撮影した貨物ホームの様子を再び載せておきます。
この時はまだDD901がありましたが、直後に解体されてしまっています。

構内から続いていた鉾田方面の線路もすっかり姿を消していました。

旧駅前広場から駅舎のあった方向の様子です。
駅舎もホームも線路もなくなっており、駅前広場のアスファルトだけが残っています。
正面にある木は、上りホーム側にあったもので、右側の木が駅舎の右にあった木です。

これも比較用の昨年2月9日現役当時の常陸小川駅駅舎です。

旧貨物ホームのあったと思われる場所を撮影です。
見事に線路が剥がされて更地になっています。
剥がされたPC枕木がホームセンターの裏手に積まれていました。

比較用に、昨年の2月9日に撮影した貨物ホームの様子を再び載せておきます。
この時はまだDD901がありましたが、直後に解体されてしまっています。

構内から続いていた鉾田方面の線路もすっかり姿を消していました。

旧駅前広場から駅舎のあった方向の様子です。
駅舎もホームも線路もなくなっており、駅前広場のアスファルトだけが残っています。
正面にある木は、上りホーム側にあったもので、右側の木が駅舎の右にあった木です。

これも比較用の昨年2月9日現役当時の常陸小川駅駅舎です。
2008年04月01日
鹿島鉄道廃線から1年 その2

旧鉾田駅のホームから石岡側を見た景色は廃止前と変わっていません。
先の方にKR-505が留置されています。
6月に来た時にはキハ601もこちら側に留置されていました。

ホームの端から見た旧鉾田駅の構内は線路がそのまま残っています。
この駅に留置された車両は3両あったのですが、キハ431が消えています。
キハ431は鹿島鉄道保存会で購入され、小美玉市の鹿島鉄道記念館にキハ714、KR-501と一緒に保存されたようです。
鹿島鉄道記念館はまだ非公開のようなので、公開されたら見に行ってみようと思います。

旧鉾田駅に残っているKR-505とキハ601の2両です。
こちらの車両は鉾田駅保存会が購入して、動態保存の形になっており、3月29日にもイベントが開催されたようです。
2008年03月31日
鹿島鉄道廃線から1年 その1
今日、3月31日の運行を持って三木鉄道、島原鉄道島原外港~加津佐間が廃止となります。
毎年この時期になるとローカル線の廃止が行われ、興味のある線路が消えてしまっています。
一年前は、鹿島鉄道の最終日に立ち会って最後の乗車をしていました。
今回は茨城交通湊線の撮影後、約1年経った鹿島鉄道を少しだけ見てきた時の話です。

旧鉾田駅には昨年の6月にもやって来ています。
すでにその時点では駅舎が解体された後で、線路とホームだけが残された状態でしたが、今回もその状態は変わっていません。
変わっていたのは、車両が留置されている場所、今回キハ601は鉾田駅の車止めがあった線路終端部に留置されていました。

鹿島鉄道が営業していた、レンタ&サイクルの看板も残っていました。
ちょうど駅舎から構内踏切を渡ると正面にあった看板でした。

残っているホームから見たキハ601です。
現役時代だとこの位置まで車両が入ることは、よほどの時でないとありませんでした。
毎年この時期になるとローカル線の廃止が行われ、興味のある線路が消えてしまっています。
一年前は、鹿島鉄道の最終日に立ち会って最後の乗車をしていました。
今回は茨城交通湊線の撮影後、約1年経った鹿島鉄道を少しだけ見てきた時の話です。

旧鉾田駅には昨年の6月にもやって来ています。
すでにその時点では駅舎が解体された後で、線路とホームだけが残された状態でしたが、今回もその状態は変わっていません。
変わっていたのは、車両が留置されている場所、今回キハ601は鉾田駅の車止めがあった線路終端部に留置されていました。

鹿島鉄道が営業していた、レンタ&サイクルの看板も残っていました。
ちょうど駅舎から構内踏切を渡ると正面にあった看板でした。

残っているホームから見たキハ601です。
現役時代だとこの位置まで車両が入ることは、よほどの時でないとありませんでした。
2007年07月11日
廃止後の鹿島鉄道鉾田駅
茨城交通撮影からの帰り道は廃線となった鹿島鉄道の鉾田駅に立ち寄りました。
廃止後の様子を見るのと、まだたい焼き屋が営業していると聞いていたのでたい焼きを買うためです。

現地に着くと鉾田駅の駅舎はすっかり消えて砂利だけが広がっていました。
鹿島鉄道自体が取り壊すと言っていたのですが、やはり関東の駅百選に選ばれるだけの特徴を持っていたので、もったいない気がしました。

ホームは残っていました。
その向こうには気動車が留置されています。

留置されているのは3両。
最終日の全線最終列車として乗車したキハ431とKR-505及びキハ601です。
いたずら防止対策として防犯カメラが目を光らせていました。

ホーム側から見た駅舎のあった方向です。
駅舎は6月9日から解体工事に入って取り壊されています。
もっとも備品や旧材などを再利用し駅舎を復元して、留置されている車両3両と共に保存施設となる計画があるようなので、うまく復活を期待します。
廃止後の様子を見るのと、まだたい焼き屋が営業していると聞いていたのでたい焼きを買うためです。

現地に着くと鉾田駅の駅舎はすっかり消えて砂利だけが広がっていました。
鹿島鉄道自体が取り壊すと言っていたのですが、やはり関東の駅百選に選ばれるだけの特徴を持っていたので、もったいない気がしました。

ホームは残っていました。
その向こうには気動車が留置されています。

留置されているのは3両。
最終日の全線最終列車として乗車したキハ431とKR-505及びキハ601です。
いたずら防止対策として防犯カメラが目を光らせていました。

ホーム側から見た駅舎のあった方向です。
駅舎は6月9日から解体工事に入って取り壊されています。
もっとも備品や旧材などを再利用し駅舎を復元して、留置されている車両3両と共に保存施設となる計画があるようなので、うまく復活を期待します。
2007年04月19日
鹿島鉄道最終日 その10
今日も最終日の石岡駅の様子の続き。
20時頃の様子です。

昨日のブログと同じ列車のキハ432。
ホームは1両半分しか屋根がないため、階段側に比べるとこちらの方は人が少ないのでした。
このホームから発車する列車もこの列車を入れて残り4本です。

石岡機関区には既に営業運転が終わってしまった、キハ714が停まっています。
この場所に移動してエンジンを停止させた時には寂しい感覚を覚えました。

ホーム待合室の裏側上部には、イベント列車で使用したヘッドマークが4枚掲出されていました。
この後、石岡駅のホームで約2時間過ごして、4月1日のブログでの最終列車への乗車となりました。
20時頃の様子です。

昨日のブログと同じ列車のキハ432。
ホームは1両半分しか屋根がないため、階段側に比べるとこちらの方は人が少ないのでした。
このホームから発車する列車もこの列車を入れて残り4本です。

石岡機関区には既に営業運転が終わってしまった、キハ714が停まっています。
この場所に移動してエンジンを停止させた時には寂しい感覚を覚えました。

ホーム待合室の裏側上部には、イベント列車で使用したヘッドマークが4枚掲出されていました。
この後、石岡駅のホームで約2時間過ごして、4月1日のブログでの最終列車への乗車となりました。
2007年04月18日
鹿島鉄道最終日 その9
今日でブログがスタートして丁度1年となりました。
飽きっぽい私がよく続けられたと感心しております。
これからも続くと思われますので、お暇な方は見てやって下さい。
今日のネタは、鹿島鉄道最終日の夜の石岡駅で見ていた光景です。

