姉崎機関区 旧・姉崎機関区移転しました。http://kd55-101.shumilog.com/です。

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岐阜・三重貨物撮影行 その5


 写真は廃止された部分である市橋駅跡の様子です。
 草の下にレールが埋もれているようです。
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廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 05:09 | コメント(0)| トラックバック(0)

富山撮影行2010 その42


 探した甲斐があってなんとか発見。
 記憶と逆向きでしたが、見つけることが出来ました。
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廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 08:40 | コメント(0)| トラックバック(0)

富山撮影行2010 その41


 国道の橋の上から覗くとこんな感じです。
 何らかの原因で崩れ落ちてしまったのでしょう。
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廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 18:38 | コメント(0)| トラックバック(0)

富山撮影行2010 その39


 軌道跡を進むと鳥居があり、奥に社がありました。
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廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 07:55 | コメント(0)| トラックバック(0)

富山撮影行2010 その38


 今度は神岡町の土と言う場所にやってきました。
 前方に見えている橋が神岡軌道の跡だと思われます。
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廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 05:02 | コメント(0)| トラックバック(0)

富山撮影行2010 その34


 付近の神通川の様子。
 道路は先に見えている橋を渡って猪谷駅から来ることになります。
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廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 05:20 | コメント(0)| トラックバック(0)

富山撮影行2010 その33

 猪谷駅を離れ神通川の対岸へ渡りました。
 川沿いの道を富山方向に走っていった先にあったものは…。


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廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 08:17 | コメント(0)| トラックバック(0)

わたらせ渓谷鐵道とボールドウィンを撮りに行く その33


 トークイベントの「根利の森林鉄道を語る」が始まりました。
 実際に根利の森林鉄道の現役時代を知る方の話など、興味深い話なので、最後に飽きずに聞くことが出来ました。
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廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 04:13 | コメント(0)| トラックバック(0)

新潟・福島撮影行 その16


 廃線跡を進んでいくと踏切が現れました。
 この踏切を見るかつては2本線路があったことが分かります。
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廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 07:46 | コメント(0)| トラックバック(0)

新潟・福島撮影行 その15


 やって来たのは昭和シェル石油新潟精油所専用線の廃線跡です。
 一部分線路が残っていましたのでその様子です。
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廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 05:28 | コメント(0)| トラックバック(0)

部品になった蒸気機関車

 3月20日(日)、本日は休みで天気も良く京葉線にも多くの臨時列車がやって来ていたのですが、ずっと忙しくて疲れがたまっているため、身体を休ませる方を優先して家でゴロゴロしています。
 夕方から用事で千葉に出掛けるまで暇なので、ブログを書き込んでみました。
 写真は今年2月中旬に撮影したものです。

草むらと架線柱
 草むらと架線柱。

C11だった物
 C11だった物。

運転士席のイスだけが残る
 運転士席のイスだけが残っている。

C11だった物 前から
 C11だった物を前から。

Eタイプの小型蒸気機関車
 Eタイプ小型蒸気機関車。

錆びた車体と開いた穴
 錆びた車体と開いた穴。

C12だった物デッキ部
 C12だった物デッキ部。

焚き口
 焚き口。

デッキ内部
 デッキ内部。

デッキ部別角度
 デッキ侮蔑角度。

シリンダー部
 シリンダー部。

C12だった物
 C12だった物。

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廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 14:18 | コメント(0)| トラックバック(0)

山形・秋田・青森撮影行 その31

湯野浜温泉駅跡
 善宝寺駅から終点の湯野浜温泉駅跡にやって来ました。
 途中左手に廃線跡を利用した自転車道が通っているのが確認出来ました。
 写真に写っている黄色のバスは庄内交通のバスです。

湯野浜温泉駅跡 2
 駅の跡地に建っている建物はコスパと書かれた湯野浜温泉振興センターです。
 1階には公衆浴場もあり、温泉につかることが出来ます。

湯野浜温泉駅前には日本海
 駅跡の近くには日本海が広がっていました。

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廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 06:46 | コメント(0)| トラックバック(0)

山形・秋田・青森撮影行 その30

鶴岡市自転車歩行車道
 善宝寺駅跡から終点の湯野浜駅までの廃線跡は、鶴岡市自転車歩行車道として生まれ変わっています。

鶴岡市自転車歩行車道案内図
 案内図によると3.5㎞あるようです。

鶴岡市自転車歩行車道看板
 自転車・歩行者専用道路のため車で探索は出来ません。
 (なぜか走ってきた車はいましたが…) 

鶴岡市自転車歩行車道 2
 ほんのちょっとさわりの部分だけ歩いてみました。 
 線路があった雰囲気が何となく残っていました。

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廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 06:45 | コメント(0)| トラックバック(0)

山形・秋田・青森撮影行 その29

善宝寺鉄道記念館を覗く 1
 善宝寺鉄道記念館を覗いてみます。
 中を覗くと対向式ホームを持った駅だったことが分かります。
 架線柱もしっかり残されていました。
 本当に木々が伸びてしまってこのままでは森と化しそうです。

善宝寺鉄道記念館を覗く 2
 こちらは駅舎の横から覗いています。

善宝寺鉄道記念館を覗く 3
 こちらは湯野浜方向から見ています。
 こっちから見ても木が生えて中が良く見えません。
 何とか整備が出来ないのでしょうか?

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廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 07:15 | コメント(0)| トラックバック(0)

山形・秋田・青森撮影行 その28

立派な善宝寺駅駅舎
 善宝寺駅を前から見ると立派な造りをしています。

善宝寺駅のトイレ
 善宝寺鉄道記念館は駅全体を保存していると前日に書きましたが、写真の通りで、木造のトイレもそのまま残されています。

善宝寺駅から鶴岡方向を見る
 善宝寺駅から鶴岡方向を見ると真っ直ぐ道が延びており、左側に農業倉庫が連なっています。
 道路の右側が湯野浜線の線路跡となり、農業倉庫には善宝寺駅から引き込み線が延び、直接倉庫に荷物の積み卸しをしていました。
 倉庫の扉の上の庇の下で積み卸し作業がおこなわれていたのです。

農業倉庫側から善宝寺駅跡を見る
 今度は農業倉庫側から善宝寺駅方向を見ています。
 正面奥の木々が茂っているところが、善宝寺駅跡になっています。
 
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廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 05:09 | コメント(0)| トラックバック(0)

山形・秋田・青森撮影行 その27

善宝寺駅駅舎
 湯野浜線の跡を辿ってやって来たのは善宝寺駅跡です。
 この駅は近くにある有名な古刹である善宝寺の最寄り駅として、善宝寺を模した造りとなっており、その駅舎が現存しています。

善宝寺鉄道記念館
 駅全体が善宝寺鉄道記念館として残され、湯野浜線の歴史を後世に伝えるはずでしたが、記念館も閉館してしまいました。

善宝寺鉄道記念館内のモハ3
 記念館の中を覗くと湯野浜線で活躍していたモハ3が見えました。
 記念館の中は樹木が伸びており、閉館になってからの月日が長いことを伺わせていました。

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廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 05:14 | コメント(0)| トラックバック(0)

山形・秋田・青森撮影行 その26

 鶴岡駅を出た庄内交通湯野浜線の跡地は途中まで判別出来なくなります。
 住宅地になったり鶴岡中央公庫の敷地や田んぼに姿を変えてしまっているからでした。

北大山駅跡地のコンビニ
 北大山駅跡地はコンビニエンスストアが目印になっており、このコンビニの裏手が駅だったようです。

北大山駅近くの草むら
 鶴岡駅方向からやって来た湯野浜線は、北大山駅手前で90度近い急カーブを描いていました。
 コンビニエンスストアの近くに中途半端な草むらが残っており、もしかしたら跡地なのかもしれません。
 この辺りで左の方から線路が曲がっていたはずです。

鶴岡駅方向を望む
 鶴岡駅の方向を見ています。
 少先で高速道路が横切っています。
 線路の跡は跡形もなくなり田んぼが広がるのみとなっています。

 北大山駅から湯野浜方向の線路跡はある程度特定出来るようになりました。
 コンビニ前の道路をしばらく走るとすぐ横に平行するようにもなるのです。

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廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 05:15 | コメント(0)| トラックバック(0)

山形・秋田・青森撮影行 その25

庄内交通湯野浜線鶴岡駅ホーム跡
 鶴岡駅にやってきた真の目的はENR-1000ではなく、写真に写っている庄内丸と書かれた建物やこの駐車場などです。
 この辺りが廃止となった庄内交通湯野浜線の跡地になるのです。

鶴岡駅跨線橋
 現在の鶴岡駅の跨線橋の様子です。
 湯野浜線が現役だった頃は、手前にあった湯野浜線ホームまで延びていました。
 間では側線を4本ほど跨いでいたようです。

庄内交通湯野浜線鶴岡駅ホーム跡 2
 この位置辺りに湯野浜線ホームへの階段があり、島式のホームがあったと思われます。

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廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 05:15 | コメント(0)| トラックバック(0)

山形・秋田・青森撮影行 その22

海味駅跡付近のサイクリングロード 羽前高松方向
 海味駅跡付近までやって来ました。
 三山線廃線跡のサイクリングロードはずっと続いていますが、車では走れませんので、近くを走る道を迂回して移動しています。
 羽前高松方向を見ています。

海味駅跡付近
 今度は間沢方向を向いて撮影した写真です。
 左の広場が海味駅が在った場所になります。

自転車広場
 この広場の那覇自転車広場です。
 サイクリングロードを走る自転車の憩いの場として整備されています。

 この後は終点の間沢駅方向に向かったのですが、行き過ぎてしまい、そのまま戻らずに鶴岡に向かったため、ここで山形交通三山線跡の探索は終了しています。

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廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 07:06 | コメント(0)| トラックバック(0)

山形・秋田・青森撮影行 その21

睦合~海味間の廃線跡は自転車道
 国道のバイパスに取り込まれた線路跡は、再びサイクリングロードとして姿を現しました。
 撮影の位置は睦合~海味間となり、羽前高松方向を見ています。

サイクリングロードの橋
 上の写真は橋の上になっており、横から見るとこんな感じです。

サイクリングロードの橋 下から
 反対側から橋の下を見ています。
 三山線時代のガーター橋を利用してサイクリングロードの橋に利用しているのが分かりました。
 
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廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 00:18 | コメント(0)| トラックバック(0)

山形・秋田・青森撮影行 その19

羽前宮内~石田間の廃線跡
 羽前宮内駅跡からの三山線の廃線跡は、熊野川を渡る橋梁が水道橋に転用されて迂回することになりますが、続いていました。
 この辺りは住宅もないため線路がそのまま道路になっただけなので、雰囲気はそのまま残っています。
 写真はこれから間沢駅の方向を見ています。

