2007年05月28日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その22
JR貨物の塩浜駅に隣接して近鉄名古屋線の塩浜駅があります。

近鉄の駅に隣接して、車両工場の塩浜検修車庫も存在しています。
駅の連絡通路から覗くと、1983年に廃車となった元デ31形デ32の入替車が顔を出していました。
写真の通り、研修車庫のすぐ隣が駅となっています。

駅の四日市側に架かる陸橋からの様子です。
昨年の9月に導入された電気検測車の「はかるくん」も見えていました。

近鉄名古屋線には多くの特急が走っています。
塩浜駅を撮影している間にも何本か走って来ましたので、21000系のアーバンライナーplusが撮影できました。
この日の塩浜は貨物列車がメインだったので、近鉄の走行写真はこの写真だけです。

近鉄の駅に隣接して、車両工場の塩浜検修車庫も存在しています。
駅の連絡通路から覗くと、1983年に廃車となった元デ31形デ32の入替車が顔を出していました。
写真の通り、研修車庫のすぐ隣が駅となっています。

駅の四日市側に架かる陸橋からの様子です。
昨年の9月に導入された電気検測車の「はかるくん」も見えていました。

近鉄名古屋線には多くの特急が走っています。
塩浜駅を撮影している間にも何本か走って来ましたので、21000系のアーバンライナーplusが撮影できました。
この日の塩浜は貨物列車がメインだったので、近鉄の走行写真はこの写真だけです。
2007年05月25日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その19
近鉄八王子線の現役区間と内部線の分岐駅である日永駅までやってきました。
この二つの路線とも、三岐鉄道北勢線と同じ特殊狭軌線、いわゆるナローゲージの鉄道です。
旅客営業している他の特殊狭軌線は、現在では黒部渓谷鉄道しかありません。

近鉄日永駅の構内の様子です。
左から内部線内部方面、内部線近鉄四日市方面、右のカーブしたホームが八王子線です。

近鉄260系の近鉄四日市行きが到着しました。
先頭からモ261+サ121+ク161の3両編成になっています。
先頭のモ261とク161は1982年製造ですが、中間のサ121だけは1949年製のモニ220形を電装解除してサ120形へ改造した車両なので全く違う断面をしています。

向こう側の2番3番ホームの様子です。
右の八王子線のカーブがかなりきついのが分かります。
ナローゲージならではの曲がり方です。
八王子線が全線健在だった頃は、さらに右側にホームがあり八王子線の交換もあったそうです。
この二つの路線とも、三岐鉄道北勢線と同じ特殊狭軌線、いわゆるナローゲージの鉄道です。
旅客営業している他の特殊狭軌線は、現在では黒部渓谷鉄道しかありません。

近鉄日永駅の構内の様子です。
左から内部線内部方面、内部線近鉄四日市方面、右のカーブしたホームが八王子線です。

近鉄260系の近鉄四日市行きが到着しました。
先頭からモ261+サ121+ク161の3両編成になっています。
先頭のモ261とク161は1982年製造ですが、中間のサ121だけは1949年製のモニ220形を電装解除してサ120形へ改造した車両なので全く違う断面をしています。

向こう側の2番3番ホームの様子です。
右の八王子線のカーブがかなりきついのが分かります。
ナローゲージならではの曲がり方です。
八王子線が全線健在だった頃は、さらに右側にホームがあり八王子線の交換もあったそうです。
2007年05月24日
三重・和歌山・愛知撮影旅行 その18
三重県には北勢線の他にもナローの路線が存在していますので行ってみました。
その線は近鉄の八王子線と内部線です。

まずは廃止された区間の伊勢八王子駅跡に寄ってみます。
近鉄八王子線の路線名は、かつて終点だった伊勢八王子駅に由来しているのです。
三重軌道が日永~八王子間を開業した後、様々な統合をして近鉄の路線となったのでした。
1974年に並行する天白川の集中豪雨による水害で、堤防上にあった路盤が流されて日永~伊勢八王子間が休止となりました。
近鉄は全線廃止を表明したものの、最終的には1976年に西日野~伊勢八王子間が廃止となっています。
廃止となった駅跡は、バスの転回場として利用されていたようですが、バス路線が延長されたようで現在は使用していないようです。

この場所の一角にバスの待合所らしきモノがあります。
ベンチなどは近鉄でよく使われている物と一緒らしいので、廃物利用なのかもしれません。

待合室の骨組みにもレールが使用されています。
この場所周辺には近鉄の境界標や枕木製の柵も発見できました。
その線は近鉄の八王子線と内部線です。

まずは廃止された区間の伊勢八王子駅跡に寄ってみます。
近鉄八王子線の路線名は、かつて終点だった伊勢八王子駅に由来しているのです。
三重軌道が日永~八王子間を開業した後、様々な統合をして近鉄の路線となったのでした。
1974年に並行する天白川の集中豪雨による水害で、堤防上にあった路盤が流されて日永~伊勢八王子間が休止となりました。
近鉄は全線廃止を表明したものの、最終的には1976年に西日野~伊勢八王子間が廃止となっています。
廃止となった駅跡は、バスの転回場として利用されていたようですが、バス路線が延長されたようで現在は使用していないようです。

この場所の一角にバスの待合所らしきモノがあります。
ベンチなどは近鉄でよく使われている物と一緒らしいので、廃物利用なのかもしれません。

待合室の骨組みにもレールが使用されています。
この場所周辺には近鉄の境界標や枕木製の柵も発見できました。