石岡駅はJRと改札口は共有となっており、改札口を通ってJRのホームに出て、跨線橋を渡って鹿島鉄道のホームに移動する形となっていました。
写真はその跨線橋の端にある、鹿島鉄道線乗り場を示す看板です。

上の看板を見て左に曲がると鹿島鉄道のホームです。
さすがに最終日の夜だけあって、階段の途中まで人が溢れていました。

石岡駅の駅名標とキハ431です。
乗る人、撮る人、見送る人でごった返している状態です。
この駅名標ともこの日がお別れになりました。
このキハ431が下り列車として発車して、再び石岡駅に戻って来ると、私達が乗車した全線通しの最終営業列車となるのでした。
飽きっぽい私がよく続けられたと感心しております。
これからも続くと思われますので、お暇な方は見てやって下さい。
今日のネタは、鹿島鉄道最終日の夜の石岡駅で見ていた光景です。

石岡駅はJRと改札口は共有となっており、改札口を通ってJRのホームに出て、跨線橋を渡って鹿島鉄道のホームに移動する形となっていました。
写真はその跨線橋の端にある、鹿島鉄道線乗り場を示す看板です。

上の看板を見て左に曲がると鹿島鉄道のホームです。
さすがに最終日の夜だけあって、階段の途中まで人が溢れていました。

石岡駅の駅名標とキハ431です。
乗る人、撮る人、見送る人でごった返している状態です。
この駅名標ともこの日がお別れになりました。
このキハ431が下り列車として発車して、再び石岡駅に戻って来ると、私達が乗車した全線通しの最終営業列車となるのでした。
2007年04月17日
鹿島鉄道最終日 その8
17時頃にG氏と合流のため石岡駅に到着です。
石岡機関区の構内を覗くと車両がいなくて広々としていました。

2月の撮影ではカラフルな車両群が、機関車も入れて8両もいたのですが、この日は全車両を使用して2両編成での運行となっており、機関車も売却後だったのでした。
既に明日以降の姿を見ているような感覚でした。

構内を撮影中していると列車が到着しました。
寂しい機関区構内と違い、ホームの上は乗る人、撮る人で賑わっていました。
石岡機関区の構内を覗くと車両がいなくて広々としていました。

2月の撮影ではカラフルな車両群が、機関車も入れて8両もいたのですが、この日は全車両を使用して2両編成での運行となっており、機関車も売却後だったのでした。
既に明日以降の姿を見ているような感覚でした。

構内を撮影中していると列車が到着しました。
寂しい機関区構内と違い、ホームの上は乗る人、撮る人で賑わっていました。
2007年04月16日
鹿島鉄道最終日 その7
今年は暖冬でしたので、桜の開花が早くなり鹿島鉄道の最後の頃に間に合うと思っていました。
途中で寒い日もあったりので、さすがに満開とはなりませんでしたが、何とか桜は咲いてくれました。

桜が咲く駅として有名な東田中駅には、桜と列車を絡めての撮影を考えている人が集まっていました。
実際の桜の状態は写真の通りで、ぱらぱらと咲いています。

時間的には上り列車が来る時間でしたが、石岡側から下り列車がやってきたのです。

やっと咲き始めた桜とキハ714を撮影です。
途中で寒い日もあったりので、さすがに満開とはなりませんでしたが、何とか桜は咲いてくれました。

桜が咲く駅として有名な東田中駅には、桜と列車を絡めての撮影を考えている人が集まっていました。
実際の桜の状態は写真の通りで、ぱらぱらと咲いています。

時間的には上り列車が来る時間でしたが、石岡側から下り列車がやってきたのです。

やっと咲き始めた桜とキハ714を撮影です。
2007年04月12日
鹿島鉄道最終日 その6
榎本駅にも立ち寄ることになり駅前広場の一角に車を停めます。
列車が来る時間ではないので、駅にある自動販売機でコーヒーを買っていると、列車がやってくるようでザワザワし始めました。
既に時刻表が役に立たない状態になっていました。

急遽カメラを出して、榎本駅の駅舎の窓からカメラを構えると、緑色のキハ431でした。

この列車も2両編成であり、同型車のキハ432とコンビを組んでいました。
やはりここにも多数のファンが集まっています。

榎本の駅舎内にはこんな広告が貼ってありました。
2月に来た時にも有ったのかな?
ちょっと食べてみたい気がしました。
列車が来る時間ではないので、駅にある自動販売機でコーヒーを買っていると、列車がやってくるようでザワザワし始めました。
既に時刻表が役に立たない状態になっていました。

急遽カメラを出して、榎本駅の駅舎の窓からカメラを構えると、緑色のキハ431でした。

この列車も2両編成であり、同型車のキハ432とコンビを組んでいました。
やはりここにも多数のファンが集まっています。

榎本の駅舎内にはこんな広告が貼ってありました。
2月に来た時にも有ったのかな?
ちょっと食べてみたい気がしました。
2007年04月11日
鹿島鉄道最終日 その5
借宿駅でキハ714+キハ602の石岡行きを見送った後、すぐに鉾田行きが来る時間になっていたので、駅の近くで咲いていた菜の花を入れて撮影するため列車を待つことにしました。
またまた列車が遅れているようで、定時を過ぎても全くやって来る気配がありません。
じたばたしてもしょうがないので、気長に待っていると、25分遅れで列車がやってきました。

この列車はKR-501+KR505の2連でした。
やはり車両が小さいためか、車内は大変混雑しています。

混雑が酷いため乗降に手間取っています。
なかなか車内に入れないようです。

列車の最後部のkR-505の運転台は完全に曇ってしまっていました。
サイドの窓もやはり曇っていたので、中の乗客はぎゅうぎゅう詰めの上景色を見ることも出来無かったのではないでしょうか?
乗車予定の最終列車が、こんな事にならないことを祈りながら見送りました。
またまた列車が遅れているようで、定時を過ぎても全くやって来る気配がありません。
じたばたしてもしょうがないので、気長に待っていると、25分遅れで列車がやってきました。

この列車はKR-501+KR505の2連でした。
やはり車両が小さいためか、車内は大変混雑しています。

混雑が酷いため乗降に手間取っています。
なかなか車内に入れないようです。

列車の最後部のkR-505の運転台は完全に曇ってしまっていました。
サイドの窓もやはり曇っていたので、中の乗客はぎゅうぎゅう詰めの上景色を見ることも出来無かったのではないでしょうか?
乗車予定の最終列車が、こんな事にならないことを祈りながら見送りました。
2007年04月10日
鹿島鉄道最終日 その4
小さな駅である借宿前駅にやってきました。
この付近の風景は関東ではあまり見掛けない風景が展開している場所でした。
また太い道路がないので、代替バスも借宿前駅は無視しています。
それだけ利用者が期待できない場所にあり、何回か鹿島鉄道を訪問していますが、平日の乗降客に会ったことがありませんでした。
そんな駅ですけど、さすがにこの日だけは違っていました。


この小さな駅の周辺にも20人近い人が撮影をしていました。

キハ714の先頭部を縦位置で撮影。
ただ単に広角レンズじゃ無いので、全体が入れられなかっただけですけどね。
この付近の風景は関東ではあまり見掛けない風景が展開している場所でした。
また太い道路がないので、代替バスも借宿前駅は無視しています。
それだけ利用者が期待できない場所にあり、何回か鹿島鉄道を訪問していますが、平日の乗降客に会ったことがありませんでした。
そんな駅ですけど、さすがにこの日だけは違っていました。


この小さな駅の周辺にも20人近い人が撮影をしていました。

キハ714の先頭部を縦位置で撮影。
ただ単に広角レンズじゃ無いので、全体が入れられなかっただけですけどね。
2007年04月08日
鹿島鉄道最終日 その3
昼食後、仮設住宅氏のリクエストで、小川高校下~桃浦間での撮影を行うことになりました。