羽前宮内~石田間の廃線跡 2
 上の写真の場所からしばらく先に行き、後ろを振り返ったところです。
 後方には山形自動車道が横切っています。

石田駅跡
 石田駅跡です。
 駅はなくなっても駅に植えてあった桜の木が場所を教えてくれていました。
 廃線跡はこの先で国道のバイパスに取り込まれてしまい、姿を消してしまいました。

鉄道コム
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 00:08 | コメント(0)| トラックバック(0)

山形・秋田・青森撮影行 その17

羽前宮内駅跡の元変電所
 羽前宮内駅跡にあった元変電所の建物を見ています、
 三山線が廃業となって当然変電所もお役ご免になりました。
 現在は倉庫として活用されていまいます。

羽前宮内駅跡の元変電所 2
 この変電所は1946年に建てられたようなので、三山電気鉄道開業時からの物ではなく、山形交通になってからの物のようです。
 建物の前も後ろも畑になっています。

変電所の上部に付くマーク?
 建物の上部には何らかのマークに見える飾り?が付いています。
 結局何かは不明です。

鉄道コム
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 08:12 | コメント(0)| トラックバック(0)

山形・秋田・青森撮影行 その16

羽前宮内駅跡
 羽前宮内駅跡までやって来ました。
 道路が廃線跡になり奥が間沢方向になっています。
 左手に見えているネットが張ってある場所は公園になっており、ここが駅があった場所のようです。

羽前宮内駅跡にある木製の電柱
 駅跡近くに木製の電柱が立っています。
 これが鉄道時代からの物かは不明です。

羽前宮内駅跡 羽前高松駅方向を見る
 今度は逆方向の羽前高松方向を見ています。
 左に見えている建物は変電所だった建物です。

鉄道コム
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 07:23 | コメント(0)| トラックバック(0)

山形・秋田・青森撮影行 その15

上野~白岩間の三山線跡の道路
 白岩駅を過ぎ次の上野停留所に向かっても、廃線跡の道路は直線で続きます。

残る三山線の道床跡
 国道112号繊との交差部分では、短い区間だけ廃線跡と道路が別ルートになるので、三山線の道床跡が現れました。
 この廃線跡を辿るのに私鉄の廃線跡を歩くⅠを参考にしており、この場所の写真も載っていますが、この先で交差する国道458号線との交差と間違って書かれています。
 地図上もそうなっていますのでこの後で訪問される方はご注意を。

鉄道コム
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 05:14 | コメント(0)| トラックバック(0)

山形・秋田・青森撮影行 その14

新田~白岩間の三山線跡の道路
 橋を渡った廃線跡は道路になっており、緩いカーブを描いた後真っ直ぐに延びていきます。
 写真は終点の間沢方向に向かって撮影しています。
 ちなみにサイクリングロードは橋を渡ってすぐに左に曲がって分かれています。

白岩駅があった場所
 写真の場所は白岩駅があった場所になります。
 奥の方向が羽前高松方向になります。

中町公民館
 上の写真に写っている左の建物の正面に回ると中町公民館でした。

中町公民館前の白岩駅跡の碑
 公民館の一角には白岩駅がここにあったことを示す石碑が立っています。
 ここに三山線が通っていたことを伝えてくれます。

鉄道コム
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 05:17 | コメント(0)| トラックバック(0)

山形・秋田・青森撮影行 その13

みやま橋
 三山広場から近い位置に最初の駅である新田駅があったのですが、区画整理によって正確な位置は判断が付きません。
 近くの寒河江川に行くと「みやま橋」という歩行者・自転車専用の橋が架かっていました。
 この橋の位置が三山線の寒河江川橋梁跡になるのです。
 写真は間沢方から撮影しています。

みやま橋横から
 三山橋を横から撮影しています。
 こちら側には横に水道橋があって橋の様子が分かりません。

みやま橋反対サイド
 今度は反対サイドから見ています。
 構造を見た感じでは元々の橋ではなく、架け替えられている感じを受けました。
 実際、オイルショック直後に自転車がもてはやされた時期があり、西川町間沢から山形市山寺まで38キロの自転車・歩行者専用道路が作られ、橋が架け変えられたのでした。
 サイクリングロードは間沢寒河江山形自転車道(さくらんぼサイクリングロード)として完成しています。
 三山線の廃線跡も所々サイクリングロードとして活かされています。

鉄道コム
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 05:06 | コメント(0)| トラックバック(0)

山形・秋田・青森撮影行 その12

三山広場
 左沢駅の後は、少し寄り道をしてから山形交通三山線の痕跡を探していました。
 写真の場所は三山広場という公園、左側に気になる物が見えました。

三山広場の案内板
 三山広場にある案内板を見るとこの広場が、三山線を偲んで作られた公園だと言うことが分かります。
 しかしこの場所が廃線跡なのかまではハッキリ分かりません。

三山広場のガーター橋?
 左側の気になる物を良く見るとガーター橋に見えましたが、じっくり見ると何か違っています。
 枕木は本物ですが、ガーターに見えているのはただのH鋼のようです。
 橋台は左側の草の生え方などから考えると、廃線跡の物をそのまま使ったように思われます。

三山広場の橋台
 橋台には立派な三山広場のプレートが付けられていました。

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廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 05:12 | コメント(0)| トラックバック(0)

山形・秋田・青森撮影行 その9

羽前高松駅近くに残るガーター橋跡
 駅から三山線の廃線跡を辿って歩いて行くと、小さな川があり、そこには川を越えていたガーター橋が残されていました。
 見ての通りで線路があった方向には家が建ってしまっています。

ガーター橋の様子
 残されたガーター橋の様子です。
 家の下に消えた線路跡の先は周囲を探索しましが痕跡が見つかりませんでした。

ガーター橋から羽前高松駅方向
 ガーター橋の上から羽前高松駅の方向を見ています。
 ここまでは直線で線路跡は延びていました。

鉄道コム
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 06:37 | コメント(0)| トラックバック(0)

山形・秋田・青森撮影行 その8

羽前高松駅入口
 今ではJR左沢線の単なる中間駅に過ぎないこの羽前高松駅ですが、昔は別の鉄道の起点駅になっていました。

山形交通三山線乗り場跡
 ここを起点としていた鉄道は、1974年に全線廃止となってしまった山形交通三山線です。
 写真の位置辺りが三山線乗り場だった場所になり、左沢線のホームの反対側から発着していました。

羽前高松駅からの三山線の廃線跡
 羽前高松駅を出発した三山線は、正面の赤い屋根の建物に向かって延びていました。
 駐輪場から撮影しています。

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廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 05:15 | コメント(0)| トラックバック(0)

新木曽路・伊那路撮影行 その47

カーブする中部大橋
 中部大橋の先は左にカーブしています。
 鉄道の橋らしい造りとなっていました。
 当初資材輸送をしていた頃は、セメントサイロがこの先にあったようです。
 現在はその跡地に佐久間周波数変換所が置かれています。

中部大橋を斜め横から
 中部大橋を斜め横から見ています。
 この橋はB型鉄橋と呼ばれています。
 当初私は、A型鉄橋とかがあってこれはB型なのだと思っていましたが、最近になってただ単にアルファベットのBを横に寝かした形に見えるからB型鉄橋だと知りました。
 中部大橋やB型鉄橋と呼ばれるこの橋ですが、元々の名前は全く違いました。

専用側線天竜川橋梁の銘板
 元々の名前は橋台に付いている銘板で分かるのです。
 専用側線天竜川橋梁が昔の名前だったんですね。
 
鉄道コム
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 00:18 | コメント(0)| トラックバック(0)

新木曽路・伊那路撮影行 その46

中部大橋を正面から
 中部天竜駅に着いた後は、駅正面の道を歩いていきます。
 すると駅近くを流れる天竜川に架かる橋の手前に出ました。
 この橋は中部(なかべ)大橋(ちゅうぶではないです)と呼ばれる道路橋です。

中部大橋手前の道路
 橋に架かる道路を良く見ると2条の線があるのがハッキリ分かります。
 そうここは佐久間ダムの建設資材を運び込むための専用側線だったのです。

中部天竜駅構内に続く専用線跡
 反対を向くと専用側線の跡は、中部天竜駅の構内に向かっているのが分かります。
 次回へ続く。

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廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 00:30 | コメント(0)| トラックバック(0)

デッキ~&伊予ちゃん銚子電鉄オフ会 その18

 仲ノ町駅へ戻ってきたのは理由がありました。
 オフ会のメンバーでヤマサの仲ノ町工場見学を申し込んであったからなのです。
 鋭い人はここで見学の目的が分かっちゃうんでしょう。

 仲ノ町の工場へは、仲ノ町駅の銚子寄りにある最初の踏切を渡っていくことになります。

ヤマサ工場引き込み線橋梁跡
 工場の建物の手前には小さな川が流れており、小さな橋が何カ所か架かっていますが、ちょっと違う物も架かっていました。
 これは以前銚子駅からヤマサ工場に引き込まれていた専用線跡の橋梁跡なのでした。
 前後のレールは消えてしまいましたが、枕木はしっかり残っているのです。

別の引き込み線橋梁跡
 銚子駅から引き込まれていた線路は1本だけではなく、他にも橋梁跡があります。
 こちらは工場の敷地側から撮影しています。

ヤマサ工場引き込み線ホーム跡
 上の写真から振り返ると引き込み線のホーム跡になります。
 ここに貨車への荷の積み卸しが行われていたのでした。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 05:13 | コメント(0)| トラックバック(0)

山口旅行へ行ってきた 鉄道篇 その12

大嶺駅の貨物ホーム?
 大嶺駅のあった位置より奥に行くと、ホームの縁にも見えるコンクリート製の構造物が見えていました。
 貨物関係のホームの跡なのでしょうか?
 郵便局との間には、海軍マーク入りのオブジェもありました。

大嶺駅跡の境界標
 昔の駅前広場付近には、国鉄時代の境界標が放置されていました。
 県道の工事に伴い抜かれた物と思われます。

工場の壁画
 鉄道の廃止前からあった付近の工場前に壁画がありました。
 タイトルは「昔、現在、未来」となっています。
 壁画を良く見ると、大嶺駅をSL牽引の列車が描かれており、さらに炭坑のトロッコも描かれています。
 この撮影後には、炭坑からの線路跡を探索してあちこち回ったのですが、確定できる場所は見つかっておりません。 
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 08:13 | コメント(0)| トラックバック(0)

