2007年05月23日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その17
貨物鉄道博物館の後は、大安駅近くの中央児童センターへ行きました。

ここの公園にはED22形機関車のED222が保存されています。
この車両は、現在の大糸線の前身である信濃鉄道が、1926年に
輸入した信濃鉄道2号機です。
米国のウエスチングハウス社が電気機器、ボールドウイン社が車体を製作したものです。
国有化後、飯田線での使用を経た後の1956年に三岐鉄道へ移ってきた車両です。
1984年まで使用された後に廃車となり、大安町に引き取られ静態保存されました。
屋根はあるのですが、ライトなどが割られてしまっており、少し荒れ気味です。
後ろに見えている青いガーター橋は、大安~三里間の宇賀川橋梁です。

ED222の立派な製造銘板です。
製造は輸入された前年の1925年になっています。

宇賀川橋梁の反対側に回って、宇賀川橋梁を渡っていく普通電車を撮影したところです。
桜は綺麗だったのですが、空は完全に曇ってどんよりしていました。

ここの公園にはED22形機関車のED222が保存されています。
この車両は、現在の大糸線の前身である信濃鉄道が、1926年に
輸入した信濃鉄道2号機です。
米国のウエスチングハウス社が電気機器、ボールドウイン社が車体を製作したものです。
国有化後、飯田線での使用を経た後の1956年に三岐鉄道へ移ってきた車両です。
1984年まで使用された後に廃車となり、大安町に引き取られ静態保存されました。
屋根はあるのですが、ライトなどが割られてしまっており、少し荒れ気味です。
後ろに見えている青いガーター橋は、大安~三里間の宇賀川橋梁です。

ED222の立派な製造銘板です。
製造は輸入された前年の1925年になっています。

宇賀川橋梁の反対側に回って、宇賀川橋梁を渡っていく普通電車を撮影したところです。
桜は綺麗だったのですが、空は完全に曇ってどんよりしていました。
2007年05月22日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その16
今回は貨物鉄道博物館にいる車両を一部だけ紹介です。

この蒸気機関車は、昭和鉄道高校で保存されていた、東武鉄道B4形39号です。
元々は、東北本線などの前身である日本鉄道が英国のシャープ・スチュアート社で製造した車両で、日本鉄道の国有化後は、5650形5654となっていました。
製造年は1898年なので109年が経過しています。

写真のタンク車は、タム6263です。
15トン積塩酸専用タンク車として製造されたタム5000形の1両で、製造年は1968年で富士重工業で製造されています。
現役時の常備は酒田港駅で、東北東ソー(株)の所有でした。

信越本線の前身である北越鉄道が、新潟鐵工所で製造した8t積有蓋車でした。(後に10t積みに改造)
北越鉄道の国有化後、戦後になって近江鉄道に移籍しています。
この車両も1906年の製造なので、101年経過しています。
見ての通りの状態なので、今後整備がなされると思われます。

東海道本線用宗駅から分岐していた、巴川製紙所静岡工場専用線で活躍したスイッチャーです。
1957年に協三工業で製造されています。
1986年11月1日に用宗駅の貨物取扱が廃止となっているので、その時用途が無くなってしまったと思われます。
貨物鉄道博物館の全車両を紹介したいところですが、ネタが詰まっていますので次に行ってしまいます。

この蒸気機関車は、昭和鉄道高校で保存されていた、東武鉄道B4形39号です。
元々は、東北本線などの前身である日本鉄道が英国のシャープ・スチュアート社で製造した車両で、日本鉄道の国有化後は、5650形5654となっていました。
製造年は1898年なので109年が経過しています。

写真のタンク車は、タム6263です。
15トン積塩酸専用タンク車として製造されたタム5000形の1両で、製造年は1968年で富士重工業で製造されています。
現役時の常備は酒田港駅で、東北東ソー(株)の所有でした。

信越本線の前身である北越鉄道が、新潟鐵工所で製造した8t積有蓋車でした。(後に10t積みに改造)
北越鉄道の国有化後、戦後になって近江鉄道に移籍しています。
この車両も1906年の製造なので、101年経過しています。
見ての通りの状態なので、今後整備がなされると思われます。