小川高校下~桃浦間に10キロポストがあります。
この辺りは鹿島鉄道と霞ヶ浦が一番近くになる地点となっており、多くの人達がこの付近での撮影をしていました。

先ほど撮影したキハ714+キハ602が石岡から折り返して戻ってきました。
この列車にも多くの人が乗っているのが分かりました。

菜の花を揺らして走り去っていきました。
この先を少し行くと、桃浦駅になります。

小川高校下~桃浦間に10キロポストがあります。
この辺りは鹿島鉄道と霞ヶ浦が一番近くになる地点となっており、多くの人達がこの付近での撮影をしていました。

先ほど撮影したキハ714+キハ602が石岡から折り返して戻ってきました。
この列車にも多くの人が乗っているのが分かりました。

菜の花を揺らして走り去っていきました。
この先を少し行くと、桃浦駅になります。
2007年04月07日
鹿島鉄道最終日 その2
3月31日は、9時過ぎまでの仕事を終えてから、行徳でやはり朝まで仕事だった仮設住宅氏を拾って鹿島鉄道へ向かいました。
東関東自動車道を利用して大栄インターでおり、国道を走って行きました。
特に場所を決めて向かっていた訳ではなく、何となく桃浦駅に向かって走っていました。
桃浦駅には、D氏が朝から撮影をしているようです。
昼前にそのD氏からメールが入りました。
『たい焼き食べたい うぐぅ』といきなりネタをかましてます。
(私はゲームやらないけど意味は分かる)
朝からの撮影でお腹の空いたD氏は、鉾田駅にたい焼きを食べに行くことにしたようです。
確かに鉾田駅のたい焼きは美味しいですからね。
しばらくすると再びメールが入りました。
列車が混んでいて乗車を諦めた模様。
この列車はKR500形の2連だったようで、使用していない運転席部分にまで人を入れているような状態になっていたようです。
かなり近くまで来ていたので、桃浦駅で合流して昼食を食べようと言うことになりました。
浜~玉造町間の有名撮影ポイントである、国道の陸橋では道路の左右に三脚の列がずらりと並んでいました。
その先、対向車線からボンネットバスが走ってきました。
それも昔の国鉄バスのカラーリングです。
こちらの写真も撮りたいと思う貴重な物ですが、とりあえず見送りです。
桃浦駅に到着してD氏と合流する前に列車がやって来るのでとりあえず撮影に臨みます。
天気は曇り、疲れているためテンションも上がってきていません。
列車は遅れが出ているようで、本来の時刻を過ぎています。

10分ほどの遅れでキハ714+キハ602の2連が到着しました。
普段は単行で十分なのに、お名残乗車が多いための措置で2連運用のようです。

地元の方と思われる親子連れが、記念撮影をしながら列車を見に来ていました。

車内には多くの乗客が乗っています。
D氏は山手線のようだと感想を述べていました。
確かにこれは大混雑です。
特にKR500形の2連は車両が小さいため、混雑が激しかったようです。
東関東自動車道を利用して大栄インターでおり、国道を走って行きました。
特に場所を決めて向かっていた訳ではなく、何となく桃浦駅に向かって走っていました。
桃浦駅には、D氏が朝から撮影をしているようです。
昼前にそのD氏からメールが入りました。
『たい焼き食べたい うぐぅ』といきなりネタをかましてます。
(私はゲームやらないけど意味は分かる)
朝からの撮影でお腹の空いたD氏は、鉾田駅にたい焼きを食べに行くことにしたようです。
確かに鉾田駅のたい焼きは美味しいですからね。
しばらくすると再びメールが入りました。
列車が混んでいて乗車を諦めた模様。
この列車はKR500形の2連だったようで、使用していない運転席部分にまで人を入れているような状態になっていたようです。
かなり近くまで来ていたので、桃浦駅で合流して昼食を食べようと言うことになりました。
浜~玉造町間の有名撮影ポイントである、国道の陸橋では道路の左右に三脚の列がずらりと並んでいました。
その先、対向車線からボンネットバスが走ってきました。
それも昔の国鉄バスのカラーリングです。
こちらの写真も撮りたいと思う貴重な物ですが、とりあえず見送りです。
桃浦駅に到着してD氏と合流する前に列車がやって来るのでとりあえず撮影に臨みます。
天気は曇り、疲れているためテンションも上がってきていません。
列車は遅れが出ているようで、本来の時刻を過ぎています。

10分ほどの遅れでキハ714+キハ602の2連が到着しました。
普段は単行で十分なのに、お名残乗車が多いための措置で2連運用のようです。

地元の方と思われる親子連れが、記念撮影をしながら列車を見に来ていました。

車内には多くの乗客が乗っています。
D氏は山手線のようだと感想を述べていました。
確かにこれは大混雑です。
特にKR500形の2連は車両が小さいため、混雑が激しかったようです。
2007年04月01日
鹿島鉄道最終日 その1
昨日付けで、くりはら田園鉄道と鹿島鉄道が全線廃止となりました。
このうち鹿島鉄道の最終日の様子を見に行ってきたので報告です。
この日の鹿島鉄道は、最後に乗っておこうと考えるファンや地元の人で賑わっており、普段単行で走っている列車を2連として運転していましたが、東京の朝のラッシュ時のような混雑となっていました。
途中駅からの乗車が出来ない列車もあるような状態であり、線路ギリギリで撮影する人などもいて、各列車に遅れが生じていました。
いつもの仮設住宅氏とお仲間とに合流して、5人で最終列車に乗車する計画でした。
一番最後に運転される列車は、玉里発22時37分発の石岡行きが最後でしたが、私達は全線通して運転される最終列車である、石岡発21時32分発の鉾田行きを選択しました。
列車に乗っているM氏と合流するため、20時前に石岡駅に入り、何本かの列車の到着・出発を見ていました。
列車の遅れは時間が経つにつれ拡大していきました。
そんな中で、TV局の取材なども行われています。
ホームの先端の小屋ではグッズの販売も行われていました。

折り返して鉾田行きの最終になる列車が、22時03分に到着しました。
定時の到着は21時30分なので、33分遅れです。
列車の編成はキハ432とキハ431でした。
なんとか乗車に成功、席にもありつけました。

乗車したのは鉾田側先頭のキハ431です。
石岡駅では、ホームで花束贈呈などのセレモニーが行われているのですが、ホーム反対側のシートからは目の前の人しか見えない状態なので、何が行われているのかは分かりません。
そのうち、車内に見送り用の紙テープが数本渡され足りしているうちに出発です。
写真に写っている青い紙テープが最初に渡された紙テープです。
発車は22時15分頃、定時より約45分遅れでの発車です。
各駅で乗客と駅での見送りの人とであいさつや別れの言葉が交わされながら鉾田へ向けて進んでいきました。
小川高校下~桃浦間ではほとんどの人は気が付かなかったようですが、ハプニングが起きていました。
1両目と2両目の連結面に取り付けられていたヘッドマークが脱落して転落していったのです。
仮設住宅さんが目撃していたようです。
後で、拾いに行こうかとの話にもなりましたが、暗闇での捜索は面倒なのでやめました。