山口旅行へ行ってきた 鉄道篇 その11

 南大嶺駅から大嶺支線に沿って車を走らせると、所々に路盤跡などの名残がありました。

大嶺支線跡 筈畑橋梁
 写真は廃線跡最大の遺構となる、麦川川に架かる筈畑橋梁です。
 川幅は短いのですが、斜めに渡っているため、長くなっていました。

大嶺支線大嶺駅付近の現在
 大嶺駅があった場所に行くと、廃線跡は県道の用地とされたようで、工事が進められていました。
 撮影していた場所の右辺りが駅舎のあった場所だと思われ、昔の駅前広場もあります。

大嶺郵便局前の駅跡の碑
 近くにある大嶺郵便局の前には、大嶺駅跡の石碑が建ててありました。
 この場所は駅舎のあった位置ではなく、広かった構内の一角です。
 大嶺駅からは炭坑への線路が延びており、構内が広かったのはそのためでした。
 今は閑散としていますが、昔は多くの貨車がひしめいて活気のある場所だったのです。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 08:09 | コメント(0)| トラックバック(0)

山口旅行へ行ってきた 鉄道篇 その5

3号隧道 吉部方
 やっとトンネルがハッキリと目の前に現れました。
 このトンネルは大棚~吉部間にあった3号隧道になります。
 長いトンネルではないので、進入してみます。

3号隧道の天井>
 トンネルの天井を撮影してみました。
 煉瓦を使用しています。

3号隧道壁面構造
 トンネルの下部は石積みの構造、アーチ部が煉瓦です。

3号隧道より宇部方の様子
 トンネルを抜けて宇部方向を見ています。
 このトンネルは地元の農作業用の通路として使用されていると聞いていましたが、人が通れる状況ではなくなっていました。

 船木鉄道の廃線跡はまだ先があるのですが、1駅間だけ見て終了、次の場所に移動します。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 07:42 | コメント(0)| トラックバック(0)

山口旅行へ行ってきた 鉄道篇 その4

 今日はこの後、気動車ネタ2つを撮影しに行ってきます。
 天気は悪そうだけど仕方ないですね。

 それでは山口旅行の続きです。

吉部~大棚間 線路跡吉部方向 1
 小学校の裏側から先は直接廃線跡を辿れなかったので、一度太い道路を通って少し宇部方向まで移動しています。
 この場所も吉部~大棚間になり吉部方向を見ている形です。
 地元の農作業用の道となっていました。

大棚~吉部間 線路跡宇部方向 1
 こちらは宇部方向を見た写真です。
 この大棚~吉部間にはトンネルが残っており、探している間の撮影でした。

吉部~大棚間 線路跡吉部方向 2
 また位置を変えて吉部方向の写真です。
 左側に畑があり、作業をしているおじさんにトンネルの場所を聞いたところ、快く教えていただけました。
 撮影に来る人がたまにいるそうで、私達が珍しくなかったようです。

大棚~吉部間 線路跡宇部方向 2
 教えていただいた方向に進みました。
 農作業用の道路ではなくなり、草地を進んでいきます。

大棚~吉部間 トンネル手前
 トンネル入口らしき黒いモノが見えました。
 行く手を倒れた木や竹が邪魔していますが、何とか通れそうです。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 07:14 | コメント(0)| トラックバック(0)

山口旅行へ行ってきた 鉄道篇 その3

 また少し宇部方向に移動しました。

遺跡のごとき橋台跡
 小さな川の横に謎の遺跡ではなく橋台の跡がありました。
 橋台に続く部分の築堤は削れて無くなっています。
 左が終点の吉部方向になります。

反対から見た橋台と橋脚
 反対から見た橋台と橋脚です。
 見事な風化具合で、ボロボロになっています。
 右側になる宇部側の築堤は消えています。

風化していく橋台と橋脚
 幅のあまりない川を短いガーターで越えていた感じを受ける、橋台と橋脚の跡です。
 この向こう側は吉部小学校の敷地となっています。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 05:24 | コメント(0)| トラックバック(0)

山口旅行へ行ってきた 鉄道篇 その2

吉部~大棚間の様子
 吉部駅から隣の大棚駅の方向を見ています。
 築堤が残っているのですが、草が茂っていて良く分から無い写真です。

吉部~大棚間の削られた築堤
 少し先まで行き、線路と交差していた道路から吉部駅方向を見ています。
 途中から築堤が削られていました。
 土が見えているところが、築堤のあった場所になります。

吉部~大棚間の橋台跡
 線路跡と道路が交差する場所の反対側には、橋台が残っていました。
 この先は再び築堤が続きます。

吉部~大棚間の橋台跡の様子
 昔は両側に橋台があり、橋で道路を跨いでいたのでしょう。
 後方の神社は、吉部八幡宮です。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 06:54 | コメント(0)| トラックバック(0)

山口旅行へ行ってきた 鉄道篇 その1

 5月15日から18日にかけて、山口県を中心とした旅行に行っています。
 この旅行は観光がメインの旅行でしたが、「鉄分」もそれなりに入っており、その時の様子を紹介します。
 メンバーは私と仮設住宅氏、いつも巻き添えになる先輩のJ・K氏の3名です。

東京駅の乗り換え案内
 この日最初に撮影した東京駅の乗り換え番線案内。
 そのうち図柄が変わるところが出てくると思って撮影しておきました。

 当日は東京駅で集合し、のぞみ151号で新山口駅へ向かいます。
 この日の行程は、新山口駅で昼食を食べた後、J・K氏と一旦分かれ、レンタカーで廃線跡巡りに向かいます。

JA山口宇部吉部支店
 最初にやってきたのは、JA山口宇部吉部支店です。

JA山口宇部吉部支店の裏側
 JA山口宇部吉部支店の裏側に回ってみました。
 右側の建物がJAです。
 昔この場所は船木鉄道の終点であり吉部駅がありました。

船木鉄道吉部駅跡地
 ここには西宇部駅(現在の山陽本線宇部駅)から線路が延びていたのですが、途中の万倉駅から吉部駅の間は、戦時中に不要不急路線とされて1944年に休止、レールが撤去されたので、列車が来なくなってから65年経っているのです。
 船木鉄道も1961年に廃止されています。
 写真は布部方面を見て撮影しています。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 05:23 | コメント(0)| トラックバック(0)

東海撮影行 その33

 奥山~中村間の撮影の後は、金指方面に車を走らせます。
 時間の都合で廃線跡をショートカットするつもりでした。

磐城セメント専用線のガーター橋 1
 奥山線沿いのルートから外れたと思っていたのに、またガーター橋らしき物が視界に入ったので近くに寄ってみました。
 近づくとどう見ても鉄道のガーター橋です。

磐城セメント専用線のガーター橋 2
 このガーター橋はどう見ても軽便規格の奥山線には立派すぎます。

磐城セメント専用線のガーター橋 3
 橋の手前のアプローチ部分は削られていました。

 この橋は廃止となった磐城(住友)セメント浜松工場専用線の物でした。
 金指駅から分かれてセメント工場までの1.3Kmの線で、途中にはトンネルも残っているようです。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 05:43 | コメント(0)| トラックバック(0)

北陸撮影行2009冬 その53

敦賀港の赤煉瓦倉庫
 敦賀港には赤煉瓦倉庫があります。
 旧敦賀港駅駅舎に行く途中にあったのでついでの撮影です。

再現された敦賀港駅駅舎
 旧敦賀港駅駅舎が再現されて建っていました。
 1999年につるがきらめきみなと博21が開催されていますが、シンボルの一つとして敦賀港駅駅舎が再現されました。
 博覧会の終了後は、つるがきらめきみなと博21の資料や、敦賀港の歴史や名所を紹介する資料館として活用されています。

旧敦賀新港駅への側線跡の橋台 1
 旧敦賀港駅駅舎の西側に川が流れていますが、良く見ると橋脚と橋台の跡がありました。
 位置から旧敦賀新港駅に続いていた、敦賀港駅の側線跡と思われます。

旧敦賀新港駅への側線跡の橋台 2
 敦賀新港駅は敦賀港駅からの支線の終点でしたが、戦時中の1943年に敦賀港駅に統合されて廃止となっています。
 統合された後は、敦賀港駅の側線として1980年頃まで使用したようです。

松本零士シンボルロードのメーテルと鉄郎
 駅まで徒歩で戻っている途中で銀河鉄道999のブロンズ像が現れました。
 そう言えば松本零士シンボルロードがあるのはここ敦賀でした。
 ここにあるブロンズ像は大きくできも良いと感じます。
 ある意味鐵道ネタと言うことで載せました。

松本零士シンボルロードの車掌さん
 やっぱり車掌さんは外せません。
 駅に行く間にあった16体を全部撮影していたので、時間を食ってしまいました。
 (ここで時間を食ったのが後に響くことに…)
 松本零士シンボルロードには全部で27体のブロンズ像があるそうで、通り道にはなかったのですが、宇宙戦艦ヤマトの物もあるようです。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 08:57 | コメント(0)| トラックバック(0)

北陸撮影行2009冬 その50

敦賀港駅構内のロータリー付きモーターカー
 敦賀港駅構内で待機していた、ロータリー除雪装置付きのモーターカーです。
 北陸鉄道鶴来駅に有ったのと同じタイプに見えました。
 この車両ももう少しでお役後免になるのでしょう。

お姉さんどこ見てるの?
 線路の中に入ると危ないのは分かった、でもおねえさんどこ見てるの?
 思わず突っ込んでしまった看板でした。
 何故か上を見ているおねえさんです。

敦賀港駅構内の廃線跡
 構内に隣接するこの場所は廃線跡になります。

敦賀セメント専用線跡のトンネル
 同じ場所から振り返ると背後の金ヶ崎山にぽっかりとトンネルが口を開けています。
 このトンネルは金ヶ崎山の向こう側に工場がある、敦賀セメントの専用線でした。
 やはり他の会社と同じ様にトラック輸送に切り替えてしまったので、線路は不要となってしまい廃止となっています。
 敦賀駅方向から来ると、敦賀港駅でスイッチバックする形で工場に向かう線形となっていました。
 トンネルの中にはまだ線路が残っています。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 06:29 | コメント(0)| トラックバック(0)

秋の鉄分補給の旅 その51

越後交通来迎寺線踏切跡
 振り返って道路を挟んだ反対側の西長岡駅方向を見ています。
 少し写っている道路を見ての通り、踏切部分の痕跡はありません。

越後交通廃止の看板
 踏切の痕跡は無くなりましたが、越後交通廃止の看板はそのまま残っていました。
 1995年の廃止ですから、13年が経過しています。

線路跡の碍子
 線路の跡をよく見ると、碍子が並んでいます。
 何に使われていた物なのでしょう。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 00:21 | コメント(0)| トラックバック(0)