東海道本線用宗駅から分岐していた、巴川製紙所静岡工場専用線で活躍したスイッチャーです。
1957年に協三工業で製造されています。
1986年11月1日に用宗駅の貨物取扱が廃止となっているので、その時用途が無くなってしまったと思われます。
貨物鉄道博物館の全車両を紹介したいところですが、ネタが詰まっていますので次に行ってしまいます。
2007年05月21日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その15
丹生川駅を降りると西藤原方面に(左側)白い建物が建っており、そこが貨物鉄道博物館の建物です。

博物館の中にある収蔵物は、月1回の開館日(毎月第一日曜日)にしか公開されていませんが、外にある貨車群は見ることが可能です。

博物館の車両群の先頭にはB4形39号蒸気機関車がいます。
その横をED458電気機関車が通過していきました。
真ん中に仮設住宅氏が写り込んでいます。

電気機関車を追って左を向くと丹生川駅の構内です。
丁度反対方向の貨物列車との交換となりました。

博物館の中にある収蔵物は、月1回の開館日(毎月第一日曜日)にしか公開されていませんが、外にある貨車群は見ることが可能です。

博物館の車両群の先頭にはB4形39号蒸気機関車がいます。
その横をED458電気機関車が通過していきました。
真ん中に仮設住宅氏が写り込んでいます。

電気機関車を追って左を向くと丹生川駅の構内です。
丁度反対方向の貨物列車との交換となりました。
2007年05月20日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その14
東藤原駅での撮影後は、丹生川駅まで移動してきました。
この駅に隣接して貨物鉄道博物館があり、多数の貴重な車両が保存展示されています。

まずは電車内から見て気になったタンク車を見ます。
アルミ製のタンク体を持つ銀色のこの車両は、タム8000形のタム8000です。
この車両は、貨物鉄道博物館というより、丹生川駅の側線に展示されている状態です。

タム8000の隣は無蓋車のト15です。
この車両は名古屋鉄道から来ており、アオリ戸にうっすらと名古屋の文字が見えます。
名鉄時代の晩年は、今は廃止となった揖斐・谷汲線で保線用として使用していたようなので、黒野駅に止まっているところを撮影しているかもしれません。

旧陸軍の貨車である91式軽貨車もいました。

手前側には川崎車両昭和六年の銘板が付いていたので、91式と分かりました。
京福電気鉄道から来たようです。
この駅に隣接して貨物鉄道博物館があり、多数の貴重な車両が保存展示されています。

まずは電車内から見て気になったタンク車を見ます。
アルミ製のタンク体を持つ銀色のこの車両は、タム8000形のタム8000です。
この車両は、貨物鉄道博物館というより、丹生川駅の側線に展示されている状態です。

タム8000の隣は無蓋車のト15です。
この車両は名古屋鉄道から来ており、アオリ戸にうっすらと名古屋の文字が見えます。
名鉄時代の晩年は、今は廃止となった揖斐・谷汲線で保線用として使用していたようなので、黒野駅に止まっているところを撮影しているかもしれません。

旧陸軍の貨車である91式軽貨車もいました。

手前側には川崎車両昭和六年の銘板が付いていたので、91式と分かりました。
京福電気鉄道から来たようです。
2007年05月19日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その13
東藤原駅構内の側線群には多数の貨車に混じって、青色に白いラインの入った機関車が止まっていました。

秩父鉄道カラーのこの機関車は、2000年の夏に秩父鉄道から移ってきたデキ202です。
秩父鉄道時代同型車は3両いましたが、貨物運用の減少に伴って2両が三岐鉄道に来ており、秩父鉄道にはデキ201が1両だけ残っています。
三岐鉄道に移った後もカラーリングは変更されていません。

このデキ202の任務は太平洋セメント藤原工場の入換えです。
写真のバックに見える工場が、太平洋セメントの工場なのです。

デキ202の台車は独特な形状をしています。
L形軸梁式台車と言うようで、要するに機械的に軸重補償するためリンク機構などが付いているのでした。
メンテナンスなどトータルで考えると、電気的に軸重補償する方が良かったようで、その後製作された機関車には採用されていません。