23時18分、定時に遅れること53分で鉾田駅に到着です。
駅には大勢の人が待っていました。

終点に到着したキハ431です。
これで鹿島鉄道とはお別れとなります。長い間、ご苦労様でした。
また後日、他の部分の報告をする予定です。
このうち鹿島鉄道の最終日の様子を見に行ってきたので報告です。
この日の鹿島鉄道は、最後に乗っておこうと考えるファンや地元の人で賑わっており、普段単行で走っている列車を2連として運転していましたが、東京の朝のラッシュ時のような混雑となっていました。
途中駅からの乗車が出来ない列車もあるような状態であり、線路ギリギリで撮影する人などもいて、各列車に遅れが生じていました。
いつもの仮設住宅氏とお仲間とに合流して、5人で最終列車に乗車する計画でした。
一番最後に運転される列車は、玉里発22時37分発の石岡行きが最後でしたが、私達は全線通して運転される最終列車である、石岡発21時32分発の鉾田行きを選択しました。
列車に乗っているM氏と合流するため、20時前に石岡駅に入り、何本かの列車の到着・出発を見ていました。
列車の遅れは時間が経つにつれ拡大していきました。
そんな中で、TV局の取材なども行われています。
ホームの先端の小屋ではグッズの販売も行われていました。

折り返して鉾田行きの最終になる列車が、22時03分に到着しました。
定時の到着は21時30分なので、33分遅れです。
列車の編成はキハ432とキハ431でした。
なんとか乗車に成功、席にもありつけました。

乗車したのは鉾田側先頭のキハ431です。
石岡駅では、ホームで花束贈呈などのセレモニーが行われているのですが、ホーム反対側のシートからは目の前の人しか見えない状態なので、何が行われているのかは分かりません。
そのうち、車内に見送り用の紙テープが数本渡され足りしているうちに出発です。
写真に写っている青い紙テープが最初に渡された紙テープです。
発車は22時15分頃、定時より約45分遅れでの発車です。
各駅で乗客と駅での見送りの人とであいさつや別れの言葉が交わされながら鉾田へ向けて進んでいきました。
小川高校下~桃浦間ではほとんどの人は気が付かなかったようですが、ハプニングが起きていました。
1両目と2両目の連結面に取り付けられていたヘッドマークが脱落して転落していったのです。
仮設住宅さんが目撃していたようです。
後で、拾いに行こうかとの話にもなりましたが、暗闇での捜索は面倒なのでやめました。

23時18分、定時に遅れること53分で鉾田駅に到着です。
駅には大勢の人が待っていました。

終点に到着したキハ431です。
これで鹿島鉄道とはお別れとなります。長い間、ご苦労様でした。
また後日、他の部分の報告をする予定です。
2007年03月06日
終わり近い鹿島鉄道へ その23
最後に再び鉾田駅にやってきました。
朝撮影したのが6時台。今の時間は16時40分。じっくり撮影していたら10時間以上経っていました。

改札口越しに見たKR-501です。

やり残した事というのは、この駅で入場券を買うのと、鯛焼きを食べることでした。
鯛焼きは、写真にもあるように駅の隣にある、小さな立ち食いそば屋で販売しています。
駅舎内部から繋がっているのでそちらからも買えます。
鯛焼きの中身は3種類ぐらいあるのですが、人気がある物は既に売り切れていました。
私は普通のあんこの鯛焼きをチョイス。こちらも十分美味しいです。

鉾田駅正面の様子。(仮設住宅氏撮影)
ちなみに、さよなら鹿島鉄道の全駅硬券入場券セットでも買おうと思ったらまだ販売前でした。
この後、鹿島臨海鉄道の新鉾田駅にも寄りましたが、こちらも全駅硬券入場券セットを買おうかと思ったら明日から販売とのことでした。
ちょっとタイミングが悪かったようです。
鹿島鉄道の廃線までまだ少しだけ時間が残されています。
何とかもう一度くらいは行きたいと思います。
朝撮影したのが6時台。今の時間は16時40分。じっくり撮影していたら10時間以上経っていました。

改札口越しに見たKR-501です。

やり残した事というのは、この駅で入場券を買うのと、鯛焼きを食べることでした。
鯛焼きは、写真にもあるように駅の隣にある、小さな立ち食いそば屋で販売しています。
駅舎内部から繋がっているのでそちらからも買えます。
鯛焼きの中身は3種類ぐらいあるのですが、人気がある物は既に売り切れていました。
私は普通のあんこの鯛焼きをチョイス。こちらも十分美味しいです。

鉾田駅正面の様子。(仮設住宅氏撮影)
ちなみに、さよなら鹿島鉄道の全駅硬券入場券セットでも買おうと思ったらまだ販売前でした。
この後、鹿島臨海鉄道の新鉾田駅にも寄りましたが、こちらも全駅硬券入場券セットを買おうかと思ったら明日から販売とのことでした。
ちょっとタイミングが悪かったようです。
鹿島鉄道の廃線までまだ少しだけ時間が残されています。
何とかもう一度くらいは行きたいと思います。
2007年03月05日
終わり近い鹿島鉄道へ その22
最後に鉾田駅に行く前にもう一駅寄っていたのを忘れてました。
忘れていた駅は坂戸駅。
この駅も片側ホームの簡単な構造の駅です。

この駅は車で行くのは難しい場所にありますので、近所の人しか使わないと思われます。

この駅もホームの上に待合室があるだけであり、待合室も他の駅と似ており、特に特徴はない駅です。

写真は坂戸駅至近の踏切です。(仮設住宅氏撮影)
1枚目の写真はこの場所から撮っています。
この踏切は狭くて車は通ることが出来ません。
忘れていた駅は坂戸駅。
この駅も片側ホームの簡単な構造の駅です。

この駅は車で行くのは難しい場所にありますので、近所の人しか使わないと思われます。

この駅もホームの上に待合室があるだけであり、待合室も他の駅と似ており、特に特徴はない駅です。

写真は坂戸駅至近の踏切です。(仮設住宅氏撮影)
1枚目の写真はこの場所から撮っています。
この踏切は狭くて車は通ることが出来ません。
2007年03月04日
終わり近い鹿島鉄道へ その21
次にやってきたのは巴川駅です。
この駅は交換可能駅で、島式ホームを持っています。

先ほどのKR-503が鉾田駅から折り返してきました。
だいぶ薄暗くなってきていたので、動いている物を撮るのは厳しくなっています。

巴川駅を出発していく列車です。
この駅には私達の他にも2名が撮影に来ていました。

写真は駅の石岡側を撮っています。
この駅の撮影で、鹿島鉄道の全駅の撮影を完了しましたが、やり残したことがあるので再び鉾田駅に向かいます。
この駅は交換可能駅で、島式ホームを持っています。

先ほどのKR-503が鉾田駅から折り返してきました。
だいぶ薄暗くなってきていたので、動いている物を撮るのは厳しくなっています。

巴川駅を出発していく列車です。
この駅には私達の他にも2名が撮影に来ていました。

写真は駅の石岡側を撮っています。
この駅の撮影で、鹿島鉄道の全駅の撮影を完了しましたが、やり残したことがあるので再び鉾田駅に向かいます。
2007年03月03日
終わり近い鹿島鉄道へ その20
今日は大糸(北)線のキハ52を撮りに行ってました。
天気が晴れたり曇ったりで、こっちのテンションも上がったり下がったりです。
交換をしなくなっていた平岩駅・小滝駅は、線路も剥がされてしまっていましたので、大糸(北)線の交換可能駅は、根知駅と赤土駅だけになってしまいました。
ちょっと前までシュプール号などの臨時列車も入っていたのに、どんどん衰退していく感じです。
ここから先は今日も鹿島鉄道ネタの続きです。
次に立ち寄ったのは借宿前駅です。
この駅も交換の出来ない簡単な構造の駅でした。

写真はホーム上の待合室を鉾田の方向を向いて撮影しています。

この駅での撮影をしていると鉾田行きの列車がやってきました。
今度来たのは緑色の帯を巻いたKR-503です。
この車両が撮影できたため、今回の撮影行では鹿島鉄道に所属する全旅客車両の運用に付いている姿を撮影することが出来たのでした。
全部の車両が運用されるのは中々無いような気がしますのでラッキーだったのではないでしょうか。