秋の鉄分補給の旅 その50

 才津駅を後にし、また線路を辿っていきます。

才津~有栗間の鉄橋
 途中で小さな橋が残っていることに気が付き、立ち寄ってみました。
 レールは無くなっていますが、枕木は残っています。

才津~有栗間の線路跡と鉄橋
 交差していた道路から見た線路跡です。
 才津駅(来迎寺)方向を向いて撮影しています。

才津~有栗間の距離標
 線路跡には距離標も残っていました。
 丙号距離標なので100m単位を示しており、数字が3なので、才津駅からの位置を考えると、来迎寺起点5.3Kmの場所になると思われます。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 02:10 | コメント(0)| トラックバック(0)

秋の鉄分補給の旅 その49

才津駅の保線小屋
 才津駅跡を観察すると、保線小屋が残っていました。
 扉が外されているので中が見える状態です。

才津駅のセメント施設
 駅隣接のデンカセメントの施設です。
 当時は側線が延びてホキが来ていたのでしょう。

才津駅に残るポイント標識
 ポイント標識が転がっていました。

セメント施設取り下ろし部分
 セメント施設の内部です。
 ここで到着したセメントを降ろしていたのですね。
 中々内部を撮ることは出来ませんので、貴重なのかもしれません。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 08:48 | コメント(0)| トラックバック(0)

秋の鉄分補給の旅 その48

 再び車で廃線跡を追跡します。

デンカセメントの施設
 そのうちデンカセメントの施設に辿り着きました。
 閑散としているので、もしかすると使われていないのかもしれません。

才津駅跡と思われる場所
 デンカセメントの施設の裏側に回ると、そこが廃線跡です。
 この場所は、才津駅の跡だと思われます。

才津駅跡で朽ちる枕木
 積み上げられた枕木が朽ちています。
 現役時代はどんな構内だったのだろう。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 00:29 | コメント(0)| トラックバック(0)

秋の鉄分補給の旅 その47

 来迎寺駅から越後交通長岡線(来迎寺線)の廃線跡は、車からでも大体の位置が分かる程度には残っていました。
 車で走っていると、深沢~上富岡神田と思われる区間にある川に、橋梁らしき物が一瞬見えました。
 その先のセブンイレブンに買い物がてら車を停めて、ちょっと周辺を歩いてみました。
 何となくセブンイレブンの辺りが上富岡駅付近な気はしますが、ちょっとハッキリしません。

越後交通長岡線跡深沢~上富岡間
 廃線跡に出て川の方に向かう途中で振り返って撮影しています。
 深沢~上富岡間と思われる場所で、中央が上富岡駅付近ではないかと思われる場所です。

川と用水路に残る痕跡
 車から見えた川までやって来ました。
 橋梁跡かと思ったものは、別の橋?でしたが、川の手前にある用水路に痕跡が残っていました。
 川の部分の橋梁は撤去済みです。

橋の取り付け部に残るレール
 川の向こう側をよく見ると、橋の取り付け部にレールが残されていました。
 対岸まではぐるっと回らないと行けないので、先は確認しておりません。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 00:13 | コメント(0)| トラックバック(0)

秋の鉄分補給の旅 その43

元頸城鉄道浦川原駅 1
 うらがわら駅から北越急行線に沿って進んでいくと、程なく東頸バスの駐車場が現れます。
 そのまま進んだところにある建物が、元頸城鉄道浦川原駅の駅舎です。
 こちらはホーム側になり、車が駐まっている部分は線路でした。
 廃線跡の敷地がそのまま北越急行線に転用されているため、真上を高架で抜けています。
 方向は、新黒井駅の方に向かって撮っています。

元頸城鉄道浦川原駅 2
 こちら側が表側になります。
 頸城鉄道(頸城鉄道自動車)の鉄道線廃止後は、頸城自動車となりバスの施設として使用していました。
 今は、第三セクターの子会社化としたため東頸バスの本社が入っているようです。

頸城自動車発祥の地
 駅舎前には頸城バス発祥の地の記念碑も立っていました。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 07:34 | コメント(0)| トラックバック(0)

秋の鉄分補給の旅 その41

頸城鉄道廃線跡 1
 頸城鉄道展示資料館を後にして、再び頸城鉄道の廃線跡を辿っていきます。
 イベント会場で聞いた話では、ほとんどの場所は道路用地とされているそうですが、一部は廃線跡として路盤が残っていました。

頸城鉄道廃線跡 2
 この場所は…。
 あれっ?どこの駅間だったか忘れてます。
 仮設住宅様、フォローよろしくお願いします。

        仮設住宅氏のコメント見てね  ↓
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 05:24 | コメント(0)| トラックバック(0)

秋の鉄分補給の旅 その35

頸城鉄道発祥の地の石碑
 頸城鉄道発祥の地の石碑です。
 百間町駅の跡地であることも示しています。

旧頸城鉄道本社の建物
 旧頸城鉄道本社の建物です。
 左側には発祥の地の石碑が建っています。
 右側の人(仮設住宅氏)が立っている場所が駅舎があった場所になります。

旧頸城鉄道本社の建物 2
 違う角度からの旧頸城鉄道本社の建物です。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 07:09 | コメント(0)| トラックバック(0)

秋の鉄分補給の旅 その28

 黒井駅に来た本来の目的は貨物列車ではなく、黒井駅横の新黒井駅を起点にしていた頸城鉄道の遺構を見るためでした。

新黒井駅跡の碑
 新黒井駅の跡には石碑が立っていました。
 JR黒井駅は線路1本を隔てた至近距離にあります。

新黒井駅跡の様子
 新黒井駅の駅舎があったと思われる場所には、コンクリートの構造物があり、駅舎の基礎の様な気がします。
 この付近は整備工事を始めたようなので、跡も消えてしまうかもしれません。

新黒井駅近くの橋梁跡
 頸城鉄道は新黒井駅を出発すると、すぐに川を渡っており、以前は橋台が残っていたようですが、今回行った時には何もありませんでした。
 橋台があったと思われる位置から対岸を撮影しています。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 06:04 | コメント(0)| トラックバック(0)

2008年富山撮影旅行 その52

 日本カーバイド魚津工場専用線は、昨年の編集長敬白で紹介された場所です。
 今日はそこに載っていなかった、工場から魚津駅までの廃線跡です。

工場側から魚津駅方面
 工場からほぼ真っ直ぐ進んできた線路は、富山地鉄・北陸本線が見えてくると魚津駅の手前で左に曲がります。

線路は途中で切れている
 魚津駅の構内に繋がっていた線路は、駅の手前で途切れ、携帯電話の中継基地(たぶん)が建っていました。

あと少しで魚津駅
 線路跡の先には富山地方鉄道の新魚津駅があり、その隣にJR北陸本線の魚津駅があります。
 専用線が生きていた頃の配線は、専用線は富山地鉄の線路と平面交差して、北陸本線との間の貨物側線に繋がっていた感じだったと思います。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 00:41 | コメント(0)| トラックバック(0)

2008年富山撮影旅行 その51

 今回の廃線跡は、魚津駅から分岐していた日本カーバイド工業庫魚津工場専用線でした。
 この工場の近辺には2002年と2004年の2回来ていたのですが、専用線の存在に気が付かず、認識したのは昨年の7月の北陸撮影旅行へ向かう特急北陸の車窓からでした。

日本カーバイド工業魚津工場と構内に残る専用線
 門の中の線路と日本カーバイド工業魚津工場です。

日本カーバイド工業魚津工場の構内に延びる線路
 線路は工場の敷地内を曲がりながら延びています。

車庫も残る構内
 写真正面には機関庫だった建物もそのまま残っています。
 写真では分かりづらいのですが、構内で分岐して広がっていた線路も残っており、機関庫にも続いているようでした。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 05:24 | コメント(0)| トラックバック(0)

2008年富山撮影旅行 その50

お花畑となった線路
 富山港線をサッと切り上げて、東へ車を走らせます。
 たどり着いた場所は花畑になった廃線跡でした。
 花畑の先には鉄の門があります。

門の向こう側
 門の先の道路から見た廃線跡です。
 昔は踏切があったはずですが、跡形もなく消えており、線路は門の場所で切れていました。

道路の先の門
 道路の先には工場があり、工場の門から先には再び線路が現れました。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 05:24 | コメント(0)| トラックバック(0)

2008年富山撮影旅行 その48

元堀岡駅付近の射水線跡
 射水線の堀岡駅はこの付近だったのですが、何処だったのか分かりません。

射水線跡の向こうの橋脚
 ガードレールがある部分が射水線跡になっています。
 その背景に、港の入口を一跨ぎにする道路の橋脚が既に立ち上がっており、かなり高い位置にあるのが分かります。
 写真に写っている人物は駅の跡を探している仮設住宅氏です。

射水線跡のサイクリングロード
 射水線の跡はサイクリングロードとして整備されている区間がしばらく続きます。
 途中、ホームが残っている駅跡もあるのですが、前回とは違う場所の探索をしたかったので、今回は立ち寄りませんでした。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 05:23 | コメント(0)| トラックバック(0)

2008年富山撮影旅行 その47

 氷見線から富山ライトレールの岩瀬浜駅に向かうことになり、ついでに射水線の廃線跡を軽く探索していきます。
 富山地方鉄道の射水線は、富山新港が建設されたことにより分断されることになりました。
 それは1966年の4月であり、42年前の事になります。
 分断された高岡側は、加越能鉄道に譲渡されて新湊港線となり、港になってしまった部分は県により渡船での連絡がおこなわれるようになりました。
 乗り換えの不便のため射水線の乗客は減り、最終的に1980年4月に廃止となっています。

射水線の橋台跡
 現在も県営の渡船は運航されており、富山側の堀岡側の乗船場近くに射水線の遺構が残っています。
 元々新港を掘削する前は川があったそうで、並行する道路も射水線もそれぞれが橋で川を渡っていたのです。
 写真はその橋台の跡です。

射水線の橋脚跡
 橋台から対岸を見ると堤防があり、その向こうに当時の橋脚が1脚だけ残っています。
 正面には巨大な建造物が建設されています。
 これは新たに建設中の道路で、港の開口部を一跨ぎしています。
 この道路が開通すると渡船も無くなってしまうのかもしれません。
 写真の右側に見えている帆船は海王丸パークにある海王丸です。

 橋脚跡の50メートルほど右側に並行していた道路がありました。
 こちらに架かっていた橋は何故か1スパンだけ残されていて、何かを訴えているかのようです。

橋脚から見た橋台方向
 橋脚から橋台の方を見たところです。
 遊具の向こう側に橋台跡があります。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 05:23 | コメント(0)| トラックバック(0)