秩父鉄道カラーのこの機関車は、2000年の夏に秩父鉄道から移ってきたデキ202です。
秩父鉄道時代同型車は3両いましたが、貨物運用の減少に伴って2両が三岐鉄道に来ており、秩父鉄道にはデキ201が1両だけ残っています。
三岐鉄道に移った後もカラーリングは変更されていません。

このデキ202の任務は太平洋セメント藤原工場の入換えです。
写真のバックに見える工場が、太平洋セメントの工場なのです。

デキ202の台車は独特な形状をしています。
L形軸梁式台車と言うようで、要するに機械的に軸重補償するためリンク機構などが付いているのでした。
メンテナンスなどトータルで考えると、電気的に軸重補償する方が良かったようで、その後製作された機関車には採用されていません。
2007年05月18日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その12

ホキ1000に連結した後は、推進運転で目の前に迫ってきます。

今度は停車することなくセメント工場に消えていきました。(仮設住宅氏撮影)

しばらくすると、機関車だけが駅のホームまで戻ってきます。

入れ換え作業の合間にも普通電車はやってきます。
写真は西藤原行きの601系です。
普通電車が走り去った後、再び機関車が動きました。
今度は別の線路に入っていき、しばらくして戻ってきた時には、黒いタキ1900の編成を牽いてきました。
そんなに長い時間ではないのに、機関車はあっちにこっちにと大活躍で見ていて飽きません。
2007年05月17日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その11
東藤原駅に貨物列車が到着しました。
この列車は保々駅で時間調整していた、ED459を先頭とした列車です。

列車が到着する前に、操車係の人が待機していました。

一番前の貨車であるタキ12260だけ切り離され、その一両だけ持ってセメント工場へ続く線路を真っ直ぐ進んできました。

勢いよくやってきたのでそのまま工場へ向かうかと思っていたら、目の前を通過した途端に急停止、すぐにバックを始めました。

逆方向に動いてすぐ機関車はブレーキを掛けましたが、前にいたタキ12260だけが走っていきました。
いわゆる突放です。
普段見るコンテナ車や石油類のタンク車は、突放禁止になっているので、初めて遭遇しました。
事前に分かっていればビデオで撮っていた方が面白かったかも。
仮設住宅氏はセメント工場側で撮影していたので、よく見えなかったそうです。

突放されたタキ12260が留置された貨車に向かって進んでいきます。

突放されたタキが進んでいくと、すかさず待機していた係員が、ポイントを切り替え機関車も後を追って発車します。
タキはその先のタキ群に向かい、機関車はタキと併走した後、留置されている貨車の間を抜けて、牽いてきたホキ1000の富田側に連結しました。
この列車は保々駅で時間調整していた、ED459を先頭とした列車です。

列車が到着する前に、操車係の人が待機していました。

一番前の貨車であるタキ12260だけ切り離され、その一両だけ持ってセメント工場へ続く線路を真っ直ぐ進んできました。

勢いよくやってきたのでそのまま工場へ向かうかと思っていたら、目の前を通過した途端に急停止、すぐにバックを始めました。

逆方向に動いてすぐ機関車はブレーキを掛けましたが、前にいたタキ12260だけが走っていきました。
いわゆる突放です。
普段見るコンテナ車や石油類のタンク車は、突放禁止になっているので、初めて遭遇しました。
事前に分かっていればビデオで撮っていた方が面白かったかも。
仮設住宅氏はセメント工場側で撮影していたので、よく見えなかったそうです。

突放されたタキ12260が留置された貨車に向かって進んでいきます。

突放されたタキが進んでいくと、すかさず待機していた係員が、ポイントを切り替え機関車も後を追って発車します。
タキはその先のタキ群に向かい、機関車はタキと併走した後、留置されている貨車の間を抜けて、牽いてきたホキ1000の富田側に連結しました。
2007年05月16日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その10
保々駅から伊勢治田駅まで戻り貨車群を撮影した後は、東藤原駅まで移動しました。
東藤原駅からはセメント工場への引き込み線があり、駅構内にも多数の側線があります。

曇天となってしまったので、色ははっきり出ませんが、東藤原駅の駅前には桜が咲いていました。
伊勢治田駅にも咲いていたのですが、天気が悪いのが悔やまれます。

東藤原駅の前には、ホキ5700形のホキ25767が保存展示されていました。
他の鉄道では貨車を保存しているところはあまりなく、貴重な存在であり、貨物列車と三岐鉄道の関係を認識させられるモノです。