駅の近くには電話の端子があります。
携帯電話や無線が普及する前は電話機を端子に差し込んで、連絡を取っていたのでした。
今でも使用しているのかは不明です。
天気が晴れたり曇ったりで、こっちのテンションも上がったり下がったりです。
交換をしなくなっていた平岩駅・小滝駅は、線路も剥がされてしまっていましたので、大糸(北)線の交換可能駅は、根知駅と赤土駅だけになってしまいました。
ちょっと前までシュプール号などの臨時列車も入っていたのに、どんどん衰退していく感じです。
ここから先は今日も鹿島鉄道ネタの続きです。
次に立ち寄ったのは借宿前駅です。
この駅も交換の出来ない簡単な構造の駅でした。

写真はホーム上の待合室を鉾田の方向を向いて撮影しています。

この駅での撮影をしていると鉾田行きの列車がやってきました。
今度来たのは緑色の帯を巻いたKR-503です。
この車両が撮影できたため、今回の撮影行では鹿島鉄道に所属する全旅客車両の運用に付いている姿を撮影することが出来たのでした。
全部の車両が運用されるのは中々無いような気がしますのでラッキーだったのではないでしょうか。

駅の近くには電話の端子があります。
携帯電話や無線が普及する前は電話機を端子に差し込んで、連絡を取っていたのでした。
今でも使用しているのかは不明です。
2007年03月02日
終わり近い鹿島鉄道へ その19
今日は長野電鉄撮影のため長野県にいます。
なぜ長野かと言うと。この冬スタッドレスタイヤを買ったのに全然雪が降らないので雪があるところに行きたかったのでした。
でも、長野電鉄沿線にも雪が無い~。
今シーズンのスタッドレスは無駄に終わりそうです。
それでは鹿島鉄道ネタの続きです。
次にやってきたのは榎本駅。
以前この駅には鹿島鉄道の重要な財源の一つであった、自衛隊百里基地へのジェット燃料輸送の貨物列車が到着していたのでした。
ジェット燃料を積んだタンク車が到着すると、駅の隣にある施設で燃料を降ろします。
施設から百里基地まではパイプラインで結ばれており、燃料を流していたのですが、ネタの最初の頃に触れた通り、パイプラインの老朽化により直接基地に燃料が輸送されるようになり、貨物列車は廃止となってしまいました。

榎本駅の駅舎です。
構造は桃浦駅と似ています。
貨物取り扱いがあったため、昔は駅員が配置されていた名残があります。

榎本駅は貨物扱いのため、多くの側線を持っています。
左のフェンスの向こう側が、ジェット燃料輸送用の施設でした。

その施設は防衛省の施設として残っており、厳重な体制で立ち入りを禁じていました。
鉄条網がぐるぐると輪を描き、侵入者を拒んでいます。
鉄道の廃止後、鉄道施設と防衛省施設、どっちが先に無くなるのでしょうか?
なぜ長野かと言うと。この冬スタッドレスタイヤを買ったのに全然雪が降らないので雪があるところに行きたかったのでした。
でも、長野電鉄沿線にも雪が無い~。
今シーズンのスタッドレスは無駄に終わりそうです。
それでは鹿島鉄道ネタの続きです。
次にやってきたのは榎本駅。
以前この駅には鹿島鉄道の重要な財源の一つであった、自衛隊百里基地へのジェット燃料輸送の貨物列車が到着していたのでした。
ジェット燃料を積んだタンク車が到着すると、駅の隣にある施設で燃料を降ろします。
施設から百里基地まではパイプラインで結ばれており、燃料を流していたのですが、ネタの最初の頃に触れた通り、パイプラインの老朽化により直接基地に燃料が輸送されるようになり、貨物列車は廃止となってしまいました。

榎本駅の駅舎です。
構造は桃浦駅と似ています。
貨物取り扱いがあったため、昔は駅員が配置されていた名残があります。

榎本駅は貨物扱いのため、多くの側線を持っています。
左のフェンスの向こう側が、ジェット燃料輸送用の施設でした。

その施設は防衛省の施設として残っており、厳重な体制で立ち入りを禁じていました。
鉄条網がぐるぐると輪を描き、侵入者を拒んでいます。
鉄道の廃止後、鉄道施設と防衛省施設、どっちが先に無くなるのでしょうか?
2007年03月01日
終わり近い鹿島鉄道へ その18
昨日の編集長敬白を見て思わず「何ぃー!」と声が出てしまいました。
26日に常陸小川駅にいたDD901が解体されてしまったのです。
鹿島鉄道の廃止後はどこかで保存されると思っていただけにびっくりしたと共に残念です。
それではネタの続きです。
次は浜駅にやってきました。
鹿島神宮への参拝客輸送のために開業した鹿島参宮鉄道は、この駅まで列車に乗ってきた乗客を船で鹿島神宮まで輸送していたのでした。
当時は駅のすぐ近くに船着き場があったようですが、今はその痕跡は残っていません。

ホームは片面しかない行き違いの出来ない構造ですが、昔は交換が可能だったのでした。
駅に入る直前の線路が不自然に曲がっているのがその名残です。

写真は浜駅の鉾田側です。
この先で右にカーブした線路を国道が跨いでいきます。
その地点が午前中霞ヶ浦をバックに撮影していた場所です。

鉾田行きの列車が到着しました。
赤色の帯のKR-502でした。
26日に常陸小川駅にいたDD901が解体されてしまったのです。
鹿島鉄道の廃止後はどこかで保存されると思っていただけにびっくりしたと共に残念です。
それではネタの続きです。
次は浜駅にやってきました。
鹿島神宮への参拝客輸送のために開業した鹿島参宮鉄道は、この駅まで列車に乗ってきた乗客を船で鹿島神宮まで輸送していたのでした。
当時は駅のすぐ近くに船着き場があったようですが、今はその痕跡は残っていません。

ホームは片面しかない行き違いの出来ない構造ですが、昔は交換が可能だったのでした。
駅に入る直前の線路が不自然に曲がっているのがその名残です。

写真は浜駅の鉾田側です。
この先で右にカーブした線路を国道が跨いでいきます。
その地点が午前中霞ヶ浦をバックに撮影していた場所です。

鉾田行きの列車が到着しました。
赤色の帯のKR-502でした。
2007年02月28日
終わり近い鹿島鉄道へ その17
次にやってきたのは八木蒔駅。
田んぼの中の小川高校下駅とはうって変わり、切り通しの中のカーブした上、勾配の途中の駅です。

写真は八木蒔駅の様子。
鉾田の方を向いて撮影しています。

ホームの上の時刻表と待合室です。
ここの時刻表は、他の駅にもありましたが、漢数字の縦書きとなっており、現代では、珍しい物になっています。
鹿島参宮鉄道時代の書き方が、そのまま踏襲されたようです。

この駅の撮影中には列車は来ませんでしたが、畑に行くおばちゃんが通過していきました。
田んぼの中の小川高校下駅とはうって変わり、切り通しの中のカーブした上、勾配の途中の駅です。

写真は八木蒔駅の様子。
鉾田の方を向いて撮影しています。

ホームの上の時刻表と待合室です。
ここの時刻表は、他の駅にもありましたが、漢数字の縦書きとなっており、現代では、珍しい物になっています。
鹿島参宮鉄道時代の書き方が、そのまま踏襲されたようです。

この駅の撮影中には列車は来ませんでしたが、畑に行くおばちゃんが通過していきました。
2007年02月27日
終わり近い鹿島鉄道へ その16
次に来たのは小川高校下駅です。
この駅は1988年4月1日に開業した新しい駅であり、名前の通り近くにある小川高校の通学の便を図るために開設されました。