2008年富山撮影旅行 その44

やって来た万葉線の電車
 平面交差の近くで万葉線の電車がやって来たのを撮影しています。

専用線跡を工場側まで
 専用線跡を工場側まで進んでみると、踏切は撤去されていますが、路盤は残っています。

専用線跡工場入り口
 工場の入り口に向けて線路の無くなった築堤が続いています。
 工場の裏手に川があり、土手沿いの道から工場内が覗けるのですが、構内にあった線路群はすっかり剥がされているのが確認できました。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 07:23 | コメント(0)| トラックバック(0)

2008年富山撮影旅行 その43

日本曹達専用線跡に建設中の住宅
 公園の先で途切れた場所には川があり、専用線は小さな橋で渡っていたのですが、跡形もなく消えています。
 川の先は住宅が建設されている最中で、その先は再び道路となっていました。
 写真は、その道路から能町駅側を見たところです。

日本曹達専用線跡の道路
 同じ場所から今度は工場の方向を見ています。
 写真の真ん中に写っている水色の車が走っているところが、万葉線が通っている道路となっており、ちょうど平面交差があった場所でした。

日本曹達専用線と万葉線が平面交差していた場所
 平面交差も完全に撤去されていました。
 工場側を向いて撮影していますが、万葉線より先の部分は線路が剥がされただけで、線路跡がはっきり残っています。
 能町駅から万葉線までの区間がすっかり景色を変えているのと対照的でした。

平面交差が残っていた時の写真
 今回撮影した時より4年前は、専用線が廃止となってそんなに経っていなかったため平面交差が残っていました。
 この場所を通る万葉線の電車を撮影していたのも良い想い出です。
 写真は4年前の様子、能町駅に向かって撮影していますが、まるで景色が変わっているのでした。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 05:24 | コメント(0)| トラックバック(0)

2008年富山撮影旅行 その42

能町駅の日本曹達専用線跡
 能町駅からは4年前の4月まで、日本曹達高岡工場への専用線が延びており、途中で万葉線と平面交差があったことでも有名でした。
 写真は能町駅の構内から分岐していく辺りで、枕木の跡がまだ残っています。
 専用線は右にカーブしており、クレーン車がいるところも専用線の跡地でした。

日本曹達専用線跡の道路
 クレーンの先まで行き能町駅側を見た様子です。
 この辺りはすっかり道路となっていました。

日本曹達専用線跡の公園
 道路を少し進むと線路跡は小さな公園になりますが、その先は途切れています。
 この辺りは既に分かりづらくなっていました。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 07:02 | コメント(0)| トラックバック(0)

2008年富山撮影旅行 その32

伏木の廃線跡
 仮設住宅氏が、伏木から港へ向かう線路が昔はあったはずと言っていたので、港側に来たついでに港の付近を探索すると線路を発見しました。
 右に見えている船は、前に出てきたロシアの船です。

伏木の貨物ヤードと線路跡
 ちょっと分かりづらいのですが、写真左の草むらに沿って線路があります。
 線路の延長線上には、貨物ヤードが見えています。

線路跡反対向き
 反対側を向いた写真です。
 左に写っている船は海上保安庁の巡視船です。
 線路はこの先も所々で顔を覗かせていましたが、貨物列車が到着する時間が近くなったので、終端の確認までは出来ずに移動となりました。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 05:24 | コメント(0)| トラックバック(0)

銚子電鉄の旅 その13

 本日も小坂鉄道の撮影です。
 天気も雪時々曇りの予報で最高気温も氷点下のようです。 

 では今日も本題は銚子の話と言うことで。
 新生駅の跡まで辿ってきたので、さらに銚子漁港の市場まで延びていた線路跡を歩いてみます。

線路跡に建つ建物
 市場までの線路がどこから出ていたのか分からなかったので、すぐ近くのガソリンスタンドの方に伺ったところ場所が判明しました。
 何もないよとおっしゃっていましたが、それは承知なのです。
 写真は線路が道路を横切っていた場所です。
 線路の跡には建物が建っています。

銚子漁港の市場へ向かっていた線路跡
 上の写真から後ろを振り向くと、道路の間に砂利のスペースが緩く右にカーブしながら続いています。
 こちら側は完全に廃線跡らしい光景で、無料駐車場と化していました。

銚子漁港の市場
 先まで歩いていくと、一旦線路の跡は分からなくなりますが、すぐに市場が見える場所に出ますので、再び見当が付きます。
 写真の道路左側の車が駐車しているところが線路の跡です。
 ちょっと前までレールは残っていたそうです。

銚子漁港の市場ホーム部分
 ホーム部分も線路が無くなって駐車場となっています。
 観光客が買い物をしたり食事をしたりするために車を止めるのにちょうど良いようです。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 06:26 | コメント(0)| トラックバック(0)

銚子電鉄の旅 その12

 本日は秋田県の大館市にいます。
 9月に撮影し損ねた小坂鉄道を撮影するために来ているのです。
 はっきり言って初日は撮影ほとんど失敗している感じ…。
 細かい内容はまたそのうち報告します。

 ここからまた銚子電鉄の話です。
 昼食後は、新生駅までの廃線区間を辿ってみました。
 1978年の廃止ですので30年が経とうとしているので、途中の痕跡は分かりません。
 道路が何となく線路を思わせるカーブとなっていますがはっきりしません。
 そのまま道なりに歩くと、公園に行き着きました。

新生駅跡地の中央みどり公園
 この公園の案内板を見たところ、ここが新生駅跡地であることが確認できました。
 公園の名前は中央みどり公園です。

中央みどり公園
 中央みどり公園が新生駅の跡地だとは分かったのですが、どんな配線になっていたかとかの資料がなかったので、適当に撮影した写真です。

中央みどり公園 2
 銚子駅の方を見た写真です。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 19:26 | コメント(0)| トラックバック(0)

勝田駅の日立製作所水戸工場専用線ホーム跡

 勝田駅からは少し離れた場所の日立製作所水戸工場へ専用線が延びています。
 それが日立製作所水戸工場専用線であり、4.4㎞あるそうです。
 以前は、その専用線を利用して従業員の通勤輸送のために専用列車が走っていました。
 廃止になったのは14年前の1993年8月頃であり、その後勝田駅は橋上駅舎に改築されていますが、まだ名残が残っていました。

日立製作所水戸工場用ホーム
 勝田駅の改札を抜け左手側の階段を下り、駅舎の外に出ます。
 今度は右手に行くと、日立製作所水戸工場への通勤列車用のホームが残っています。

日立製作所水戸工場用ホーム 2
 ホームの向こうは電留線が数本並んでおり、その先に常磐線のホームがあります。

橋上のコンコースから見たホーム跡
 橋上のコンコースはガラス張りなので上から見てもホームの跡が分かります。
 錆びた線路も残っているのが分かります。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 23:43 | コメント(0)| トラックバック(0)

ちょっとだけ熊延鉄道廃線跡

 2005年の夏は九州へ撮影旅行に行っています。
 メンバーはいつもの仮設住宅氏と巻き添えの先輩です。
 もっとも先輩の方は出来たばかりの九州新幹線に乗ったりはやとの風に乗ったりしに行ってしまったので別行動でした。

 初日は仮設住宅氏と熊延鉄道の廃線跡と熊本電鉄を探索するつもりでしたが、珍しく観光してしまったので、熊延鉄道の廃線跡を訪ねて終了となったのでした。

熊延鉄道の跡 釈迦院~砥用間
 熊延鉄道の釈迦院~砥用間だと思われる場所です。
 画面の真ん中を右から左へ走っている道路が線路跡を転用した道路です。
 左が砥用方面です。

熊延鉄道廃線跡の鉄橋
 先ほどの線路跡の道を砥用方向に走ると鉄橋があります。
 この鉄橋は熊延鉄道で使用していたものを転用しています。
 橋の現在の名前は「しもながとみばし」です。
 鉄橋には、製造銘盤が残っているおり「熊延鉄道株式会社 昭和六年八月」「福岡県若松市今村製作所製作」とあるようですが、確認していません。

熊延鉄道砥用駅駅舎
 熊延鉄道は名前のごとく、熊本と延岡を結ぶ鉄道として計画されていましたが、未完成に終わっています。
 終点だった砥用駅には駅舎が残っており、熊本バスの乗務員休憩所として使用されているようです。
 建物自体は老朽化が進んでおり、あまり長く持たないのではないかと思いました。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 20:00 | コメント(0)| トラックバック(0)

三重・和歌山・愛知撮影旅行 その29

 3日目の午前中は墓参りと何故か模型屋へ行ったのです。
 紀伊勝浦駅付近の模型屋に古いプラモデルがいっぱいあると教えてもらったので、特に予定がなかったため仮設住宅氏にお付き合いして行ったのでした。
 店に着いてみると、プラモデルだけでなく色々な物が売られています。
 鉄道模型も売っていたので私も覗いたのですが、関東ではとっくに売り切れている製品が普通に売っており、思わず買ってしまいました。
 仮設住宅氏は20年ほど前の古い製品(学研とかの製品もあった)があったので色々買い込んでいました。

 その後、十津川温泉方向に車を走らせ、昼食を食べようと道の駅に寄ったら大きな地震が起こりました。(津とかで震度5)
 和歌山辺りは震度3~4ぐらいでしたが、特に影響はありません。 
 再び車を走らせ、どんどん山の中に進んでいきました。
 地名で言うと和歌山県田辺市本宮町静川付近になるのですが、林用軌道だか、森林軌道だかの跡まで行っています。
 手持ちの資料では全然分からないので、仮設住宅氏が撮影した写真だけ載せておきます。
 仮設住宅さん説明よろしく。

新宮営林署大塔線 広瀬土場
 軌道跡のスタート地点。

新宮営林署大塔線 橋台跡
 残っている橋台。

新宮営林署大塔線 トンネル
 トンネル。

新宮営林署大塔線 トンネルと軌道跡
 トンネルと軌道跡。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 00:52 | コメント(0)| トラックバック(0)

三重・和歌山・愛知撮影旅行 その26

 国見山石灰鉱業の線路は昔、上部軌道・中部軌道・下部軌道に分かれており、今回訪ねた部分は下部軌道でした。
 現在は全てベルトコンベアによる輸送に切り替わっています。

砂に埋もれる機関車
 線路を辿っていった終点には、トワイライトゾーンにもあった通り、半分砂に埋もれた機関車が見えました。
 この写真は構内が作業中だったので、車に乗ったまま撮っています。

砂に埋もれたD-507
 構内が作業中だったため、近くに車を停める場所が無く仮設住宅氏だけ降りて写真を撮ってきました。
 砂に埋もれているのは、新日鉄広畑からきた50t機のD-507号機でした。

ベルトコンベアの下のD-505
 もう1両の機関車であるD-505号機は、ベルトコンベアの脇にあった事務所脇に放置されています。
 以前はホッパ車も放置されていたようですが、行った時には見掛けませんでした。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 23:51 | コメント(0)| トラックバック(0)

