2007年01月23日
和倉温泉に行った時の小ネタ その6
穴水駅を後にした私達は和倉温泉に再び戻るつもりで車を走らせました。
のと鉄道沿いの国道を走っていると、青い車両が目に留まりました。
見た瞬間、郵便車が保存されている場所があったことを思い出し、急遽寄り道です。
青い列車があったのはのと鉄道の能登中島駅です。

ここに保存されている車両は、数少ない鉄道郵便車です。
駅に案内板がありましたので全文を紹介しておきます。
鉄道郵便車「オユ10 2565」
オユ10形式は、旧郵政省が所有していた全室郵便車で一般客車の軽量構造化に伴って製造された我が国最初の軽量郵便車で、主に幹線区に使用されました。
車内は郵袋室と区分作業室を持つ特殊な構造で、郵便物を納める郵袋を600個積むことが出来ます。
また、郵便物を運ぶだけでなく走行中には区分をし、駅では郵袋の積み降ろしを行いました。
ここで保存されている車両は昭和44年に製造され、東京~北海道間で郵便輸送に活躍しましたが、昭和61年鉄道郵便の全面廃止に伴い廃車となりました。
廃車後は、能登線甲駅(穴水町)で保存されましたが、老朽化が激しく、処分間際の平成10年にボランティア団体「ふるさと鉄道保存協会」がのと鉄道様より譲渡を受け、保存活動を開始し、平成16年11月16日未明に能登中島駅に移転してきました。
ここに鉄道郵便車を保存活用することにより、長年の郵便輸送に対する功績をたたえ、また鉄道郵便局職員の労苦に報いるものであります。
~鉄郵魂は、永遠に不滅なり~
道路が整備されていない時代から、郵便と鉄道は密接な関係にありました。道路が整備されトラックの方が効率よくなったのと、国鉄改革により郵便の鉄道輸送を利用した運送は全廃となったのでした。
一部は違いますが、郵便番号の三桁目が9の郵便局は鉄道郵便車の車内で区分されて最寄り駅で授受していたのでした。

郵便の表示も荷物の表示とともにすっかり過去の物となってしまいました。

郵便車の保存されている能登中島駅の駅名標です。
のと鉄道沿いの国道を走っていると、青い車両が目に留まりました。
見た瞬間、郵便車が保存されている場所があったことを思い出し、急遽寄り道です。
青い列車があったのはのと鉄道の能登中島駅です。

ここに保存されている車両は、数少ない鉄道郵便車です。
駅に案内板がありましたので全文を紹介しておきます。
鉄道郵便車「オユ10 2565」
オユ10形式は、旧郵政省が所有していた全室郵便車で一般客車の軽量構造化に伴って製造された我が国最初の軽量郵便車で、主に幹線区に使用されました。
車内は郵袋室と区分作業室を持つ特殊な構造で、郵便物を納める郵袋を600個積むことが出来ます。
また、郵便物を運ぶだけでなく走行中には区分をし、駅では郵袋の積み降ろしを行いました。
ここで保存されている車両は昭和44年に製造され、東京~北海道間で郵便輸送に活躍しましたが、昭和61年鉄道郵便の全面廃止に伴い廃車となりました。
廃車後は、能登線甲駅(穴水町)で保存されましたが、老朽化が激しく、処分間際の平成10年にボランティア団体「ふるさと鉄道保存協会」がのと鉄道様より譲渡を受け、保存活動を開始し、平成16年11月16日未明に能登中島駅に移転してきました。
ここに鉄道郵便車を保存活用することにより、長年の郵便輸送に対する功績をたたえ、また鉄道郵便局職員の労苦に報いるものであります。
~鉄郵魂は、永遠に不滅なり~
道路が整備されていない時代から、郵便と鉄道は密接な関係にありました。道路が整備されトラックの方が効率よくなったのと、国鉄改革により郵便の鉄道輸送を利用した運送は全廃となったのでした。
一部は違いますが、郵便番号の三桁目が9の郵便局は鉄道郵便車の車内で区分されて最寄り駅で授受していたのでした。

郵便の表示も荷物の表示とともにすっかり過去の物となってしまいました。

郵便車の保存されている能登中島駅の駅名標です。
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