ホームの裏側には、かしてつ応援団が描いた「未来へ走れ鹿島鉄道」のイラストがあります。
昔はただのコンクリートの壁でしたのでカラフルになっています。

写真は石岡方向を見ています。
隣の駅である常陸小川駅が見えます。
駅間は700mと近いです。
以前はホームの屋根の手前側の柱の前に自動販売機がありました。
でもかなりいたずらされて荒廃した駅だった記憶があります。
久しぶりに寄った今回は、時刻表共々撤去されてしまっていました。

今度は反対側の鉾田方向です。
この駅の周りは田んぼしかありません。
この駅は1988年4月1日に開業した新しい駅であり、名前の通り近くにある小川高校の通学の便を図るために開設されました。

ホームの裏側には、かしてつ応援団が描いた「未来へ走れ鹿島鉄道」のイラストがあります。
昔はただのコンクリートの壁でしたのでカラフルになっています。

写真は石岡方向を見ています。
隣の駅である常陸小川駅が見えます。
駅間は700mと近いです。
以前はホームの屋根の手前側の柱の前に自動販売機がありました。
でもかなりいたずらされて荒廃した駅だった記憶があります。
久しぶりに寄った今回は、時刻表共々撤去されてしまっていました。

今度は反対側の鉾田方向です。
この駅の周りは田んぼしかありません。
2007年02月26日
終わり近い鹿島鉄道へ その15
600m移動してやってきたのは新高浜駅。
東京駅の京葉線ホームから地上のホームへ移動する方が、よっぽど時間掛かります。

新高浜駅も直線上にホームがあるだけのシンプルな駅でした。

写真は駅から石岡方面を見たところです。

ホームの上には屋根のある部分にイスがあるだけでした。
東京駅の京葉線ホームから地上のホームへ移動する方が、よっぽど時間掛かります。

新高浜駅も直線上にホームがあるだけのシンプルな駅でした。

写真は駅から石岡方面を見たところです。

ホームの上には屋根のある部分にイスがあるだけでした。
2007年02月25日
終わり近い鹿島鉄道へ その14
次に寄った駅は玉里駅です。
この駅は相対式のホームを持つ交換駅です。
早朝と深夜帯は区間列車がこの駅と石岡との間を結んでいます。

写真は下りホーム上にある待合室の内部です。

先ほど東田中駅で撮影したキハ601が石岡駅で折り返してきました。
この駅と東田中駅の間は1.1キロ、反対側の新高浜駅までは更に短く0.6キロとなっています。
石岡駅から新高浜駅までは駅間距離が短く、直線区間の駅は隣の駅に停車中の列車が分かります。

玉里駅の様子を石岡の方を向いて撮影しています。
この駅は1988年の開業ですが、それ以前の1971年に玉里信号場として設置されています。
昔は現在と違って駅が少なく駅間距離も長かったのでした。
この駅は相対式のホームを持つ交換駅です。
早朝と深夜帯は区間列車がこの駅と石岡との間を結んでいます。

写真は下りホーム上にある待合室の内部です。

先ほど東田中駅で撮影したキハ601が石岡駅で折り返してきました。
この駅と東田中駅の間は1.1キロ、反対側の新高浜駅までは更に短く0.6キロとなっています。
石岡駅から新高浜駅までは駅間距離が短く、直線区間の駅は隣の駅に停車中の列車が分かります。

玉里駅の様子を石岡の方を向いて撮影しています。
この駅は1988年の開業ですが、それ以前の1971年に玉里信号場として設置されています。
昔は現在と違って駅が少なく駅間距離も長かったのでした。
2007年02月24日
終わり近い鹿島鉄道へ その13
次は東田中駅に寄ります。
この駅は直線上にホームがあるだけの単純な駅でした。


写真は石岡方面を見たところ。
左のフェンスの向こうは運動公園になっています。
このフェンス沿いに桜の木が植えてあり、春になると桜と絡めて撮影が出来ました。
今年は桜の開花が早そうなので廃止前に撮れるかもしれませんね。

東田中駅に上り石岡行きのキハ601が到着します。
運動公園からの撮影です。
この駅は直線上にホームがあるだけの単純な駅でした。


写真は石岡方面を見たところ。
左のフェンスの向こうは運動公園になっています。
このフェンス沿いに桜の木が植えてあり、春になると桜と絡めて撮影が出来ました。
今年は桜の開花が早そうなので廃止前に撮れるかもしれませんね。

東田中駅に上り石岡行きのキハ601が到着します。
運動公園からの撮影です。
2007年02月23日
終わり近い鹿島鉄道へ その12
次にやってきたのは石岡南台駅。
この駅の開設は1989年6月16日。住宅都市整備公団による宅地開発として南台ニュータウンが出来、その玄関口として作られています。
鹿島鉄道では一番新しい駅でした。
線路は位置は対向式ホームを持つ交換可能駅です。

この駅は最初から無人駅として開設しているので駅舎はありませんが、ニュータウンの玄関口として近代的なデザインをしています。

写真は下りホームの駅名標と待合室です。

下りホームに停車中のKR-505です。
この駅のすぐ後ろに立派な家が建っています。
この石岡南台駅が出来たことにより、乗車人数は増えたのですが、石岡までの距離が近いため、収入はそんなに多くならなかったのです。
もう少し遠くにニュータウンができていれば違った結果が出ていたかもしれませんね。
この駅の開設は1989年6月16日。住宅都市整備公団による宅地開発として南台ニュータウンが出来、その玄関口として作られています。
鹿島鉄道では一番新しい駅でした。
線路は位置は対向式ホームを持つ交換可能駅です。

この駅は最初から無人駅として開設しているので駅舎はありませんが、ニュータウンの玄関口として近代的なデザインをしています。

写真は下りホームの駅名標と待合室です。

下りホームに停車中のKR-505です。
この駅のすぐ後ろに立派な家が建っています。
この石岡南台駅が出来たことにより、乗車人数は増えたのですが、石岡までの距離が近いため、収入はそんなに多くならなかったのです。
もう少し遠くにニュータウンができていれば違った結果が出ていたかもしれませんね。
2007年02月22日
終わり近い鹿島鉄道へ その11
今日は鹿島鉄道ネタの続きです。
次に寄ったのは機関区のある石岡駅、JR常磐線との接続駅です。
駅舎自体はJRと共用しており鹿島鉄道単独ではありません。
一日乗車券などは、鹿島鉄道のホーム上で販売しています。
車両に目を向けると、ここの石岡機関区には色々な車両達がいます。
近年の塗装変更でかなりカラフルです。

構内には赤く塗られた機関車が2両います。
写真の方は機関車扱いではなく実際は保線用の機械扱いとなっていたと思います。
昔は玉造町駅の側線で良く見掛けた気がします。



石岡機関区の様子です。
駅の上に架かる陸橋の上から手軽に撮影可能です。
次に寄ったのは機関区のある石岡駅、JR常磐線との接続駅です。
駅舎自体はJRと共用しており鹿島鉄道単独ではありません。
一日乗車券などは、鹿島鉄道のホーム上で販売しています。
車両に目を向けると、ここの石岡機関区には色々な車両達がいます。
近年の塗装変更でかなりカラフルです。

構内には赤く塗られた機関車が2両います。
写真の方は機関車扱いではなく実際は保線用の機械扱いとなっていたと思います。
昔は玉造町駅の側線で良く見掛けた気がします。



石岡機関区の様子です。
駅の上に架かる陸橋の上から手軽に撮影可能です。
2007年02月20日
終わり近い鹿島鉄道へ その10
次にやってきたのは四箇村駅です。
石岡方面に向かう道路がすぐ横を通っています。
行き違い駅ではないので構造は単純です。