三重・和歌山・愛知撮影旅行 その25

 伊勢神宮を観光した後は三重県南東町に向かいました。
 南東町には国見山三重鉱山があり、石灰石・砕石を算出しています。
 以前は算出した石灰石を専用鉄道で、港まで送り船に積み替えて輸送していました。
 トワイライトゾーンマニュアルにも2回紹介されている場所なので様子を見に行ってみたのです。

国見山石灰鉱業の積み出し施設と線路
 海沿いの国道を走っていると船への積み出し施設と線路を発見しました。
 海に向かって突き出ている積み出し施設にも線路が続いています。

積み出し施設の先端
 積み出し施設の先端です。
 ここから船に積み込むのですが、土曜日のためか稼働していませんでした。

国見山石灰鉱業専用線の途中
 線路を辿って行った途中の景色です。
 石灰石の輸送は完全にベルトコンベアに移行しており、この辺りのベルトコンベアは山をトンネルで抜けているので、線路とは別のルートとなっています。
 海に近い方は民家があるので、騒音対策のためではないかと推測しています。

線路の上のベルトコンベア
 民家もなくなった辺りから、別のルートだったベルトコンベアが線路の上に移ってきました。
 海の方を見ての写真です。(仮設住宅氏撮影)
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 21:12 | コメント(0)| トラックバック(0)

真岡(長倉)線未成線を歩く その5

 車で鳥居の地点までやってきました。
 歩いてみた感じでは車が走れそうだったので、そのまま未成線跡に乗り入れてドライブです。

長倉未成線 鳥居付近
 写真は、鳥居の横から終点方向を見ています。

長倉未成線 下野中川駅予定地手前
 前進していくうちに、山裾を走っていた路盤は両側に畑が広がる場所を通るようになりました。
 この辺りは完全に農作業用に使用されています。
 写真前方の右の山が接近してくる辺りが、下野中川駅予定地のようです。
 その部分は路盤も広がっていました。

長倉未成線 下野中川駅先
 路盤は、下野中川駅予定地を過ぎると道路とぶつかっています。
 写真は道路の方から下野中川駅方向を見ています。

長倉未成線 工事終点
 道路を渡ると地元の集会場があり、路盤はその前を通って先の林で終了していました。
 ここが工事区間の終点だったようで、少ししか見ていないけど、その先の痕跡は発見できませんでした。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 10:43 | コメント(0)| トラックバック(0)

真岡(長倉)線未成線を歩く その4

 トンネルを抜けてしばらく歩いた後、一旦車まで戻って先の区間まで移動してみました。

長倉未成線築堤の道路用トンネル
 築堤は少し高い場所を走っており、道路は築堤の下を短いトンネルで抜けています。
 この付近に車を停めて、再び築堤に上がり探索を続行です。

長倉未成線道路の上
 道路の真上は草が生い茂り、かろうじて人が歩けるだけの状態となっています。

長倉未成線脇の鳥居
 狭かったのは道路の上だけで、その先は路盤の幅がそのままの状態で残っています。
 しばらく進むと左側に鳥居があり、そこまでで行って再び車に戻りました。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 22:18 | コメント(0)| トラックバック(0)

真岡(長倉)線未成線を歩く その3

長倉未成線のトンネル内部
 トンネル内の様子はこんな感じです。
 もっともフラッシュ炊いたから見えているのであって、実際は真っ暗で何も見えなかったのでした。

 暗闇を歩いていくと、前方から「うわっ!」と言う声が聞こえてきました。
 先行した仮設住宅氏が泥になっている部分に踏み込んだのです。
 実際はぬかるんでいるけど大したことはないのですが、やはり見えないので慎重に進みます。
 真ん中付近に直径1メートル程の円形の構造物があったのですが、何のためにあるのか分かりません。

長倉未成線のトンネル 長倉側
 何事もなく反対側の出口を抜けて振り返るとこんな感じでした。

長倉未成線 トンネル先の風景
 トンネルを抜けると築堤になり、しばらく歩いたところで、振り返った景色です。
 左側が築堤、築堤の奥が抜けてきたトンネルです。
 築堤の脇には動物避けだと思われる電線が張ってありますので、触らないように注意が必要です。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 20:38 | コメント(0)| トラックバック(0)

真岡(長倉)線未成線を歩く その2

 切り通しの先にどんどん進んで行くと、未成線跡と道路が分かれそのまま跡を進むと柵があり、車では進めなくなります。

長倉未成線トンネル手前
 車を置いて徒歩でその先に向かいます。
 その先は砂利も無くなっており、草の上を進むことになりました。

長倉未成線境界標
 未成線の路盤の脇に「工」の字の境界標を発見しました。
 国鉄の建設用地だった証しです。

長倉未成線のトンネル 茂木側
 車を置いた場所からちょっと緩い右カーブを進むとトンネルが現れました。
 トンネルの中がカーブしているらしく、向こう側の明かりは見えず、中は当然真っ暗です。
 懐中電灯も持っていないのに、探検隊気分の私達はトンネルに侵入しました。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 21:21 | コメント(0)| トラックバック(0)

真岡(長倉)線未成線を歩く その1

 昨日のブログに引き続き2007年4月1日(日)のネタの続きです。

 筑波鉄道真壁駅跡を見た後、用事のあるG氏を水戸線の新治駅で降ろし、残った3人で真岡鉄道の北真岡ー西田井間で下りのSL重連列車を撮影、さらに茂木駅まで移動してSL列車の構内入れ替えを撮影しています。
 上りのSLまでは少し時間があったので、国鉄真岡線の延長予定区間が途中まで建設されていたので、探索することにしました。
 この未成線は、茂木駅から水郡線の玉川村までの路線として計画され、途中長倉という集落を経ており、建設の終点をとりあえず長倉にしたため、長倉線という工事線名が付いています。

 SLの入替えを茂木駅で撮影後、未成線の築堤を横に見ながら少し先の区間まで移動します。
 未成線跡は築堤の先、道路に吸収されたりする区間もありますが、終点に向かって右側に併走しています。
 道路と一旦離れて再び道路と交差する場所が小井戸地区にあり、その地点から道路とは別ルートになります。
 未成線跡は農道として利用されているようで、砂利道になりますがあまり草も生えていません。

長倉未成線のコンクリート橋
 道路から分かれて少し進むと、川を渡るためにコンクリー橋が現れます。

長倉未成線の切り通し
 コンクリート橋の先で山裾に接近しており、切り通しで未成線跡は抜けています。

長倉未成線の築堤
 コンクリート橋の脇の一段高いところからだと、築堤が続いているのが分かります。
 右側が茂木方面になります。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 16:58 | コメント(0)| トラックバック(0)

筑波鉄道真壁駅跡の様子

 鹿島鉄道の最終日翌日の4月1日に、真岡鉄道のSL重連を撮影したことは以前のブログに載せました。
 本日は、その日の他のネタです。

 石岡の宿を出発して真岡鉄道へ向かう途中で、筑波鉄道の廃線跡と交差します。
 やはり廃線跡を見掛けたら、寄っていくのが当然とばかりに真壁駅跡に寄ってみました。

真壁駅ホーム跡の桜
 真壁駅には桜の木があり、線路が無くなった今でも花を咲かしていました。

真壁駅跡の2本のホーム
 この駅のホームは2本とも残っていました。
 主要駅だったので、この駅で折り返す列車もあったようです。

真壁休憩所の看板
 筑波鉄道の廃線跡は全線ではないですが、岩瀬土浦自転車道として整備されています。
 真壁駅の地点は真壁休憩所として整備されていました。
 休憩所の看板は意識的なのか、駅名標に似た形をしています。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 23:11 | コメント(0)| トラックバック(0)

静岡へ行った時の話 その13

 草薙駅から再び静鉄電車に乗車して新清水駅に向かいます。
 次の目的は廃止となった清水港線の跡を見ることでした。
 清水港線は清水駅から美保駅までを結んでいた路線で、1984年3月31日付けで廃止となっています。

 新清水駅から港の方に向かうと、廃線跡に出ることが出来ます。
清水港線跡の遊歩道 清水駅方向
 この地点は清水港線の清水~清水埠頭間です。
 この辺りの廃線跡は遊歩道として整備されています。
 写真は清水駅の方向を見て撮っています。

清水港線跡の遊歩道 清水埠頭方向
 今度は反対向きの清水埠頭駅方向を見たけ様子です。

 遊歩道を清水埠頭駅の方向へ歩くと、エスパルスドリームプラザに出ます。
 ここは貨物駅だった清水港駅の跡地になります。

清水港駅跡のテルファクレーン
 海に面して謎のオブジェが立っていますが、これが港の船から材木をそのまま貨車に積み込むシステムがあった名残です。
 全国でも直接貨車に荷揚げできた場所は少なかったようです。

清水港駅跡のテルファクレーン反対向き
 このオブジェの名前はテルファークレーンと言います。
 ここにも案内板があったので、そのまま全文を載せておきます。

 テルファークレーン(木材積込用クレーン)
 このクレーンは、昭和3年国鉄清水港線清水港駅に木材を貨物に積込む荷役機械として作られました。
 当時の我が国には神戸、名古屋にしかない最新式のクレーンで、従前はベルトコンベアーで一日かけて1貨物車に積み込んでいたものが、わずか48分ですむようになり、費用も3分の1になりました。
 その後、木材や石炭の荷役機械として活躍しましたが、時代とともにその用途もなくなり神戸や名古屋では撤去、清水港でも、昭和46年に使用停止になりました。
 しかし清水港発展の歴史をとどめる遺産として、また日本近代産業の遺構としてたいへん価値あるものであることから、平成10年に補修工事が行われ、当公園のシンボルとして保存されることになりました。


 この先の線路はちょっと痕跡が分からなくなっています。
 さすがに歩きで時間もなかったので、この先の探索は諦めました。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 22:17 | コメント(0)| トラックバック(1)

日鉄鉱業赤谷専用軌道の跡 その3

 東赤谷付近まで戻ってくると昔は日鉄鉱業だったと思われる施設に出ます。
 ここに至る直前まで道路に沿うように空き地が延びています。この空き地が軌道時代の線路跡です。

 ここの軌道跡にはスノーシェッドがあったため、隙間が空いているところからしか列車は見られなかったそうです。

元日鉄鉱業の施設
 写真の施設に向かって、何となくヤードに使っていたのではないかと思うような空き地があり、専用鉄道時代は施設の前を通っていたのではないかと思えます。