展示されているホキには立派な案内看板がありました。
東藤原駅からはセメント工場への引き込み線があり、駅構内にも多数の側線があります。

曇天となってしまったので、色ははっきり出ませんが、東藤原駅の駅前には桜が咲いていました。
伊勢治田駅にも咲いていたのですが、天気が悪いのが悔やまれます。

東藤原駅の前には、ホキ5700形のホキ25767が保存展示されていました。
他の鉄道では貨車を保存しているところはあまりなく、貴重な存在であり、貨物列車と三岐鉄道の関係を認識させられるモノです。

展示されているホキには立派な案内看板がありました。
2007年05月15日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その9

伊勢治田駅に戻る列車の前に、ED459他が牽引する貨物列車が富田方面から到着しました。
列車はホームではなく1本隣りの線に入り、運転士は降りてしまいました。
この列車はしばらくこの駅で時間調整するようです。

機関車の次位には、タキ12200が1両だけ連結されています。
この形式は40t積みのセメント専用車ですが、所有会社によって結構違いがある車両です。
この車両は小野田セメント(現太平洋セメント)所有のタキ12260でした。

残りの車両はホキ1000です。
ホキ1000形は小野田セメント(現太平洋セメント)所有の35t積フライアッシュ及び炭酸カルシウム専用ホッパ車です
積荷が往復で異なる珍しい使用方法で運用されています。
個人的には、うす緑色をしたタキ1900(CT所有)が見たかったのですが、3月中に見られなくなっています。
2007年05月14日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その8

801系先頭車同士です。
右の車両は唯一のラッピング車編成のクハ1802です。

再び切符を買って駅に入ると、運転区の建物が向かい側に建っています。
この保々駅が工場と合わせて三岐線の中枢駅だと分かります。

保々駅で購入した乗車券と入場券です。
薄っぺらな販売機の切符と違って、硬券はなんか良いですね。
2007年05月13日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その7

保々駅の駅舎です。
この駅も有人駅で硬券切符を売っています。
基本的に有人駅が多いようですが、無人駅化が進んでいる鉄道が多い中で珍しいのではないでしょうか。

保々工場の外からも構内の様子が伺える場所か何カ所もあり、中々楽しいです。
工場の中には写真のED451や他の機関車がいました。

工場に沿って歩くと富田側に踏切があり、そこから構内の写真を撮影してみました。
画面右側の線路が本線です。
2007年05月12日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その6
隣り駅の丹生川駅に到着する直前に、左側の車窓に貨車の群れが映りました。
ここには貨物鉄道博物館があります。
壬生川駅の構内にも小型タンク車が留置されていました。
後で寄ることにして通過です。

次の駅の三里駅までやってきました。
この駅で下り列車と交換のようです。
先頭車の窓越しに前方を見ていると、早速貨物列車と遭遇しました。

ED455を先頭にした列車がホームに差し掛かると、乗車している列車もすぐに出発となります。
さらに隣の大安駅の手前右側には、以前、三岐鉄道で使用していたED222号機が保存されているのが確認できました。

色々と興味をそそられる車窓を見ているうちに、保々駅に到着しました。
ここで先輩とは一旦お別れです。
降りたホームの反対側には、駅と隣接して車庫兼工場があり、ED453と101系が止まっていました。
しばらく駅構内で撮影した後、工場を外から見学です。
ここには貨物鉄道博物館があります。
壬生川駅の構内にも小型タンク車が留置されていました。
後で寄ることにして通過です。

次の駅の三里駅までやってきました。
この駅で下り列車と交換のようです。
先頭車の窓越しに前方を見ていると、早速貨物列車と遭遇しました。

ED455を先頭にした列車がホームに差し掛かると、乗車している列車もすぐに出発となります。
さらに隣の大安駅の手前右側には、以前、三岐鉄道で使用していたED222号機が保存されているのが確認できました。