ホーム上には駅名標と時刻表、待合室があるだけです。

少し離れたところから見た四箇村駅。
奥が石岡方面です。

駅脇の踏切には列車の運行を見守り続けたお地蔵様がありました。
やってきた列車はキハ601。
こちらの車両は1936年川崎車両で製造されたキハ0729が前身です。
石岡方面に向かう道路がすぐ横を通っています。
行き違い駅ではないので構造は単純です。

ホーム上には駅名標と時刻表、待合室があるだけです。

少し離れたところから見た四箇村駅。
奥が石岡方面です。

駅脇の踏切には列車の運行を見守り続けたお地蔵様がありました。
やってきた列車はキハ601。
こちらの車両は1936年川崎車両で製造されたキハ0729が前身です。
2007年02月19日
終わり近い鹿島鉄道へ その9
次にやってきたのは常陸小川駅。
鹿島鉄道の中でも主要駅であるこの駅は、交換可能駅であり、石岡~常陸小川間の区間列車の折り返しも行われます。
駅の構内は貨物ホームも残っており貨物輸送が行われていた証拠になっています。
下の写真を見てもらえば分かると思いますが、多くの側線を持った駅です。

その貨物ホームの隣の線には、廃車となったDD901号ディーゼル機関車が留置保存されています。
貨物ホーム橋にはシャロン式の連結器が往時の貨車留置のために付けられています。
今回行った時には鹿島鉄道全体で鉄道敷地内での撮影を禁止としており、貨物ホームへの立ち入りもロープが張られていました。
この時は入場券を買ったこともあってか、貨物ホームに入って撮影して良いよとのことでしたが、逆光なのでまともな写真になりませんでした。

昔の風景を残す改札口。
最近は自動改札ばかりだから貴重なのですが、ここの役目も後わずか。

旧小川町の中心の常陸小川駅の駅舎。
それなりに人の姿を見掛けていますので、もっと人がいないローカル線もあるのに無理なのかな~と思いました。
鹿島鉄道の中でも主要駅であるこの駅は、交換可能駅であり、石岡~常陸小川間の区間列車の折り返しも行われます。
駅の構内は貨物ホームも残っており貨物輸送が行われていた証拠になっています。
下の写真を見てもらえば分かると思いますが、多くの側線を持った駅です。

その貨物ホームの隣の線には、廃車となったDD901号ディーゼル機関車が留置保存されています。
貨物ホーム橋にはシャロン式の連結器が往時の貨車留置のために付けられています。
今回行った時には鹿島鉄道全体で鉄道敷地内での撮影を禁止としており、貨物ホームへの立ち入りもロープが張られていました。
この時は入場券を買ったこともあってか、貨物ホームに入って撮影して良いよとのことでしたが、逆光なのでまともな写真になりませんでした。

昔の風景を残す改札口。
最近は自動改札ばかりだから貴重なのですが、ここの役目も後わずか。

旧小川町の中心の常陸小川駅の駅舎。
それなりに人の姿を見掛けていますので、もっと人がいないローカル線もあるのに無理なのかな~と思いました。
2007年02月18日
終わり近い鹿島鉄道へ その8
桃浦駅を出て隣の小川高校下駅との間で撮影を行いました。

霞ヶ浦をバックに進むKR-505の上り列車です。
時間は昼前、完全な逆光となってます。
もっと早い時間だと逆光にはならないみたいですね。

1枚目の反対側から撮影したキハ432。
この車両は加越能鉄道キハ126で、1957年11月に東急車輌で新製されています
1972年9月に加越能鉄道が廃止されたのに伴って関東鉄道が購入し、1973年3月に鉾田線用として僚機キハ431と入線しています。
現在の塗色になったのは、近年の2002年で朱色とクリームの通称「金太郎塗り」になりました。

2枚目の写真の少し桃浦駅側で、仮設住宅氏が撮影した写真も載せておきます。
ちなみに列車は下りの鉾田行きです。

霞ヶ浦をバックに進むKR-505の上り列車です。
時間は昼前、完全な逆光となってます。
もっと早い時間だと逆光にはならないみたいですね。

1枚目の反対側から撮影したキハ432。
この車両は加越能鉄道キハ126で、1957年11月に東急車輌で新製されています
1972年9月に加越能鉄道が廃止されたのに伴って関東鉄道が購入し、1973年3月に鉾田線用として僚機キハ431と入線しています。
現在の塗色になったのは、近年の2002年で朱色とクリームの通称「金太郎塗り」になりました。

2枚目の写真の少し桃浦駅側で、仮設住宅氏が撮影した写真も載せておきます。
ちなみに列車は下りの鉾田行きです。
2007年02月17日
終わり近い鹿島鉄道へ その7
次に寄ったのは桃浦駅、この駅は島式ホームを持つ交換可能駅です。

小さな木造の駅舎が建っております。
駅舎の正面から向こうを見ると霞ヶ浦が望めます。

桃浦駅の駅名標です。

桃浦駅を発車する下り列車のKR-502です。

小さな木造の駅舎が建っております。
駅舎の正面から向こうを見ると霞ヶ浦が望めます。

桃浦駅の駅名標です。

桃浦駅を発車する下り列車のKR-502です。
2007年02月16日
終わり近い鹿島鉄道へ その6
玉造町駅を後にして、再び浜駅との間で列車を待ちます。
やってきた鉾田行きはキハ714。元夕張鉄道のキハ251でした。
、夕張鉄道の旅客営業廃止に伴い、関東鉄道時代の1976年に譲り受けています。

浜~玉造町間の田んぼの中でパチリ。
鉾田駅で折り返して来た同車も撮影しています。

鹿島鉄道を跨ぐ国道の鉾田側での撮影です。
列車が通り過ぎた後、国道反対側で仮設住宅氏が撮影していたので、また写真を借用します。

この車両だけワンマン改造されていないため、車掌が乗務しています。
その関係で、運転されるのは平日朝方1往復だけだったような気がします。ちょっとうろ覚えです。
写真を見ると車掌さんが運転席に座っているため、こっちに進んでいるように見えますが、向こう側に向かっているのです。
やってきた鉾田行きはキハ714。元夕張鉄道のキハ251でした。
、夕張鉄道の旅客営業廃止に伴い、関東鉄道時代の1976年に譲り受けています。

浜~玉造町間の田んぼの中でパチリ。
鉾田駅で折り返して来た同車も撮影しています。

鹿島鉄道を跨ぐ国道の鉾田側での撮影です。
列車が通り過ぎた後、国道反対側で仮設住宅氏が撮影していたので、また写真を借用します。

この車両だけワンマン改造されていないため、車掌が乗務しています。
その関係で、運転されるのは平日朝方1往復だけだったような気がします。ちょっとうろ覚えです。
写真を見ると車掌さんが運転席に座っているため、こっちに進んでいるように見えますが、向こう側に向かっているのです。
2007年02月14日
終わり近い鹿島鉄道へ その5
今度は玉造町駅に移動しました。
玉造町駅は、数少ない有人駅となっている主要駅です。

駅舎の中には様々なポスターやチラシが貼られ増収に努力していたのが伺えました。
バス路線図もありましたが、かなり年季の入った物です。

関東鉄道バス路線図となっており、霞ヶ浦を中心とした路線が掲出されていました。
どう考えても現行路線では無いと思われます。いつ頃の物なのでしょうか?
現JRの鹿島線もまだ載っていないのです。