 また、軌道時代は施設の一段低いところにも何らかの施設が見えており、そちらから上がってきていたのかと思います。
 ここら辺は私の勝手な推測にすぎません。

 この施設より少し行ったところが東赤谷駅の構内だったはずですが、正確な位置が分からず違う場所を撮影していました。

 その場所より道路を挟んで一段低くなっているところに、バスの転回場がありました。
東赤谷のバス停
 バスの転回場が東赤谷のバス停であり、昔の東赤谷駅の構内の跡だったのですが、その時点で気が付かず全体の様子までは撮影しておりません。

 ちなみにこの駅は、スイッチバックの駅として有名でした。
 先まで行って赤谷駅の構内にスイッチバックで入ってきたのです。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 06:30 | コメント(0)| トラックバック(0)

日鉄鉱業赤谷専用軌道の跡 その2

 専用鉄道跡の道路を東赤谷に戻る途中に、川を渡る地点がありました。
 川の上流側を見ると、木々の陰に鉄橋が残っていたので見に行ってみます。
日鉄赤谷専用軌道 残る鉄橋
 こちらは専用軌道時代の鉄橋でした。
 鉄橋の手前には細いレールが残っていました。

 専用軌道は鉄道時代とは違い、この付近では山をトンネルで抜けていたのですが、山と山の間に川があるためその部分には鉄橋が架けられています。

日鉄赤谷専用軌道 塞がれたトンネル
 鉄橋両サイドのトンネル入り口は、コンクリで塞がれていました。
 トンネル直前にも細いレールが放置されています。

日鉄赤谷専用軌道 路線変更前の橋台
 この鉄橋のすぐ横にも鉄橋が架かっていた跡があり、橋台が残っていました。
 こちらの鉄橋跡は、軌道が路線変更をしたために廃止となった、旧線のものと思われます。

日鉄赤谷専用軌道 鉄橋を横から
 写真は山の中に残る鉄橋をサイドから撮影したものです。

 この鉄橋の少し下にもコンクリートの構造物が川を渡っています。
 そちらのものは、少し上流にある発電所の冬期点検用の通路となっています。冬になると雪が深く道路が使えないのです。
 軌道がトンネルで山を抜けるようになったのも、雪の対策もあったのではないかと思われます。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 10:19 | コメント(0)| トラックバック(0)

日鉄鉱業赤谷専用軌道の跡 その1

 本題に入る前に、7日から9日にかけて和倉温泉に行ってきました。突然温泉に行きたくなり和倉温泉に行くことにしたのです。
 ついでに少しだけ「鉄」してきたので、そのうち報告します。

 本題の方は、赤谷線の終点の東赤谷駅から先に日鉄鉱業赤谷専用軌道が延びていたので跡を見に行ってみたのです。
 赤谷線を含めてここに来た理由ですが、どこに行くかを考えるため地図を見ていたら、赤谷に線路のマークがあるのを発見したからでした。
 専用軌道は赤谷の先、鉄山という場所まで延びていたのですが、終点付近は草が多くまた、道もUターンが出来そうもなかったので、最奥部まで行かなかったため終点の遺構は発見できませんでした。
 草に囲まれた道を進む途中で、コンクリ製の何かを壊した跡があったので、そこが何かの施設だったのかも知れません。
日鉄赤谷 鉄山付近
 写真は鉄山付近の様子を撮ったものです。
 この辺りは何もない山の中なのすが紅葉のポイントだったようで、紅葉を見に来た車と何台もすれ違いました。

 ここの専用軌道は、1957年から1999年頃まで存在した軌間610ミリの軌道でした。
 そして同じ区間には、前年1956年秋まで1067ミリの専用鉄道が存在していました。

日鉄赤谷専用鉄道の鉄橋
 専用鉄道の鉄橋が、鉄山の手前に残っています。

日鉄赤谷専用鉄道の鉄橋 その2
 なかなか立派な鉄橋で、深い谷を越えています。
 橋の上の状態も撮影しようと思ったのですが、草が繁っていたので断念しました。
 ヘタをして崖下に転落したのでは洒落になりませんので。

日鉄赤谷専用鉄道のスノーシェッド
 鉄山まで続いている道路は、専用鉄道時代の敷地を転用したようで、4カ所のスノーシェッドが残っており、そのまま道路用として利用されています。
 スノーシェッド内は鉄道用の単線分しか幅がないので、車のすれ違いが出来ません。
 長い方の2カ所には両側に信号機が設置され、交互通行となっていました。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 22:52 | コメント(0)| トラックバック(0)

赤谷線 夏井川に架かる橋

 さらに先に進むとサイクリングロードは終わりとなります。

 赤谷駅のあった場所へ向かう途中、道路の右手の少しだけ高い位置に線路跡が並行する区間があり、線路跡が消えた先に突然橋梁が現れます。
赤谷線 夏井川に架かる橋の橋台
 この橋梁は夏井川という川に架かっている橋梁でした。

赤谷線 夏井川に架かる橋
 手前には築堤があったはずですが、すっかり削られて整地されて無くなっていたので、突然橋が現れたのでした。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 18:59 | コメント(0)| トラックバック(0)

赤谷線 米倉駅跡

 高速道路を使って移動してきてやってきたのは、新発田市です。
 ここからは新発田駅から分かれていた国鉄赤谷線の跡を辿ってみました。

 新発田駅を出て少し経った廃線跡は、ふるさと創生基金を利用して立派なサイクリングロードに生まれ変わっています。
 サイクリングロードのため、所々で道路とは交差するものの車は進入できないため、時間の関係もありじっくり見られないまま先に進みました。

 最初にじっくり見ることが出来たのは、米倉駅の跡となりました。
赤谷線米倉駅跡の駅名標
 駅のあった跡には米倉駅の駅名標が立っていました。
 この駅名標は現役当時使用していたものではなく、後から立てたようですが、あればうれしくなります。

米倉駅跡の様子
 サイクリングロードの上から米倉駅の跡を見たところです。
 ロードの右側に駅はあったようです。
 写真は新発田駅方向を見て撮っています。

米倉駅付近踏切通行禁止の看板
 駅跡の近くには、踏切の車両通行止めの看板がまだ落ちていました。

 ちなみにサイクリングロードの方は、この駅までは平坦な道ですが、この先から勾配区間に入り上り坂が始まります。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 15:59 | コメント(0)| トラックバック(0)

葛生方面廃線跡探検 その4

 葛生駅までやってきました。

葛生駅のヤード跡
 この駅は今でこそローカル線の終点となっていますが、貨物の全盛期には一大ヤードとして機能しており、多くの貨車で賑わっていたのです。
 残念ながら、今は客扱い用と保線用にわずかな線路を残すだけで、その他の部分は広大な空き地となっていました。
 ヤード跡から振り返ると上白石貨物駅へ向かう線路跡が複数の線路とともに左に緩くカーブしていきます。

葛生の謎の築堤
 ふとそちらの方向を見ていたら、右手の山にトンネルらしきものが見えました。葛生の駅から見るとまっすぐな位置です。

葛生の謎のトンネル
 そちらに向かって歩いてみると、やはり線路の用地であり、トンネル近くではバラストが残っていました。
 この線路はいったい何なのでしょう?
 昔の計画では、日光に向かう路線は佐野・葛生・鹿沼と抜ける案もあったようですが、それにしてもトンネルは新しい様な気がしました。

 上の二つの写真は同行者の仮設住宅さんのを使用しています。
 自分でも撮影したつもりだったのですが、後で見たら撮って無かったのでした。
 この後は、葛生駅の駅舎や到着する電車を撮影して、小山に向かっています。

==コメント==
楽しく拝読させていただいております。さて、葛生駅北方にあるトンネルは、かつての貨物入替用の引き上げ線です。トンネルは、引き上げ線の有効長を延ばすために掘られたようです。では、失礼いたします。
投稿者 旧館林機関区 2006/12/23 19:41

==コメント==
旧館林機関区様どうもありがとうございました。謎が一つ解消されてとてもうれしいです。昔JRRで出していた配線図にも載っていなかったので現地に行ってから悩みの一つでした。
投稿者 kd55-101 2006/12/23 21:37
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 22:22 | コメント(0)| トラックバック(0)

葛生方面廃線跡探検 その3

 東武鉄道の大叶線の廃線跡の探索です。
 こちらは線路のあった場所がはっきり分からないのでした。
 線路の跡かと思う場所はあるのですが、確定するものが見つからないのです。

レール製の柵
 そんな探索の最中に道路脇の柵にレールを使用しているのを発見しました。
 かなり細いので大叶線のものではないと思います。
 坑内のトロッコから転用したものでしょうか。

 上白石駅の方に戻る途中、日鉄鉱業線と大叶線の分岐点に出ました。大叶線の方が先に廃止となっており、分岐した先の敷地には建物が建っていました。

日鉄鉱業線と大叶線分岐点
 この部分は複線分の敷地があり、東武の境界標と日鉄鉱業の境界標の2つがありました。
 写真右の白い建物が大叶線の跡になり、左側には日鉄鉱業線が分岐しており、舗装された道路に沿って曲がっていきます。
 カーブを曲がった先からは線路を跨ぐ高圧線が出てきて目印になります。

 今度は葛生駅に移動です。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 21:13 | コメント(0)| トラックバック(0)

葛生方面廃線跡探検 その2

 両方の線路跡を気にしながら葛生方向に進むと、住友大阪セメントの工場が見えてきました。
 住友セメントの専用線はここまでセメントの原石を運んでいたのです。
 セメント工場を回り込んで、専用線の跡を辿ろうと道を曲がった瞬間、踏切の黒と黄色の柵と架線柱が目に入りました。
 この場所はちょうど線路跡であり、私のナビは古かったのでそこには日鉄鉱業線と表示されていました。
 先の方にヤードらしきものが見えたので向かってみます。
 向かった先には広大な草むらがY字形に広がっており、片側はその延長が住友大阪セメントの工場に向いています。
 反対側はナビ上の日鉄鉱業線に繋がっていました。

上白石貨物駅跡
 ここのヤードにはレールはなかったものの架線柱は残っていました。
 ここは東武鉄道の上白石貨物駅跡であり、昔はここで東武の大叶、会沢の2本の貨物線、日鉄鉱業羽鶴専用線の3線が分岐していたのです。
 遠くを見ると腕木信号機も2本残っていました。
 多くの写真を撮って今度は日鉄鉱業羽鶴専用線の探索に向かいます。

日鉄鉱業羽鶴専用線
 今度はナビに線路が載っているので跡を辿るのは簡単で、さらに当時から線路の上に高圧電線が通っていたので、遠くから見ても分かりやすくなっていました。

日鉄鉱業専用線 東武のワム
 線路を追っているうちに貨車2両を発見しました。
 珍しくレールの上に乗った有蓋車で、東武鉄道が所有していたワムのようです。
 この貨車が置いてある場所は常磐信号所だったところで、転車台もあるらしいのですが、この時は気が付きませんでした。
 終点まで一通り辿った後は大叶線を探索しに行きます。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 23:35 | コメント(0)| トラックバック(0)