色々と興味をそそられる車窓を見ているうちに、保々駅に到着しました。
ここで先輩とは一旦お別れです。
降りたホームの反対側には、駅と隣接して車庫兼工場があり、ED453と101系が止まっていました。
しばらく駅構内で撮影した後、工場を外から見学です。
2007年05月11日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その5
阿下喜駅から北勢線に乗車して、西桑名から巻き添えの先輩は別行動を取る話になったのですが、北勢線は思ったより本数が少なくしばらく列車が来ないことが分かりました。
北勢線のナロー車両の乗車は後回しにして、そんなに離れていない三岐線の伊勢治田駅に移動しました。
この駅にも、パーク&ライドの駐車場があるので、車を停めて列車に乗車します。
この駅には自動券売機は無く、窓口で切符を購入します。
切符は硬券を使用しており、ちゃんと入場券も販売しています。

駅の構内は、貨物が盛業な三岐鉄道三岐線だけあり、側線が多くあり、多数のセメントホキ・タキ車が留置されていました。

伊勢治田駅の駅名標は木製です。
私と仮設住宅氏は車両基地のある保々駅に向かい、先輩は近鉄富田駅まで出て松坂方面に単独行動をすることになりました。
さすがに毎回巻き添えにしているので、この日は早々と離脱です。

乗車する列車が駅に入ってきました。
三岐鉄道の851系、元西武鉄道の701系です。
北勢線のナロー車両の乗車は後回しにして、そんなに離れていない三岐線の伊勢治田駅に移動しました。
この駅にも、パーク&ライドの駐車場があるので、車を停めて列車に乗車します。
この駅には自動券売機は無く、窓口で切符を購入します。
切符は硬券を使用しており、ちゃんと入場券も販売しています。

駅の構内は、貨物が盛業な三岐鉄道三岐線だけあり、側線が多くあり、多数のセメントホキ・タキ車が留置されていました。

伊勢治田駅の駅名標は木製です。
私と仮設住宅氏は車両基地のある保々駅に向かい、先輩は近鉄富田駅まで出て松坂方面に単独行動をすることになりました。
さすがに毎回巻き添えにしているので、この日は早々と離脱です。

乗車する列車が駅に入ってきました。
三岐鉄道の851系、元西武鉄道の701系です。
2007年05月10日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その4
転車台と反対側の線路の先には車庫があります。

車庫内の左側に「下工弁慶号」がしまってあった場所でした。
でもその「下工弁慶号」は、訪問した12日前に借りていた山口県下松市に返却されたので、この中には既にいないのでした。
隣りに立っている腕木信号機は、2004年1月26日までJR名松線家城駅で使用されていたもので、JR東海管内でも一番最後まで使用されていたものです。

車庫の左側にも線路があります。
こちらは軌間幅381ミリで、車庫の中にもミニ車両がしまわれているようです。
細かい内容は「ASITA(北勢線とまち育みを考える会)」のホームページに色々な活動報告が載っています。

車庫内の左側に「下工弁慶号」がしまってあった場所でした。
でもその「下工弁慶号」は、訪問した12日前に借りていた山口県下松市に返却されたので、この中には既にいないのでした。
隣りに立っている腕木信号機は、2004年1月26日までJR名松線家城駅で使用されていたもので、JR東海管内でも一番最後まで使用されていたものです。

車庫の左側にも線路があります。
こちらは軌間幅381ミリで、車庫の中にもミニ車両がしまわれているようです。
細かい内容は「ASITA(北勢線とまち育みを考える会)」のホームページに色々な活動報告が載っています。
2007年05月09日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その3
終点の阿下喜駅までやってきました。

この駅は昨年の12月1日に新しい駅舎になったばかりです。
まだ整備が途中なので、写真の右側に見えるように旧ホームが残っていました。
駅舎の前には、駅前広場などが整備される計画です。

新しい阿下喜駅のホームは、島式2面となっています。
手前には怪しげな線路がありました。

怪しげな線路の駅舎側には転車台があります。
この駅には三岐鉄道北勢線の90周年の記念行事の一環として、「下工弁慶号」と呼ばれている軽便蒸気機関車を山口県下松市から借りていたのです。(過去形)
4本の線路のうち真ん中の2本を使用して、「下工弁慶号」を公開展示していました。
転車台は、元々阿下喜駅にあった物を移設して使用しています。

この駅は昨年の12月1日に新しい駅舎になったばかりです。
まだ整備が途中なので、写真の右側に見えるように旧ホームが残っていました。
駅舎の前には、駅前広場などが整備される計画です。