この駅は交換駅であり島式ホームがあります。
写真はそのホーム場の待合室と駅名標を撮影したものです。
玉造町駅は、数少ない有人駅となっている主要駅です。

駅舎の中には様々なポスターやチラシが貼られ増収に努力していたのが伺えました。
バス路線図もありましたが、かなり年季の入った物です。

関東鉄道バス路線図となっており、霞ヶ浦を中心とした路線が掲出されていました。
どう考えても現行路線では無いと思われます。いつ頃の物なのでしょうか?
現JRの鹿島線もまだ載っていないのです。

この駅は交換駅であり島式ホームがあります。
写真はそのホーム場の待合室と駅名標を撮影したものです。
2007年02月13日
終わり近い鹿島鉄道へ その4
私は次の列車も同じ地点での撮影を選択、仮設住宅氏は玉造町駅での列車交換を撮るというのでしばらく別行動となります。
30分ほどして下り列車がやってきました。
縦位置で何枚か撮るつもりで構えていました。
列車がフレームインして1枚目を撮影、続けて次のシャッターを押しましたが、反応が無い。
冷えていたのでバッテリーの電池が切れてしまったのでした。

極端に冷えていなかったので油断していましたね。失敗失敗。

急遽もう一台のカメラで撮影したのを載せて誤魔化しておきましょう。
ちなみに車両は最初に鉾田駅で撮影したKR-501、紫帯です。
5分ほどで上り列車がやってきました。
今度は赤い帯のKR-502でした。

正面を良く見ると線が入っています。
これは電飾のようですので、何かの機会に点灯させたのでしょう。
反対側にも違う柄の電飾が付いていました。
30分ほどして下り列車がやってきました。
縦位置で何枚か撮るつもりで構えていました。
列車がフレームインして1枚目を撮影、続けて次のシャッターを押しましたが、反応が無い。
冷えていたのでバッテリーの電池が切れてしまったのでした。

極端に冷えていなかったので油断していましたね。失敗失敗。

急遽もう一台のカメラで撮影したのを載せて誤魔化しておきましょう。
ちなみに車両は最初に鉾田駅で撮影したKR-501、紫帯です。
5分ほどで上り列車がやってきました。
今度は赤い帯のKR-502でした。

正面を良く見ると線が入っています。
これは電飾のようですので、何かの機会に点灯させたのでしょう。
反対側にも違う柄の電飾が付いていました。
2007年02月12日
終わり近い鹿島鉄道へ その3
次に行った場所は浜~玉造町間です。
この区間には霞ヶ浦をバックに撮影が出来るポイントがあります。
ちなみにここは午前中が順光です。

この地点に最初にやってきた列車はキハ600形のキハ602でした。
上りの石岡行きのため後追いで撮影です。
キハ600形は国鉄のキハ07(キハ42500)が元になっています。
更新改造により前面の形は大きく変わっていますが、下回りや屋根上などは原形を保っているようです。
写真のキハ602は昭和12年(1937年)鉄道省大宮工場製なので車歴は70年にもなります。

もう1枚仮設住宅氏が撮影した写真も載せておきましょう。
この車両は前にヘッドマークを付けていたようで、マークをがあった縁の部分が汚れて跡が付いてました。
正面アップの写真にははっきり写ってしまってます。
きれいな状態で撮りたかったかも。
この区間には霞ヶ浦をバックに撮影が出来るポイントがあります。
ちなみにここは午前中が順光です。

この地点に最初にやってきた列車はキハ600形のキハ602でした。
上りの石岡行きのため後追いで撮影です。
キハ600形は国鉄のキハ07(キハ42500)が元になっています。
更新改造により前面の形は大きく変わっていますが、下回りや屋根上などは原形を保っているようです。
写真のキハ602は昭和12年(1937年)鉄道省大宮工場製なので車歴は70年にもなります。

もう1枚仮設住宅氏が撮影した写真も載せておきましょう。
この車両は前にヘッドマークを付けていたようで、マークをがあった縁の部分が汚れて跡が付いてました。
正面アップの写真にははっきり写ってしまってます。
きれいな状態で撮りたかったかも。
2007年02月11日
終わり近い鹿島鉄道へ その2
2本目の列車を見送った後もしばらく鉾田駅で撮影をしていました。
まだこの時期ではこの時間帯は暗いため、走行写真を撮るには条件が悪いからです。
3本目の列車までは駅の施設を撮影しながら時間調整です。

鉾田駅の改札口の上には手書きの着発時刻表が掲出されています。
都会では見ることの出来ないものて、味があります。
そうこうしているうちに6時26分に列車が到着しました。
今度の列車もKR500形。青帯のKR-505でした。

ちなみにこの列車から鉾田駅の駅員さんが降りてきて、7時からの窓口の準備を始めていました。
まだこの時期ではこの時間帯は暗いため、走行写真を撮るには条件が悪いからです。
3本目の列車までは駅の施設を撮影しながら時間調整です。

鉾田駅の改札口の上には手書きの着発時刻表が掲出されています。
都会では見ることの出来ないものて、味があります。
そうこうしているうちに6時26分に列車が到着しました。
今度の列車もKR500形。青帯のKR-505でした。

ちなみにこの列車から鉾田駅の駅員さんが降りてきて、7時からの窓口の準備を始めていました。
2007年02月09日
終わり近い鹿島鉄道へ その1
本日は、今年3月末で廃止が決定してしまった鹿島鉄道の記録を残すために、撮影に出掛けました。
今回も仮設住宅氏と一緒に出掛けております。
鹿島鉄道は、地元の小湊鉄道を除けば一番多く撮影に出掛けた地方私鉄なだけに、今回の廃止決定は残念でなりません。
撮影の開始は鉾田駅からとなりました。
鉾田駅の駅舎は特徴のある形をしています。
これも過去の物となってしまうのです。

この駅には立ち食いそば屋があります。
ここまで来るとうどんを食べることが多いのですが、早朝だったためまだ営業時間前で、朝食はお預けです。
駅には鉾田発の2番列車が止まっていました。
軽快気動車のKR500形です。

止まっていたのはKR-501でした。
KR500形は4両あり、全車帯の色を違う色に変更したので、帯の色で車両が特定できます。
501は紫色の帯を巻いています。
鹿島鉄道で色と形で区別が出来ないのは、600形の2両だけとなっています。

百里基地へのジェット燃料の輸送の収入が大きかった鹿島鉄道では、パイプラインの老朽化の影響から貨物輸送の廃止が大きな痛手となり収支が悪化したのです。。
地元の鹿島鉄道のサポーターによる運動があり、存続のために努力してきたのですが、とうとう終わりが来てしまったのでした。
鉾田駅にも大きなサポーターによる幕が張り出されています。
今回も仮設住宅氏と一緒に出掛けております。
鹿島鉄道は、地元の小湊鉄道を除けば一番多く撮影に出掛けた地方私鉄なだけに、今回の廃止決定は残念でなりません。
撮影の開始は鉾田駅からとなりました。
鉾田駅の駅舎は特徴のある形をしています。
これも過去の物となってしまうのです。

この駅には立ち食いそば屋があります。
ここまで来るとうどんを食べることが多いのですが、早朝だったためまだ営業時間前で、朝食はお預けです。
駅には鉾田発の2番列車が止まっていました。
軽快気動車のKR500形です。

止まっていたのはKR-501でした。
KR500形は4両あり、全車帯の色を違う色に変更したので、帯の色で車両が特定できます。
501は紫色の帯を巻いています。
鹿島鉄道で色と形で区別が出来ないのは、600形の2両だけとなっています。

百里基地へのジェット燃料の輸送の収入が大きかった鹿島鉄道では、パイプラインの老朽化の影響から貨物輸送の廃止が大きな痛手となり収支が悪化したのです。。
地元の鹿島鉄道のサポーターによる運動があり、存続のために努力してきたのですが、とうとう終わりが来てしまったのでした。
鉾田駅にも大きなサポーターによる幕が張り出されています。