葛生方面廃線跡探検 その1

 やっと休みに雨が降らない予報が出ました。
 行きたい場所がたくさんある中で、仲間の仮設住宅氏と相談の結果、葛生方面の廃線跡と小山の高岳製作所の専用線を見に行くことに決定しました。
 早朝に家を出発、最初の目的地として会沢に向かうことにしたので、東北道栃木ICに向かいます。
 栃木ICを降り一般道を走りますが、目的の場所まで道が合っているのか確信はありませんでした。
 何とか辿り着いたところはとある鉱山です。
 鉱山にはホッパーがあり、近くには車両を格納する車庫にも見える長細い建物がありました。

住友セメント葛生専用線のトロッコ
 隙間から中を覗くと、色々な物と一緒にトロッコが置いてあるのが見えたので隙間から撮影しておきます。
 ここが住友セメント葛生専用線の跡だと思われます。
 既に線路は無く、線路の代わりにベルトコンベアだと思われるパイプが2本延びています。
 この先は鉱山の敷地のようなので進入は出来ず、来た道を戻ってちょっとウロウロと周囲を探索しました。

住友セメント専用線と会沢貨物線
 そのうち枕木が柵として利用されている場所を発見、近くの川にはそのままガーター橋が残っていました。
 橋の隣には先ほどのパイプが通っています。
 周囲の状況から考えると、住友セメント葛生専用線と東武会沢貨物線が併走している区間があったので、その跡と思われました。
 ガーター橋が東武会沢貨物線、パイプが住友セメント葛生専用線でしょう。
 住友セメント専用線の跡は徒歩でしばらく辿る事が可能です。
 会沢貨物線との併走区間はすっかり花壇に変身しており、花がいっぱい咲いていました。
 ガーター橋から葛生の方に向かうと互いの線路が分かれていきます。

住友セメント専用線と会沢貨物線合流点
 写真で直進しているのが住友セメント専用線、右に曲がっていくのが東武会沢貨物線です。
 しばらく辺りを撮影して葛生駅方向に向かいました。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 23:43 | コメント(0)| トラックバック(0)

東北撮影旅行 その11

 次は大船渡線の陸中松川駅に向かいます。
 観光旅行なら、隣の猊鼻渓に行くのでしょうが「鉄」旅行なので通過です。
 陸中松川駅にはセメント工場があり専用線があるはずでした。
 川の向こうからセメント工場を見たときにはタンク車が見えましたが、駅に着くと線路はすっかり剥がされており、残念です。
 しかし、陸中松川駅に来た目的はセメント工場ではありません。
 以前はこの駅付近にある旧東北砕石工場(東北タンカル)からトロッコが荷物の搬送に使用されていたからです。
 タンカルとは、石灰石紛(炭酸カルシウム)のことで、宮沢賢治が命名しており、宮沢賢治は東北砕石工場に技師として働いていたそうです。

東北タンカル 偽線路
 実際に現地を見てみると、東北砕石工場から陸中松川駅の間には軌間幅の狭い線路がありました。
 でもよく見ると枕木の幅は1067ミリゲージ用の物で、レールもトロッコに使用されるにしては立派過ぎる物でした。

 現在の旧東北砕石工場は、国登録有形文化財となっており、石と賢治のミュージアムなど周辺が観光向けに整備され、その一環で線路も新しく敷設されてそこが遊歩道となっているのです。
 東北砕石工場からは石灰石紛を508ミリゲージのトロッコで国鉄の貨物ホーム上に搬送。そのまま貨車に積める構造となっていたとのこと、その貨物ホームは今も健在です。

陸中松川駅 貨物ホーム
 残っている陸中松川駅の貨物ホーム。
 写真の右の線路が、新しく敷設された飾りの線路であり、その位置には国鉄の貨物用ホームの線路がありました。

東北タンカル トロッコの残骸
 工場の中には、昔搬送に使用したであろうトロッコが転がっていました。
 なお、東北砕石工場の案内看板は、何故か鉄道で使用していた転轍機の表示部分を利用している物を何か所か見かけました。
 何か理由があるのでしょうか?

東北タンカル 案内看板
 写真の看板は、セメント工場の専用線があったと思われる位置に立っています。
 今日の宿は一関駅前のビジネスホテル、初日と同じホテルに再び泊まります。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 21:11 | コメント(0)| トラックバック(0)

東北撮影旅行 その7

 3日目は朝から晴れです。
 釜石鉱山に向かって車を走らせます。
 走っていく途中にJR釜石線のめがね橋があり、見た感じが良いので有名な場所です。
 今回の旅行は地図とナビを併用していたのですが、お互いにめがね橋の位置が違っていました。
 ナビの位置には道の駅があったので車を止めて撮影します。
 残念ながら列車は来ませんでしたので、絡めての撮影はできませんでした。
 橋梁の横には、軽便鉄道時代の橋脚・橋台が残っています。
 この橋の形を見て、めがねなら輪っかが多いと思います。
 地図の方の位置が正解だったのでしょうか?疑問を残したまま次に向かいます。
 JR釜石線に沿って走っているので、途中の岩手二日町駅と足ヶ瀬駅にも寄ってみました。
 足ヶ瀬駅では列車が来たので撮影、キハ100系の2連でした。

 ここから線路と道路はルートが離れます。JRは仙人トンネルなどを抜けて陸中大橋駅まで峠をくぐっていきますが、軽便鉄道時代は峠を挟んで線路は繋がっていませんでした。
 峠の荷物の搬送は、索道を使用して陸中大橋駅まで運んでいたそうです。
 何処が軽便鉄道の終点か、また、索道の起点かははっきりしませんが、国道の仙人トンネル入り口付近を探索してみました。
 すると旧釜石街道の仙人峠への道を発見したので、ちょっとだけ歩いてみます。

仙人峠のレール
 上の写真をクリックするとホームページに飛びます。
 入ってすぐのところでレールを発見しました。
 敷設してあったわけではなく土留めの柱として使用されています。
 レールはあからさまに細く、トロッコか何かに使用されていた物のようです。
 ちなみにレールは太さの違う2本を発見できました。
 この峠から索道の痕が見えるという話なのですが、全行程3時間掛かるようなので諦めています。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 22:49 | コメント(0)| トラックバック(0)

東北撮影旅行 その1

 予定と休みが微妙にズレたりしましたが、東北方面に撮影旅行に行ってきました。
 11日の深夜に家を出発、仲間の仮設住宅氏を拾って北に向かいます。
 東北道は所々雨が降っていましたが、交通量が少ないため順調に走れます。
 何事もなく最初の目的地に着くのかと思っていたら、突然、インパネに普段表示されないエンジンチェックの文字が!パワーも落ちてしまいました。
 エンジンが止まったわけでは無く、アクセルを大きく開けなければ普通の運転ができるので、一番近いSAまでゆっくり進むことに。
 SAまで辿り着きとりあえずエンジン停止。電子制御系のトラブルの時に出る表示なので、湿気が多いために起きたトラブルだと予想。少し時間を空けて様子を見ることに。車も古くなるとあちこちにガタが出てきますからね。
 ご飯を食べたりして時間を潰し、いよいよエンジン再始動。どきどきしながらセルを回すと、何事もなく始動し、表示も消えました。北行き続行です。
 外も明るくなりすっかり朝。雨もあがりました。長者原のSAで6時になり、ここで東北道を降りました。

仙北鉄道 元登米駅駅舎
 上の写真をクリックするとホームページへ飛びます。
 今日の最初の目的は、仙北鉄道の廃線跡を辿ること。まずは登米駅のあった場所に向かいます。
 登米駅の駅舎は、宮交登米バスの登米営業所として再利用されているのは、色々な本に出ているので有名です。
 今日もちゃんと私達を待っていてくれました。

 この旧登米駅前には仙北鉄道で使用していた機関車の車輪が飾ってあり、駅舎内にも当時使用していた備品がありました。
 廃線跡を辿っていく前に、近くにあるJR気仙沼線の柳津駅を覗いていきましたが、残念ながら柳津駅は特に見るところのない普通の駅でした。

 登米駅の近くには、国指定重要文化財である旧登米高等尋常小学校校舎もありました。かなり立派な建物です。時間が早くて中には入れませんでしたが、門の隙間から写真を撮っておきました。
 この近辺には古い歴史を持った建物とかがあるようなので、それと一緒に改めて見に来たいと思います。

 廃線跡の道を瀬峰駅を経由して築館駅まで探索開始です。あっちこっち迷いながら痕跡を探しますがなかなか見つかりません。
 何となく廃線跡かなという道を走り交差点で停止したら、商店に上沼駅前の文字を発見。他に何か無いかと見渡したら、近くに貨車の廃車体がありました。
 貨車は民家の物置として再利用されているようです。
 妻面にはバッファーを取り付けていた跡もしっかり残っており、側扉にはうっすらと社紋も残っていました。

 その後も廃線跡を辿りますが、地図に載っている廃線跡らしい道が見つからなかったりで苦労しました。

 JR瀬峰駅までやってきました。
 ここが仙北鉄道と国鉄との接続駅となっていましたので、仙北鉄道の跡を示す石碑も建っています。
 跨線橋が仙北鉄道のホームにつながっていた部分は切られて板で塞いでありました。
 以前は塞いだ板の色が跨線橋と違っていて切った跡がすぐ分かると、どこかのHPで見た記憶があるのですが、今は同じ色に塗ってありました。

 築館駅までのルートも辿りましたが、こちら側は何も発見できませんでした。(旧築館駅の位置を勘違いしていた事が後で判明、これでは見つかりませんね)
 仙北鉄道の探索は終了、陸羽街道を北上して、くりはら田園鉄道に向かうところでその1は終了です。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 16:31 | コメント(0)| トラックバック(0)

新潟・富山撮影旅行 その6

 時間が無いと言いながら、走っている道路に平行して加越能鉄道の未成線部分があるので寄り道しちゃいます。
 この未成線部分はサイクリングロードになって残っていました。
 このあたりから天気は晴れとなり気分も更に良くなります。

 ■加越能鉄道未成線跡のサイクリングロードの写真■

 加越能鉄道は今でこそ鉄道線が全て無くなってしまっていますが、昔は富山と金沢を結ぶ壮大な計画があり、ここが計画線の跡なのです。
 計画通りにこの路線が完成していたらどうなっていたのでしょうか?

 撮影旅行はまだまだ続きます。
廃線・遺構・未成線 | 投稿者 kd55-101 21:00 | コメント(0)| トラックバック(0)
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