新しい阿下喜駅のホームは、島式2面となっています。
手前には怪しげな線路がありました。

怪しげな線路の駅舎側には転車台があります。
この駅には三岐鉄道北勢線の90周年の記念行事の一環として、「下工弁慶号」と呼ばれている軽便蒸気機関車を山口県下松市から借りていたのです。(過去形)
4本の線路のうち真ん中の2本を使用して、「下工弁慶号」を公開展示していました。
転車台は、元々阿下喜駅にあった物を移設して使用しています。
2007年05月08日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その2
踏切から西桑名方向を見ると、少し先に新しい駅が見えているので移動してみます。

新しい駅は、統合で出来た東員駅であり、大きく立派な駅舎が建っていました。
これは統合時に西桑名駅と北大社駅に分散していた現場運転・駅務部門を集約し、さらにCTCを整備し各駅の信号制御を集中監視するようになったためのようです。
また駅前にはパークアンドライド用の駐車場も整備されていました。

駅構内には保線用の軌道モーターカーがありました。
軌道モーターカーだと軌間の幅が狭いのはあまり気になりません。

写真を撮っていると列車が到着しました。
やってきたのはK77編成、270系モ277が先頭の4両編成、後ろの3両は三重交通モ4400形だった200系であり、3車体連接車の付随車です。

新しい駅は、統合で出来た東員駅であり、大きく立派な駅舎が建っていました。
これは統合時に西桑名駅と北大社駅に分散していた現場運転・駅務部門を集約し、さらにCTCを整備し各駅の信号制御を集中監視するようになったためのようです。
また駅前にはパークアンドライド用の駐車場も整備されていました。

駅構内には保線用の軌道モーターカーがありました。
軌道モーターカーだと軌間の幅が狭いのはあまり気になりません。

写真を撮っていると列車が到着しました。
やってきたのはK77編成、270系モ277が先頭の4両編成、後ろの3両は三重交通モ4400形だった200系であり、3車体連接車の付随車です。
2007年05月07日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その1
4月13日のブログに書きましたが、三重・和歌山・愛知に墓参りも兼ねて旅行してきた時の報告です。
旅行のメンバーは3人、いつもの仮設住宅氏といつも巻き添えになっている一般人の先輩と私です。
最初に行ったのは三岐議鉄道北勢線です。
この線は2003年に近鉄から譲渡された路線で、日本では珍しい軌間762ミリの特殊狭軌線、いわゆるナローゲージとなっています。
高速を降りとりあえず終点の阿下喜駅方面に向かいますが、朝の7時頃の道路は通勤のため渋滞しており、ナビで途中の北大社駅に向かいます。

ナビの案内で北大社駅に着くとそこには駅はありませんでした。
現地に着いてから、北勢線の活性化のために高速化工事を行って、駅の統廃合が進められているのを思い出しました。
北大社駅は西桑名方にあった六把野駅と統合されて、東員駅になっており、ここは信号所になっていたのでした。

この信号所に隣接して車庫もあります。
しかし、通勤時間帯のピークだったために車両が出払っているようで、構内には1両も見あたりません。

車庫をぐるりと回り込むと1両だけモ275が残っていました。
旅行のメンバーは3人、いつもの仮設住宅氏といつも巻き添えになっている一般人の先輩と私です。
最初に行ったのは三岐議鉄道北勢線です。
この線は2003年に近鉄から譲渡された路線で、日本では珍しい軌間762ミリの特殊狭軌線、いわゆるナローゲージとなっています。
高速を降りとりあえず終点の阿下喜駅方面に向かいますが、朝の7時頃の道路は通勤のため渋滞しており、ナビで途中の北大社駅に向かいます。

ナビの案内で北大社駅に着くとそこには駅はありませんでした。
現地に着いてから、北勢線の活性化のために高速化工事を行って、駅の統廃合が進められているのを思い出しました。
北大社駅は西桑名方にあった六把野駅と統合されて、東員駅になっており、ここは信号所になっていたのでした。

この信号所に隣接して車庫もあります。
しかし、通勤時間帯のピークだったために車両が出払っているようで、構内には1両も見あたりません。

車庫をぐるりと回り込むと1両だけモ275が残っていました。
